Raison d'etre
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一章 救世主
4話 佐藤詩織
「本当、凄かったよ! 機械翼の性能自体が違うんじゃないかと思ったくらいだし!」
「あんた、帰ってきてからその話ばっかり……」
「確かに、初陣にしては有り得ない動きだったよね。正直うちの隊長より強いんじゃない?」
寮棟の廊下の隅で騒ぐ数人の会話を聞いて、第三小隊長、佐藤詩織(さとう しおり)は足を止めた。
桜井優。史上初の男性ESP能力者。どうやら初陣で成功をおさめたらしい。
男。その存在が詩織には別の世界のものであるかのように、遥か遠くに感じられた。
ESP能力の発現に性差がある事は初期の段階から指摘されていた。それは年を追うごとに懐疑の必要すら感じさせない統計的事実として受け入れられ、ESP能力の発現原因を探る数少ない手がかりとなった。ESPエネルギーは女性性器で生成されるなどと言ったくだらない噂も流行った。染色体などに起因する先天的な能力であるとして一時期活発な研究も行われた。故に、優が発見された時、世間の目は男である点に注がれた。研究者も優に性的な欠陥がないか、性自認はどうなっているのか、遺伝的変異が見られないか、に重点をおいた。
性、というものはある種の人々にとっては重要なアイディンティティとなりうる。平等主義の皮を被った女権主義者に、根拠なき優位性に浸る男権主義者。そうした自立した精神を持たず、自分が帰属すべきものの価値を唱えば、まるで自らの価値があがるのだと錯覚しているような人間たちは、超感覚的知覚能力を広告塔に利用しようとする事もある。
そうした帰属先と自身を同化させる行為は詩織の忌み嫌うものではあったが、詩織もまた、優が男性であると言う点に注目せざるをえなかった。
詩織は、軽度の男性恐怖症を患っていた。故に、特殊戦術中隊への招待を受けた時、詩織は迷わず入隊を決めた。男性恐怖症を患う彼女にとって、女性比が突出した特殊戦術中隊は最後の逃げ場だった。
そうした経緯を持つ詩織にとって、桜井優の登場は好ましいものではなかった。故に彼が別の小隊に配属されたことと、優が詩織の思い描く一般的な男性像に合致しなかった事は唯一の救いと言える。整った中性的な顔立ちに、手入れの行き届いたさらさらと流れる琥珀色の髪。背が低く小柄なのも相まって、遠くから見れば少女のようにも見える。その容貌は男性恐怖症を患う詩織にとって、比較的抵抗感が少ないものと言えた。
しかし、それでも桜井優が男であることに変わりない。できれば接触は避けたいが、純粋に戦力として期待ができるなら、そのうち小隊長格である詩織との接触回数は嫌でも増加するだろう。
小さくため息を吐き、訓練室へと足を進める。その時、携帯端末から警報が鳴り響いた。
今日二度目の警報。誤報かと思って、周囲を見渡す。廊下にいる中隊員も、困惑した様子を見せていた。
司令部に問い合わせようかと迷った直後、端末が鳴る。出撃命令。
詩織は硬い表情を浮かべ、出撃準備室へと向かった。
◇◆◇
出撃準備室の中、優は慣れない手付きで戦術飛行に利用する機械翼を装着していた。それが終わると機械翼の両翼端についた識別ライトの点灯を確認し、武装のチェックに移る。
手伝ってくれる人はいない。唯一の男性である優は他と区別されている。優は訓練を思い出しながら、武装のチェックを丁寧に終えた。
「異常ありません。準備完了しました」
『指示があるまで待機してて』
出撃準備室の隅に設置されたカメラに向かって報告すると、奈々の命令が返ってくる。
騒音とともに、ハッチが開き始める。その向こうに広がる夜空に優は息を呑んだ。
夜間飛行の訓練は片手で数えるほどしかやっていない。正直に言えば不安だった。
『第四小隊出撃完了。次のカウント開始。二十、十九……』
解析オペレーターの言葉に合わせ、機械翼に動力源であるESPエネルギーを送る。機械翼が展開し、横に大きく広がった。腰を落とし、飛行準備態勢を取る。
『八、七……』
深く息を吸って、吐き出す。不安はあるが迷いはない。
『三、二、一、出撃!』
一拍おいて、優は地を蹴った。同時に機械翼が翡翠の光を纏い、輝きを放つ。重力から解き放たれ、優は勢いよく夜空に舞い上がっていった。
秋の夜風が少し肌寒い。前方には光の群れ。衝突を防ぐための識別ライト。更に小隊長格や分隊長格はサインを出す為、腕に独自のライトを装備している。
『速度、高度ともに問題なし。そのまま真っ直ぐ。衝突だけはしないように注意してね』
奈々の言葉に優は前後の距離を確かめた。問題ない。
そのまま優たちは隊列を乱さず夜空を飛び続けた。何もない夜空を飛び続けると時間間隔が麻痺していく奇妙な感覚に襲われた。一時間近く飛んだ気がした頃には、流石に緊張感や不安感が薄れてきた。訓練で教わったことを一つ一つ丁寧に、冷静に思いだし、整理する。何も不安に思うことはない。ただいつも通りにやるだけだ。
