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ドリトル先生と和歌山の海と山

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第七幕その十

「実に気持ちがいいよ」
「先生よく言ってるよね」
「座禅はいいものだって」
「肩を叩かれたりしないし」
「そんなことはなくて」
「あれはね、別にね」
 漫画等でそうした場面があってもです。
「何もないんだよ」
「そうなの」
「別になんだ」
「叩かれたりしないんだ」
「ちょっと何かあったら叩かれると思ったら」
「そうじゃないんだ」
「そんな風はないよ」
 本当にと言った先生でした。
「別にね、それで座禅の間はね」
「その間は?」
「間はっていうと?」
「何をしてるの、先生達は」
「ただ座ってるだけじゃないよね」
「無になっているというかもう空と一つになるというか」
 先生は仏教的なお話をしました。
「そんな感じだよ」
「ううん、何かよくわからないけれど」
「とりあえず深くは考えないで」
「考えることを止めて」
「そうして神秘的な中に入るんだ」
「そうだよ、ただ座りそうして無に入るんだ」
 そうなるものだというのです。
「僕もまだ座禅は何回かしかしていないけれどね」
「お坊さんは毎日してるんだよね」
「それこそ」
「毎日座禅をして」
「そうして修行をしているんだよね」
「そうなんだ、僕達は今度は体験だよ」
 そうした形で座禅を組ませてもらうというのです。
「別に修行でもないよ」
「そうなんだ」
「じゃあ座禅をしてもね」
「体験みたいなもので」
「そこから何かに入ることもないんだ」
「うん、無我の境地に至ったりね」
 仏教で言われるその境地にです。
「魔障が見えたりとか禅の極意に至ったりとかもね」
「そこまではいかないんだね」
「体験位だと」
「密教の極意とかにも」
「別に辿り着かないんだ」
「そうだよ、まあそうしたことは考えないでね」
 今の先生達はというのです。
「高野山自体を学んでいこうね」
「うん、それじゃあね」
「色々回っていこうね」
「何かと回る場所が多くて大変そうだけれど」
「回っていこうね」 
 動物の皆も先生に応えました、そうして皆で実際に色々な場所を回ることにしました。空海さんが開いたその場所の中を。 
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