永遠の謎
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15部分:第一話 冬の嵐は過ぎ去りその九
第一話 冬の嵐は過ぎ去りその九
「この曲を頼む」
「この曲をですか」
「そうだ、これだ」
手に入れた楽譜をだ。ピアニストに差し出す。その曲は。
「ワーグナーのものだ」
「ワーグナーですか」
「リエンツィの楽譜だ」
それだというのである。
「これを頼む」
「リエンツィですか」
「そうだ、私はこの曲を聴きたいのだ」
「わかりました。それでは」
ピアニストは一礼してだった。その曲を奏ではじめた。太子はソファーにすわりその曲を聴く。そしてこう言うのであった。
「これこそが真の芸術なのだ」
「満足して頂けましたか」
「心からな」
そうだというのだ。
「思った通りだ。やはりワーグナーの音楽は素晴しい」
「そこまでなのですか」
「ワーグナーは」
「ドイツは。彼により変わる」
こうまで言うのだった。
「大きくな」
「音楽がですか?」
「そして芸術が」
「そうだ、まずはそれだ」
太子は答える。
「しかしそれだけではなくだ」
「といいますと」
「その他にもですか」
「ワーグナーは音楽だけに止まらない」
太子の言葉は続く。
「舞台もそうだし思想もだ」
「思想にもですか」
「影響を及ぼしますか」
「教養をも変える」
太子は本気だった。だがその本気は何処か浮世離れしていた。何か、現実にはないものを見ながらの如く。話をするのである。
「そう、ドイツそのものになり得るのだ」
「まさか。ドイツをですか」
「そのものに」
「やがてわかる」
太子は確信していた。
「私の言っていることがな」
「そこまでの音楽家がいるのでしょうか」
「果たして」
「本当に」
「現実にいるのだ」
現実を見ていない筈だが太子は今現実を話していた。
「それも言っておこう」
「左様ですか」
「そうだというのですか」
「そうだ。リヒャルト=ワーグナー」
言葉はここでも夢現だった。
「その名前を覚えておくことだ」
「わかりました」
「それでは」
彼等は頷きはした。しかし太子の言葉はわからなかった。だがやがてだ。彼の言葉をそのまま行う者が出てしまうのだった。
その者はだ。ワーグナーを心から愛した。そしてだ。
常にワーグナーを聴き。こう言うのであった。
「我がドイツこそ世界を治める者なのだ」
太子より七十年後にこの世にその名を知られることになる男の名前をアドルフ=ヒトラーという。彼もまたワーグナーを愛していたのだ。
しかし人である太子は未来のことはわからない。彼はただワーグナー、まだ見ていない彼を愛することだけしかできなかった。その音楽と思想をだ。
その太子にだ。神が贈りものをしたのだった。
王がだ。太子に告げたのだ。
「ローエングリンをですか」
「そうだ、王立劇場で上演されることになった」
こう太子に話すのだった。
「それでどうするのだ?」
「観るかどうかですか」
「嫌ならいいが」
こう太子に言う。
「だがそなたは近頃ワーグナーのことばかり言っているそうだな」
「はい」
こくりと頷いてそのことを認めた。
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