ソードアート・オンライン オルタナティブ アナザーハンドレッド
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01
ソードアートオンライン オルタナティブ アナザーハンドレッド
2022年11月◎日
ネット中継で放送される番組MMOtomorowを横目に見ながら僕はクラスの友人と待ち合わせの約束をした場所を思い浮かべていた。
いや、正確には想像していた。
何故なら僕は未だにその場所に行ったことがなく、日曜日、つまり今日の午後一時に初めて訪れる場所だからだ。
なぜその場所の風景を思い浮かべることができるのかといえば、単に雑誌やネットで見たことがあるだけで、実際に行ったことがあるのは1000人プラスアルファといったところだ。
整理して置かれた棚から一冊雑誌を抜き出し、そしてその場所が載っているページを開く。
【始まりの街】とページの見出しには書かれている。
いかにもファンタジーな匂いがするその街の名前。
僕の今日のスケジュールを確認しても【始まりの街】で合流。と一番上に書いてある。
数年前、今世紀最大の発明家と評される茅場晶彦氏により万を持して発表された、新時代ゲーム機のハードパッケージ。
【ナーヴギア】
どういった意味で新時代を語るのかといえば、それはVRワールド、またの名を仮想世界。
世間が常に注目し、その度に結局は実現不可能と判断されてきたジャンルだが、茅場氏をはじめとするチームの目覚ましい尽力により、完成に至ったこのナーヴギア。
僕は寝ていたベッドから起き上がり、ナーヴギアを膝に乗せて抱え込むように、体操座りのような体型で椅子の上に座った。
ベッドに置いてあったケータイ電話を手に取り、あとで落ち合うことになる友人にコールする。
「よっ。どうした?」
通話先の相手が気さくに対応してくれたおかげかいくらか話しに入りやすくなったと感じ、
「あ、いや。なにかあるわけじゃないんだけど、落ち着かなくて。」
そわそわという擬態語が似つかわしい心持ちで相手にそう伝えると通話相手もその気持ちを察したようで、
「ははは。その気持ちは痛いほどよく分かるよ。俺達は10万の応募者からあぶれちまったうちの二人なんだからな。」
相手が残念そうに肩を竦める様子が眼前に浮かびあがるようだった。
そう。ナーヴギア専用タイトル、【ソードアートオンライン】が世間に発表されたその日から僅かならぬ月日が経過していた。
10万人の応募者というのは、そのベータテスト、簡単に言うなれば本サービス稼働のために試験稼働するから1000人だけ募集する、といったものだった。
「しょうがないよ。10万分の2じゃね。」
相手もこちらが苦笑しているのを感じたようだった。
それから二三言葉を交わした後に通話相手が言う。
「やっと12時50分だな。じゃあ、トイレとか済ませてくるから、悪いがここら辺で。って、10分後に向こうで会うんだけどな。」
ははは。と軽快に笑う相手に僕もつい頬を緩めてしまう。
「ふふっ。あぁ、うん。じゃあ、また後で。」
そういって通話を切ったあと、お手洗いを済ませ、歯を磨き、麦茶で喉を潤し二階の自室に戻ると、机の上の電子時計は12時59分を示していた。
そして時は二年後へ。
第一章
喉が酷く掠れていた。
ジュース代わりにレモンジュースと緑茶を混ぜたような味のするハイポーションを飲み下し、先程から腰を下ろしていた地面に寝転ぶ。
今いるこの場所は、第75層のボス部屋で、つい数分前にこの部屋の主である【スカルリーパー】の討伐に成功したところだ。
偵察組と合わせて死人の数々は20人。
前の層での被害は、アインクラッド解放軍の中佐と部下二名のみと聞き及んでいたが、今回は被害が大き過ぎた。
