銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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賑やかな夕食
食事と呼ばれた席は、広い屋敷に反して随分と小さいものであった。
最も小さいとは聞いたとはいえ、六人ほどが並ぶダイニングテーブルを中央に置き、その左右に数人のメイドが並んでも十分のスペースはあるのである。聞けば、パーティー用の広い部屋は別にあり、ここでは日常的に夕食を食べるときに使っているのだとライナが答えた。
そちらが良ければ、変更するとのことであったが、アレスは丁重に断った。
食事が喉を通りそうにもないからだ。
ダイニングテーブルの中央には燭台が置かれ、食卓を蝋燭の淡い光が照らしている。
アレスとライナが向かい合い、その左右にアロンソとリアナが座る。
アレスとアロンソの前に、グラスに注がれた食前酒が置かれた。
未成年であるライナと、リアナは葡萄酒だ。
一流企業の代表というのは忙しいようで、この後で商談の話があるとのことであった。
「では」
と、言葉を促すようにリアナがアロンソを見た。
その表情に浮かぶのに若干の棘があるのは、見間違いではないだろう。
珍しい姿に思わず口にしてしまった失態が、妻と娘から厳しい視線という罰を受けている。
咳払いをして空気を誤魔化し――それが成功したかどうかはさておき、グラスをあげた。
「乾杯」
静かな声とともに、グラスがあげられる。
手元のグラスを一口すれば、最初にライナが再度謝罪を言葉にした。
「申し訳ございません。アレス先輩が来ることを聞いていなかったので。見苦しいところを」
理不尽ながらにもライナの責める視線を受けて、リアナは悪戯な笑みを浮かべる。
「ごめんなさい、マクワイルド様。早めに伝えると、この子は逃げてしまうから」
「お母さま」
「怒らないで、ライナ。ちょっとした冗談じゃない、ね。堅物なのは血なのかしら。ごめんなさいね――改めまして」
笑みをおさめ、リアナがアレスに向き直った。
「マクワイルド様はお二人のことをご存知のようですが。私はリアナ・フェアラートと申します」
「ご丁寧に失礼いたします。私はアレス・マクワイルド。アロンソ中佐と……ライナ候補生。フェアラートさんには非常にお世話になっております」
アレスが頭を下げるのと同時、ライナもともに頭を下げた。
「さて。堅苦しいのも何ですから、食事にしましょう」
「ありがとうございます、いただきます」
食卓には、メイドが運んできた湯気の立つ皿が並んでいる。
オードブルから始まる、見事な料理だ。
新鮮な野菜に包まれた料理は、些か崩れやすいもの。
それでも何とかナイフとフォークを使って、アレスは口に運んだ。
うまい。
歯ごたえとほんのりと感じる塩気が、味覚を刺激する。
咀嚼音が聞こえぬように、静かに噛み締めれば、アレスは視線に気づいた。
見れば、誰もがナイフとフォークを止めて、アレスを見ている。
何か失敗しただろうか。
そもそもコース料理など食べるのは、前世以来のことだ。
父親と住んでいた幼少の時にはコース料理など早かったし、士官学校に入ってからはコース料理など食べる機会はない。
「なにか」
「いえ。見事な作法と思いまして。どこかでお習いになったのかしら」
どうやら、あっていたようだ。
かといって、褒められるほどにナイフの扱いにたけているわけではないが。
「お世辞じゃないさ。君くらいの若さで、それだけ使えれば十分だ」
リアナの言葉に同意するアロンソに、アレスはしばらく考えて、納得する。
確かに士官学校でコース料理の作法など習うはずもない。
アレスもある程度前世でのマナーを知っていたからこそ、ナイフは外側から使う、フィンガーボールは手を洗うものといった常識を自然とできていた。
習っていなければ、あるいは戸惑っていたかもしれない。
「この人なんて、フィンガーボールをスープと勘違いしていましたのよ」
「飲んではいないぞ」
恨みがまし気な目で、アロンソはリアナを見て、小さく笑いが起きた。
「お父様の失敗は、初めて聞きました」
「あら。あなただって……」
「お、お母さま」
「ライナ候補生の失敗談か。それはぜひ聞きたいな」
「端的にだめとお願いいたします」
アレスの言葉に、ライナは首をぶんぶんと振った。
そんな様子に、リアナは少し残念そう。
運ばれてくる豪華な食事に舌鼓を打ちながら、和やかな空気が流れた。
話題は多岐にわたり、特にライナはアレスの戦場での話を聞きたがった。
最も食事中に話す話題ではなかったため、簡単なさわりだけであり、ライナは少し残念そうだ。
ライナの士官学校での話になり、そしてリアナの働く企業の話になった。
アレスも前世の記憶を思い出しながら、会話を続けるが、アレスの前世時代の話はリアナにとっては非常に興味深いものであるらしい。
多くの質問が会話となって、アレスは答えていく。
やがて、最後のデザートが食卓に並んだ。
「マクワイルド様は博識でありますのね」
「本での聞きかじりにすぎません。実際に働いてはいませんからね」
