ラジェンドラ戦記~シンドゥラの横着者、パルスを救わんとす
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第三部 原作変容
序章 新朝始歌
第二十六話 夫妻愛憎
ヒルメスがようやく死んだか。原作だとその旌旗をあちこちに流転させながらも、最終巻終盤近くまで生き長らえたこいつをここで殺せて本当に良かった。いや、現代日本人的には「殺せて良かった」なんて好ましくない表現なのは判るけどな。
だが、こいつは長い時間をかけてようやく結ばれたばかりのあの二人を殺したし、ダリューンがあんなことになったのはその前日にこいつが悪あがきして散々手こずらせてくれたせいで本調子ではなかったせいだとさえ思えるし。物語的にはこの二つだけでも十分にギルティだろうよ。
いずれにしろ、今までこいつがせき止めていた流れが、こいつの死によって堰を切るかのように流れだすのは必定だろう。ギスカールはあのカードをようやく切れるようになる訳だしな。
いろいろと小細工もしといたし、多分見事に踊ってくれそうだよな、あいつ。
◇◇
「何、銀仮面卿が死んだだと!」
私、ギスカールの前に平伏するこの男、元は万騎長カーラーンの部下で、カーラーンの死後はザンデに、ザンデ亡き後はヒルメスに仕えていたようだか、この度また主君を失ったようだ。
「はい、我が主、銀仮面卿はアルスラーンを討ち取るため単身ペシャワール城塞に潜入したのですが、その後アルスラーンが配下とともに城塞から姿を現し、『銀仮面卿は万騎長バフマンと相討ちになり、命を落とした。遺体はこちらでバフマンと共に鄭重に弔う故、遺品の仮面と剣を持ち帰るように』にと」
それが、今この男が携えている仮面と剣だと言うのか?しかし、遺体がないなら死んだとは限らないのでは…、…いや、それはないな。あの誰よりパルス王室に憎悪を燃やしていた男が、あれ程の強剛さを誇った男が、生きて敵にこれらの品を委ねるとは思えん。やはり討たれたと言うことか。万騎長を一人道連れに出来ただけマシと言うべきか。
「ところでお主、そのときアルスラーン王子を見たのだろう?どのような様子だった?」
その様子如何によってはこちらの対応が変わってくるからな。
「それでごさいますが、両者が息絶えるところを目の当たりにしたようでしてな。顔面は蒼白、体はおこりのように震え、声も上擦り、ひどく取り乱した様子でした。先程の口上も全て傍らに控えたナルサスと言う男が発したものでございました」
嘘だろう?あのアンドラゴラス王の息子がそこまでの醜態を晒すとは。
「俄には信じられぬな。芝居ではないのか?三ヶ国同盟軍を口先一つで追い返したナルサスと、黒衣の騎士ダリューンが付き従っているのだ。それなりの器量は持ち合わせているはずだがな」
「いえいえ、ただ奴らは自分たちがまだ戦い足りないが為にあの王子を担ぎ出したに過ぎないのでしょう。奴らが王子にかける言葉も浴びせる視線もひどく苛立ち混じりのものでしてな。飾りすら務まらぬ愚か者と内心では見放しておりましょう。元々あの王子はアンドラゴラス王に叱責ばかりされておりましてな。私どもも将来が思いやられると頻りに噂していたものでございました。おまけに、アトロパテネの戦い、その後のペシャワール城塞への逃避行では相当怖い目を見たのでしょう。もはやあの王子は腑抜けも同然。恐れるにたりないでしょう」
「なるほど、よく判った。下がるが良い」
「ははあっ」
俺はこの男を下がらせると、長椅子に体を投げ出した。自然と笑みが漏れる。
