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ラジェンドラ戦記~シンドゥラの横着者、パルスを救わんとす

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第三部 原作変容
序章 新朝始歌
  第二十九話 王妃冊立

魔道の秘術の中に人操傀儡という術がある。死体や失神状態にある他人の体に精神だけ乗り移り、意のままに動かすというもので、原作では名前こそ明かされていないものの、イルテリシュの身体に尊師が使っていたりした。他人の体に乗り移った状態でも問題なく他の魔道の技を使うことが出来るというのがポイントだ。

地行術と壁抜けを使って王宮に潜入し、イノケンティスを殺害した直後のタハミーネに当て身を食らわせ失神させる。そして、タハミーネの体に乗り移って、自分の体を物陰か何処かに隠した上で、まずはタハミーネの体で脱出。更に、別の諜者の体に乗り移った状態で再度王宮へ行き、自分の体に戻って、別の諜者と共に脱出。というやり方で、タハミーネの救出に成功した訳だった。

さてと、連絡役の諜者を一人先行させた上で、俺たちはゆっくりとペシャワールに戻るとするか。タハミーネを伴っている以上そんなに急ぐことは出来ないし、先月28日に既にあの布告がなされた今、俺たちにすべきことはそんなにはない。

さて、アルスラーンはどうしているだろう。まあ、ああなった以上、心配などは不要かもしれんがな。

◇◇

パルス暦320年12月21日。私、アルスラーンは先程、一週間後の布告の発令を控え文案作成に追われるナルサスに、とある件について相談し、

「私としては余り賛成できる話ではありませんが、殿下がそこまで仰るのであれば、私は反対する言葉を持ちません」

と消極的な賛成を得たところだった。諸手を挙げて賛成とはいかないか。まあ、仕方ない。とにかく、後は本人を説得しなくては。私はエステルの病室へと向かった。

エステルの立ち位置の危うさを指摘してくれたラジェンドラ殿の好意に応えるためにも、何としても色よい返事を貰わなくては。


昨日、ラジェンドラ殿はこんな風に話してくれた。

「なあ、アルスラーン殿、お主たちは俺がルシタニアとの戦いに協力するために此処にいるのだと思っているだろうが、実は違うのだ。俺はむしろ、こんな戦いを早く終わらせて、ザッハーク一味との戦いを始めたいと思っているのだ」

「ザッハーク一味、ですか?」

本当にこの方は異国人であるにも関わらず、蛇王ザッハークについて実に詳しい。そして、その問題意識の強さはむしろパルス人以上なのではないかとすら思える。

「ああ、ナルサス殿がペシャワールに着くまでに二度ザッハーク復活をもくろむ魔道士と戦っているがな、それが奴らだ。奴らが盛んに蠢き始めた理由、そんなものはただ一つしかあり得ない。ザッハークは復活しつつあるのだ」

「まさか!」

そんなはずはない。ザッハークは今も宝剣ルクナバードの霊力によってデマヴァント山直下の地下洞窟に封印されているはずだ。封印が解けたとしても、二十枚の厚い岩板が彼が地上に戻るのを阻んでいるはずだ。

「お主も知っていよう。パルス暦20年にデマヴァント山のカイ・ホスロー王の墓に宝剣ルクナバードを収めた際、『一枚を十五年、二十枚を三百年』とのザッハークらしき声が聞こえたという話を。今年はパルス暦320年。ちょうどそれから三百年だ!」

「!」

「尤も、すぐにという訳でもないらしい。ルクナバードのお陰もあってあと数年は平気かもしれん。だがな、ザッハーク一味、奴らは危険だ。尊師という指導者を含めあと六人のはずだが、どいつも魔道の使い手だ。正攻法で太刀打ちできる相手ではない。諜者たちでも一対一では苦しいだろうさ」

「そ、そうなのですか?」

ラクシュ殿や三人娘さんたちなどはかなりの強者のように思えるのだけれど。

「諜者は別に魔道を専門に学んだ訳ではないからな。それに比べ奴らは魔道に特化し、しかも蛇王を信仰することで特殊な力を与えられているかもしれんし、力の差が計れんのだ。グルガーンを潜入させて調べさせてはいるが、未だ全貌を掴んだとは言えない。警戒するに越したことはないさ。で、そいつらと、そして特にザッハーク本人と戦う場合に関し、くれぐれも言っておきたいことがあってな。いいか、よく聞けよ!」

「は、はい」

何だろう?絶対に聞き逃すなと言わんばかりの気迫を感じる。

「いいか、絶対に、相討ちでもいいだなんて考えるな!自分だけでは相討ちが精一杯だと思うなら、必ず他の奴の力も借りろ!どだいあの連中は普通の人間じゃないんだ。元々力の差があるんだ。一対一じゃなくても、それは決して恥でも、卑怯でもないんだからな!これは他の奴らにも徹底させろ!絶対に一人だけで戦わせるな!他の奴らにだっていずれは家族が出来るんだ。家族を泣かすなとな!」

「…でもザッハークさえ、奴さえ倒せれば、私なんてどうなったって構いません!それにラジェンドラ殿、貴方にだったら安心して後を託せます!」

それで平和になるのなら、その為だったら、私は命ぐらい幾らだって賭けられる。それに貴方ならきっと私の志を引き継いでくれる。ならば何の心残りもない。

「ふん、お主ならそんなことを言いそうだと思っていたさ。だがな、エステルはどうする?」

「はい?エステルですか?」

ここで何故、エステルの話になるのだろう?

