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Raison d'etre

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二章 ペンフィールドのホムンクルス
  11話 望月麗(3)

「これ、すっごく可愛くないですか?」
 昼食を終え、二人は適当に大通りを散策していた。
 アクセサリーの並んだウィンドウを見て、麗が歓声をあげる。
「ん、どれ?」
「あれです。翡翠色の細工が入った指輪」
 照明に照らされて明るく輝く、しかしながらあまり主張しすぎない指輪があった。
 可愛い、というよりも綺麗だと優は思った。
 亡霊対策室からの給与で払えないこともない。しかし、初デートで指輪をプレゼントするのは憚れた。
 優は麗の意見に同意するだけに留めた。
 麗も買ってもらおうとまでは期待していなかったようで、同意を得られた事に満足して再び足を進めた。
「つ、次は向こうのお店見たいです!」
 そう言って、麗は優の手をぎこちなく取って、駆け出した。
「わっ」
 急に引っ張られ、驚きの声を出す。
 暖かい麗の手は、不自然なほど固くなっていた。
 ――絶対無理をしてるよなぁ。
 麗からは無理に親密になろうとしている印象を受ける。
 違和感を覚えながらも、優はそのまま何も言わず買い物に付き合った。
「麗ちゃんは、こうやって良く街に出かけるの?」
「入隊した当初は、よく出かけました」
「今は出かけないの?」
「……一緒の時期に入隊した人がいたんです。昔は休暇を取る日を合わせてよく遊びに出てました」
 でも、と彼女は言った。
「死んじゃったんです。それからあんまり外に出かけなくなりました」
 予想しなかった言葉に、優はかける言葉を失った。
「遊んでばかりいても、ダメですよね。まずは生き残る事が大事です。それを思い知りました」
 どこかあっけらかんと麗は言う。
 中隊員が殉死するのを優はまだ見た事がない。
 しかし麗はきっと、何人もの仲間が死んでいくのを間近で見てきたのだろう。
「でも、先輩は大丈夫そうですね。初陣から僅かの時間であれだけの戦果を上げたんです。凄いことですよ」
 手を繋いだまま、麗がくるりと振り返る。
「そういう強いところも、好きですよ」
「……戦果は殆どまぐれみたいなものだよ」
「まぐれでも戦闘なんて結果が全てですよ。死んだらおしまいなんですから」
 彼女の好意の大元は、戦果に対する憧れなのかもしれない。
 まだ十四歳なのだから、そこから好意に発展して告白してきたのは十分にありえそうな事だと優は思った。
「あ、次はこのお店入りましょう。ここの雑貨すっごく可愛いんですよ」