「フッ、フフフフフ、そうか、王太子は腑抜けか。それは好都合だ。ナルサスとやらがいようと王太子が使いこなせないのでは意味はあるまい。黒衣の騎士がいようと所詮は匹夫の勇、戦場全体までは左右できまい。そして、もはや銀仮面卿もいない。アンドラゴラス王を殺す障害はもはや存在しない。聖職者どもが多少騒ぐかもしれんが、ボタン亡き後の聖職者どもなど、どうにでもなる。もはや脅威ではありえない。アンドラゴラス王を殺せばもはやパルスは満足な抵抗など出来まい。この機に一気にパルス全土を手中に収めるとするか!」
そのとき、ちょうど扉がノックされ、兄が私を呼んでいるとの連絡が入った。どうやら兄も、銀仮面卿が死んだとの情報を何処かから掴んだようだ。
「フフフ、タハミーネめ、我らを混乱させるため、アンドラゴラス王を首を要求していたが、実際に目の前に本当にその首級が置かれたらどのような顔をするであろうな?今から楽しみだて。ふははははは!はーっははははははは!」
私は久し振りにイアルダボート神に感謝の祈りを捧げつつ、兄の部屋へ急いだ。
◇◇
ヒルメスの死から一夜明けたパルス暦320年12月13日昼間。再びキシュワードの部屋にて軍議が開かれた。アルスラーンの両脇に控えるダリューンとナルサスはひどく不機嫌な表情だ。昨夜、ヒルメスの配下に、ヒルメスの遺品を引き渡したときの、アルスラーンの余りの醜態に腹を立てているのだろう。
昨夜のあのアルスラーンは、実は本人ではない。諜者特有の幻術でアルスラーンに化けたフィトナだった。俺の演技指導に従って、あのような醜態をまさに演じたのだが、どうやらこの二人にはお気に召さなかったようだ。昨夜は終始苦虫を噛み潰したような表情でアルスラーンを演じるフィトナを睨んでいたからなあ。お陰で向こうにはきっと演技を越えた真実として違う意味に伝わったことだろう。好都合だったな、わはははは。おっと、内心がダダ漏れだったか、ダリューンに睨まれた。自重しよう。
「で、ラジェンドラ王子。お主が陛下から聞いたと言う話は他にも何かおありなのでしょうかな?その内容如何によっては今後の我々の取るべき選択肢も変わってくる。是非ともお教え頂きたいのですが?」
そう問うてくるナルサスの眉間にも相変わらずしわが寄っている。悪い悪い、そろそろ真面目な表情に戻すので許してくれ。
「そうだな、まずはアンドラゴラスが王妃タハミーネにした説明から話そうか。タハミーネが産んだ子は女の子だった。パルスでは王女に王位継承権がないからな。だからアンドラゴラス王は生まれた娘を何処かへと捨てた。意外にも母親としての情愛厚いタハミーネとしては、アンドラゴラスのことをさぞや恨んだことであろうな。そして更にアンドラゴラスは何処かから連れてきた男の赤ん坊をタハミーネが産んだ子として育てさせた。それがアルスラーンと言う訳だ。タハミーネとしてはアルスラーンを可愛がる気になんてなれなかったろうさ」
「…それで母上は私のことを…。ラジェンドラ殿、それでその女の子は一体何処へ?」
「その行方についてはアンドラゴラスは口を閉ざしている。しかし、子供が産まれたのと同時期に各地の寺院に三人の女の赤子が銀の腕輪と共に捨てられていた。その腕輪が、そこの三人娘が身に付けているものだ」
その場に居合わせた全ての者の視線が三人娘の腕輪に集中する。その視線は更に彼女たちの顔に移り、そして得心したかのような空気が漂い出した。まあ、当の三人娘は既に真実を知っているから、どこ吹く風、といった風情だが。
「な、なるほど、確かにパリザード殿は全体的に陛下と似た雰囲気がある。レイラ殿の目鼻は陛下と似ていて、輪郭は王妃様に似ている。そして、フィトナ殿はどことなく王妃様に似ておられるような。と言うことは、この三人のいずれかが国王夫妻の娘御なのか、?或いはまさか三人ともがか?」
キシュワードは名門武家の生まれだと言うからな。ミスル国境やペシャワールに赴任する前にはアンドラゴラスの側に仕えていたこともあるのだろう。それで国王夫妻の顔立ちを鮮明に記憶している、と言うことがあるのかもしれない。
