いたくないっ!
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第三章 敦子、目覚める
1
ベッドの上で、ゆーっくりと、目を開いた。
こしこしと、寝ぼけまなこをこする。
んー。
なんか、納得いかない。
低血圧お嬢様キャラのように、とろーんとした感じに起きようと思ったのに。
なかなか難しいもんだな。
傍から自分を見ているわけではないので、もしかしたらちゃんとやれているのかも知れない。
でも感覚的に、どうにも納得出来なかった。
やり直そ。
と、沢花敦子は、そっと目を閉じ、そして、ゆっくりと開いた。
焦点の合わない目で、ぼんやり天井を見上げた。
ゆっくりと、こしこし軽くまぶたをこすった。
手のひらで、目を隠したままの敦子。
その口元に、じんわりと笑みが浮かんでいた。
「うん、今度はいい感じに起きることが出来たあ」
満足げな表情で上体を起こした彼女は、今度は両腕を上げて大きな伸びをした。
「あ、あ、いまのもやり直しっ」
ばったり倒れると、ゆーっくりと上体を起こして、
う、うーん、と、ちょっと気だるそうに、ちょっとだけ色気を出して、伸びをした。
にんまり会心の笑みを浮かべると、
「よおし、完璧っ。合格だあーい」
大声をあげ、ようやくベッドから降りた。
スリッパを履いて床に立つと、学習机の上に置かれた黒縁眼鏡を手に取り、掛ける。
くるりと身体を回転させ、日々見慣れた部屋を見回した。
出窓の、薄桃色のカーテンの隙間からは、朝日が差し込んで、部屋の中を淡く照らしている。
そのカーテンの下には、たくさんのかわいらしいぬいぐるみが置かれている。
くま、うさぎ、ロボット、兵隊さん、餓○伝説2のクラ○ザー、等など。
「おはよっ、ラビくん。青い空に、ぽっかり綿菓子の雲。今日もとってもいい天気だね。彼女とは、仲直り出来たのかな。……ええっ、そうなんだあ。それは困ったね。そうだ、手紙でも書いたら? うまくいくといいね」ちょっと視線をずらして、「ルーセルくん、お勤めご苦労様です。ルーセルくんが守衛をやっているから、町のみんなが安心して暮らせているよ。立ちっ放しは大変だけど、健康に気をつけて頑張ってね。でも、たまにはお休みもらって、田舎に帰ってお母さんに顔を見せてあげたらいいんじゃないかな」さらに視線を動かして、「ロボくん、ご機嫌いかがですか? わたしね、今日はね、とってもいいことがあったんだよ。ロボくんに聞いてもらいたいな。あのね……」
ぬいぐるみの一体一体に、丁寧に、やわらかい微笑みと、言葉を投げ掛けていく。
先ほどまで寝ていた木目を生かしたお洒落なベッドに、ふわっふわのカーペットに、天井からぶら下がるキラキラ装飾のシャンデリア、フリルふりふり薄桃色のカーテン、と、ことごとくが洋風のこの部屋であるが、異なる点をあげるならば部屋主である敦子自身であろうか。
やや小柄の、にきびとそばかすの混じった面に、黒縁眼鏡、どこからどう見ても東洋人というか日本人なのだから。
顔立ちは特段褒める要素もなければ、さりとて特段けなす要素もなく、ただひたすらに、地味。
常に微笑んでいることによる愛嬌はあるものの、これは顔の造形という基礎評価とは無関係であろう。
敦子は、ぬいぐるみを倒さないようそっとカーテンを開けると、朝日を上半身全体に浴びながら、また大きく伸びをした。
ここ、敦子の部屋は一軒家の二階にある。
窓の外を見回せば、彼女にとっての本意か不本意か完全なる日本的風景。東京都武蔵野市の住宅街であり、視線を走らせればこの家と同じような家がびっしりと並んでいる。