「先輩、少し休みませんか?」
 太陽が傾き、街が鮮やかな朱色に染まった頃、麗が休憩を提案した。
「だね。少し疲れたかも」
 優は携帯で地図を出し、周辺の喫茶店を探した。
 どこもそれなりの距離を歩く必要があるようだった。
「……あの。私良い休憩場所知ってるんです。ついてきてもらっていいですか?」
 どの店にしようか悩んでいる優に麗が助け舟を出す。
 優は、任せるよ、と頷いた。
「こっちです」
 麗がぎこちない動きで優の手を握り、歩き出す。
 夕暮れの涼やかな風が麗の長いツインテールをたなびかせ、甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「麗ちゃんはこの辺りによく来るの?」
 歩き慣れた様子の麗に、疑問を投げ掛ける。
「割りと」
「もしかして地元だったり?」
「いえ」
「じゃあ、入隊してから良く来てるのかな」
「ですね」
 どこか上の空のような麗の返答に優は首を傾げた。
 少し歩調をあげ、麗の顔を遠慮がちにのぞきこむ。夕陽に照らされた麗の幼い瞳は憂いを帯び、どこか大人びているように見えて、優は少しドキりとした。二つ年下とは思えない雰囲気だった。
 何となく声をかけるのが憚れて、黙りこむ。
 風に揺れる麗のツインテールをぼんやりと眺め、優は麗の小さい歩調に合わせて歩き続けた。
 遠くからサイレンの音が響く。
 赤く染まった景色と、使い古されたサイレンの音が妙にノスタルジックな気分を思い起こさせた。
 ふと、古い記憶が蘇る。似たようなサイレンが響く中、血のように真っ赤な夕陽が差し込む部屋で、母が泣いていた気がする。
 響くサイレンの音と、外の喧騒に幼い頃の優は怯えていた。母は優の不安を和らげようとするように優しく抱いて、大丈夫だから、と何度も囁いてくれたものだ。
 しかし、優しく抱き締めてくれた母の細い腕も恐怖に震えていた事を優はしっかりと覚えている。
 今思えば、あの『大丈夫』という言葉は優に向けられたものではなく、自分自身に言い聞かせる為のものだったのではないかと思う。だから、私はあの時――――私は――?
 鋭い痛みが頭を走った。
 私、とは誰だ?
 そもそも、これは一体何歳の頃の記憶だろうか。
 記憶の向こうで鳴り響くサイレンは何だ。
 亡霊の襲来を示す避難サイレンだろうか。
 思い出せない。
 頭の中が混濁している。
 遠い過去の記憶は靄がかかったように不明瞭で、曖昧に満ちたものだった。
「先輩」
 麗の声がした。
 優の意識は思考の海から現実へと急浮上していった。
 きらびやかなネオンの光が視界を覆う。
 知らない場所だった。
 テレポーテーションをしたような不思議な感覚に一瞬だけ襲われる。
 一体どれくらい歩いたのだろう。
 目の前には、麗の顔があった。
 その瞳は、不安そうに揺れている。
「桜井先輩」
 彼女はもう一度、優の名前を呼んだ。
 繋いた麗の手が若干汗ばんでいることにそこで初めて気付く。
 もしかしたら麗だけでなく、自分も少し汗をかいているかもしれない、と思った。
「よろしければ、ですけど」
 彼女が、躊躇するように言う。
 ゆっくりと。
 優の瞳を真っ直ぐ見つめて。
 繋いだ手を強く握って。
「ここで、休憩しませんか?」
 何でもない風に、彼女は言った。
 彼女の後ろの建物に、目を移す。
 ホテルだった。カップル向けの。
 優はそこでようやく、自分たちがホテル街に立っている事に気づいた。
「ここ、って――」
 掠れた声が出た。
 二歳年下の、まだ十四歳の麗から提案された事がすぐには飲み込めなかった。
「休憩、できるみたいですよ。泊まり以外でも使えるらしいんです」
 夕日に照らされて、麗がはにかみながら言う。
 その頬は夕日以外の効果で朱く染まっていた。
 彼女がこの建物の意味を理解した上で休憩を提案しているのは明らかだった。
「……あんまり説教みたいなことは言いたくないけど」
 麗の視線を真っ直ぐと受け止めながら、慎重に言葉を選ぶ。
「僕たち知り合って間もないよね。ダメだよ。そういうのは、ちゃんと段階を踏んでからじゃないと」
 年上として諭すべきだと思った。しかし、結果的に失敗した。
 優の言葉が終わる前に、麗が叫んだ。
「よく考えた上での判断です! 遊びとかそんなんじゃありません! 私、本気です!」
 夕陽が逆光になっていて、麗の表情はよく見えない。
 しかし声は決意に満ちたもので、それだけで彼女が真剣なのだとわかった。
「先輩って好きな人いないんですよね」
「……うん、いないよ」
「じゃあ――」
 麗が一歩踏み出す。
「――私を好きになってください」
 更に麗が一歩踏み出した。
 麗との距離がゼロになり、甘い香りが優を包み込む。
 唇に柔らかな感触が触れた。
 目の前には、夕陽で燃えるように赤く染まった麗の瞳。
 至近距離で、彼女と視線が交差した。
 彼女の唇がそっと離れる。
「私じゃ、ダメですか?」
 一歩下がりながら、麗が不安そうに言う。
 ――何故、こんな顔ができるんだろう。
 数日前に麗から告白された時もそう思った。断った時、彼女は本当に悔しそうな顔をしていた。
 会って間もない人に対して、果たしてここまで一生懸命になれるものだろうか。少なくとも自分には無理だ、と思う。
「先輩」
 麗の透き通った声が響いた。
 茶色がかった大きな瞳が優を射抜く。
 その瞳に吸い込まれるような錯覚に優は陥った。
「答えを、聞かせてください」
 喉がカラカラだった。
 心臓が早鐘のように打っている。
 唾を飲み込む音が妙に大きく聞こえた。
 反対に、周りの喧騒は遠ざかっていく。
 優は答えを出す為、口を開き――
 その時、けたたましいアラートが優と麗の両方から響いた。
「あ――」
 麗の呟くような声を無視して、音の発生源である端末を取り出す。
 ディスプレイには、全中隊に対しての出撃準備命令が表示されていた。
「出撃命令だ」
 優の呟きに、麗が呆然とした様子で端末を取り出す。
「全小隊に出撃準備命令、ですか? つまり、予備戦力は残さない? どういう事ですか?」
 脳裏に数時間前に感じたESPエネルギーの異常な膨張がよぎる。
 恐らく、普通の亡霊の出現ではない。何らかの異常事態が発生しているようだった。
 間髪置かずに端末に着信が入る。保安部の中村からだった。
『保安部の中村です。中隊の全てに出撃準備命令が下りました。これから迎えに上がります。大通りに出て下さい』
 優は麗を見た。
 麗が無言で頷く。
 二人は赤く染まった街を一斉に駆け出した。 
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