ラジェンドラ戦記~シンドゥラの横着者、パルスを救わんとす
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第二部 原作開始
第二章 王子三人
第二十三話 城塞集結
ペシャワール城塞に辿り着いた三万弱の傭兵を率いる俺たちを待ち受けていたのは、完全武装、臨戦態勢の数万の兵だった。
一人の武将が陣頭からただ一騎こちらに進み出てきた。白頭白髭で厳めしい顔つきの老将だ。双刀も携えていないし、するとこれはキシュワードと共にこの城塞を守るもう一人の万騎長バフマンか。この時期のこの男はヴァフリーズの密書の件で鬱屈し、無気力振りが際立っていたはずなんだが、全然そうは見えないな。その老将が声を張り上げた。
「シンドゥラの横着者!呼ばれもせぬのに何をしにここまで参った?」
おいおい、ご挨拶だな。事前に先触れは送っといただろうに。
「俺はアルスラーン王子とは義兄弟の契りを交わした仲故な、貴国の窮状を見捨てるに忍びなく、馳せ参じたまでのこと!ご理解頂けたら開門と入城の許可を頂きたい!」
「ふん、その様な見え透いた口上、信じると思うてか!ここ数年は途絶えていたが、ガーデーヴィ派の使いがお主に気を許さぬようにと盛んに言ってきおったぞ!愛想笑いをしながら、相手ののどを掻き斬るのがお主のやり方なのであろうが!」
「ちなみにここにそれを伝えに行っていたのはこのジャスワントでございます」
いやあ、いい仕事をしたなあ!と言わんばかりの満面の笑みが憎たらしい。
「おま、お前なあ!ふざけんなよ、ジャスワント~!……まあいい、お前は自分の職務に忠実だっただけだ」
そして、こう言っておけば罪悪感を感じるだろう、真面目だからな。ほら、顔色が変わった。チョロいヤツめ。
「確かに身に覚えはあるが、弱い立場の者を虐げたことは誓って一度もない。敗戦国を更に鞭打つ様な真似などはせんよ!」
「なっ、我が国を敗戦国と謗るか!」
さすがにバフマンが気色ばむ。
「その通りだろうが!アトロパテネで敗れ、王都は陥落し、国王は行方不明。この上王位継承権を持つ者が死に絶えれば名実ともにそうなる。それを防ぐために俺が来てやったって言ってんだろうが!早く中に入れさせろ!そんで早く俺をアルスラーンを助けに行かせろってんだろうが!」
「ふん、つまりはそれが狙いか!どちらも出来んし、その必要もない!既にキシュワードが王太子殿下を迎えに出向いておる。すぐ傍まで来ているはずというお主の知らせが確かなら、程なく連れて帰ってくるじゃろうよ!」
なる程、最初からこの老将の狙いはここでの足止めか!
「そう言う事ならここでこのまま待たせて貰うが、アドハーナの橋は無事なんだろうな?あれが落とされてでもいたら程なくって訳にはいかないのではないか?」
確かあの橋が落とされると、代わりに架橋出来る場所はその周辺三ファルサング(約十五キロメートル)ほどにはなかったはず。もし落とされていれば、大変な遠回りになるはずだ。
「ふん、要らぬ心配よ!あの橋は昨年、石の橋に架け替えられておる。フゼスターンのミスラ神殿の新しい神官長、イグリーラス殿からの提案で、神殿とペシャワール城塞とで資金と人手を折半してな!」
イグリーラス?それってファランギースの婚約者の?いや、もう四年もたってるんだ。既に結婚して子供がいたっておかしくないか。それにしてもこっちに戻って、神官長になっているとは!
