儚き想い、されど永遠の想い
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310部分:第二十三話 告白その十一
第二十三話 告白その十一
真理との生活にだ。決意をあらたにさせた。
そうして日々をだ。真理と過ごす中でだ。
真理からだ。こう告げられたのだった。
「実は」
「実は?」
「できた様です」
こう言ってからだった。
「私の中に」
「まさか」
「はい、子供が」
それができたとだ。義正に話してきたのだ。
「私達の子供が」
「それはいいことです」
子供ができたとわかってだ。義正はだ。
瞬時に顔を綻ばせてだ。こう真理に言った。
「有り難うございます、私達はこれで」
「ですが」
しかしだった。真理はだ。
暗い顔でだ。こう義正に話した。
「そんなことはありません」
「?まさか」
「私の病は」
労咳のことをだ。真理は言うのだった。
「子供にも」
「だからですか」
「産めばその子も」
「労咳にですか」
「かかってしまうのではないでしょうか」
「それはなりません」
義正はだ。すぐにだった。こう真理に述べた。
そしてだ。こうも言うのだった。
「確かに労咳はうつりますが」
「お腹の中の子供にはですか」
「うつりません」
そうだというのである。
「決してです」
「では」
「はい、安心してです」
微笑みだ。真理に告げたのだった。
「私達の子供を産んで下さい」
「そうさせてもらいます」
「このことにも根拠があります」
労咳が子供にはうつらない、そのことにもあるというのだ。
「労咳は母体から。うつらないと西洋の医師が言っているのです」
「西洋のですか」
「はい、西洋のです」
そしてだ。その国は何処かとも言うのだ。
「独逸のです」
「独逸のですか」
「独逸のある医師が言っていたのです。労咳は細菌だと」
「細菌なのですか」
「まだ治療方法は。完全なものは見つかっていませんが」
それでもだ。細菌であると義正は言った。
独逸は細菌医学では最先端だった。コッホ等がその代表だ。そしてそのコッホに学んだのが森林太郎、森鴎外なのだ。彼は作家としてはともかく医師としては問題があると言っていい。だがコッホに学んだのは彼が、そして独逸が近代医学、細菌医学の最先端だったからに他ならない。
その最先端の医学を話に出してだ。義正は述べたのだった。
「それでもです」
「母体から子供にはですか」
「うつりません」
そうだというのだ。
「ですから」
「左様ですか。それでは」
「はい、では」
「三人ですね」
真理は義正の言葉に安心してだった。
微笑んだ顔になってだ。述べることができた。
そのうえでだ。真理はだ。
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