視線をすぐ目元に落としたところ、玄関上の屋根瓦に一羽の雀がとまっているに気がついた。
「ツバメさん、ツバメさん、もう王女様へいばらのつるは届けたの?」
どうやら彼女の脳内では変換フィルターが働いているらしく、相当にメルヘンチックな光景になっているようである。
と、そんな敦子を、ドアの向こうに立っている兄の沢花祐一が、腕組みしながら胡散臭そうな表情でじーっと見ていた。
ふと振り向いた敦子は、それに気付いてビクリと身体を震わせると、
「ちょ、なに勝手に見てんのおお! やだもう、最低兄貴! 変態兄貴! 超変態兄貴! 超兄貴!」
顔を赤らめながら、恥ずかしさをごまかすように罵倒絶叫乱れ打ち。
「やかましい。お前がドア全開で寝てただけだろ! バカ」
「嘘だあ。絶対に閉めてたよ。さっき起きて見た時もちゃんと閉まってた、気がする。……それより、あたし着替えるんだけど」
「はいはいはい」
祐一は、なんら照れた素振りもなく、心底どうでもいいどころかむしろげんなりといった表情で、部屋のドアをぱったん閉めた。
「うーん。ああまで全然照れのない態度をとられると、むしろなんか腹立たしいなあ。……そんなことより、兄貴に恥ずかしいところを見られてしまったな……」
まさか、ぬいぐるみたちに話し掛けているところを見つかってしまうとは。
アニメ好きであることや、声優を目指していることは知っている兄貴だけど、まさか妹が日々こんなことをしているなどとは思いもしなかっただろう。
嫌いでやっているわけでもないが、とにかくこれは訓練なのだ。
そう、アドリブ力、右脳左脳を結びつける力を養うための、特訓なのだ。
だから仕方ないじゃないか。
度胸つけるために電車の中で叫ぶ、とか、そういうのはさすがに無理だけど、なら、やれることをひたすらやるしかないじゃないか。
わたしには天性の才能なんかないのだから。
しかし、一体いつから開けっ放しにしていたのだろう。
ひょっとして昨夜、寝る直前の、人形劇の「ピュリピュール」の声真似練習しているところも、しっかり聞かれていたりして。オイオイ、フザケンナプリプリプップップーー、とかあ。
ま、いいや。どうでも。
それより学校学校。
早く着替えないと、ご飯を抜かなきゃバスに間に合わなくなっちゃう。
「サンサンソーラーパワーーッ! メイクアップー!」
急いでいるのか余裕なのか、大声で叫びながら素早くパジャマを脱ごうとして、足をもつれさせて、転んで頭打った。
2
「では、行ってまいる」
いや。ちょっと違う。今日の気分はコレじゃない。こんなクールなキャラじゃない。
では、すかんと抜けるように、
「行ってきまああっす!」
いやいや、これも違うな。
「行ってくーるぽおおん」
うーん。どれもこれも、なんだかしっくりこないなあ。
ま、単に、行ってきまあす、でいいのか。
別に奇をてらう必要はない。
声優への道に、近道なし。
でも、「はにゅかみっ!」の第八話で、主人公珠紀琴乃の声優をやってる那久唯奈さんが、モブキャラ女子中学生Bの声も当てていて、その時の演技が抜群によかったから、よし、そんな感じにちょっとやってみようか。
「行ってぇきまああ…いや、違うな、行って……違う、もういっちょ、行ってき…」
「敦子ーー!」
「いいから、はやく行けよ! それかせめて、玄関のドアを閉めろお! 恥ずかしいだろ!」
朝も早くから、母と兄に怒鳴られる敦子であった。
3
沢花敦子は通学カバンを手にぶらさげ、ごみごみした喧騒の中を、友達と雑談しながら歩いている。