「イグリーラス殿なら面識があるぞ!彼は、それとその奥方はお元気なのか?」
「お、おお、あのご夫妻は架橋作業の立ち合いに何度か来られてな。奥方は双子のお子たちを抱いておられた。夫婦仲睦まじく皆お元気であったな」
自分の知り合いを俺が知っている。その事実を前に老将の口調が軟化し始めた。この男、そんなにこの国に知己が多いというのか?だとすると、アルスラーン殿下と義兄弟の契りを交わしているというのもあながち嘘ではないのか?いや、ガーデーヴィ派からの評価を忘れてはなるまい。しかし、本当にそうなのか… そんな副音声が聞こえてくるかのようだ。パルス人、本当に腹芸苦手だよな。
よし、ここは前世での知識を総動員して、パルス人との知り合いエピソードを捏造しまくろう!大丈夫、マヌーチュルフとかシャプールとか、既に故人になってるヤツとの話にすれば、ネタが割れる心配はない!
そうしていつもより心持ち舌の回転率を上げて、矢継ぎ早にいろんな思い出話をその場ででっち上げつつ話していると、足早に駆け込んできた者があった。どうやら伝令兵らしい。片膝をつき、バフマンに向き直り報告を始めた。
「申し上げます。先ほどキシュワード様麾下の一隊が王太子殿下御一行を発見。すぐさま全軍で、御一行に襲いかかっていた不逞の輩を追い払いました。間もなく王太子殿下御一行を伴い、キシュワード様がお戻りになられます!」
おお、そうか、四年ぶりに、アルスラーンやナルサス、ダリューンたちに会えるな。ラクシュとかとは2ヶ月ぶりか、それは別にいいが、エステルや、外伝でしか知ることが出来なかったシンリァンを目の当たりに出来るというのは素直に嬉しく思える。だが、その後のやり取りを聞き、俺は…
「それで、王太子殿下は、その御一行の方々はご無事か?怪我などはしておらぬのだろうな?」
「それが……エトワールと呼ばれていたお方が、銀仮面の男に斬られました!」
俺は一気にどん底へと突き落とされた。
◇◇
全くもう、あのアルスラーンという少年は本当にしょうがないやつだ、と私、エトワールは思わざるを得ない。
大して年齢は変わらないように見えるのに、初めて会ったときからやたらと年上ぶるのだ。それで少し癇に障って年齢を聞いてみたら、何とたった二ヶ月とは言え私の方が年上ではないか!なのに、こいつは勝手に人を妹扱いしていたのだ!憤然とくってかかる私に、だって怖いもの知らずだし、頑固で思い込んだら一直線だし、子供っぽいと思われても仕方ないだろう?などと言うのだ。
それを言うなら、自分がパルスの王太子だと一向に教えず、身分を聞いてもなかなかはっきり答えず、余りにも回りくどい表現をするこいつこそ何だというのだ。そんなのいずれバレるのに、何で隠そうとする?まるで自分の粗相を隠そうとする小児の様ではないか!私がそう責めると、こいつはうなだれながら、それを知られたら君に距離を取られるかもしれない。よそよそしい態度を取られるかもしれない。それが怖かったなどという。
何を言っているのだと私は言ってやった。私はルシタニアの騎士だ。正確にはまだ騎士見習いだが、私が頭を垂れるのはイアルダボート神とルシタニア王室のみだ。お主なんかを敬ってなどやらない。態度など変える訳がないと。
そしたらこいつは妙に喜んでなあ。だったらこれからは私のことをアルスラーンと呼び捨てで呼んでくれ、私も君をエトワールと呼ぶから!などと言ってきたが、鄭重にお断りさせてもらった。
だってなあ、こいつを呼び捨てになんかしてみろ。あの黒衣の騎士が物凄い形相で睨んでくるぞ?こいつは私を怖いもの知らずだなんて言うけど、私にだって恐ろしいものぐらいはある。その最たるものが、アトロパテネで数多の名のある騎士を手に掛けたあの黒衣の騎士だ。その次に怖いのは船だな。そもそもあんな馬鹿でかくて重いものが何故浮くんだ?ありえないだろう?マルヤムからパルスへは少しだけ船に乗らされたんだが、乗っている間中生きた心地がしなかったんだぞ?そう言ったらこいつ笑い転げやがったんだ!こら、何故笑う?失礼だぞ!
