艦隊これくしょん 災厄に魅入られし少女
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第九話 深淵と対峙する時
食堂で食事を終えた凰香は、月の光が照らす夜の鎮守府を歩き回っていた。
今凰香達の部屋では実体化した防空棲姫が凰香の作ったドライカレーを食べている。そのため今部屋に艦娘が訪れると騒ぎになってしまうので、凰香は艦娘が部屋に訪れないようにするために見回りも兼ねて鎮守府内を歩き回っているのだ。また、部屋には時雨、榛名、夕立の三人がいるため、仮に部屋に艦娘が訪れても防空棲姫のことが気づかれる前に追い返してくれるだろう。
とはいえ、鎮守府内を歩き回っていれば多くの艦娘と会う。道中で艦娘と出くわせば一目散に逃げ出されるか、親の仇を見るかのような殺気の篭った視線を向けられるかの繰り返しである。
(さっさと立て直してあそこに帰りたい)
凰香はそう思いながらも表情に出すことなく歩き続ける。
やがて凰香は鎮守府の広場に差し掛かった。
「このっ!!」
突然背後から怒声を浴びせられる。
だが凰香は振り返ることなく横に移動する。
その瞬間凰香がいたところを拳が通り過ぎる。凰香を狙っていたようだが、凰香が横に移動したことにより拳は空振り、凰香に殴りかかろうとした人物が勢いよく前のめりに出てくる。しかしすぐに体勢を立て直して凰香の方を向いてきた。
「……『潮』さんですか」
「気安く呼ばないで!!」
凰香の言葉に潮がヒステリックな声を上げ、穢らわしいものでも見るかのような目で睨みつけてくる。凰香としては確認するために名前を呼んだだけなのだが、彼女からしたら『人間そのもの』から名前を呼ばれること自体が嫌らしい。
(面倒なやつに捕まった)
面倒臭そうにそう思っている凰香を余所に、潮が凰香に向かってヒステリックな声を上げる。
「初霜ちゃんに何をした!」
「別に何も。ただカレーを食べさせただけですがーーー」
「嘘をつくな!!」
凰香は正直に答えるものの、潮の怒号により遮られる。そして犬歯を剥き出しにし、血が出そうなほど眉間に皺を浮かばせながら凰香を指差して言ってきた。
「そんな嘘なんかに絶対騙されない!!どうせ初霜ちゃんの弱みを握って無理矢理従わせてるんでしょ!!絶対そうに決まってるわ!!」
「はい?」
潮の言葉に凰香は思わず聞き返してしまう。
凰香は初霜を無理矢理従わせていないどころか初霜の方が凰香を無理矢理食堂へ連れ込まれているので、勘違いも甚だしい。
仮に凰香が初霜を従わせるのなら、ギブアンドテイクの関係を維持するだろう。まあ、凰香はそんなことをする気は微塵もないのだが。
「あのですね、私は弱みなんかをーーーー」
「黙れケダモノ!!今さら嘘を吐いたって私には全部お見通しなんだから!!これ以上お前の好きになんか絶対にさせない!!曙ちゃんや初霜ちゃん、他の子には絶対に手を出させないんだから!!」
潮は凰香の言葉に耳を貸そうともせずに喚き散らす。完全に頭に血が上っているので、冷静な判断ができないのだろう。
軍学校にもこのような人物が多くいたので、このような場合は何を言っても無駄だということを凰香は理解している。
(ここに時雨がいなくてよかった)
潮の怒鳴り声を聞きながら凰香はそう思う。
時雨は凰香のことに関すると非常に攻撃的になる。前の曙の件は完全に凰香達の方に非があったために何もしようとしなかったが、今回は凰香は潮や初霜になにもしていない。
もし時雨がここにいたら潮に対して手を出さずに容赦無く徹底的に潰しにかかるだろう。
それを置いておいても時間的にもそろそろ駆逐艦の艦娘達の就寝時間なので、他の艦娘達の迷惑になる。 怒鳴り声で眠ることができなくて明日の出撃遠征や演習に支障が出るのは凰香としても避けたいところ。
そして何よりも、凰香自身がこの状況をいい加減鬱陶しく感じていた。
凰香はこの状況を抜けるために潮に言った。
「潮さん、一旦落ち着いてください」
「ここにきて罪を認めるのね!!やっぱり初霜ちゃんを無理矢理従わせていたじゃない!!」
凰香がそう言った瞬間、潮がそう返してくる。
凰香はただ『落ち着け』と言っただけなのに、潮はあろうことか凰香が『罪を認めた』と思い込んでしまっているようだ。ここまできたら最早思い込みなどではなくトラウマレベルである。
(何をどうしたらここまでくるのかしら?)
