提督はただ一度唱和する
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鉄屑の勝利
最初の襲撃から六時間。稚内から釧路に至る、オホーツク海、太平洋沿岸地域が深海棲艦の上陸を許した。加えて、北海道の日本海側と東北の一部地域が少数の深海棲艦に襲撃され、若干の被害を受ける。
特に釧路は海路を利用して避難した市民が集中し、海軍の防衛方針と陸軍が策定していた避難要領との乖離もあって、被害が拡大した。
深海棲艦の襲撃が予想される場合、どのように避難するかについては、有り体に言って津波と似た対処になる。とにかく内陸に向かうなど、襲撃が予想される地点から、全力で脱出することが求められていた。津波よりは時間的余裕があり、軍によって防衛する余地があるため、海路が選択されることも多いのが大きな違いだ。
残念なことに内陸部では、反政府組織や山賊なども潜伏しているため、逃げた先が安全とは限らないのだ。
今回は北海道全域が危険と判断されたため、オホーツク海、太平洋の両沿岸地域の住民は、海路で本州に向かうべく、海軍の支援を待っていた。艦娘の護衛はもちろん、彼女らが曳航することで、大量の避難民を脱出させられるはずだった。
しかし、派遣されてきたのは、護衛の駆逐艦ではなく、迎撃のための戦闘部隊だった。彼女らは避難の支援ではなく国土防衛を任務としており、現場は混乱の極みに達する。直前までの段取り全てが無駄になったからだ。
釧路に集結した統合幕僚本部直轄の駐在艦は、二百三十七名。曳航に問題はないが、護衛には足りない。
せめて、軽空母なりともいれば話は違ったかもしれないが、駐在艦のなかにはいなかった。
陸路に切り替えようにも、唯一使える道は道東道路のみ。
平和になったと言えど、復興が終わった訳ではない。北海道はむしろ、農業インフラと海上輸送路を優先したため、各都市を結ぶ道路は整備さえも後回しにされている。
アスファルトの不足もある。燃料は発電や軍が優先される事情もある。軍でさえ、保有する車両は激減しているのだ。艦船に次いで、自動車は深海棲艦の大好物である。
当然、鉄道も使えない。
派遣された艦娘は、避難を支援してくれない。
統合幕僚本部に問い合わせても、有効な手段など湧いてこない。
八方塞がりで迷ううちに、有線を除く、全ての通信が不可能になった。
青函トンネルは崩落している。海底ケーブルなど、設置出来るはずもない。
本土への通信手段は失われた。例外は艦娘の艤装に付属する無線だけだが、同じ提督の指揮下にある艦娘以外では、あまり遠くへは届かない。使えないのと同じだった。
そして、通信の妨害が意味するところは明らかだ。深海棲艦が迫っている。こうなれば四の五の言う暇もなく、陸路を選ぶ他はない。二万人を越える人々が、ほとんど徒歩での移動を開始する。
根室に残った観測班が深海棲艦の上陸を確認した時、市街地には半数以上の市民が残っていた。周辺の陸軍は誘導のための少数を除き、大部分が大楽毛周辺に展開。阿寒川からの遡上を阻止するため、準備を始める。新釧路川、釧路川の河口は、艦娘が担当した。
同時に、阿寒川、仁々志別川を、艦娘が曳く喫水の浅いゴムボートなどに老人、子供などを乗せて運搬していく。その他の避難民たちは道路を避け、畦道同然の農道を行くことになった。混雑を抑制し、分散することで、被害を軽減するためだ。
艤装に火を入れた深海棲艦は、道路上で時速六〇㎞もの速度を誇る。泥濘と化した田畑は、足止めにもなるだろう。
絶望的な逃避行だった。陸軍と海軍のすれ違いがなければ、既にほとんどの市民が安全な海上に脱出できていたはずだ。海軍が護衛を用意しないと知っていれば、曳航に必要な艦娘だけで順次出航させる決断も出来たはずだ。
全てはもしもの話で、避難民の最後尾が未だに港で座り込んでいる状況で、彼女らはやって来た。警戒を遥か海上の迎撃艦隊に任せ、全力で避難支援をしていた艦娘が、振りまいていた笑顔を凍らせる。そして、ボートに乗せようと抱えていた老人を陸に放り投げた。
「何を!」
「走って!! 速く逃げて!! みんな、来、た、よーっ!!」
その報告に反応出来たのは艦娘だけだ。曳航を中止し、続々と集結していく。駆逐艦が多い。今すぐ逃げ出すべき、幼い少女たちの集団。
視線の先では、僅かながらでも囮になればよいと、ゆっくり沖合いに向かう大型貨物船。それが、
「航跡見ゆ!! 正面!! 数は・・・・・・!!」
海面に浮かぶ建築物。見上げるようなそれを呑み込む水柱。一本、二本、三本で横転。十隻以上、視界いっぱいで起こる現実離れした光景。火を噴き、折れ曲がり、沈んでいく巨大な船。
「防御射撃ぃーっ!!」
それで終わらない。可愛らしい甲高い声と、腹に響く奇妙に軽い炸裂音。波間に見える白い線が、真っすぐにこちらに近づいて、その合間に吹き上がる小さな水柱。それらは埠頭に突っ込んで、爆発する。
悲鳴と足音が、起きた。軋みをあげて沈む船の断末魔が、それを圧する。誘導のため歩哨に立っていた陸軍が、人ごみをかき分けて集結しようとする。
