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ドリトル先生と和歌山の海と山

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第十幕その一

               第十幕  座禅の後で
 先生達はまずは皆で座禅を組ませてもらいました、イギリスやアフリカ生まれの先生達もようやく日本の座り方に慣れてきていまして。
 それで座禅を組むのは思ったより楽でした、そうして動物の皆もそれぞれの姿勢で座禅を組ませてもらってです。
 座禅を組んでです、そのうえでなのでした。
 座禅の後で動物の皆はしみじみとした口調で言いました。
「ううん、何かね」
「足痺れたりしないよね」
「別に肩をぱしんとやられなくて」
「無我というか?」
「何か深くて大きな世界に入った感じがしたわ」
「宇宙みたいな」
「そう、そうなることがね」 
 先生も皆にお話します。
「座禅をする意味でね」
「それでなんだ」
「僕達もそうなったんだ」
「座禅を組んでそうなったの」
「世界の中に入ったのね」
「座禅のその」
「そうなるよ、そして座禅を組むことを重ねていくとね」
 どうなるかといいますと。
「悟りを開けるとも言われているんだ」
「成程ね」
「そんな風なのね」
「じゃあ先生もね」
「仏教徒だったら」
「そうなっていたね、あと密教も座禅を組むけれどね」
 さらにお話する先生でした。
「やっぱり一番座禅を組むのはね」
「あっ、禅宗ね」
「あちらの宗派ね」
「もう座禅っていったらね」
「禅宗なのね」
「そうだよ、本当に禅宗はね」
 この宗派はというのです。
「座禅を組むことが多いよ」
「それが修行の主だよね」
「何しろ禅っていうからね」
「それだけにね」
「どんどん座禅を組むんだよね」
「そうだよ」
「座禅を組んでいてよく言われることですが」 
 トミーが先生にお話してきました。
「足が痺れるっていいますけれど」
「実は痺れないよね」
「はい、むしろ頭の方が」
「何か痺れるというかね」
「感覚がなくなる感じがしますね」
「そうだね、もっとも長い時間組んでいれば痺れるだろうけれど」
 それでもというのです。
「僕達位の長さではね」
「痺れないんですね」
「そうだよ、それにね」
 さらにお話する先生でした。
「頭が痺れるというか感覚がなくなることはね」
「あの方が感じましたけれど」
「座禅の特徴だね」
「そうですよね」
「あの感覚は不思議だよ」
 先生にしてもです。
「他のことをしてもなることはないね」
「はい、全く」
「ああして無我の極致に至ってね」
「何も考えなくてですね」
「宇宙と一体になる様になって」
 そうしてというのです。
「涅槃に入るというか」
「そうした風になることがですね」
「座禅なんだよ」
「そうですか」
「だから仏教ではね」
「座禅を組むんですね」
「そうだよ」
 こうトミーにお話をしました。 
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