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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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晩餐会 2

 踏み出した足のかかとを床にあて、そこを小さくねじる。
 足首、ふくらはぎ、膝、太もも、腰、腹、胸、肩、腕、肘、手首、掌。
 ねじることにより人体の様々な箇所に生じた運動エネルギー、気を大きく育てる。
 気の螺旋を体内で練り上げ、手にした剣先にそれを乗せて打ち出した。
 中国武術にある纏絲勁に、体内で練り上げた気を合わせて打つ。
 発勁。体内の気を一瞬、外に向かって解き放つ法。
 剣を突きつけた幹の、反対側の木肌が内部からはぜるように穿たれた。

「……マナに動きはなかった。でもなにかが、なんらかの霊的エネルギーが体の中で動いた。アストラル体かしら?」

 【センス・オーラ】を使い、秋芳の動きを観察していたレニリアが感想を口にする。

「やっぱり魔闘術(ブラック・アーツ)とは似て非なる技ね。あれは手足に魔術を乗せて、打撃の瞬間に相手の体内で炸裂させる、硬い鎧や外皮をもった相手にも有効な徒手空拳の格闘術。でもこんなふうに剣を通しての使用も、打撃を徹すこともできない。無理にしようとすれば剣にも衝撃が伝わり、破損するはず」

 秋芳が手にした剣に傷みはなく、木肌は裏側のみが傷ついている。

「武器は手の延長。剣身を(たなごころ)のようにあつかえないようでは、使い手とは言えない」
「普通は素手でもこんな芸当できないわよ」
「これは浸透勁。透かし、徹しなどとも言われる技法だ。気というものは物理的なエネルギーであり、霊的なエネルギーでもある。前者がいまやった芸当なら、これは後者に属する。――吩ッ!」

 丹田に生じた気を全身に廻らせ、内力をみなぎらせる。
 【センス・オーラ】によって霊的な視覚を得たレニリアの目に、秋芳の全身は薄く輝く光をまとって見えた。

「【トライ・レジスト】に【ボディ・アップ】の効果が現れているわ」

 令嬢の姿を改めてペルルノワールの衣装をみにつけたレニリアと秋芳。いまふたりがいるのは晩餐会のおこなわれたフェルドラド宮殿の外に広がる庭園の片隅。
 歓談や舞踏を楽しむ人々をよそに、ごていねいにも人払いの結界まで張ってレニリア姫ご所望の東方武術を披露している。

「内功の修養は一朝一夕でできるものではない。要訣を説くだけでも長い時がかかる。……めんどくさいぞ」
「でしょうね。そんな感じがする。でも、教えてちょうだい。とりあえず、今の技を」
「今の発勁は内功ともいえない児戯だ。まず頭頂から股間に走る正中線に重心を保つ。動かない柱が体の中心に入っていると意識すること。拳を打つときは下半身から、上半身に力を伝える。正中線の柱を絞り込むように両足を内側に力を込める。わかりにくいなら最初は少し内股に立つといい。そして下半身から始動した力を上半身に伝えて、その上半身の力を正中線の柱を巻き込むように内側に絞る――。わかるか?」
「わかるわ」

 レニリアの手が翻り、秋芳の喉元に細剣(レイピア)の切っ先が向けられた。

「なんだ、この手は」
「ぐだぐだうだうだ、ごたくを垂れ流す前に、まずは実践あるのみ! あなたの力、見せてちょうだい!」

 未知なる武術の使い手と戦えることへの喜びに、レニリアの蒼氷色の瞳が輝いていた。
 この娘は、戦うことが嬉しいのだ。
 力と技を競うことが、楽しいのだ。

「……鮑三娘や穆桂英みたいな娘だな」

 鮑三娘とは後漢末の三国時代を舞台にした民間説話『花関索伝』に登場する人物で、良家の令嬢ながら武芸に秀で、「自分よりも弱い男とは結婚しない」と豪語するほどの女傑だ。
 穆桂英(ぼくけいえい)は『楊家将演義』という古典作品や、それを題材にした京劇に出てくる文武を兼ねそろえた女将軍で、並の男なぞ足下におよばない凄腕の女性だ。