「敵艦、真下だ!! 爆雷急げ!!」
「持ってないしぃーっ!!」
「じゃあ、魚雷投げろ!!」
「ここじゃ浅すぎます!! 爆雷待って!! 近接射撃戦用意!!」
「まだ人がいるのに撃っちゃっていいの!?」
「殴り合いだぁー!!」
言いつつ、雷撃で抉られた部分を守るべく、水上を走る。水面から浮かび上がる真っ黒な頭に、射撃が集中。油と鉄片をまき散らす。
「河口周辺を制圧射撃!! 遡上だけはさせないで!!」
砂に足を取られながら、よたよたと上陸していく深海棲艦。鯨に似たシルエットの、薄汚れた艤装。気味が悪いほど真っ白な肌。青く光を放つ目。駆逐艦イ級。山ほどという言葉が、これ程ふさわしい状況もない。砲撃を受けては崩れ、裾野を広げ、やがて走り出す。
「陸は陸軍さんに任せろ!! 橋が落ちる!! 河口入り口に扇展開!! いいか!? 逃げられた人たちを守るぞ!!」
「上流から友軍、戻ってきます!!」
「橋のあった位置を間接射撃させろ!! 絶対に通すな!!」
「誰か、陸軍さんの所まで!! 重巡じゃ威力が高すぎる!! 海上から支援します!!」
「あたしが行くわ!」
港では既に食われている人が居る。必死に目をそらして、出来ることを、出来るだけ。
「迎撃艦隊は何をしてるの!? 航空支援は!?」
「住民を巻き込んじゃいます!! 許可が、許可が出ません!!」
「だったら沖で、削らせろよ!!」
「海底を移動しているのよ!! 魚雷も爆撃も届かない!!」
「はーい! 爆雷持ってる娘はこっちー! 沖に行っくよー!!」
誰も命令を待たない。命令してくれる提督や上官を得たことなどないからだ。あの頃の経験と、生まれ持った性質だけを頼りに、使命を果たしてきたからだ。
「ダメ!! 近すぎて撃てない!!」
「対空装備持ってるやつ!! 何とか迂回して陸軍さんと合流しろ!! 弾幕張んの手伝ってやれ!!」
「無理・・・・・・!! 無理です!! 数が・・・・・・!! 数が!!」
「波打ち際を狙え!! とにかく数を減らすんだ!! 軽巡を先頭に突破する!! 重巡の三連射のあと、突撃!! 陣形、鋒矢!!」
「何それ?」
「知らない」
「面倒くっせーっ!!」
砂糖菓子に群がる蟻か、フナムシの大移動か。対処出来ているとも、守り切れているとも言えない、完全な負け戦。それでも、まだ、最悪ではなかった。
「っ!! 敵駆逐艦からの反撃を確認!! 市街地から砲撃音も!! ヤバいよっ!!」
「貨物船食い尽くされます!! 敵艦こちらを指向!!」
「沖合いから魚雷!! 味方です!!」
「後ろは気にすんな!! 前だけ見ろ!! 突撃開始!!」
深海棲艦に集られて真っ黒になっていた貨物船の残骸に、再び魚雷が突き刺さる。吹き飛ばされ、攻撃機会を失う深海棲艦。水上航行を始めた彼女らが、沖合いに向かい始める。黒い波となって。
「お願い!! 支援を!! 支援を寄越して!! もう無理!! 支えられない!!」
「市街地を瓦礫に変えれば足止めに!! お願い、戦艦の艦砲射撃を!!」
「深海棲艦の一部が市街地を突破!! 止められません!!」
「四の五の言わないで、早く!! 人が、人が食べられているのよ!?」
避難要領は陸軍が策定した。だから、これは陸軍の作戦であって、海軍には関係ない。例え、その内容が海軍の支援を前提としていても。今現在、この場で展開する地獄は、上層部にとって、既に終わったことだった。
「砲が使えなきゃ、砂でも投げろ!! ここを通しちまったら、後がない!! 死ぬまで戦え!!」
「いっやー、人気者過ぎてダンスもキレッキレッだね! もう観客の視線を釘付けなんだから!!」
「弾薬射耗!! もはやこれまでです!! 生き残ったみなさんは集結!! 全艦、突撃開始!!」
だが、彼女らこそ誰の意図も関係ない。生まれた意味があるのだ。託された願いがある。あの頃に比べれば、撃てる弾があって、燃料が補給され、浮き砲台にだってされていない。もう、愛してくれた乗組員はいないけど、彼らの残したものが、守ろうとしたものは残っていて、命をかける意味も、戦う意義だって、目の当たりにしたのだ。
「俺が最強だ!!」
「センターは譲らないよ!!」
「もう、置き去りになんかしません!!」
墓はもうある。ならば、何を恐れることがあるだろう。
何度だって沈めて見せるがいい。
いつだって戦い抜いてみせる。
釧路での死者、行方不明者は併せて六千三百二十七人。本格的な深海棲艦の侵攻を許した事例で、史上二番目に被害が小さかった。海岸線から遅滞戦闘を完遂し、半数以上の犠牲を出しても戦い抜いた陸軍はその戦意と功績を大いに称えられた。
なお、各都市駐在艦娘は、戦闘開始からかなり早い段階で全滅したものと思われ、その献身は認められども、戦闘全体に寄与した役割は限定的なものに留まるとされた。
北海道を巡る戦いはまだ、始まったばかりである。
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