…笑ってる顔を見てるとつくづく思うが、しかし、こいつ可愛らしい顔をしてるよな。父親はえらくゴツいらしいし、母親は冷たい感じの美女らしいのに、こいつはどちらにも似てない気がする。「大人になったら角や尻尾が生えてくるのかも」などと言って笑っていたが、こいつにはそんな風にはなってもらいなくないなあ。今みたいな感じで大人になってくれた方がずっといい。特にあの、晴れ渡った夜空みたいな瞳が好きだ。どれだけ見ていても飽きないものな。
そんな可愛らしい顔なのに、ごく稀にではあるが、ひどく凛々しく感じられて体温が上がりそうになることもある。
カシャーン城塞でホディール卿とやらに娘を差し出されそうになって、私を抱き寄せながら、
「有り難い申し出だが、私はこの娘に夢中なのだ。他の女に構っている暇などないな」
と言い放った時(あのときは何だかムカついて思わず太ももをつねってしまったけど)、
追っ手の矢で馬を失ってしまった私を守ろうと馬首を翻して駆け戻って来てくれたとき(あの後、ギーヴ殿は「面白味のないお坊ちゃまと思ってたんだが、やりますなあ!」と、ラクシュ殿は「アルスラーン殿下、グッジョブ!」とそれぞれの言葉で絶賛してたなあ)、
あのときは確かに嬉しかったが、でも本当はダメだよな。あの二人はこいつの臣下じゃないからあんなことが言えるんだ。主君ともあろうものが、自らを犠牲にしようなどとするものではない。そんなことをして、お前が死んでしまったら、お前の臣下はどうすればいいんだ?それまでの献身も労苦も全て無駄になってしまうではないか!
そんなことがあったからなのかな?ザンデとかいう家臣を失ったせいか、怒りに我を忘れた銀仮面の男がこいつに猛然と斬りかかってきたとき、私はごく自然に、身を挺して庇っていた。躱すことも、防ぐこともできないなら、もうそれしかないものな。見ててくれたか?これは臣下の、そして、騎士の仕事だ。私はまだ騎士見習いだけれどな。決して主君がやるようなことじゃ、ないんだからな!
潮が引いていくかのように、銀仮面の軍勢が退いていく。ペシャワール城塞から兵が駆けつけてくれたのか。良かった、私とこいつが折り重なるように屍を晒すなんてことにならずに済んだ。私はこいつを守れたんだな。
何だよ、そんな顔はやめて欲しいなあ。私は満足なんだぞ?騎士の本懐ってやつを遂げられたんだ。水を差さないで欲しいのになあ。
だったら、一つわがままを言っていいだろうか?私の名前は本当はエステルと言うんだ。最後に、そう呼んでもらってもいいだろうか?…ありがとう。もうこれで本当に思い残すことは無―
◇◇
「大丈夫です。これで峠を越えました」
レイラの手が、依然目を覚まさないままだが大分血色のよくなったエステルの頬を優しくさする。「ん…」と少し小さくエステルが声を漏らす。弱々しくはあるものの、それでも生きている証拠だ。
「そうか、相変わらず見事な腕だな、レイラ」
「いえ、その様なことは。半分以上は殿下から教えて頂いたことがあってこそですし」
「いや、だとしてもな…」
三人娘にはそれぞれ得意分野があり、それぞれの分野で才能を開花させた。
統率力とカリスマに恵まれたフィトナは支配者としての才能を、
腕力と闘争心に富んだパリザードは戦士としての才能を、
知恵と探究心に秀でたレイラは医者としての才能を、
そして今回エステルを救ったのはレイラだった。
麻酔をかけ、傷口を縫い、輸血と点滴を施したのだ。
俺が昔、チョロっと漏らしたことを荒削りとは言え全て形にしているとはな。
とにかく、これでエステルは大丈夫だろう。しばらくペシャワールで静養してもらうことにはなるとしてもな。
さて、それじゃあ今度は、この世界を一気にバッドエンドに落とし込みかけやがったヒルメスに、落とし前をつけてもらわないとな!
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