「それでも十分ですわ。どうです、転職しませんこと。マクワイルド様でしたら、そんな選択肢もあるのではないですか」
「リアナ」
冗談めかして、しかし真面目なリアナの言葉に、アロンソが眉をしかめた。
ライナも非難するように、リアナを見ている。
半分以上は、本気の言葉。
それに、アレスは苦笑――すぐに表情を整えると、リアナを見る。
「戦争が終われば、考えます」
「それは長い……ですわね」
「どうでしょう。存外にすぐかもしれません」
真っ直ぐな言葉に、リアナが驚いたように目が開く。
「それは……」
問おうとして、ベルの音が鳴った。
ノックの音とともに、扉が開き――執事らしき男性が来客を告げる。
最初に話していた商談の相手だろう。
「リアナ様――お客様がいらしております」
「ええ。わかりました、すぐに向かいますので。談話室にお通しして」
問いかけた言葉を飲み込んで、リアナはナプキンで口を拭った。
「マクワイルド様、申し訳ございません。私たちは少し席を外させていただきます――ごゆっくりなさってください」
「え」
リアナの言葉に、アロンソは疑問。
商談はリアナだけであるはず。
そんなアロンソの袖を引いて立たせると、リアナは美しい一礼をする。
「あとはお若い方だけで――という奴ですわ」
「お母さまはドラマの見過ぎです」
ふふっとリアナは微笑をすれば、二人にすることに若干の不満を浮かべているアロンソをひきずるように、席を外した。
アレスとライナが目を丸くしている、その前で硬く扉が閉まった。
+ + +
「も、もう――申し訳ありません。アレス先輩、母が余計なことを」
「いや、謝ることじゃないよ」
企業のトップともなれば、時にはユーモアも必要になるのだろう。
和やかな雰囲気に隠れていたが、時折アレスに向けられる質問は鋭いものだ。
ライナに似て、非常に優秀――それでいて、相手を油断させる演技という経験もある。
ライナにとっては不本意であろうが、リアナの方が一枚も二枚も上手のようだ。
ため息を吐くライナをなだめれば、諦めたように肩を落とした。
「失礼いたします、お茶をお持ちいたしました」
ノックとともに、カートを押したメイドが足を運んでくる。
そんな姿にライナは気づいたように顔をあげた。
「アレス先輩。少しだけお待ちいただけますか」
「ああ」
アレスの頷いた姿を見ることなく、ライナはメイドの脇を通り、開いた扉から外に出る。
そんな様子に、メイドの女性は小さく微笑みを浮かべた。
だが、そんな笑みはアレスの視線に気づき、慌てたようにひっこめる。
「これは失礼しました」
「いえ。嬉しそうですね」
「はい」
素直にメイドは頷いた。
「ライナお嬢様が、あれほどの感情を見せるのは久しいことで」
「そうですね。でも」
同意するように呟いて、しかし、アレスは否定の言葉を浮かべる。
口の悪い人間は、彼女を無感情だと言いがちだ。
だが、アレスの知る限りライナは決して感情がないわけではなかった。
そもそも、最初の出会いこそ、ライナがアレスに負けたくないという強い感情の発露であったからだ。
それが表情にあまり出ないだけなのだろう。
そんなことをメイドに話せば、紅茶を注ぎながら、嬉しそうに顔をほころばせた。
「メイドの私がこのようなことをいうのはおこがましいことなのですが」
緩やかに湯気の立つコップが、アレスの前に置かれる。
「お嬢様が士官学校に入られたことは非常に良い事だったと思います。どうかマクワイルド様、末永くお嬢様をよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
丁寧に頭を下げれば、同意するようにアレスは頷いた。
「しかし。ライナお嬢様が料理を習いたいといったりゆ……」
「マーガレット」
言葉を続けようとしたメイドを、背後から咳払いが邪魔をする。
「これはお嬢様――秘密でございましたね」
「もう」
戻って来たライナに、メイドが口元を抑えると、静かに一礼をして立ち去る。
扉が再度閉まれば、ライナが頬を赤らめて、アレスに向き直った。
「本当にここは余計な言葉が多い方たちばかりで」
「いやいや。楽しい家じゃないか」
「そう言っていただけると、幸いかと思慮いたします」
少しだけ肩をすくめれば、ライナは再び席へと戻った。
とんっと机の上に、皿が置かれる。
おそらくはそれを取りに言っていたのであろう。
何かと皿の上を見て、アレスは目を開いた。
「これは――羊羹」
それは――何十年ぶりの和菓子だ。
食べることはもちろんであるが、現代では見ることすらない。
驚くアレスに、ライナはどこか嬉しそうで、照れたように笑う。
「あ。アレス様が……その日本食というものを好きとお聞きしまして。私も食べてみようかと購入したものです」
「いや。好きだけど……どうしてそれを」
「それは。アレス先輩が……食事に行ったと…。い、いいじゃありませんか。それよりもどうぞ召し上がってください」
アレスの問いに、答えるライナの声は非常に小さい。
確かに日本食を食べには言ったが、それをなぜ知っているのか。
疑問は残されたが、それでもアレスは久しぶりの和菓子を優先した。
さすがに爪楊枝はなかったため、ケーキ用のフォークで一口する。