「最初から俺と手合わせするつもりだったな」
「そうよ」
「技の教授よりも、手合わせするのが本命だな」
「ご明察」

 喉元にあてた剣がまっすぐに伸びる。
 伸びた分だけ秋芳が下がる。
 レニリアがさらに進む。
 秋芳がさらに下がる。
 進む。
 下がる。
 進む。
 下がる。
 人払いの結界の境目まできた時、ひときわ瞬烈な刺突が放たれる。

「……たいした発条(ばね)だ。普通はいちど腕を引くなり、腰を落とすなりして溜めを作って強烈な一撃を放つものだが、おまえさんときたら上半身の筋肉のみで強打を放った。ひょっとしてさっきの説明は不要だったか? それは寸勁といって、東方武術の技巧のひとつだ」
「こっちはそれをやすやすと避けたあなたの体捌きにおどろいているわっ」

 言うとともに背後に回った秋芳めがけて後ろ蹴りをするレニリア。
 すねに軽く手をあてて打撃の勢いをそらしつつふたたび後方に退く秋芳。 

「おどろいているのはこちらもだ。軽量の当て身は弱いのが相場だが、おまえさんときたら遠心力を乗せた瞬発力抜群の打撃を放つ。空手の黒帯レベルじゃないか」
「カラーテとかバリツとか、そういう名称の東方武術があるみたいだけど、わたしのはちがうわ。剣はゼーロスに、格闘術はバーナードに習ったの。あ、いま言ったふたりは親衛隊と特務分室の人ね」

 口を動かす間にもレニリアの攻撃は止まない。右に左に体を移し、疾風迅雷の速さで剣を振るう。
 剣だけではない。

「シュッ」

 鋭い呼気とともに剣を握っていないほうの手がひるがえると、漆黒のマントが刃となって秋芳の首筋を狙う。
 身にまとう鎧であり、攻撃を受け流す盾であり、裾で切りつける武器でもある攻防一体の魔道具。
 それだけでは、ない。
 首を狙ったかのように見えたマントは寸前で向きを変えて秋芳の手にした剣に巻きつき、奪い取った。

「これ、こういう使いかたもできるの」
「まるでシャストアのマントだなぁ。それにこのレイピアもたいした業物じゃないか。セリカの持っていた剣に勝るとも劣らない出来だ。蝶を模した護拳の意匠も精巧で美しい」

秋芳が手にした細剣をしげしげと眺める。

「――ッ!」

レニリアのマントで剣を取られたとほぼ同時に、秋芳も相手の剣を奪い取っていたのだ。

「いつの間に……」
「此方に意識を集中するあまり、彼方がおろそかになる。よくあることだ」
「それにしても妙手ですこと。騎士爵殿はスリの技にも長けているのね」
「我が祖、賀茂の一族は修験道と縁の深い一族で、修験道は忍者と密接な関係だ。つまり俺は忍びの技を心得えている。そして偸盗術は忍術の基本だ」
「まぁ、ニンジャ! 一糸まとわぬ姿で敵の首を手刀で切り落とす達人ね」
「どこの世界のニンジャだ、それは」
「それ、返してくれる。交換よ」

 そう言って手にした剣を地面に突き刺す。
 秋芳もまた無言でそれに応じてレイピアを突き刺し、自分の剣を取ろうとする。
 その寸前で秋芳の剣がマントにかすめ取られた。
 レニリアが両手に剣を持っている。