利己的な軍を除くと死人がでたのは第68層のボス戦の時以来だった。
スカルリーパーは巨大な鎌を両手に携え、いかにもというような骸骨ドクロ、そう、ガシャドクロというに相応しい面で、鯨並みに長い骨だけの身体の横から何十本、何百本という骨の脚をつきだしていた。
例えるならムカデといったところだろうか。
最前線の攻略組のハイレベルを持ってしても、その鎌がプレイヤーの肉体を穿った瞬間、HPバーが一撃で消し飛ぶ。
何故そんな相手に勝つことが出来たのかといえば、なんといっても、ユニークスキルを持つ二人と、閃光の二つ名をもつ少女の力が大きいだろう。
彼らが鎌を自らの刃で受け流す、或いは盾で防いでいる間に僕たちが横からソードスキルを叩き込む。
それを繰り返し、小一時間でようやく敵のHPバーを残らず削り取ることに成功した。
よくもまぁ一時間も集中力がもつものだ。同じ人間とは思えない。
と感慨を抱くほどに彼らの戦いぶりは他を逸していた。
その三人のうちの一人、エクストラスキル、二刀流の唯一の保持者であるキリトがこちらへやって来て僕の肩に手を置いて、
「お疲れさん。大丈夫か?」
と僕を気遣ってくれる。
それほど酷い顔をしていただろうか、と一瞬頭を過ったが、慌てて否定する。
「ぼ、僕は大丈夫。でもキリトは相変わらず凄かったね。」
と僕が無理矢理作った顔で微笑むと、
「アスナのおかげでなんとかな…。」
と控えめに苦笑して続けた。
「そんなことより、今回の被害は大きすぎる。恐らく彼らも十分な安全マージンをとってたはずだ。にも関わらず、ただの一撃で…」
そこまで言うと後ろを振り返り僕から顔を背けて呟いた。
「もっと強くならないとな。」
そう言って再び黒の剣士は閃光のアスナのもとへ歩いていった。
キリト、君は充分過ぎる程に強い。
僕なんかじゃ足下にも及ばないくらいだ。
僕なんか血盟騎士団に入らなければ、既に剣を放っていたかもしれないというのに。
自嘲の苦笑を浮かべると、遠くで唇を尖らせたアスナが「なに話してたの?」と言うとそれに対しキリトが「な、なんでもないですよ。アスナさん。そう、なんでも。」という対話が聞き取れた。
キリトは何も変わらない。
変わったのは僕の方だ。
あの時、あんなことが無ければ、僕はキリトとコンビでここまでたどり着いていたかもしれない。
先程のように心配はしてくれるものの、彼はほとんど気付かない範囲で僕を避けるようになった。
あんなことがなければ。
キリトがふともう一人のユニークスキルを持つ剣士、神聖剣ヒースクリフを一瞥したのに気付いた。
釣られて自らも団長を見ると、団長のヒットポイントはイエローゾーン(約50パーセント)にすら届いていなかった。
団長の噂は絶えることはないが、最も有名な噂の一つが彼のヒットポイントバーがイエローゾーンに突入したのを誰も見たことがないというものだった。
刹那。
キリトが団長に向かって全速力で駆け出すのを見た。というより感じた。
一瞬の出来事に何が起きたのか解らなかったが、団長にキリトよりかなり近い距離にいた自分の体を二人の間に滑り込ませ、キリトが抜いた獲物を自らの片手直剣で受け止め、鍔迫り合いになったところでハッと自分の意識が戻る。
「くっ…。」
意外な邪魔が入りキリトは動揺していた。
「これはどういうことかな?」
団長の冷たい視線が僕の背筋を貫通してキリトを睨むが、臆した様子もなく黒の剣士は答えた。
「いいや、ただの勘違いだといいんだがな。俺にはアンタがこの世界の創造主と被って見えるね。」
僕の剣と重なった彼の剣がギリギリと軋む。
「ほぅ。かの茅場氏と私が…ということかな?」
その言葉に対しキリトが頷く。