凰香が若干苛立ちを覚えながらそう思っていると、潮がさらに喚き散らす。
「最っ底よ!!あんたなんかこんごーーーー」
「何を騒いでいるの?」
突然背後から別の女性の声が聞こえてくる。それにいち早く反応した潮が凰香の背後に目を向け、先ほどとは打って変わってパアッと顔を綻ばせた。
凰香が背後を向くと、そこには白い道着に青いミニスカートのような袴の茶髪のサイドテールの女性が立っていた。
「『加賀』さん!!」
潮がそう言って凰香の横を走り抜け、加賀に勢いよく抱きつく。潮に抱きつかれた加賀は潮を優しく抱きとめ、落ち着かせるように頭を優しく撫で始める。
すると潮が加賀に言った。
「加賀さん!!またケダモノが本性を現しました!!早くここから追い出しましょう!!」
「潮ちゃん、わかっているから少し落ち着きなさい。他の子達が起きちゃうわよ?」
加賀が潮と同じ目線に合わせ、優しく語りかける。それを聞いた潮がようやく周囲の状況に気がつきおとなしくなる。
それを見た加賀が一瞬だけ凰香に視線を向けてから潮に優しく語りかけた。
「彼女に関しては私から金剛さんに伝えるから、あなたはちゃんと寝なさいね?」
加賀が優しく語りかけると潮が心配そうな視線を加賀に向ける。そして凰香に穢らわしいものを見るような目で睨みつけてから、再び加賀の方を向いてゆっくりと頷く。そして駆逐艦の寮がある方向へ歩いていった。
潮の姿が見えなくなると、加賀が凰香に言ってきた。
「………さて」
「私は何もしていませんよ。初霜にはカレーを食べさせただけですし、潮は向こうから突っかかってきただけです」
凰香は加賀が聞いてくる前に答える。すると加賀が苦笑いしながら言ってきた。
「それはわかってるわ。さっき食堂で見かけたから」
加賀の予想外の言葉に凰香は黙ってしまう。
凰香はてっきり潮の言葉を鵜呑みにして責めてくると思っていた。しかし加賀の言葉だけでなく、加賀の表情からも凰香のことを敵視しているような感じはしない。まあ、思いだけはわからないが。
(ここの加賀は他のところよりも表情が豊かなのね)
凰香がそう思っていると、加賀が突然背筋をただし改まった様子で頭を下げてきた。
「改めまして、航空母艦の『加賀』です。今後ともよろしくお願いします。
「そして先ほどの駆逐艦『潮』の件、代わりに謝罪しますのでどうか許してもらえないでしょうか?」
「別に気にしていませんので、不問とします」
凰香の言葉に加賀が深く頭を下げてくる。
曙の件で潮の反応はわかっており、こんなことで潮に罰を与えるのもはっきり言って馬鹿馬鹿しい。
それよりも凰香は潮の過剰な反応の原因が気になっていた。
まあそれはおいおい聞いていけばいいので今は置いておくことにする。
「それでは私はそろそろ部屋に戻らせてもらいます。私がここにいては皆さんの迷惑になるでしょうし」
「そう。なら私もお供させてもらうわ」
凰香の言葉に加賀がそう言ってくる。言葉ではああ言ったが、どうやら加賀も凰香のことを信用していないらしい。おそらく凰香が変な真似をしないように見張るつもりのようだ。
すると凰香の思っていることを見透かしたかのように加賀が言った。
「私が近くにいれば他の子達が怪しまずにすむでしょ?」
加賀の言葉を聞いた凰香は一理あると思った。
凰香が単独で行動していれば艦娘達は凰香のことを警戒して向こうから突っかかってくるだろうが、加賀が近くにいれば艦娘達は凰香が変な真似をすることができないと思い込み、向こうから突っかかってくることはなくなるだろう。
凰香は加賀に言った。
「……好きにしてください」
「わかったわ。じゃあついてきて」
加賀がそう言って凰香達の部屋がある方向へ歩き出す。凰香も加賀の後を追って歩き出す。
加賀共に部屋へ向かう途中、凰香は意識を集中し自身に宿る魂を介して防空棲姫に話しかけた。
「(防空姉、今大丈夫?)」
『ええ、先ほど食べ終わったばかりよ。この方法で話しかけてくるなんて、何かあったの?』
「(ちょっと面倒ごとに巻き込まれて、今加賀と一緒に部屋に戻ってる途中)」
『なるほどね。なら私は幽体化しておくわ。三人にも伝えておくから』
そう言って防空棲姫の声が聞こえなくなる。凰香は意識を集中させることをやめると、前を歩く加賀に視線を向けた。
加賀は凰香と他の艦娘が会わないように心がけてくれているのか、人通りの少ない道を選んで歩いている。そして時折振り返っては凰香がついてきているのを確認していた。
凰香は加賀が振り返ってきたタイミングで聞いた。
「加賀さん、少し聞きたいことがあるのですが」
「何かしら?」
「『前任者』は一体どういう人間だったんですか?」
「それは……」
凰香がそう聞いた途端加賀が表情を曇らせて言い淀む。しかし凰香には加賀のその反応だけで十分だった。
しかしどうしてもわからないことがある。
それは『食事』の件だ。
食事の件は前任者が言い始めたことである。なら前任者が消えた今、それを止めても問題は一切ない。
しかし艦娘達は未だにそれを続けている。表情を見ても満足しているようには見えないし、納得しているようにも見えない。
(……『誰か』がまだそれを強制してる?)