「相手を欺くのは立派な兵法よ!」
「ごもっとも」
 
 両手の剣を竜巻のように旋回させ、秋芳に斬りかかる。
 二刀細剣の達人。『双紫電』の異名で呼ばれる王室親衛隊総隊長ゼーロス=ドラグハート直伝の剣が颶風と化す。
 月光の下、両の剣が放つ銀光と黄金を溶かしたような豪奢な金髪の煌めきがひとつになり、白金の旋風のようだ。
 だが、金色の剣風は秋芳の身には届かない。
 どこからか、夜風に乗って軽快で優美な音楽が流れてくる。
 ダンスホールで演奏されている円舞曲だ。
 秋芳とレニリア。目まぐるしく交差するふたりの影は、まるで音楽に合わせてワルツを踊っているかのようだった。
 ペアのダンサーのように、あるいはフリージャズのセッションのような。
 ちがう楽器をあやつるふたりの奏者が自在に音をぶつけ合い、からめ合いながら音とリズムの三昧境に入っていく。足の運び、腰の動き、手の振りの緩急を自在にあやつり、心の想うままに相手にぶつけていく。
 双剣と無手。異なる得物をあやつるふたりの演奏。ふたりの円舞。
 いくたびもまじわり、交差する光と影。金と銀に彩られた、美しくも危険な双剣の舞が月明かりの下で延々と続く。

「――あたらないわ、まるで影を相手にしているよう」

 左右二連の三段突き。合わせて六発の刺突はゼーロスの異名の由来となった、その名も『双紫電』。本来なら両手で持った剣で放つ三段突きの技『紫電』をさらに昇華し、両手双剣で驟雨の如く連発する脅威の絶技。
 それが、幾度もちいても秋芳には通じない。

「剣の技は千変万化。身のこなしは緩急自在。だが、動から静、静から動へと移る一瞬に隙が出ている。相手を幻惑する剣舞の動きも、攻撃する瞬間を見切られては意味がない。実則虚之、虚則実之心――。虚と実は表裏一体。それを忘れるな」
「……」
「それと、剣と体が一致していない。心から剣を消して呼吸を以て操る。剣にとらわれ、みずからを見失ってはいけない。これぞ最大のあやまち。剣に心奪われれば、思うように動けず。本来の力を引き出すことができない。先ほども述べたが剣は手の延長。剣に、武器にとらわれるな」
「敗者は敵に敗れる前におのれに敗れる。心が平穏なればこそ勝機はあると言うわ。あなたの明鏡止水、乱してあげる!」

 後ろに飛びすさり、距離をとったレニリアが剣の柄頭をレイピアの切っ先で突いて押し飛ばす。

「飛刀術か」
「《光あれ》!」
「なに!?」

 レニリアの口から呪文が唱えられた。
 黒魔【フラッシュ・ライト】。
 光の球を放ち、指定空間上を任意のタイミングでストロボフラッシュのように光り輝き、その閃光に よって対象の視界を奪う。あくまで強烈な光を焚くのみ。だが直接魔力を介さない眩い光は間接的ゆえに三属攻性呪文や精神汚染呪文に備えた【トライ・レジスト】や【マインド・アップ】の効果も受けつけることはない。
 その強烈な閃光とともに、レニリアの手からレイピアが投擲される。
 双剣の特性を生かした二段重ねの飛刀術『双紫電・影貫』。二本目の剣が初撃の後に完全に隠れるため、受けるにせよ避けるにせよ相手に隙を生じさせ、仮に二本目もしのいでも急接近し、拳闘術を叩き込む。
 レニリアはそれにさらに閃光の魔術を駆使したのだ。
 フェイントをもちいた二段飛刀にダメ押しの閃光呪文。
 閃光を避けるため目を閉じれば視界がふさがり、二本目の剣に貫かれる。
 閉じなければ目を潰されて二本目の剣に貫かれる。
 なんとか剣を避けても、拳闘術による攻撃にさらされる。
 いずれにせよ相手の視覚を封殺し、戦闘能力を奪う、恐るべき手段だ。