雑談といっても、敦子はもっぱら聞き役相槌役だが。
ここは都立武蔵野中央高等学校。彼女の通っている学校だ。
橋本香奈、須藤留美、大島栄子、
と、沢花敦子。
もう学校も終わり、夕刻、仲良し四人組は、前後二人ずつの陣形で下校のため昇降口へと向かっているところである。
「そん中でもさあ、さすが新商品だけあってサワーチョップマロンコロネが、最高に美味しかったあ!」
「へええ。名前から味の想像がつくような、つかないようなだけど。そんな美味しいってんなら、あたしもハナキヤに行ってみようかなあ」
「ふふん。もうすっかり話題になっちゃってるからねー、最っ低でも一時間待ちは覚悟した方がいいよ、君い」
「うええ。なんだよお、留美もそんとき誘ってくれてればよかったのにいい」
「んなこといわれても。なんにも知らなくて、たまたまだったんだもん。やっぱ日頃の行いかにゃあ」
「にゃあじゃないよ。だいたい日頃の行いで運不運か決まるんなら、あんたとっくに車にひかれて死んでるでしょ! まあハナキヤは高いから、どのみちバイト代が入るまでは無理だけどさ。だから今日はあ、どうしようかなあ。敦子はさ、なんかリクエストある? 敦子っ」
橋本香奈は、敦子の脇腹を肘で軽くつついた。
「どこでもいいよ、あたしは」
敦子は、特に考えることなく即答した。
「主張しないんだからなあ」
「だって、そういうとこってよく知らないし」
世間全般お店全般、どこが美味しいとか、どこの服がおしゃれとか。
素っ気ないのは、それだけが原因ではない。そもそも、ごくごく普通の女子の会話自体が苦手なのである。
じゃあどんな会話ならば得意なんだ、といわれると頭をかいてごまかすしかないのだが。
好きなのはアニメや漫画だが、会話するには当然のこと相手が必要なわけであり、敦子は一度も熱く語ったことがない。
アニメ好きであることを隠してはいないものの、話題が合う友達がいないためだ。
ごくごくたまに話題を振られて答えることがある、とまあそんな程度だ。
「イシューズだ!」
橋本香奈が、突然びくり肩を震わせたかと思うと、小さな声でこそっと叫んだ。
「うわ、ほんとだ」
大島栄子の顔が、楽しい会話による笑顔から急転直下、不快指数百へ。
え、なに、イシューズって?
と、敦子がきょとんきょろきょろしていると、前方から、三人の男子生徒が肩を並べて近寄ってきた。
あれだろうか、ひょっとして。
三人のうち、二人はオカッパ頭で、黒縁眼鏡で、大きく仕立てた制服がそれでもはち切れてブチブチとボタンが飛びそうなくらいぶくぶく太っている。
残る一人は反対に、二人にすべて吸い取られているのではというくらいガリガリだ。
彼らが近づいてくるにつれて、話し声がはっきりと聞こえてきた。
「…確かに、レンドル殿の意見、いいえて妙ではあるが、しかしあそこはメニーロウを助けずに、むしろ売り飛ばすくらいのキャラ立てを発揮して欲しかったのでござるよ、拙者は」
肥満オカッパ黒縁眼鏡の一人が、ネチョネチョ甲高い声を張り上げた。
「いやいや、世の中の暖かさに段々と変わってきたってだけだろう。種族にかかったキュルキュレムの呪いなんて嘘だって、段々と気付いてきた、ってことなんだよ」
肥満オカッパ黒縁眼鏡のもう一人。
「いや、であればこそ、まずはそんな己への葛藤というか混乱がなければならない。論理破綻とか、そういった類のものではないにせよ、柴崎監督の作品としては、やはり整合性がとれてないとしかいいようがないでござる」