『衝突予測点まで後五分。各員、兵装確認』
奈々の言葉に、全員が一斉に小銃や連結ベルトの状態を確認する。優もその例にもれず、淡々と規定通りの確認を行った。
『数は向こうの方が上よ。相手は大きく横に広がってる。呑まれないように細心の注意を払って』
夜空の彼方に敵影が見える。闇夜の中、不気味に紫色の光を放つ姿は、亡霊という名に相応しいものだった。
『構え。射程まで五〇〇……四〇〇……三〇〇……』
小銃を持つ手に汗が滲む。しかし、不思議と頭の中は冷静で冴えていた。恐怖はない。意識を集中させ、奈々のカウントに耳を傾ける。
『二〇〇……一〇〇……撃て!』
奈々の命令と同時に引き金を引く。次の瞬間、辺り一帯から同じようにESPエネルギーが放たれるのがわかった。轟音が轟き、大気が震える。凄まじいESPエネルギーの奔流が亡霊たちに向かって雪崩れ込んだ。
ESPエネルギーの波から逃れようと亡霊が散開を始める。しかし、間に合わない。中央部の逃げ遅れた亡霊が巨大なESPエネルギーの波に呑まれて消し飛ぶのが肉眼でも分かった。だが、相手は百を越える大群であり、依然として速度を緩める気配はない。
『第二射用意!』
慌ててESPエネルギーを小銃に装填する。その間にも亡霊たちは恐るべき速度で距離を詰めてくる。
『撃て!』
周囲の空気が膨張するかのような錯覚とともに、再び膨大なエネルギーが放出される。しかし、亡霊群が回避行動をとる様子がない。
『後退! 後退!』
奈々の命令とともに、やや前方の上空にいた華が小さな指揮ライトをつけた右手を振り、単純後退を命じた。それに合わせて一斉に第一分隊が後退を始める。
優はその時、先程放たれた第二射が亡霊の群れに風穴を空けるのを見た。しかし、亡霊群は止まらない。死を恐れない亡霊の行進を見て、恐怖を覚えるより先に頭の中が急速に冷え切っていく。
『散開!』
亡霊の群れから紫色に光る小さな弾が高速で飛び出した。ESPエネルギーを凝縮した弾丸だ。当たればただではすまない。
悲鳴があがり、隊列が僅かに乱れる。混乱が広がる中、最前列に位置する華が散発的な攻撃を命じる合図を送ったのが見えて、優は引き金に指をかけた。
『後退! 両翼が呑まれかけてる。中央部は全力で後退して!』
亡霊との相対距離が五十メートルを切る。隊列が大幅に乱れ始め、秩序だった攻撃が難しくなり始めるのが分かった。新たな判断を仰ごうと華に目を向けるも、いまだに散発的な攻撃命令が解かれる様子はない。優は前方に迫りくる亡霊に向かって銃撃を加え続けた。
『敵両翼が中央部に集中! 中央更に下がって!』
奈々の言葉に、中央部に位置する優は牽制を諦めて更に後退を始めた。視界に映る亡霊の数が加速度的に増えていく。
まずい。そう考えて、距離を離そうと機械翼の出力を高める。だが、遅かった。亡霊群が優の位置する中央部に深く切り込み、優目指して直線的に距離を詰めてくる。
「――っ!」
狙われている。そう直感し、優は考えるより先に高度を上げた。
「桜井君!」
機械翼の駆動音に紛れて、通信機から華の声が届いた。しかし、振り返る余裕はない。
優は高度を上げながら、下方から迫り来る亡霊に小銃を向け、引き金を絞った。刹那、亡霊の顔面部分が弾け飛び、残った胴体部がゆっくりと眼下の海へ落下していく。しかし、その後ろから新たに数十体の亡霊が接近してくるのを見て、優は迎撃が意味をなさない事を悟った。
迫りくる亡霊を振り払う事に集中し、機械翼へのESPエネルギーの供給量を増大させる。夜風が耳元で轟音を立て、通信機の向こうから届く誰かの声を掻き消していく。急加速のせいか、酷い頭痛がした。
チラリと、後ろを振り返る。数十体の亡霊が後ろに張り付いているのが見えた。完全に振り払う事は難しいかもしれない。そう考えて、旋回際に背後へ何発かの銃撃を加える。その全てが亡霊に着弾するのが視界の隅に映った。射撃訓練の時とは比べ物にならない命中率に微かな驚きを覚えながら、何度も銃撃を加える。
不思議な感覚だった。まだ二回目の実戦であるにも関わらず、次にどう動けば良いのか、どこを狙えば良いのか直観的に掴む事ができた。頭の中は冷え切っていて、恐怖や混乱はない。優は何度も旋回を繰り返しながら、亡霊に銃撃を加え続けた。
何度目かの旋回を開始した時、不意に激痛が全身に走った。口から苦悶の呻き声が漏れる。
視界に、鮮血が撒き散らされる。それで、被弾した事を悟った。全身から急速に力が抜け落ち、ESPエネルギーのコントロールが困難になり、身体がきりもみする。それでも、恐怖は覚えなかった。
『華っ! 援護を!」
奈々の悲鳴じみた声とともに優は鮮血を撒き散らせながら、漆黒の海に向かってゆっくりと落下を始めた。
その時、下方から迫りくる亡霊と目が合う。血のような、真っ赤な双眸。
優は最後の力を振り絞って、小銃を亡霊に向けた。銃声が響く。それを最後に、桜井優は意識を失った。
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