カラミティ・ハーツ 心の魔物
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Ep9 フェロウズ・リリース
〈Ep9 フェロウズ・リリース〉
その次の日の昼。
「リクシアとフェロン、という人はいるか?」
ルードの宿に、一人の少年が現れた。
銀色の髪に藍色の瞳。
ゼロだった。
コンコン。ドアがノックされる。
「はぁい、ただいま」
誰だろうと思ったリクシアが不用心に扉を開ける、と。
「――開けるなァッ!」
びゅんッ! 勢いよく飛んだ片手剣が、今まさにリクシアに振り下ろされようとした剣を防いだ。
「え? ……ええっ!?」
リクシアが戸口を見ると、そこに無表情のゼロが立っていた。
「リア! こいつは!」
フェロンの、緊迫した調子の声。
リクシアはへたりこんだ。
「うそ……。嘘だぁ……。こいつ、ゼロだよぅ……」
アーヴェイを傷つけて、リクシアたちが訣別する原因を作った相手。
リクシアが、最も会いたくない相手。
「フェロン、この人は敵、敵! 私の仲間を傷つけた敵だよぅ!」
リクシアは叫びを上げる。そんな彼女にゼロは、表情のない声で言うのだ。
「選べ。自分の自由か、仲間の命か」
言って、彼は銀色の剣を構えた。月の光を宿したような、神聖な輝き満ちる銀色の髪、夜になる直前の空のような、暗く青い藍色の瞳。最初、彼に対峙した時は綺麗だなとリクシアは思っただけだったけれど、
気づいた。
――その姿に、思い当たるものがある。
リクシアは思い出した。この人は、「ゼロ」なんかじゃないと。
彼女は一回だけ、見たことがある。リュクシオンに呼ばれて王宮に来た日に、寂しそうに佇んでいた一人の王子を。
「この子はできそこないだ」父王に言われ、殴られ蹴られていた王子を。その髪と瞳を、綺麗な色だと思ったことを。
彼は傷だらけの顔に、憎しみを浮かべていた――。
リクシアははっとなり、叫んだ。
「ゼロ!」
「ゼロ」が表情のない顔でそちらを向いた。リクシアは叫ぶ。
「あなたは『ゼロ』なんかじゃない! 辛いことかもしれないわ! でも思い出して! あなたの本当の名前を!」
リクシアの言葉に、「ゼロ」は虚ろな瞳を向けて返す。
「……僕は、ゼロ。それ以外の、何者でもない」
「違う!」
思い出した、思い出せたから。リクシアはその名前を、口にする。
「エルヴァイン・ウィンチェバル! 目を覚ましてッ!」
「……エルヴァイン・ウィンチェバル?」
虚ろな声が、問いかけるような響きを宿す。その瞳が一瞬、揺れた。何かを思い出そうとするように、彼は何度も目を瞬かせる。しかし、
それはすぐに消えてしまった。「ゼロ」は感情のない声で言う。
「惑わしは無効。任務を遂行する」
言って、彼はその剣を振り上げた。
ベッドに横たわる、フェロンのほうに。
「――――ッッッ!」
リクシアは瞠目した。
(まずい、このままじゃフェロンがやられる!)
フェロンのあの片手剣はリクシアを守るために投げられ、もう手が届かない場所にある。
リクシアは獣のように唸り、叫んだ。
「私は決めたんだよッ! だれも死なせないってッ!」
その紅い瞳が、決意を宿す。
「だから――私の大切な人に近づくなバカヤローッ!」
威厳も格好良さもへったくれもなく。ただ純粋に、幼馴染のためを思って、
リクシアはフェロンと「ゼロ」の間に、割って入った。
「リア!?」
フェロンの驚いたような声。
リクシアの身体が切り裂かれる。血しぶきが飛ぶ。焼けるような痛みが彼女を襲い、リクシアは慣れぬ激痛に涙をこぼした。
それでも、リクシアにはさがれない理由があった。
(――でもッ! あたしの後ろには友がいる! 守らなきゃならない人がいるッ!)
理由はそれだけで、十分だった。後ろにフェロンを庇い、一歩も引けなくなった状況下、リクシアは己の中に新たな力が芽生えたのを感じた。その力は莫大だった。そしてそれは緊急時にしか使えない類のものだった。これまでのリクシアは緊急事態とは程遠かったけれど、今こうして「ゼロ」と対峙し、フェロンを後ろに庇ったことによって彼女の新たな力が目覚めたのだ。
リクシアはニヤリと笑い、唱える。
大召喚師の妹たる、その名を賭けて、一つの、呪文を。
彼女の声が朗朗と響き渡る。驚いた「ゼロ」は警戒したまま動かない。リクシアにとっては好都合である。
「天の彼方なる不死鳥よ、我呼ぶもとへ、舞い来たれ! 互いの尾を噛む円環の蛇、続く輪廻を解き放て! 我に仇なす究極の敵! 我は呼ばん、我は呼ばん!」
あふれかえる力が渦を巻き、やがて天空に大きな魔法陣が描かれる。
「すべて巻き込み千切り裂け! 次元の彼方へ放り出せ!」
風もないのに揺れる髪、炎を宿したその瞳。
「――フェロウズ・リリース!」
途端、天上より光が降ってきて、「ゼロ」に勢いよく突き刺さった。
「ぐあッ……!」
うめく「ゼロ」に、もう一撃。
漆黒の衝撃波が、彼を弾き飛ばし、反対の壁に衝突させた。
「あぐぅッ……!」
そして目に見えぬ風が、その肌を幾重にも切り裂いた。
リクシアは唸るように叫ぶ。
「仲間を傷つける者は、許さないッ!」
動かなくなった「ゼロ」の身体が、現れる闇に飲み込まれた。
気が付いたら、「ゼロ」の姿はどこにもなかった。当然だ、リクシアがまったく別の所に放逐したのだから。仲間を傷つけたとはいえ、彼は最初から「ゼロ」であったわけではない。リクシアにとって、殺す理由は存在しなかった。あんな状況にあったのに、なぜかリクシアの心は理性を保てていた。
後ろに守るべき人がいるから。
リクシアは知っている。「ゼロ」になる前の、エルヴァイン・ウィンチェバルを、暗い目をした少年を。自分よりも年上だった彼をあの日、哀れに思ったことを覚えている。そんな彼はリュクシオンの引き起こした「大災厄」を生き延びたみたいだが、どういうわけか心を失っているみたいである。そんな彼を、殺すことなんてできようはずも無い。それもまた、リクシアの嫌う「理不尽」なことだから。
リクシアはフェロンを見た。大丈夫だ、新しい怪我はない、と確認すると、彼女は安堵の息をついた。
その身体が、ゆっくりと倒れていく。
「リア!」
フェロンの緊迫した声。
リクシアの斬られた傷口から血が流れ、辺りを赤黒く染めていく。それでもリクシアはうっすらと微笑み、安心させるようにフェロンに言った。
「大丈夫だよ……フェロン。私は……これくらい」
リクシアはひどく疲弊していた。あんな大きな魔法を使うのは初めてだ。
フェロンの声がボリュームを増す。
「リア! リア! 誰か、医者を! ルードさん、来て!」
その声をぼんやりと聞きながらも、リクシアは小さくつぶやいた。
「私……大丈夫だから……」
そして意識を手放した。
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