確証はないが、それ以外の理由が見つからない以上それが一番可能性が高い。
凰香は確証を得るために加賀に聞いた。
「加賀さん、前任者がいなくなったのになぜ状況は変わーーーー」
「提督、こっちよ」
凰香の言葉を加賀が無理矢理遮り、建物の中へ入っていってしまう。歩行スピードも明らかに速くなっており、凰香が小走りでないとついていけないほどである。
しばらく凰香が小走りでついていっていると、加賀が凰香達の部屋の前で立ち止まった。
「着いたわ」
加賀がそう言ってくる。その表情は『これ以上は聞くな』と言いたげな、悲痛な表情であった。
しかし、加賀の表情を見た凰香は確信を得た。
(……なるほど、『身内の誰か』が強制しているということね)
加賀の身内の誰か、つまりこの鎮守府に所属する艦娘達の誰かがこの状況を維持しているということになる。榛名と夕立はここから脱走し轟沈したことになっているため、この状況を維持することは不可能だ。
しかしこの鎮守府に所属する艦娘達は数が多いため、凰香はまだ全員把握しきれていないどころか、見かけたか艦娘すらいない。
(見つけ出すとなったらかなりめんどくさいわね)
凰香はそう思うが、すぐには動こうとしない。まだ着任して2日しか経っていない。そんな新参者に鎮守府の状況について嗅ぎ回られたくないだろう。
それにこれは艦娘達にとってかなりデリケートな部分も含む。そこを突っついて余計に騒ぎが大きくなるのは避けたいところだ。
(もう少し落ち着いてから聞くことにしよう)
凰香はそう決めると、加賀に言った。
「加賀さん、ここまでありがとうございました」
凰香がそう言うと加賀が深々とお辞儀をしてくる。
それを見た凰香は声をかけようとせずに、お辞儀を解かせようと加賀の肩に触れてから扉を開けた。
「ッ!?」
凰香が加賀の肩に触れた瞬間、加賀が身体をビクッと震わせた。
部屋の中に入ろうとした凰香は思わず立ち止まり加賀の方を向くが、加賀は先ほどと変わらず深々とお辞儀をしたままだ。もしかしたら凰香に触れられることが嫌だったのかもしれない。
(……次からはやめるようにしよう)
そう思った凰香は加賀に一言だけ謝った。
「……加賀さん、先ほどはすみませんでした」
凰香はそれだけ言うと、振り返ることなく部屋の中に入る。
部屋の中には幽体化した防空棲姫、時雨、榛名、夕立の四人がいた。
凰香が部屋の中に入った瞬間、時雨がそばに近づいてきて聞いてきた。
「凰香、一体何があったんだい?」
「初霜にカレーを食べさせたところを潮が見てたのか、弱みを握って無理矢理従わせていると勘違い。そこを加賀が通りかかり、潮を宥めてからここまで『監視』という名目で送ってくれたわけ」
「……なるほど。潮は一回シメた方がいいかな?」
「そうしたい気持ちはわかるけど抑えなさい」
笑顔のまま青筋を浮かべてそう言ってくる時雨に防空棲姫が苦笑いしながら宥める。その光景に慣れた榛名と夕立も苦笑いしていた。
ーーーーガチャリーーーー
突然部屋の扉が開く。
凰香達がそちらの方を見るとそこにはここまで送ってくれた加賀が俯いた状態で立っていた。
「……加賀さん、どうかしたのですか?」
凰香はそう聞くが、加賀は何も答えずに俯いたままでいる。
そのことに凰香は眉を顰め、もう一度加賀に聞いた。
「加賀さん、一体どうしーーー」
凰香が聞こうとした瞬間、加賀が突然目の前にまで歩いてきて凰香を押し倒してくる。突然の行動だったために凰香はなす術なく加賀に押し倒されてしまい、床に後頭部を強打してしまう。一方加賀は凰香の胸に顔を埋め、背中に手を回して抱きついている。表情はわからないが殺気は感じられないため、少なくとも凰香を殺そうとはしていない。
凰香を殺そうとしていないために時雨達はその場から動こうとせず、戸惑った表情を浮かべていた。
凰香は視線を鋭くして加賀に言った。
「………何の真似ですか?」
凰香はそう言ったが、加賀は何も答えずに顔を埋めたままである。
凰香がもう一度加賀に言おうとした時、加賀が凰香の胸から顔を上げ、馬乗りの状態になった。
「提督」
加賀がそう言うが、その声は先ほどのものとは比べ物にならないほど低い。それに加え、憤怒や悲痛といったあらゆる感情も感じさせない。
一言で言うなら『無感情』。まさにそれであった。
突然の加賀の変わりように凰香達が動けずにいると、加賀が馬乗りの状態のまま白い道着に手をかけてゆっくりはだけさせ始める。
「加賀型航空母艦一番艦、加賀。今宵の『伽』を務めさせてまいります」
ハイライトの消えた闇のように暗い瞳で、加賀がそう宣言したのだった。
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