団長が2、3秒程の沈黙の後に彼に問いかける。
「何を根拠に君は私と彼を重ねて見たのか、興味深くはあるが…残念だが物語はそう簡単にいくものではないよキリトくん。」
「そうか。ならいいんだがな。」
そう言って剣を己の背中にしまい、付け加えてこう言った。
「それなら…すまないが証拠を見せて欲しい。アンタのそのグリーンゾーンのままのHPバーが何を語るのか。」
団長は嬉しそうに笑みを溢し、血盟騎士団副団長であるアスナを呼んだ。
「アスナくん。君にお願いしよう。私を刺したまえ。」
「えっ…」
意外な発言にアスナは息を飲む。
「き、危険過ぎます団長!」
「私が死なない手加減の調整くらい、君なら出来るはずだ。」
「しかし…」
渋るアスナにヒースクリフが付け加えた。
「私なら大丈夫だ。君はオレンジになってしまうが、私の血盟騎士団の力でグリーンに戻るまで君を支援しよう。」
オレンジというのは普通のプレーヤーがグリーンと呼ばれるのに対し、犯罪を行った者のことを指す。
実際に相手を視認するときに頭の上に出るカーソルが犯罪を犯した者はグリーンではなく、オレンジの色あてがわれる。
ちなみに最も重い罪である殺人は、レッドにカーソルが変化する。
「それじゃあ、俺がやってもいいんだな?」
アスナを手で制したキリトが前に出る。
「確かに、君が言い出したことだったな。君にはあるのか?オレンジになる、人を斬る覚悟が。」
そう言って団長が一歩踏み出し、腰の後ろで組んだ右手の人差し指と中指が僅かに縦にスライドし、人差し指が何かを押したように見えた。
が、他に誰も気づかなかったようなので気のせいだとしてこの場は流す。
団長の問いかけに対してキリトが答える。
「殺さなければ何も問題ないさ。それに俺はソロだ。たった数日オレンジになったところで何も変わらない。」
そう言いながらキリトは僅かにこちらに視線をよこし、再び団長に向きなおった。
「君がそう言うのなら私は構わないがね。さぁ、一思いにやりたまえ。」
と、そこで横槍が入る。
「そ、そりゃねぇぜ。ブラッキーの兄ちゃんよぉ。」
と、暫く互いにのやり取りを見ていた赤い服に赤いバンダナを目深く被った男…確か名前はクライン。
風林火山という六人で構成されるギルドのリーダーがキリトに非難を投げ掛ける。
「クライン…だったかな。悪いがコレは俺と彼の問題だ。」
とキリトが対応すると同意したようにヒースクリフがクラインを見て頷く。
「まぁ、アンタがいいなら俺ァいいけどよ。」
と言いつつも、不躾にキリトを睨んでいる。
「大事になってしまったな。もし、私が茅場氏でないと証明出来たら…そうだな。君には血盟騎士団に入ってもらおうか。」
隣でアスナが何故か嬉しさの混じった声で「えっ!?」と漏らしたのを聞いた。
「たったそれだけならむしろありがたいぜ。ソロ攻略にもそろそろ限界が来てたしな。」
と皮肉を言いながら、キリトは僕とアスナを順番に見て、もう一度背中から右側だけ獲物を抜いた。
「いつでもやるといい。」
ヒースクリフの言葉と同時にキリトが切り込む。
「はあああああああ!」
彼が繰り出したのは、片手直剣基本スキル突進技
【レイジスパイク】
なにもソードスキルまでださなくても、と考える暇もなく、刀身は彼を貫いた。
HPバーがイエローを通り越してレッドゾーンに突入したところで
「ヒール!」
とアスナが唱えるのが聞こえた。
アスナは続けて、キリトの足を凪ぎ払い、柔道技のように見える何かの技で彼を地面に押し付けながら言った。
「もう、いいでしょ。」
悔しそうに喘いだあと、キリトがそれ答えた。
「ああ。アンタは正真正銘、血盟騎士団団長の神聖剣ヒースクリフだ。」
その言葉を聞いてアスナが「ふぅ」と安堵したように吐息を漏らし