「……やっと、あなたに〝技〟を出させたわ」

 肩を脱臼したかのように、だらりと下がった右腕を左手で押さえながらレニリアが満足そうな笑みを浮かべる。

「で、これはなに? けがはしてないけど、すっごく痛くて、まったく力が入らないんだけど」
「……まんまと技を出させられた、武の勝負で意表を突かれたのは久しぶりだ。いまのは寸指勁という。体内で練った気を指先に集中させて相手の経穴を点く。経穴というのは――」
「こっちの言葉でいう霊絡(パス)のことね。人の身体には経絡と呼ばれる気の流れる道があり、その経絡には秘孔や点穴とも呼ばれる、いくつもの経穴がある……。でしょ」
「そうだ」
「東方医学のシンキュウやツボってやつよね。経験したことはないけど」
「カブリュ・ヴァドール放浪伯に施術したが好評だったよ。その点穴だが、上手く突けば非力な老人や子どもでも大の男をたやすくたおすことができる。指一本で悶絶させ、死に至らしめることもできる。ただ相手の体調や時刻によって微妙に移動する点穴を探りあてて、突くことは至難の業だ。いまも正確には入らなかった」
「でも目をつむった状態で二本の飛刀をかわすなんてすごいわ」
「……そんな状態で笑みを浮かべるおまえもすごいぞ」

 予想外の攻撃に対してとっさに放った寸指勁はレニリアの全身を麻痺させるにはおよばなかったが、片腕の自由を奪った。
 中途半端に経絡を断ったのだ。感覚を失うのではなく、肩から先を切断されたが如く痛みを感じている。

「解穴すればすぐに治療できるが、せっかくの機会だ。自分で治癒する術を伝授しよう」

 痛みにさいなまれる者に対して、これは厳しい。スパルタ教育である。

「まずは気息を整え、体内の気をゆっくりと背骨にそって上に移動させてゆく。これは周天の法といって気を特定の経絡に――」
「その必要はないわ」

 レニリアの足刀が空を切った。
 下から秋芳の腹を削り上げるようにして顎を狙う。
 秋芳はそれを寸前で躱す。
 のどから耳にかけて、刃物のような鋭さで拳圧ならぬ足圧が走り抜けた。
 ぞくり、と秋芳の見鬼が反応する。

(――ッ!)

 たったいま躱した足が、かかとが後頭部を目がけて飛んできた。
 それを、首を沈めてかろうじてかわす。

「……宝蔵院の十文字槍かよ」

 奈良の興福寺に興った宝蔵院流槍術の十文字槍は『突けば槍、薙げば薙刀、引けば鎌』とうたわれるほどの万能武器だ。刺突を躱された瞬間に引くことで左右に突き出た両の穂身で相手を後ろから斬り裂くことができる。
 レニリアの足技もまた、そのようなものであった。

「初見の相手に昇龍脚と龍落踵――双龍脚を躱されたのははじめてよ」

 左足を後方に引き、右膝を軽く前に突き出した。自由の利かない右腕はそのままに、左手でマントの裾をつかんで盾のように前へ出す。

「なんなんだ、その拳武館の高校生暗殺者が使うような技の名は」
「実戦で、敵を前にして悠長に霊絡治療なんかするひまはないでしょ。このまま続けましょう」
「剣の次は格闘術か。いいだろう、つき合おうじゃないか」

 秋芳の薄い唇が笑みの形になる。
 武術はもっとも実践的な魔術のひとつ。そのような考えのもと、幼い頃から鍛錬を重ねてきた。
秋芳もまた、呪術魔術の徒であると同時に武術家でもあるのだ。
 動的霊災でもなんでもない、武の心得のある生身の人間と久々に拳を交えることに、喜びを感じていた。
 秋芳は軽く腰を落とし、膝をまげて両足を前後に開いた。
 両腕を大きく天地に開いている。肘をまげた右腕が頭上前方に伸ばされ、左手はへそのあたりにくる。
 受けにも攻めにも対応できる、均衡のとれた構えだった。
 対峙する。
 秋芳とレニリアは、よく似た体形をしていた。
 秋芳は短身痩躯だが、無駄な肉がなく全身これ筋肉という体躯をしている。筋肉といってもボディービルで無理に作ったような肉体ではない。皮膚の下にある筋肉の束は完全に実用的なものばかりだ。
 実戦となるとボディービルで作ったプロテインまみれの不自然な逆三角形の筋肉は、存外もろい。
 筋肉の用途がちがうのだ。
 秋芳の筋肉は強靭で柔軟性があり、安定感がある。それに対して、レニリアもまた細身ですらりとした肢体をしているが、脆弱さとはほど遠い。猫科の猛獣のごとき剣呑さと強さを秘めている。
 身長は高くないが、腰が高く脚が長い。溌溂とした雰囲気と相まって少年のようにも見えるが、身体の線を露にしている黒装束の胸と尻の部分は妙齢の女性らしい主張をしていた。