「整合性、というよりは、演出上の問題か。作品を見る人への、アラとか、辻褄だな。そのちょっとしたところによって、視聴する者への納得を与えることに失敗してしまっている。そういう意味においては、作り手の独りよがり感は否めない、か」
アニメ作品っぽい話題について、小難しそうな日本語をわざわざ選びながら論議している。
彼らと、敦子たちとが、すれ違う。
敦子は教室側へと避けながら、すれ違い様に、眼鏡の奥で横目をちらり彼らへと向けた。
ぽい、ではなく完全にアニメの話だよなあ、これは。メニーロウ、柴崎変人監督、とくれば「黄昏のインフィニティー」しかない。
ライトノベル原作で、現在深夜放映中のアニメ。わたしも録画して見てる。
ストーリーは面白くないし残酷すぎて大嫌いだけど、好きな声優が何人か出ているから。
「ああ、そうそう、トゲリン、絵のことなんだけどさあ」
一見まともそうな外見の(オカッパ二人に比べて相対的に)、ガリガリ男子。
「絵とは、すなわち仮称ほのかちゃんのことでござるかな?」
「うん。仮称ほのかちゃん、の髪型のことなんだけど、ぼくちょっと考えたんだけど、あれもう少し寝ぐせっぽくさあ……」
歩を踏むたび、彼らの声が遠く小さくなっていく。
須藤留美は足を止め、ため息を吐きつつ背後を振り返った。
続いて、大島栄子、橋本香奈も。
みんながそうするものだから、最後に敦子も、よく分かっていなかったが彼女たちの真似をしてため息を吐きつつ振り返った。
去り行く男子三人の背中を見つめる彼女たちには一様に(敦子除く)、嫌悪、侮蔑、嘲りといった感情が満面に浮かんでいた。
「ああやだやだやだあ! イシューズとすれ違っちゃったよお!」
「フミ先輩から聞いてたけど、ほんっとに、ござるとかいってたあ! やだあ!」
「この前なんかさあ、ニンニンとかいってたよお。いいえて妙だね、とか、確かそん時もいってたあ」
「うぎゃ、キモすぎいいい! 会話で普通使わないよ、そんな言葉」
「アニオタは身不相応に学校なんかこないで、おとなしく家に引きこもってパソコンカタカタ叩いてろ!」
「制服、消毒しなきゃ消毒! ぜーったいに空気感染したあ! オタ菌がっ、オタ菌が、繊維の中にまでえ! それは、いいえて妙でござるなっニンニンッ」
「やーっ。菌を感染さないでえ!。絶対に咳しちゃダメ!」
「あーあ、あとは下校するだけだったのに、最後の最後で最低最悪な日になったあ」
「ほんとほんと。あたし今日の占いは総合運最高のはずだったのに、インチキ占いだったあ!」
行きかう他の生徒たちの人目がなければ、唾を床に吐き捨てていたのではないか、というくらいの勢いで、三人の女子たちは口々に罵りの言葉を吐き出しまくっていた。
敦子は、そんな彼女らの会話をまったく聞いていなかった。まったく、耳に届いていなかった。
最初に感じた疑問が、頭の中をぐるぐる回って、それどころではなかったのだ。
でも、いくら考えても疑問の答えが出ることはなく、やがて、ぼそり口を開き、尋ねた。
「なあに、そのイシューズって?」
「いますれ違った、チンドン屋みたいな二年生だよ。学校で有名な、キモオタ三人組。敦子、ひょっとして初めて見た? もう九月なのに見たことなかったの?」
「うん。初めて。でも、どうしてそんなふうに呼ばれているの?」
「言葉から想像つかない? 超をいくら付けても足りないくらいのアニメオタクで、だからプンプン異臭を放っているからだよ。すれ違った時、凄かったでしょ? もあむああん、って」
「特には、感じなかったかなあ」
小難しい顔になって、ちょっと前の記憶を探ろうとする敦子。
そんな、真面目に受け答えしようとする彼女の肩を、橋本香奈はがっしと掴んだ。