「団長。」と言いつつ、きつく結んだ唇を表情に交えながらヒースクリフの眼を見た。
「では、キリトくん。君は今日からKOBの一員だ。」
団長がキリトに手を差し伸べるが彼はそれを拒否し、尻をはらって立ち上がる。
それに何を思っているのか無表情な団長が声を上げる。
「ここにいる全員に私から頼みがある。」
団長の言葉にボス部屋中がざわめく。
かれらの動揺に答えるべくヒースクリフは穏やかに告ぐ。
「皆にはこの場でのことは黙秘して頂きたい。今日の私や彼の戦闘を見た上で文句のある者はいるかね?」
全員が黙ってシンとしているのを確認して頷いてから続けて言った。
「この噂を広める者があれば容赦はしない。」
そう言って団長はこの場を解散さ せ、ボス部屋のアクティベートを先程のクラインたち、風林火山に任せてキリトに告げた。
「君の力、二刀流を是非とも頼みにさせていただきたい。」
団長が、アスナから解放されて座っているキリトに手を伸ばす。
「どうせ、それも命令になるんだろ。」
と皮肉を述べるキリトに対して団長はあくまでも穏やかに告げる。
「無論だ。」と。
第76層 アークソフィア
スカルリーパーを倒したあと俺達は ボス部屋をあとにし、第76層、アークソフィアへと足を踏み入れた。 アークソフィアの建物は西洋の造りをしていて、それでいてどこか懐かしい。
「あ、そっか。第1層の始まりの街に外装が似てるからか。」
勝手に納得して独り言のように呟くと、隣から声があがる。
「ホントだねぇ。なんだかあの頃を思い出しちゃうなぁ。」
感慨に耽っているのか、連続で色々 な思い出を掘り起こしているのか、憂鬱、苦しみ、憎しみ、悲しみ、哀 しみ、怒り、そして最後に喜びの表情をしたアスナがこちらを向いて言った。
「なにはともあれ、君と出会えたことに感謝しなくちゃね。
このソードアートオンラインには。」
一瞬狼狽したのちに、アスナの言葉にどう返事したものかと思考を巡らせてから答える。
「そ、それはそれは。有り難きお言葉。ご光栄でございまする。」
冗談めいた返事に彼女はクスッと笑い、「まるで平安時代の人だね。」と、ややもズレたツッコミに俺は苦笑せざるを得なかった。
そう話をしていた辺りで、先に階段を上がっていった、巨漢の禿頭、真っ黒に焼けた肌をもつ、両手斧の 使い手エギルが人差し指と中指を当てていた額から俺に向かって僅かに 放射状に飛ばす。いわゆる軽い挨拶というやつだ。何をやっても似合うやつだと考えていると、
「さっきの闘い、見事だったぜ、キリト。」
と、言われながらも、その裏に含む言葉があることを予測して、「あぁ。」とだけ返事をして相手の言葉を待つ。
「ふっ。お見通しってか?そうだ、 聞きたいのはそちらの方だ。キリト。ヒースクリフに斬りかかったのは冷静な判断とは言えないな。お前さんにしては珍しい行動だったじゃないか。」
やはりそのことか、と頭を抱えそうになる自分をどうにか押さえつけ、俺は先程の自分の考えを語ると、エギルは納得したようにうんうんと頷いた後でこう言った。
「だが、結局は彼は単なる超人でしかなかった。ということか。」
単なる超人って矛盾した存在だなと、感じながら言葉を返す。
「茅場はどこかで見ているはずだ。 」
と返事にならない言葉で。
先の言葉が裏切られるように、その声が告げた。
「案外そうでもないかもしれないよ、キリト。」
「どういうことだ。」
神妙な表情をしたキリトが僕を見る。あの日以来、彼を見るとやけに胸が痛む。
「僕、見たんだ。君たちの方からは見えないように真後ろにいた僕を盾にして彼は…」
