ラジェンドラ戦記~シンドゥラの横着者、パルスを救わんとす
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第一部 原作以前
第三章 神前決闘編
第十一話 美女駆込
俺たちがパルスへの使節を務めてから三年以上が経過した。
使節から帰ってきた俺は、早々に王宮から出てまた母の屋敷に住む事にした。王宮にいては、兄夫婦がハートマークを乱舞させてる様を目の当たりにせざるを得ない。しかも、ちょくちょく些細なケンカをしては仲裁役を俺に頼んだりしてくるのだ。ええい、付き合っていられるか!俺は実家に帰らせてもらう!そう決意するまでに半月も掛からなかったわ。
エクバターナまでの護衛のはずだったギーヴは、何故かそれ以降も俺たちについてきて、シンドゥラに居着いてしまった。シンドゥラの風土は彼には合わないだろうから、いずれはいなくなるんじゃないかと思っていたが、全くその兆しもない。考えてみれば、現代日本での前世を思い出してしまった俺は食事も香辛料控えめにしているし、羊肉もほとんど食べなくなった。虫が嫌いな俺は前世の記憶を頼りに蚊帳を作らせ常用しそれを周囲にも配りまくったし、何種類かの野草を使った天然の虫除けも使っている。となると、食べ物にも問題なく、虫に悩まされることも無いなら、彼にとってシンドゥラは住みにくい場所でも無いのかもしれない。ときにはふらっと出掛けたり、戻ってきてはカルナや三人娘にちょっかいかけては邪険にされたりと、なかなか楽しくやっているようだ。
パルス暦318年(シンドゥラ暦では319年)、トゥラーンと言う国家が地図上から姿を消した。先の戦での三カ国同盟はナルサスの策略により疑心暗鬼に陥り、チュルク軍がシンドゥラ軍を襲い、トゥラーン軍はチュルク軍を襲撃したのだったが、その際、トゥラーン軍の一部は誤ってシンドゥラにも攻撃を加えてしまったらしく、軍勢が去った後シンドゥラ陣内に残された死体の中には吹き矢により命を奪われたと思しき死体が多数あった(実は諜者がそう見えるように工作しただけだったが)。吹き矢と言えば、トゥラーン軍のジムサ将軍の得意武器であり、シンドゥラ軍の諸将はこの襲撃をトゥラーン軍によるものと断定し、憤激。トゥラーン軍がダリューンに王弟を討たれて混乱し為す術もなく交代する中、更にシンドゥラ軍までがトゥラーン軍に猛然と襲いかかり、乱戦の中で幾人もの将が矢に倒れた。タルハーン、ディザブロス、イルテリシュ、ボイラ、バシュミル、カルルックと有力な将のほとんどが失われたのだ。まあ、実際にはそいつら全部ラクシュが殺ったんだけどな。時のトゥラーン国王は余りの人的被害の大きさに顔色を失い、首都サマンガーンに戻った後は酒に逃げるようになったという。
有力な将をほとんど失い、トゥラーンの戦力は著しく低下したが、そんな中でも、いや、そんな状況だからこそか、野心を抑えきれない者がいた。原作の第五巻『征馬孤影』ではトゥラーン国王として登場するトクトミシュだ。彼は力づくで王位を我が手に掴もうと暴れまわって、ただでさえ敗戦で揺らいだ祖国の屋台骨を更に脆く壊れやすいものとしてしまい、隙を伺っていたアンドラゴラス王率いるパルス軍に一気に滅ぼされる結果を招いたのだ。阿呆だな。
トゥラーンは自治区としてパルスに併合され、幾人かの古老による合議制での自治を認められるようにはなったが、壮丁のほとんどを失い、反抗する力のカケラすらも残らなかった。アルスラーンがペシャワールから進軍する隙にパルスに侵攻するどころか、原作が終わって更に数十年が経過する辺りまでトゥラーンの復興は望めないだろう。まあ、いい気味だな。略奪で成り立つ国家なんて、周辺諸国にとっては迷惑以外の何物でもないものな。
ラクシュにはあえてジムサを殺させないようにしていたが、パルスがトゥラーンに侵攻した際、クバードに生け捕りにされ、戦後はエクバターナで地下牢に入れられているらしい。一応まだ生きてはいるようだが、これじゃあ翼将になれるのかどうかも怪しいな。ジムサ以外はトクトミシュもブルハーンも死んだ。そして、イルテリシュを含め、トゥラーンの諸将の死体は諜者秘伝の溶解液で溶かされ、最早骨すら残っていない。これでザッハーク一党に悪用される事もあるまいさ。