「それ敦子の鼻がおかしい! だってお風呂に入る暇があればひたすらアニメ観ているんだから、クサいに決まってるでしょ? アニメ観てない時はパソコンでエロゲームやってんだから。で、お風呂も入ってないんだから」
「仮に毎日お風呂に入ってしっかり洗っていたとしてもさ、でもアニメオタクなんだから、なんか精神的悪臭ってものがあるじゃない?」
「そうそうっ、精神的悪臭。留美、うまいこといった!」
ボロクソである。
「敦子もアニメ好きはいいけど、ああまで堕ちちゃあダメだからね。お風呂に入っているのにプンプン漂いはじめたら、生き物としておしまいだからね」
「はあ……」
それは加齢臭ならぬ、なに臭というのだろうか。
まあいいや。
におい始めたら考えよう。
しかしさっきの二年生たち、楽しそうにアニメの話をしていたなあ。
羨ましいな。
わたしなんか、人生で一度もないもんな。あんな熱く、楽しそうにアニメを語るなんて。語る相手がいなかったし。
ああ、そういえば、なんか聞いたこともないキャラの話をしていたけど、あれもアニメなのかな。
なんだっけ、
カショーほのかちゃん、とかなんとかいってた気がする。
わたしが聞いたこともない作品だなんて。ここ数年のアニメの主要キャラなら、絶対にピンとくる自信あるのに。
つまりは、主要キャラじゃない、ということなのかな。あらすじに名前が出るような、主要な。
単なる女子高生BやCなのに、あまりに萌えてしまったので、勝手に名前を付けていたり、とか。
それとももしかして、自主制作アニメだったりして。
と、先ほどのアニオタ三人組にちょっと興味を持つ敦子であった。
4
あっはっはっはっ
はははははーっはっはっはっはーっ
はっはっはっはっ
あははは
はっはっはっはっはっ
はっはっはっはっはっ
はっはっはっはっはっ
たりらりらり……っと、いけない、普通の声を出しちゃったよ、もう。
沢花敦子は、きりり気を引き締め直すと、再びお腹に手を当て、発声を再開した。
あっはっはっはっ
はははは……
ぬいぐるみなどメルヘンチックなものに囲まれた、敦子の自室である。
ここでいまなにをしているのか。
腹式呼吸での、発声練習である。
ピアノの音頭で、ボロリンはっはっはっはっはっボロリン♪ と、音階を上げていく有名なボイストレーニングがある。
以前は真面目にそれをやっていたのだが、毎日一人でとなるとどうにも味気なく、継続させるには楽しい方がよかろうということで、もっぱら最近は敦子アレンジだ。お題曲を決めておき、それを使って腹式の発声練習をするのである。
いまのは、今週のお題曲。日本で一番売れているRPGの、宮廷BGMだ。
ここでなにをしているのかは、この説明で分かっていただけたであろうが、ではそもそも何故、発声練習などをしているのか。
それは、夢のためである。
彼女の夢は、プロの声優になることなのである。
声優、
敦子にとってこれほどに甘美な響きを持つ職業名は他にない。
英雄とか、精霊とか、なんだか魅惑的幻想的響きの言葉があるが、その二つを混ぜた発音の言葉なのだ。いいとこ取り、より魅惑的に決まっている。
言葉の響きだけでなく、仕事内容を考えても、これほど素敵な仕事はないではないか。
だって、自分ではない色々な人物になることが出来るのだから。
実写ドラマの吹き替えも、舞台の仕事も、大切な素晴らしい仕事だろうけど、最高なのはやはりアニメの声だ。
ドラマなどはやはり現実という縛りから逃れることの出来ない部分があるが、アニメならばそのような束縛から完全に解き放たれて、完全にそのキャラそのものに成りきれる。