「エステルは騎士の家に一人っ子として生まれた。従軍して武勲を立てて家格を高め、それなりの騎士を婿に取って、それで家を存続させる。そんな心づもりだったろうけどな。お主を庇ったことで余りに酷い傷が残ってしまった。そんな娘のところにそれなりの騎士なんて婿に来てくれると思うか?」

「そ、それは…」

「そうと知ったらエステルの実家は躊躇なく養子でも取って、エステルをお払い箱にするだろうさ。哀れエステルは何処にも行き場が無くなる訳だ、誰かさんのせいでな。なのにお主は知らん顔であの世にとんずらか?実に無責任だな!」

「……」

ぐうの音も出ないとはこのことだろう。確かに私は自分が死んだ後彼女がどうなるかなど全く考えたことがなかった。

「それにな、間もなくこのペシャワールにはルシタニア追討令に応えて国中の将兵が参集することになる。そんな将兵にとって、ルシタニア人のエステルはどう見えると思う?仲間だなんて言われても信じられん。隙あらば排除してやろう、と思うことだろうさ。このままでは危険だぞ?奴らが不満に思おうとどうにも出来ない立場を、エステルに与えてやるべきじゃあないか?」

「どうにも出来ない立場と言うと?」

「国王の正妻、王妃と言ったところだろう。『ルシタニアを駆逐し、国内が安定した暁には彼女を王妃として迎え入れる。異論があるのなら、武勲によって翻意させてみるといい』とでも言ってみるんだな!」

「お、王妃?ちょっとそれは…」

飛躍し過ぎではないだろうか、私はまだ彼女と何もないというのに。何とかしたい気持ちは確かにあるけれど。

「お主、自分の掲げる奴隷解放令がお主だけの代で根付くと思ってるのか?そんなのは無理だぞ?当然のように子や孫の代まで継続しなければ根付くものではないわ。そして、政策の継続性を裏付けするためにも、次代に当然に受け継がれると周囲に思わせなくてはならんのだ。つまり、政治的にもお主は配偶者を持つ必要があるのだ。で、ちょうど波長が合いそうな女性がすぐそこにいて、彼女も自分の命を張ってもいいぐらいには思ってくれてる。お主は彼女に命を救ってもらった借りもある。ここまで条件が揃って、他を探す必要が何処にある?」

「うう…ラジェンドラ殿、少し考えさせてくれないだろうか?」

ここまで畳み込まれると思わず頷いてしまいそうだ。ちょっと考えさせてもらおう。

「ああ、どうぞどうぞ。だが、『エステルを絶対に死なせないでくれ』とレイラにすがりついたお主の姿を思い出すとなあ。もう結論は出ているような気がするんだけどなあ」

足早にその場を立ち去ろうとする私に、追い打ちがかけられた。ああ、もう本当に勘弁してください、ラジェンドラ殿…。

◇◇

基本、私、レイラは余程のことがない限り、患者を面会謝絶なんて状態にはしない。重傷の人間や重病人は、一人でいると得てして暗いことばかり考えてしまいがちなので、逆に出入り自由にして、滅多に一人にならないようにすらしている。なので、エステルさんの病室にも次から次へと誰かがやってくる。

「全くもう、せっかく無傷で連れてきてあげたのにさー、お気軽に大怪我なんてしないでよねー、エステルちゃん!」

「め、面目ない…」

そうやってエステルさんを責めるのはラクシュ姉だ。…ちょっと、他の話題にしてもらえないだろうか。

「あんまり怪我ばっかりしてると、アルスラーン殿下が愛でるのを躊躇しちゃうかもだよ?本当に気をつけてよね!」

「めめっめめめ愛でる?何だそれは?どういう事だ?それに何故アルスラーンが出てくる?」

どうやらエステルさんはこういう話免疫がないみたいですね。私たちと同い年のはずなのに、何だか微笑ましいです。

「えー、それは勿論、揉んだり撫でたり噛んだり舐めたりだよ。エステルちゃん、アルスラーン殿下にだったら望むところだったりするでしょー?」

「ななななな……」

あ、これはエステルさん熱が上がりそうですね。ここはドクターストップに―
と思っていると、廊下を足早に近づいてくる音がし、扉が音高く開けられた。

「エステル!私だ!話があるんだが、今構わないだろうか?」

「なっ、何だお主!まっままままさか私を噛んだり舐めたりしに来たのか!」

あ、アルスラーン殿下…。今来るのは余りにも…。はい?席を外して欲しい?私にも?構いませんが、余り患者を興奮させないように…。

しばらく扉の外に控えていた私でしたが、漏れ聞こえてくるのは、エステルさんが思い切り声を荒げ、罵り、怒り、驚き、呆れると言った様子。…これは本当にドクターストップが必要ですね。意を決して突入しようかとしていると、急に扉が開き、アルスラーン殿下が済まなそうな顔で出てきた。

「れ、レイラ殿、話は無事ついたんだが、ちょっとエステルが熱を出してしまって…。済まぬが診てはもらえないだろうか?」

本当に何をやっているんです!後でお説教ですよ、アルスラーン殿下!

◇◇

パルス暦320年12月28日。ペシャワール城よりパルス全土にアルスラーン王太子の名で三つの、歴史的に重大な布告が発せられた。

一つ目は「ルシタニア追討令」。

二つ目は「奴隷制度廃止令」。

三つ目は「新王朝開闢の詔」であり、ルシタニア軍を駆逐し、国内に安定が取り戻された時点で新王朝の開闢を宣言し、ルシタニア人女性、エステル・デ・ラ・ファーノを王妃として冊立するとの宣言であった。 
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