(勇ましく美しい、十三妹(シーサンメイ)を思わせる)

 十三妹とは『児女英雄伝』という清の時代に書かれた大衆小説に登場する架空の人物で、本名を何玉鳳(かぎょくほう)という。多くの映画や京劇の題材になっており、日本刀を手に悪人たちを成敗するバトルヒロインだ。

「どうしたの?」
「レニリア姫。あんた、綺麗だな」
「うん、知ってる」
「こうして素顔を見ると美人だ。そのことに、今気づいた」
「遅いわ」
「気づいたといえば、剣を学んだゼーロスという人物。たしか近衛兵の長じゃなかったか」
「ええ、王室親衛隊総隊長。ゼーロス=ドラグハート。四〇年前の奉神戦争を生き抜いた古強者よ」
「そして格闘術を学んだバーナードというのは……」
「特務分室に所属する執行官でも一番の古株で、こちらもまた奉神戦争で活躍した英傑よ」
「だから足技が達者なのか」

 貴族たちが嗜む通常の拳闘術には「貴族的でない」という理由から蹴り技がない。だがアルザーノ帝国軍が採用している軍隊格闘術には蹴り技も入っている。

「ええ、もっとも翁――バーナードのことね。あのお爺ちゃんてば訓練中にやたらと体を触ってくるから、いやになっちゃって、初歩の初歩しか教えてもらってないの。格闘に関しては、ほぼ我流ね」
「それでこれだけの足技を使えるとは」

 レニリアの体が動き出した。右に左に、風が吹くかのような、水が流れるような、舞うような、緩急自在の軽快玄妙な足運び。
 それに合わせて、秋芳も動く。
 レニリアに合わせて軸足を変えながら回る。
 レニリアの動きが、徐々に速くなっていく。
 奇妙なリズムだ。動いている手足の、どれが攻撃を仕掛けてくるのかわからない。

(プロのボクサーだって、こんな見事なフットワークなんて使えないぞ)

 秋芳の天地に構えた両腕が、上下する。
 右手の位置が左手の位置に、左手の位置が右手の位置に、円を描くように幾度も変わる。
 円を描くたびに、内力がみなぎる。

「それ、なに」
「円空掌。遠心力てのがあるだろ。 円運動に生じる力で、回転の中心から遠ざかる向きに働く。これはその発勁版さ。蓄勁といって、こうしていると気が高まるんだ。遠心力をかけて放つ発剄は、波紋にも似た衝撃波で空をも破砕すると伝わる」
「じゃあ、時間をかけるとこちらが不利になるわね」

 レニリアの右脚が秋芳のこめかみをめがけて走った。
 速い。
 まるで疾風の鞭のようだ。
 秋芳は左肘を曲げてそれを受ける。
 その瞬間、レニリアの体が宙に舞った。地にあった軸足である左脚で跳躍したのだ。その、跳躍した左脚の先が真下から鋭い弧を描いて秋芳のあごに翔んだ。
 秋芳は右腕でそれを外側へ弾いてガードする。
 レニリアはそのまま後ろへと体を回転させた。後方宙返りだ。
 着地する瞬間を狙い、秋芳の円空掌が唸りをあげて迸った。
 掌風が体に触れる寸前に、その力に逆らわずレニリアが翔んだ。
 猫のように体を丸めたレニリアは秋芳の力を利用して後方へと翔んだのだ。後方には、木があった。
 木を蹴って、秋芳に向かい跳躍する。
 三角跳び。
 全盛期の大山倍達がもちいた、敵の死角から飛び蹴りを放つ奇襲技をレニリアは使ったのだ。
 これまでの動きはすべてフェイント。この一撃こそがレニリアの狙い。
 声にならない裂帛の気合いがレニリアの桜色の唇から迸った。
 天使の声をした、闘神のごとき雄叫びが――。
 
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