そうした点において、アニメに勝るメディアは現在のところ存在しないのではないか。
まさに真のRPGといって過言でない。
そのようなことを仕事に出来るというだけでも、語り尽くせぬくらいに夢が広がるというのに、さらにプロであるからにはファンがいて、交流がある。
ファンクラブを作ったり、サイン会、トークショーを開いたり。
歌を出したりなんかして。
実績を積んで知名度を上げれば、仕事の幅も広がるだろう。
バラエティ番組に出てみたり、
ナレーションの仕事なんかも楽しそうだ。
動物ものとか、子供のお使いものとか。
ほんと、ただ目指しているというだけで、ドキドキワクワクがとまらない。
もちろんそういう世界に入ったら入ったで、厳しいことも腐るほどたくさんあるのだろう。
リテイク百回食らって、でも監督はなにが悪いのか全然教えてくれない、とか。
もしくは、新人でいきなり注目を浴びたわたしに嫉妬した先輩たちからの壮絶なイジメとか。
でも、なにがあろうとも、絶対に耐えてみせる。
どんなに辛いことだって、喜びに変えてみせる。
声優になれないことにはどうしようもなく、なれるかどうかは分からないのだけど。
でも、なれるという可能性を高めていくことは出来る。
そのために、いま出来ることを頑張るだけだ。
一人でひたすらトレーニングを積むことだけだ。
高校を卒業したら養成所に通わせてもらうつもりだけど、いま出来ることはそれしかないのだから。学校に演劇部もないし。
と、内面に闘志めらめら燃やしながら発声練習を終えた敦子は、次のトレーニングのため机に置いてあった一人芝居用の台本とICレコーダーを手に取った。
録音スタートさせると、台本に書かれている台詞を、感情を込めて読み始めた。
「金子、
お前は、本当に先生たちに迷惑をかけ続けたやつだったよ。
人の弁当は勝手に食べる、女子のスカートはめくる、レンガが積まれてりゃ崩す、せこいことばっかりやっていたな。
でもな、金子、覚えているか。
修学旅行で、他校と喧嘩したこと。
あれ、山田のためだったんだよな。大暴れしたのは。
あいつの……親友のチョンマゲを笑われて、黙ってられなかったんだよな。
友の悔しさを自分の悔しさに感じる、最高に優しいやつなんだよ、お前は。
卒業、おめでとう。
みんなより一足先に社会という荒海に出るお前だけど、きっと頑張りぬけると信じ……」
「この台本、つまんない!」
録音停止。台本を机の上に投げ捨てた。
誰が書いたんだ、これ。
読んでいて、あまりに辛すぎる。
つまらなくて辛すぎる。
つまらなさ神憑り的だ。
途中までとはいえ、せっかく録音したのだし、勉強は勉強だから後で聞いてはみるけれど。
最初から、忍耐力トレーニングと書いていてくれれば、もう少しは続けられたかも知れないのに。
しかしほんと酷い内容のテキストだったな。杜撰もいいところだ。
卒業式、教室で生徒へかける言葉、というような場の映像は容易にイメージ出来るんだけど、感情のイメージがまったく出来ないよ、こんなんじゃ。
……男の先生、という設定なのかな、やっぱり。
勝手にヤ○クミのイメージ持ってやっちゃったけど、違和感甚だしかったのはそのせいだろうか。
演技力不足からきているというのであれば、ただ猛特訓をするだけなんだけど。
「ま、いいや。もうこんな台本二度と使わない。内容を確認してから、印刷してもらえばよかった。違うの探そっと」
とりあえず、本日の台本読み上げによる一人芝居練習は終了!
休憩だ。
なんか飲み物飲んで、それから練習第二部を開始だあっ!
