提督はただ一度唱和する
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祈る者たち
たった四人の陸軍士官。最高位は大尉。それでも、佐官待遇の艦娘たちが彼らを自由に動かせるわけではない。
彼女らの軍における立ち位置とは、参謀や幕僚といったものである。提督を補佐し、意見を述べることはあっても、指揮権は欠片もない。それにしたところで、海軍が発した通達を根拠とするものであり、法的に定められたものではなかった。
その通達が示す待遇も、俸給に関する事項が主であり、軍人としての身分を保障するとまではいかない。陸軍がそれを尊重する姿勢を明らかにすることで、何とか面目を保っている程度である。
今のところ、彼女らは海軍の装備品といった扱いだ。人格を認めねば機能しない、幼いとさえ言える、戦争に投入することを前提とした、少女形の知性体。こんなものを法的に定義するなど、誰もやりたがらなかったのだ。
先送りではあるが、人類史上初めての異種知性体との共存に関わる問題である。妖精さんという、それ以上の難物が揃いで付きまとい、外からは似たような顔で深海棲艦が攻めてくるとなれば、既存の枠内で取りあえず様子を見ようというのは、それほどおかしな話でもない。
見えたり、見えなかったりする妖精さん。深海棲艦と艦娘の差異。武装解除の困難さ。立ち塞がる壁は、多かった。
だが、そうであるからこそ、大麻を吸う山城の行動は、管理責任者である提督の立場を危うくした。大麻は既に日本に広く浸透してしまっているが、依然取り締まりの対象である。違法である理由は、かつてのように普及を阻止するためではなく、無税の娯楽品として国民の不満を解消するとともに、彼らへの弾圧を容易くする目的があった。
新城も使用の経験があり、中隊でも愛用する者がいる。いちいち咎めだてる方が軍の統制を危うくするほど蔓延しているからこそ、山城も油断していたのだろうが、後者のような運用についての理解が足らなかった。艦娘は押し並べて、政治能力が低い。素直過ぎるのだ。
その点を補う妖精さんが厄介過ぎるので、大きく問題にはならないが、今回はそれが新城たちや陸軍を助けた形だ。鳳翔は英康から、新城たちに艦娘の作戦へ協力するよう命じた文書を預けられていたが、懐で握りつぶす他ない。陸軍に協力するために派遣されて来たのだという体を取らねば、あの凶相の中尉がどのような行動をとるか明白であった。
しかし、鳳翔自身にとっては悪いことばかりではない。守原英康は将としての冷徹さを失いつつある。命令書の内容も、深海棲艦を水際で食い止め、可能ならば水利施設を防衛するように促している。
促しているという文言でもわかるように、中隊一つと三個艦隊弱の艦娘で可能だなどとは、英康も思っていないのだ。それでも求めずにはいられない。この命令書を出せば行動の自由を奪われ、最低限の目標である、軽空母部隊の救援すらままならないだろう。ここにいる全員が生き残れない。そのことを、背後にいる僚友たちがどこまで理解しているか。
艦娘は戦い方を知っている。どのように敵を倒すのか。それで悩む艦娘はいない。
しかし、艦艇の生まれ変わりを自称する彼女らであっても、自らが戦略兵器であると自覚している者は少ない。潜水艦一隻の存在が、どれほど海上輸送を危険に晒すのか。国威を賭けた戦艦を撃破し得る水雷戦隊が、いかに脅威であるのか。後にまで地位を盤石とする空母たちですら、戦場での立ち回りを重視する。
仕方のないことだ。彼女らは兵器としての経験しかないのだ。自分たちの存在が、世の中に対してどのような影響を与えるかなど、思いもよらないのだろう。提督と艦娘という、閉じた関係の中で満足してしまっている。