そこで言葉につまり、キリトから目を反らすと、いきなり凄い勢いで肩を掴まれ、「ぁんっ」と僅かに喘いでしまい、その恥ずかしさに、一瞬見たキリトから目を反らしたかったが、ものすごい剣幕をして、更には震えているのがわかり、硬直してしまう。
「やつは、奴はなにをしていたんだ!」
明らかに冷静さを欠いたキリトが僕の肩をこれでもかというほどに強く掴んで、ガクガクと揺らす。
「痛い、痛いよキリト!」
「言えよ!奴は、奴は何をっ…!」
「お、おい、キリト!」
「ちょっ…なにやってるの!?キリトくん!!」
アスナに突き飛ばされてようやく我に帰ったのか、彼は今の自分の行動に頭を抱えていた。
「すまない。乱暴するつもりはないんだ。ただ、奴が本当に茅場なら…」
「気持ちは分かるよ。僕ももう、団長は信じられない…し。」
そう言って地べたに座ったままのキリトに手を伸ばした。
本当は肩を掴まれた時にはハラスメントコードが出ていた。
ペインアブソーバーが働いているのにも関わらず、痣ができたかのような痛みがまだ僕の肩をじんじんと刺激しているのを感じる。これもあのときの償いの一つなのか、と一瞬思考を巡らせる。
立ち上がってから、ふぅー。と一度深呼吸してからキリトが再び僕に問いかけた。
「本当に悪かった。」
それで、と続けると
「あいつは、ヒースクリフは…何をしたんだ?」
僕が自信なさげにありのままを伝えると、彼は納得したように頷き、俺は間違ってなかったと結論づけた。
「アイツは何を思って、どう考えてこの世界を創ったんだろうな。」
ふとそんな疑問がキリトから発せられた時、僕はとある疑問について考えていた。
「わからない。けれど、前にキリトは言ったよね。この世界が俺たちにとって現実だ。って。茅場がこの世界を創ったのも、同じ理由なんじゃないかな。僕たちをここに閉じ込めることを踏まえて。」
「そうだな。そうかもしれない。この世界はヒットポイントがゼロになれば俺たちは向こうの世界でも死ぬ。でも、それだけじゃなくて、人と人とが交わり合う時、ご飯を食べる時、寝る時でさえも、俺たちはここで生きてきたんだよな。それは全て現実に俺たちにあったことで、たとえ向こうに戻ったとしても、ここであったことは忘れたりはしない。」
「そうだね。私もキリトくんやユーリ、みんなと出逢えたことは、私にとって生涯の宝物。それは誰にも否定できはしない。」
隣でエギルさんが俺は個人じゃなくてみんなに含まれるのか、と嘆いていたが触れることなくキリトは続けた。
「あぁ。長らく考えることを止めていたよ。そうだったな。俺たちは今もこうして現実に生きている。ユーリが言うようにやつも現実にしたかったのかもしれない。この世界を。」
キリトは過去に想いを馳せるように、一瞬遠くを見つめたあと、だから、と続けて
「だから奴を許すわけにはいかない。本当にヒースクリフが茅場なら、答えは単純明解なんだがな。」
と言ったキリトの双ぼうは怒気に満ちていた。
僕には彼の次に続く言葉が何なのかがわかっていた。
「あの男を殺すしかない。」
キリトの言葉には深い重みがあった。彼と僕が共に行動することを辞めた第46層以降、彼は何を想い、どう過ごしてきたのか。彼のことだ。多分色々なものを犠牲にしてきたのだろう。色々背負ってきたのだろう。彼の言葉一つ一つが胸に突き刺さるようにして僕を苦しめる。
ああ、キリト。
君はなんて遠い所にいたんだ。僕はずっと君を追いかけてきたけれど、近づくどころか君はどんどん遠く離れた存在になっていく。
そこでやはりこの結論にたどり着く。
やっぱり僕はバカだ。
思考が完結したここで、先程からの疑問を投げ掛けることにした。
「あのさ、話は変わるんだけど、その、ヒットポイント減少を阻止する操作を解除するのって、そんなに簡単なのかな。僅か1、2秒、それも目視せずして出来ることなのかな。」
