シベリアンハイキング
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タルクセナート
オングンとべスリム
その開けた土地には粗末だが小屋がいくつか有り、更に数人の部下と思われる人々が雑務をこなしつつ、頭目たるドミトリーの帰りを待っていた。皆一様に黒や茶色の布を頭に巻き付け目が辛うじて見えている程度であった。
「皆が皆、顔も見せず気味悪かろうが許してくれ。」
ユスフは全く気にしないと応えた。
辺りを見回す。いくつかの小屋はかつて炭鉱夫の住居用として使われたものと、作業用の小屋といった具合にいくつか用途に別れている様に見えた。中央の比較的スペースのある広場では、細々と燃える焚き火を囲むように粗末なテーブルと椅子が野晒しで置かれているおり、恐らく食事や話し合いの類いはそこで全て行われていると思われる。
「オングン。客人を小屋に案内しろ。」
ドミトリーに指示され、オングンと呼ばれた部下の一人が椅子から立ち上がりユスフを先導する。着いて来いという手招きだけで、会話は一切ない。オングンの後を馬を引き連れて奥へと歩いて行く。すると、しばらく歩いた所で、突然オングンが立ち止まった。丁度右手の方、小屋と小屋の間のスペースに木箱がある。次の瞬間オングンは懐からダガーを取り出し、木箱に向かって一閃を放った。
「ダンッ!!!」
木箱に刃が根元まで入った。すると、刺された木箱の背後からオングンと同じ格好、すなわち茶色の布を顔に巻き付けた格好の人影がスッと立ち上がった。オングンが問う。
「べスリム。何の真似か?」
べスリムと呼ばれた者が冷たい視線をユスフに向け、応えた。
「誇り高き我が軍に、ルースの手先が何故いる!?恐らくその男、ハーンの首を狙っている。ハーンを御守りするのが我らの仕事。故に見張っている!」
オングンが語気を若干強めて反論する。
「連れてきたのはハーン自身であり、お前のやっていることはハーンの意思に背くことだぞ。」
返す言葉が無かったのか、べスリムはユスフを数秒睨み付けた後何処かへ行ってしまった。オングンは再度歩き出した。
「気になさるな。奴が殊更、西の人間を嫌っているだけだ。」
僅かないさかいと、一応の詫びを聞き、ふとここにきてようやくこの顔の見えぬ人々に輪郭らしき物が与えられた。ユスフにはその様に感じられた。
さて、ユスフが通されたのは、人一人が漸く寝れる大きさの寝台と、荷物が置ける程度の場所が確保された粗末な丸太小屋であった。馬からひとしきりの荷物を運び込む。そしてそれが終わると再度広場に戻って来た。テーブルを挟んで、ドミトリーの向かいの席に座る。
「して、ユスフ。お主はモスクワの役人から、今回の仕事についてどの様な話を聞かされているのか?明日の仕事の前に聞かせ願いたい。」
出された茶をすすり。ふとユスフはなんと説明しようかと思案した。が、特に隠しだてする必要も無いと思いそのまま言うことにした。今はクレルバートで教師をしており、その前に数年モスクワで仕事をしていたこと。今回はその時の上司から呼び出されたということ。そして、何をやるかは全く聞かされていないということ。そんなことを淡々と話した。一方なドミトリーはそれを静かに聞いていた。そしてユスフの一通りの説明を聞いた後に口を開く。
「わかった。実は後程そのモスクワの役人の使いが来ることになっている。そこで我々もようやく仕事の詳細を知ることになる。なのでお主と我々は平等に目的が知らされていない。よかろう、一先ずお主は信頼に足るようだ。しかしながら、都会から来た一教師にここら辺の山賊風情と仕事をしろとは国もまた変なことを言う。」
確かにその通りだとユスフも思った。その同意の意思表示の代わりに茶を飲み干した。するとその時、遠くの方から数頭の馬の群れの足音が聞こえて来た。
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