Raison d'etre
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一章 救世主
8話 長谷川京子
「桜井君おはよう!」
「おはよう」
寮棟の廊下ですれ違う少女の挨拶に手を振って応える。
復帰してから五日経った。華たちのおかげか、最近は前までのように変に距離感を感じることなく、誰からも普通に接してもらえるようになった。見知った顔をも増え、ようやく溶け込めた事が実感できるようになってきた。
あくびを抑えながら一番近い食堂に向かう。食堂に行くためにはいくつかのセキュリティゲートを抜けなければならない。セキュリティゲートはセキュリティレベルの異なる区間に存在し、それぞれのセキュリティレベルに合わなければ弾き出される。このセキュリティエリアは各下位組織のセキュリティポリシーに沿ったレベル分けをされている。例えば特殊戦術中隊の寮棟には殆どの者が入れないし、逆に中隊員は情報部や防諜部などの関係ないエリアに入れないようになっている。
寮棟から中枢エリアへ移り、一階に位置する賑やかな食堂に入る。券売機の前に数人が並んでいるのを確認し、優は最後尾に並んだ。列を待つ間を利用して華の姿をキョロキョロと探す。どうやらまだ来ていないようだった。
列が進み、優の番になる。優は迷わず朝食セットを選び、券を抜き取った。
「桜井、一緒に食べない?」
不意に後ろから話しかけられて、振りかえる。同じ第一小隊に所属する長谷川京子だった。茶色に染めたショートカットに、ぱっちりとした目から活発的な印象を受ける。京子が華の友人であったことも手伝って、最近はよく話すようになっていた。
「いいよ」
頷くと京子はにっこり笑みを浮かべ、目線で一つのテーブル席を差した。
「じゃ、席あっちでいい?」
「オッケー」
京子の後に続き、比較的奥の席に座る。
京子の前にはラーメンが置かれていた。優の顔が軽く引きつる。
「朝からラーメン?」
「そ。栄養つけないとね」
京子はそう言って笑った。ラーメンに栄養があるのかは疑問だったが、カロリーは高そうだな、と考えながら優は自身の朝食セットに箸をのばした。
「あ、華! こっち!」
京子が不意に優の背後を見て声を張り上げる。京子の目線を追って振り返ると、華がトレイを持ってこちらに向かってきているのが見えた。
「篠原さんも朝食セット?」
「うん。大体毎朝これだよ」
「朝からラーメン選ぶ人の方が少ないよね」
そう言って、ちらりと京子に目をやる。京子は特に気にした風もなく、食事を続けている。そこから何となく視線を横に逸らすと、テーブル越しにある少女と目が合った。
肩口で揃えられた黒い髪に、ぱっちりとした瞳。第三小隊長、佐藤詩織。詩織が迷った様子を見せながら口を開く。
「あの……、ご一緒していいですか?」
「え、あ、うん! ここ空いてるよ!」
華が意外そうな顔をした後、慌てたように答える。そんな二人を優は怪訝な目で見た。
二人はあまり仲が良くないのだろうか。そんな事を考えている間に、詩織は優の斜め向かいの席に腰を下ろした。
「佐藤さんも朝食セット?」
「は、はい」
優が声をかけると、詩織は大袈裟な程肩を震わせた。それを見て、やっぱり変わった子だな、と思う。いつも向こうから接触してくる割に、反応だけを見ると嫌われているように見える。優は小首を傾げた。
「そういえば、明日から休みだよね。何か予定ある?」
京子が顔をあげて優達を順番に眺める。優はふとある疑問を口にした。
「休み中って外に出られるの?」
京子が怪訝な顔をする。
「当たり前じゃん」
「遊んでる間に亡霊が来たらどうするの?」
「小隊ごとに休みの日がずれてるの。亡霊が出た直後だと三つくらいの小隊に同時に休みが出たりするよ」
華の補足で、優は納得したとばかりに頷いた。
「あ、でも入隊した時、勝手に外に出ないよう何度も注意された記憶が……」
「勝手に出たら駄目だよ。総務部に外出許可届出さないと」
「私達、一応特殊公務員だしね。手続きさえ踏めば殆ど何でもできるんじゃない?」
京子はそう言って、再び食事を再開した。
優は中隊に入ってから外に出てない事を思い出し、機会があれば出てみようかな、と思考を巡らせた。
◇◆◇
「司令……?」
神条奈々が司令室のデスクに座ってじっと考え込んでいると、副司令である長井加奈から遠慮気味に言葉を投げかけられた。奈々は我に帰って、視線を加奈に向けた。
「何か報告?」
「いえ、司令、ずっと考え込んでいるようですが、何か問題でも発生したのでしょうか?」
奈々は無言でディスプレイを指差した。不安そうな様子で加奈がディスプレイを覗きこむ。
「……これは」
奈々が示したディスプレイには、戦略情報局から送られてきた訓練カリキュラム変更の通達と広報活動に関する通達が映し出されている。加奈はそれを見て不思議そうな顔を浮かべた。
「SIAからですか」
戦略情報局(SIA)はユーラシア連合の台頭に伴って創設された情報機関だ。統合幕僚監部から独立しながらも、各軍と連携を取りながら対外的な諜報活動も行っている。その権限は年々強化され、過ぎた干渉が問題視されている。
「そう。それで、具体的なカリキュラムがこれ」