しかし、それではどこまで行っても兵士でしかないのだ。曹として取りまとめることは出来ても、士官として導くことは出来ない。
海軍は一度壊滅している。いや、日本そのものがめちゃくちゃになったのだ。再生し、戦前と同じ国体を装っていることが奇跡なのだ。そのような状況の中で、深海棲艦という不可解な敵を相手に、妖精さんという理不尽なものと交渉し、艦娘という不完全なものを運用する。そんな士官を育てねばならない困難とはどのようなものか。
守原は艦娘に丸投げすることで、その問題を棚上げした。それ自体は間違いではない。艦娘が既存の軍人のようには教育出来ないとはいえ、あちらこちらに目を瞑れば士官に相応しい見識を得られることはわかっている。代表的なのは初期艦と呼ばれる五人の駆逐艦だろう。
それぞれが軍人としては問題だらけの人格だ。しかし、今では艦隊運営や艦娘運用の原型として、すべての提督の元に派遣されている。彼女らがいたからこそ、提督が素人のままでも戦えたのだ。
問題は、そこまでの見識を備えた艦娘は、提督から自立してしまうということだ。初期艦が靖国に身を捧げたのは、彼女らの提督の死後である。
軍人を教育する上で、絶対的に必要な要件は、上の命令に従うという倫理観を刷り込むことだ。でなければ、運用する側は常に反乱に怯えねばならない。誰もが死にたくない。だが、それでも死ねと命じるのが軍隊だ。
そうして教育を受けた士官の前に、「まあ、頑張りなさい」などと宣う部下が現れたら、それを許容出来るだろうか。深海棲艦を助けたいと言われて、その心得違いを糾すではなく、その優しさと純粋さを賞揚する選択は、果たして可能か。一見すると無様にも見える仕草や立ち振る舞いも、軍隊では許されないことだ。
当然だが、ご主人様呼びは、なんとしてでも必ず修正せねばなるまい。提督と艦娘は反目しあうか、でなければ戦力として期待出来ない水準にまで、能力を低下させることになるだろう。
つまりは提督も艦娘も、もっとも重要な軍人教育が施せないことになる。その上で下手に見識を与えれば、両方が現在の国情を理解して、何らかの行動を起こすことすら懸念される。そして、国情を回復させるためには、提督と艦娘の力が必要だ。
八方塞がりだった。守原の提案が歓迎されたのも、その辺りが理由だ。それでは何の解決にもならないことは、もちろん承知の上だった。
しかし、日本はある程度の余裕を得た。国情の回復はもちろん、軍組織の改編も可能にするだけの体制も整いつつある。ただ怯え、疑うだけだった三種の知性体に対しても、情報は集まってきている。
必要なのは名分だけだった。誰もがわかりやすい形で問題を認識すること。それが求められていた。今回の戦役は絶好の機会だろう。
鳳翔としては、守原の立場を守るために、何らかの成果が必要だった。自らが功を立てるのでは、これまで通りに警戒されるだけで、現状を好転させるに足らない。味方を作る必要があった。横須賀と陸軍は、貸しを押しつけるのに絶好の相手だ。
時間は限られている。今後の予定を説明しようとする中尉を見た。
背は低い。顔は女子供を怖がらせる類で、お世辞にも美男子とは言えない。世を拗ねたような雰囲気と、傲慢な態度。そしてあの目。温かさなど欠片もない、こちらを見下すともなく、ただ自然現象を眺めるかのような、底のない眼差し。
まるでこちらを見透かすかのようだ。
どこかで既視感を覚えながら、鳳翔は頭を抱えた。
彼を見て好意を抱く女性など、いるわけがない。そして、彼女らは例外なく女なのだ。
§
どのようにして、横須賀の軽空母部隊を救出するか。選択肢はそもそも少ない。追撃してくる深海棲艦の陣容すら曖昧なのだ。速度に長けた軽巡を中心とした艦隊だろうが、背後には空母も存在しているはずだ。横須賀を救援しようとすれば、そこを狙われる可能性が高い。