「と、思うのも無理は無いがね。しかし、この三人は三人ともが、国王夫妻の血を引いてはいない。そのことは確かに確認されている」
「馬鹿な、そんなことが何故判る!どうやってそんなことを確かめるというのだ?」
そんなキシュワードの言葉に答えるかのようにレイラがごく控えめに挙手をした。
「それについては医者である私からお話しましょう。余り知られていないことですが、人の体内を流れる血には幾つかの種類があります。怪我などで大量に血を失った場合、同じ種類の血で補うことが出来ますが、違う種類の血で補おうとすると逆に命取りとなります。…ここまではよろしいでしょうか?」
「…ああ、初耳ではあるがそういうものかもしれないな」
「おや、お主でも知らぬことなどがあるのだな、ナルサス?」
「…ダリューン、お主は俺を何だと思っているのだ?俺とて人の子だからな。人並みよりは知っていたとしても、決してそれ以上ではないさ」
尤もそこの御仁はどうか判らぬが。と言いたげな視線を向けてきたが、俺はそれを華麗にスルーした。
「コホン、話を続けましょう。そのような血の種類は親から子へと引き継がれますが、両親の組み合わせによっては決してなり得ない種類というのもあるのです。そしてその観点から国王夫妻と私たち三人とを比べた場合…」
「国王夫妻からは決して生まれるはずのない種類の血だったという訳だ」
と俺が結論を引き取った。だが何人かは納得してそうにない顔をしている。
「でも殿下ー、それじゃあどうしてこの三人こんなに御夫妻に似てる訳ー?幾らなんでも似すぎでしょー?」
その何人かが仰る通りとばかりに頷く。それを見てラクシュはいいことを言ったとばかりに得意顔だ。
「そりゃあ、赤ん坊をたくさん一度に集めた上で、宮廷画家だかに顔を見せてこの顔つきなら似た感じになるだろうと判定させたんだろうさ。頭が沸いてるんじゃ無い限り、適当に連れてきた子供で誤魔化せるなんて思わんだろうしな」
さいとうちほ作の『花冠のマドンナ』と言う少女まんがで、レオナルドダヴィンチがヒロインが赤ん坊だった頃の顔を元に成人女性にまで成長した姿を描き、ヒロインが後にその絵を見て驚くというくだりがあった。ダヴィンチだから出来たことかもしれないが、宮廷画家辺りならその真似事ぐらいは出来たのではないだろうか。まあ、ナルサスには無理な芸当だろうけど。と言いたげな視線を先程のお返しにナルサスに向けてやった。お、ムッとしてる。
「ではこの三人が御夫妻の血を引いていないと言うなら娘御は一体何処へ?」
「さっきは口を閉ざしていると言ったけどな。正確には言うべき言葉を持っていなかったのさ。実際に産まれたのは女の子じゃなくて男の子で、しかも死産だったからな」
「死産…」
絶句したように誰かがそう呟いた。
「でも、何故陛下は王妃にそれを言わなかったのだ?死産だったとしても代わりの子を用意すれば王妃の政治的立場はそれで守れただろうに?」
キシュワード…、こいつも朴念仁だな。ナスリーンが可哀想に思えてくるわ。
「いや、判る気がする。もう子供が産めない身体になった上、死産だなんて判った日には母親としては死にたくなるやもしれぬ。アンドラゴラス王はそれを防ぎたかったのじゃな?」
この中で唯一の出産経験者、シンリァンの言葉だけに重みがあるな。
「ああ、そう言うことだな。アンドラゴラスは何が何でもタハミーネを失いたくなかったんだ。娘を奪われたという憎しみを糧にしてならば、タハミーネはきっと生き続けてくれると考えた。憎まれてでも、生きて、欲しかったんだ」
アンドラゴラスの気持ちは判るが、でもそれってタハミーネの気持ちを無視してるよな。そして、一体どれだけの人間を不幸にしたのか…。
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