懐かしい甘さが口に残り、続いて紅茶を飲めば、わずかな渋みが引き立った。
「ありがとう」
「いえ。買っておいて、本当に良かったと思います」
そんなアレスをライナは、幸せそうに見ていた。
+ + +
ライナにとっては、短くも長い夜は終わりを告げた。
客人を招いた夕食――それは、今までのお見合いと同様に豪華な食事であったが、今までの何よりもおいしく感じられた。
アレスと食事をとった事など、ほとんどない。
ましてや一緒の食事を、ともにするのは初めてのことだ。
アレスの話は非常に博学で、特に地球時代の企業の話など初めて聞くことが多かった。
それに母であるリアナが非常に関心を示して、ライナをおいて語り合ったのは、少し嫌だったが。経済に関しては母親に一日の長があるから、仕方がないと言えるだろう。
彼の話は非常に多様で、父や母――そして、ライナの心を奪う、
そんな時間もすぐに過ぎた。
時間だ。
明日は日曜日――休みだから泊ってほしいと思うのは、ライナの欲望かもしれない。
そろそろと時計を見るアレスに、少し残念な表情を見せながら。
「はい。すぐに車を用意します」
メイドへと声をかけて、残されたわずかな時間を待つ。
手元にある紅茶は少なく、さらに残された時間はもっと少なかった。
「アレス先輩は……」
問いかけようとして、質問がない事に気づく。
かといって、既に言葉は放たれており、アレスが何かとライナを見ていた。
言葉を探し。
「アレス先輩は、戦争はすぐに終わるとお思いですか」
浮かんだのは、最後にアレスが言いかけた言葉だった。
存外に長くはないとの言葉。
「ああ。というより、戦争を続けるためだけに軍人がいるというのはおかしな話だろう」
軍というより、国として。
当然の意見ではあったが、不満を見せたライナに、アレスは表情を戻す。
きつく、睨んでいるような表情だ。
「長すぎて当然と思っているかもしれないが、長すぎた戦いはいろんなところに歪みを生んでいる。それが決壊すれば、決着するのは一瞬だろうね」
さも当然とばかりに言われた言葉は、しかし、感情を含んでいる。
どこか嫌さを含む感情に、聞こうとしていたどちらが勝つかという質問は辞めた。
代わりに。
「私はアレス先輩の元で戦いたいと思います」
そんな言葉に、アレスの表情が緩んだ。
「奇特なことだ。おすすめはしないが」
「それはアレス先輩も同じです」
「否定できないな」
アレスが小さく笑った。
+ + +
「本日はありがとうございました」
立ち上がった姿に、ライナは口に出して、大きく頭を下げた。
銀色の髪が揺れる。
メイドに手伝ってもらって、初めてアップにしたが、どう思われただろうか。
そんなことを考えて、上目遣いにアレスを見れば、アレスの視線はしっかりとライナを見ていた。
たったそれだけのことで嬉しくなって、心がはねた。
「こちらこそ。長居して申し訳ない――楽しい時間をありがとう」
迎えの車を用意したと聞いて、扉を開ければ、アロンソが立っていた。
いつもは無感情な表情が。
苦虫を噛みつぶしたように苦く、しかし、喜色を含む複雑な表情だ。
「今日はありがとう。妻も――娘も喜んでいる」
「こちらこそ楽しい席をありがとうございました」
「こちらこそありがとう」
「また是非来てください。ご一緒したく思います」
背後から声をかけたアロンソが、咳払いをした。
「ライナは士官学校があるだろう。休みでずっと帰れるわけではない」
「それは」
不満げにライナが唸った。
と、入り口に近い扉が開き、リアナ・フェアラートが姿を現した。
男性が一人、室内で書類を読んでいる様子が見える。
いまだ商談中だったのだろう。
「お帰りとお聞きしまして――すみません、途中で退席をしてしまい」
向かい合っているアロンソとライナを無視して、リアナはアレスに声をかける。
そんなアレスは開いた扉をずっと見ている。
眉根を寄せた、睨んでいるような表情だ。
「アレス様?」
二度目の問いに、アレスは表情をリアナに戻した。
アロンソとライナも同時――アレスを見ている。
「ああ。少し考え事を……本日はありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、ぜひまたいらしてくださいね」
「リアナ。さっきもいったがライナは学校が」
「あら。別にライナがいなくてもいいじゃありませんか」
「お母さま!」
拗ねた言葉に、リアナは楽しげに笑った。
やはりライナよりも上手らしい。
「また士官学校にも顔を出すさ」
「本当ですか!」
「ああ。シミュレート大会も見たいしな」
「当然です。今年こそは負けません。アレス先輩も――」
「ああ、応援しているよ」
「それは……二度とご期待を裏切りません」
はっきりと呟いた言葉に、満足そうにうなずいた。
「じゃ」
もう一度礼を言って、執事に促されるように外に向かう。
と、振り返り――悪戯を浮かんだ表情を見せた。
「それじゃ。ごきげんよう、ライナ」
「はい! ごきげんよう、アレス先輩!」
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