ハッ。と三人の息を飲む声が聞こえる。
その瞬間、何かに思い至ったように三人が顔を見合わせて互いに頷きあう。
僕には何が何なのかわからず、あたふたと困惑するしかなかったが、答えを明かすようにしてキリトが言った。
「い、いいか。落ち着いて聞けよ。」
と、さっきあれほど動揺していた彼が僕の双肩に両手を置き、諭すようにして続けた。
「ユーリが言ったように、ヒットポイントに関する操作のみを特定して、見ることなしに短時間で操作を行うことは無理とは言い切れないが、99%ないに等しい。この世界では色々ややこしい設定があるからな。つまりは…」
彼はそこでゴクリと喉を鳴らしてから続けた。
「つまり、あの短時間、この世界で唯一奴がもつゲーム運営管理権の全権限を、俺たちと別れるまで放棄していた可能性が高い。」
彼の言葉はそうとうに動揺しているのかぶつ切りにして語られるが、そんなことなど意に介さなくなるほどの衝撃を受けたことを多分僕はこの先この世界をクリアすることが出来て、生きていくことが出来たとしても忘れることは出来ないだろう。
「あ、ああ…。」
意識の枠から外れたとこで、僕の喉から掠れた声が漏れるのが聞こえ、頬が紅潮して熱くなり、鼻の奥がきな臭くなったあと視界がぼやけるのを感じた。
僕が、僕がやったのか。
自分ですら推し量ることの出来ない数多の感情、特に後悔が僕の心を酷く蝕んでいく。
僕があの時キリトの攻撃を防がなければ。
あるいは団長がメニューウインドウを開いたその時にキリトに伝えていたら。
そう考えるだけでいたたまれなくなって、自らを罰したいという黒い衝動に襲われ、気付けばその場から全速力で逃げ出していた。
溢れた雫は宙を舞い、滑らかな曲線を描いたのちに地を湿らせた。
振り向き様に見たキリトは片腕を力なく水平に上げ、呼び止めるか否か躊躇している表情で、足が地面に根を絡ませていた。
さよなら。僕の親友。
キリト。
「キリトくぅーん。」
剣呑な表情のアスナが俺の顔を下か ら見上げる。
エギルも冷ややかな目で俺を見ていた。
「あれ、あれは俺が悪かったのか? いや、ちょっと待て。確かに肩を掴んだところは俺に非があったと認める…というかそれは勿論なんだが…今のに関してはさすがに反論させて貰うぞ。」
「君に反論の権限なんてあったかしら?んー?」
色々な意味で怖いですよ、アスナさん。とは言えずに「すみません。」 と萎縮してしまう。
「まぁ、あれだな。キリトはもっとデリカシーに気を配るべきだな。」
とエギルが言いながら俺の背中をバ シバシと叩く。
ペインアブソーバー抜きで普通に痛いんだが。
と言いかけたところでアスナが
「あれ?」と頓狂な声をあげた。
「そういえば、全権限を放棄したか らといって、自動機能(オートシステム)として作動しているんなら話は別物なんだけど。」
とアスナが言ったのに対し、驚くこともなく答える。
「だから言ったじゃないか。可能性が高い。って。
勿論その可能性も考慮しての発言であってだな、っぐぇ。」
後半言葉が乱れたのはアスナの閃光たる所以の不可視のレイピア…ではなく、平手打ちが飛んできたからだった。
パァンッ。という見事な音が聞こえた時には、俺の体は右に大きく反れていた。
「最低。」
とだけ告げて、閃光のアスナは回れ右して大股で歩いてゆき、やがて見えなくなった。
俺の肩に手を置いたエギルが大人のアドバイスというやつを投げ掛けてきていたが、俺の耳には半分も入らなかった。
それほどにこの一連の出来事は俺の心に深く突き刺さった。
ちゃんと考えて、明日謝りに行こう。
二人に。
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