奈々はそう言ってコンソールを叩いた。画面が切り替わり、簡素なマトリックスが表示される。途端、加奈の瞳に警戒の色が宿った。
「何ですか、これ?」
ディスプレイに映し出された新しいカリキュラムは従来のカリキュラムとは違い、個人技能の習熟に焦点を当てたものだった。対亡霊戦では複数の小隊を並行して運用する為、個人技能の習熟は実戦では効果が薄い。その為、これまでは集団戦を想定した飛行訓練や隊形移動を中心にしたカリキュラムが組まれてきた。
「何の為だと思う?」
奈々はディスプレイを眺めたまま立ち尽くす加奈を見やった。加奈は何も答えない。奈々は再びコンソールは叩いた。
「次にこれが広報活動に関する通達」
画面が切り替わる。すぐに加奈の瞳に驚きの色が宿った。
「優君をメディアに露出させる? 彼、未成年ですよ」
ディスプレイには、広報活動に桜井優を起用するという旨が長々と表示されていた。顔写真に映像、そして本名の公開。また、その公開に関するメディアの選別も既に終わっているようだった。予算、そして、期日までもが明記されている。
「たった一人の男性ESP能力なのだから情報を開示する社会的責任がある、という建て前でしょう。けど、社会的不安を取り除く為に偶像化される事は避けられない」
「プロパガンダ、ということですか?」
「そう捉えても問題ない。それとね、まだ言ってなかったけど、今朝ある報告があったの」
奈々はそう言って再びコンソールを叩いた。途端、画面にヒストグラムが表示される。
「珍しい形をしていますが、標本はなんですか?」
興味深そうにヒストグラムを見ながら、加奈が問う。ヒストグラムはガウス分布に近い形をとりながらも、山から遠く離れた右端に一つだけ点がある。
「中隊員の瞬間出力ESPエネルギーの分布よ。横軸はESPエネルギーの瞬間出力量、縦軸は該当人数を示す。見た通り左の山は綺麗な形をしているでしょう? 平均的な出力量を持つ中隊員が一番多くて、ずば抜けた出力量や出力量が乏しい人は人数が減っていく。でも、この山から離れた存在が、右に一点だけある」
奈々はディスプレイの右端を指差した。そこには一人の分布を示す小さなバーが盛り上がっている。
「さっきも言った通り、横軸はESPエネルギーの出力量。つまり、一人だけ瞬間出力ESPエネルギーの突出した存在がいる」
「まさか、優君ですか?」
加奈の言葉に奈々は頷いた。加奈が混乱したように額を押さえる。
「まさか、だって、最初に計った時はこんなに……」
「そう。入隊時に計った瞬間最大出力量は平均より少し高い程度だった。でも、彼が復帰してから再計測した結果がこれ」
加奈が息を呑む。
「短期間でこれだけ成長したって事ですか? いえ、そもそも出力エネルギーが上昇するなんて、聞いた事がありません。彼女たちの超能力は、訓練によって伸びるものではないはずです」
「そのはずだった。でも、実際に彼の出力エネルギー量は増大している。成長したというよりは、顕在化しただけかもしれない。これから成長する可能性は低いでしょう。でも、これで戦略情報局が干渉してきた理由が大体理解できる」
「個人技能の習熟というのは、優君を切り札にする為ですか? そして、その戦果をプロパガンダにフィードバックする?」
加奈の推測に対して奈々は、どうかしら、と否定的な態度見せた。
「その逆かもしれない。優君以外の中隊員の個人技能を上昇させる事で、彼の影響力をコントロールできる範囲に抑えようと考えている可能性が高い」
統合幕僚監部、及び戦略情報局の望みは安定した戦力の供給だ。彼らはシステムに組み込まれた救世主を求めているが、コントロール不能な爆弾を抱え込むつもりはない。
「司令……どうするんですか?」
「カリキュラムの変更については実務に悪影響が及ぶ可能性があるとして抗議する。でも、プロパガンダに関してはこちらに拒否権はない。もう四幕の間でシナオリが作られてしまっている。後は、何とか細かな要求を付け加える事しかできない」
奈々は唇を噛んだ。
「少し、風に当たってくる」
加奈に言葉を残し、奈々は司令室を出て、当てもなく無機質な白亜の廊下を進んだ。
脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。人前では気丈に振る舞い、陰で泣いていた孤独な少女。
──柊沙織ひいらぎ さおり。史上初のESP能力者。そして、ESP能力者発見後の初めての戦死者。
マス・メディアに救世主としての役割を与えられ、その役割に殉じた十六歳の子ども。
当時、奈々は一切の感情を殺し、効率を求める事こそが強さだと信じていた。そして、その結果柊沙織は死んだ。奈々は彼女を助けられなかった。奈々の指揮こそが、彼女を殺す事に繋がった。
史上初のESP能力者。そして、史上初の男性ESP能力者。一人の少女と、一人の少年の笑顔が頭の中で重なる。二人が持つ雰囲気は、酷く似通っていた。恐ろしい程までに。
過ちを繰り返してはいけない。その為に、奈々はこのポストに留まり続けているのだ。来るべき日の為に。
奈々は、どこに向かっているのか自分でもわからないまま、長い廊下をゆっくりと歩き続けた。
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