横須賀とその追撃部隊は囮だろう。あちらこちらに潜伏して、夜襲や浸透突破を図る陸軍は、深海棲艦にしたところで厄介なのだ。上陸はしても、基本的に彼女らは水棲生物である。陸地を占領して安全を確保するのは困難なのだ。
それでも陸地を目指す理由については、おそらく繁殖に必要なのだろうと推測されている。海のどこにでもいる彼女らだが、やはり島嶼部における密度は段違いだ。なんにせよ、深海に引きこもって済むような生態ではないのだろう。
横須賀の回収地点は能取湖の奥、卯原内川河口とした。艦娘が少なく、航空戦力も劣勢であることが予想される。広域を援護することは出来ない。移動中の旭川本隊が狙われた場合に備え、艦娘は北見に潜伏する。旭川でも新城の所属していた大隊を先頭にして、防空体制を整えている。
幸いと言ってよいのか、高速修復剤や補充の航空機は十分な数がある。深海棲艦を一時的にでも振り切ることが出来れば、救援した軽空母はそのまま戦力として期待出来るだろう。問題はどのようにして時間を稼ぐかだ。
陸上にあっては、舗装路でない限り深海棲艦の移動速度は脅威にはならない。だが、例え駆逐艦であってもその砲射程は二〇㎞近い。航空優勢を奪われた状態では、危険過ぎてあらゆる行動が阻害されてしまう。
だが、横須賀は現状でも航空優勢は獲れると確約した。それを信じるのであれば、追撃する快速部隊をどうにかすればよい。
能取岬を迂回する段階で砲撃を加え、能取湖湖口で阻止する。そのように単純にすめばよいが、揚陸地点は無数に存在する。おそらく岬を迂回する段階で分派し、網走湖の制圧を目論むだろう。網走湖に続く網走川は、大きく蛇行している。扶桑、山城、愛宕は、網走湖にてこれの迎撃に全力を注ぐよう求められた。
「能取湖湖口は確かに狭隘ですが、非常に短く、また両端が砂浜で揚陸も容易であります。逃げ込むには都合がよいのですが、迎撃には向きません。しかし、網走川なら三隻の火力でも追撃する深海棲艦を殲滅出来ます。また、天都山、呼人半島が視界を塞ぐため、反撃も受けにくくあります。大湊にはこちらに集中して頂きたい」
完全に船として数えられた艦娘たちのこめかみがひくつく。それぞれがあり得ぬほどの美人だ。若菜以下、陸軍士官は腰が引けている。吹雪は千早を抱きしめて震えていた。反対側に漣がいる理由は不明だ。
「じゃあ、能取湖に向かったヤツらはどうすんのよ」
押し殺した声で瑞鶴が質問した。新城は礼儀正しく彼女に向き直り、虚空見つめて答える。
「はっ、こちらで対処いたします」
瑞鶴のツインテールが逆立った。
「巫山戯んじゃないわよ!! あんたら陸軍に何が出来るってぇ!?」
鳳翔が止めるまでもなく、愛宕が彼女の首っ丈を掴んで引いた。瑞鶴は暴れるが、声が出ないようだ。顔を真っ赤にしている。愛宕はそれを愛おしそうに眺めている。陸軍が艦娘を嫌うように、艦娘の方でも陸軍を嫌うことがあるのだ。
もっとも、彼女の好悪など関係なく、疑問ではある。しかし、新城は平然としたものだ。
「完全に、完璧に無力化してご覧に入れます。まったく、ご心配はいりません」
ここまであからさまでは、瑞鶴も呆れる他なかった。軽く咳き込むだけで、もはや何も言い返す気が起きない。陸軍士官たちはそれぞれの方法で、神仏と新城を呪う。
「他にご質問がなければ、各自、出撃準備に入りたいと思いますが?」
異論はなかった。艦娘たちが新城に流し目をくれながら、退室していく。まるで刃のようであったが、新城の面の皮を空しく滑っていった。
部屋の片隅では、腰が抜けたのか駆逐艦が二隻、へたり込んでいた。二人に対して、新城は飛びっ切りの笑顔を見せた。陸軍士官たちはそれぞれの方法で、彼女らの冥福を祈った。
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