シンドゥラ国内はほとんど平和と言っていい状況が続いている。親爺であるカリカーラ王はどうも原作よりも心身の衰えが目立つようだ。酒も女も原作ほどにはやらなかったと言うのになあ。原作では酒と女で身体を壊しつつも、息子たちの不甲斐なさから気を張っていたんだろうが、この世界での俺たちは原作より遥かにしっかりしていて、気を張る必要を感じなかったんだろうか。医者の見立てでは、まずシンドゥラ暦322年を迎えることは出来ないだろうと言う話だ。つまり、原作より死期が早まる可能性が高いと言うことだ。
兄の摂政としての能力には特に不足もなく、兄嫁サリーマとの夫婦仲も良好なようで、昨年嫡男が誕生し無事に成長している。王としても、この国の歴代の王の大半よりもまともな部類に入るくらいの力量はあるだろう。だったら、俺が王になる必要があるだろうか。
実のところ、今年に入る頃辺りから、俺は王になるという野心を捨てている。正式に兄に恭順を誓った訳でもないが、おそらく兄の方でも察してくれているだろう。このまま行けば、親爺はアトロパテネの戦い前後に崩御し、兄は無事即位、俺は兄の名代としてパルスの押しかけ援軍を率いる、ということになるだろう。
あの出来事が起こるまではそう信じて疑いもしていなかった。
とある新月の夜の深い闇の中を、俺の住む屋敷に突然駆け込んで来た者があった。薄絹のローブを纏った優美なシルエットが灯火の下で小刻みに震えている。ラクシュミー女神の生まれ変わりとさえ呼ばれる美貌は青ざめていてもなお、いや、尚更のこと美しい。それは我が兄嫁、サリーマだった。
「助けて、ラジェンドラ王子!私はあの人が恐ろしいの!もうあの人の側には居られない、ううん、居たくないの!」
涙ながらにしがみつかれたものの、俺にとっては寝耳に水。まさにポカーンと言う感じだった。は?誰が何だって?兄上か?兄上のことかー?いやいや、そんなバカな。あれからあんなにまともになったやん?んな訳があるはずが…って思いはどうやらダダ漏れだったらしい。俺は兄嫁にキッと睨まれた。
「あの人は、ガーデーヴィ王子は、変わってなんかいないわ!傲慢で独善的な考え方は昔のままよ。ただそれをうまく隠すことが出来るようになっただけ。その証拠に、これを見て!」
ローブを取り去った下にあったのは、おお!何と素晴らしいプロポーション!ではなくて、サリーに隠れていない部分だけでも夥しい数の青あざや生傷!馬鹿な、まさかこれを?
「そうよ、あの人よ!あの人はね、夜な夜な私に暴力を振るいながら恐ろしい事ばかり話すの!『即位したら、まずあの愚弟を生きながら賽の目に切り刻んで殺し、犬の餌にしてやろう。それから愚弟の指図にしか従わぬ諜者の女どもは手足の腱を切った上で奴隷どもに投げ与えて存分に嬲らせた後、最下級の売春窟に沈めてやる。そして、愚弟の支持者どもは―』」
「おい!」
俺は思わずサリーマの言葉を遮っていた。ふざけるな、ふざけるなよ、あいつ!
「あいつらに、諜者たちに何の咎がある。あいつらは俺のために働く事がこの国のためにもなると信じてくれていただけだ。確かに俺は卑しい生まれでムカつく事ばかりしてたかもしれんが、何故あいつらを巻き込む必要がある?…ちょっと待て、今あいつらどこだ?」
最近、兄上が自分にも諜者を使わせて欲しいと言い出して、何人かは王宮に詰めるようになってはいたが…。
「カルナ殿や女の子たちは私を逃がそうと身を挺して…。何とか脱出するつもりとは言っていたけど…」
おい、ふざけるなよ、兄貴!俺はあんたと仲良くやれてると思ってたんだ。この先もずっとこのままうまくやれると思ってた。なのに、あんたは裏切ったな?俺の気持ちを裏切ったんだ!
深呼吸を二度三度と繰り返し、何とかサリーマのために優しい声色を作った。
「サリーマ殿はこの屋敷に居てくれ。俺はこれから王宮に向かう!」
「ラジェンドラ王子?一体何を?」
知れたことだろ?あいつに、兄貴に神前決闘を申込み、あいつを王太子の座から引きずり下ろす!
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