おぢばにおかえり
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116部分:第十六話 色々と大変ですその三
第十六話 色々と大変ですその三
それで私は言いました。
「ですよね、やっぱり」
「私の詰所はね」
佐野先輩の大教会の詰所は。
「よく考えたら元々あれじゃない」
「あれっていいますと」
「奥華の別れじゃない」
大教会の下の教会が大きくなってそこが大教会になることをこう表現します。奥華は佐野先輩の九花の元の大教会ということになります。
「といっても私が生まれる前に別れたんだけれどね」
「そうですよね。じゃああの詰所に行かれたことは」
「悪いけれどないのよ」
やっぱりそうでした。
「いつも九花だけよ、行くのは」
「そうですか。そういえば私も」
他の詰所に行くことはまずないです。
「同じです」
「そうしたものなのよ。結局他の詰所には行ったりしないわよね」
「そうですよね」
「けれどお付き合いはあるけれど」
所属の大教会が違ってもこれはあります。
「学校だとそれは殆どないしね」
「ええ。私もこんなに他の大教会の人とお付き合いしたことってないです」
「教区もでしょ」
「はい」
天理教は大教会の他に教区といって今いる都道府県で分けられていたりもします。この単位を教区と呼びます。私は兵庫に入ります。
「何か全然違うお付き合いになっています」
「私もそれで言葉が変わったし」
「あっ、そういえば先輩の広島弁って」
「結構消えてるでしょ」
「奈良弁というか天理弁は入ってきていますね」
「自然とこうなるのよ」
やっぱりいたらこうなりますね。二年も三年もだと。そういうことみたいです。
「おふでさきだって天理の言葉で書かれているわよね」
「ええ。それで結構」
おふでさきとは教祖が書き残された和歌形式のお言葉です。そこには色々な教えが書かれています。天理教の重要な教典の一つです。
「苦労しました」
「関西人のちっちもそうでしょ?私なんかそれこそ」
「苦労されたんですね」
「結構ね。関西弁に慣れていなかったから」
「広島でですか」
私の中のイメージでは広島弁は大阪のそれに近いっていうのがあるんですけれどそれはどうも違うみたいです。先輩のお話ですと。
「広島は。ほら」
先輩の顔が苦笑いになりました。
「ヤクザ言葉だから」
「ヤクザ言葉!?」
そう言われてもあまりピンと来ないです。
「何ですか、それって」
「ああ、ちっちって東映の映画とか知らないのね」
「東映は特撮とかアニメなら」
知ってはいますけれど他は知らないです。
「知ってますけどそういうのもあるんですか」
「あるのよ。仁義なき戦いとかね」
「ああ、それなら」
その映画は聞いたことがあります。有名ですね。
「知ってます。けれどあれって東映だったんですね」
「そうよ、東映よ」
「そうだったんですか」
はじめて知りました。私は時代劇も好きなんですけれど東映はそれと特撮ってイメージが強いですから。ヤクザ屋さんの世界には興味ないですし。
「意外だった?」
「意外っていいますか」
こう先輩に答えます。
「全然予想もつきませんでした」
「東映ってそっちも有名なんだけれどね」
「はあ」
「まあいいわ。それで結構広島って言われるのよ」
「ガラ悪いっていうのですか?」
「そうなのよ。広島は確かにあの筋の人が多いけれど」
これは本当に有名です。神戸にいる私どころか日本中で有名ですから。奥華でも広島に教会が結構ありますからよく聞いてきています。
「普通の人だって多いのよ」
「ですよね」
言うまでもないことですけれど何故か先輩は異常にこだわっています。
「私がいるのはそっちの方じゃないし」
「広島市内じゃないんですか」
「呉でもないわよ」
呉の方にも奥華の系列の教会がありますけれどやっぱりそうした人が多いらしいです。呉名物は自衛官とそっちの筋の人だそうです。
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