昨日、宮沢賢治の朗読をやり掛けて寝ちゃったから、それからやろう。
「と、その前にトイレっと」
敦子は階段とんとん一階へと降り、トイレへ入った。
ばったんドアを閉じるが、思い直したように、カチャリそろーっと少しだけ開いて、便座に腰を下ろした。
こうして、わざと半分ドアを開けたまま座ってえ、それで、ツンデレ少女カスミちゃんの金切り声でえ、
「ちょ、ちょっとなに見てんのよ!」
「つうか開けてんなよ!」
ちょうど通りかかってしまったばかりに最悪なところに遭遇し、心底げんなり顔の、兄、沢花祐一であった。
5
「変態兄貴に最悪なところを見られてしまったことは忘れて、気を取り直してえ、それでは本日のキャラ10本ノック。今日のお題は『そっ、そんなんじゃないよ』、開始いいっ!」
沢花敦子は、自室で一人テンション高めて絶叫した。
まずはキャラを演じる上での定番ともいえる、不良少女で、
「そ、そんなんじゃないよ!」
次は、キャピキャピ少女で、
「そ、そんなんじゃないよ!」
というか死語だよな、キャピキャピって。まあいいけど。
次はとんがり眼鏡の女教師で、
「そ、そんなんじゃないよ! ……アドリブで、ザマスとかいった方がいいのかな。わよ、とか女言葉にした方がいいのかな」
次、外車専門の整備工で、
「そ、そんなんじゃないよ! ……なんだ、この設定。外車専門って」
天使、
「そ、そんなんじゃないよ!」
女神、
「そ、そんなんじゃないよ!」
モスラ、
「そ、そんなんじゃないモスー。それともザピーナッツを演じろってことなのか? 難しいぞこれは」
ラモス、
「ジョーダンジャナイヨ!」
タコ焼き屋の店員、
「そ、そんなんじゃないよ!」
吸血鬼、
「そ、そんなんじゃないよ! よし、ノック、終了だ。今日のは、なんだかよく分からなかったけど、でも終了だ。はあ、ちかれた」
十人のキャラを演じきって、すっかりバテバテぜいはあ息を切らせている敦子。
インターネットに「声優武者修行」というサイトがあり、「今日のキャラ10本ノック」はその中にあるコーナーだ。「今日の」の文字通り、お題は日々更新される。
なお、敦子自身はパソコンを持っていないので、ネット閲覧は、父のノートパソコンを勝手に持ち出して使っている。
いまも机の上にパソコンは置かれている。
「ちょっと休憩」
椅子に腰を下ろすと、そのノートパソコンの画面を開いた。
ブラウザを起動させると、スタートページに設定してある検索ポータルサイトが開いた。
たどたどしい手つきで、文字を入力。
今日、学校の廊下ですれちがった、イシューズと呼ばれている三人組のことをふと思い出して、なんとなく調べてみようと思ったのだ。
あの、自分の聞いたこともない、もしかしたら自主制作かも知れないアニメのことを。
カショーほのかちゃん、とかいっていたよな。
タイトル仮称の自主制作アニメで、主人公の名前がほのかちゃんということかな。
そのまま打ち込んで見つかるとも思わなかったが、とりあえず、その名と、自主制作、というワードを入れ、検索してみた。
拍子抜けするくらいにあっさりと、それらしきものがヒットした。
自主制作アニメの掲示板で、「ほのかちゃん(仮)」、という名前が出てきたのである。
どうやら、かなりの高評価を受けているようだ。もちろん、素人にしては、ということなのだろうが。
掲示板に書かれている内容からして、その作品というのは、どうやら「オープニング風アニメ」のようだ。
「へえ。それで、そのアニメというのは、どこで見られるのでしょうか……あ、あ、これかな」
上へ上へと遡っていったところに、リンクを発見した。
クリックすると、動画プレイヤーが開き、軽快な曲に乗ってのアニメ動画がスタートした。
中学生だか高校生だか、とにかく学校制服姿の、ぼさぼさ赤毛の女の子が走っている。
♪♪♪♪♪♪
ねえ 知ってた?
世界は綿菓子よりも甘いってことを
ねえ 知ってた?
見ているだけで幸せになれる……
♪♪♪♪♪♪
たぶん、いや、きっとこれだ。
あの三人が、このアニメを作ったんだ。
かわいいな、この女の子。
背景もしっかりしている。
なかなか出来がいいぞ。
「おお、神っ」
演出に引き込まれて、思わず声を出していた。
普通の動画は難易度が高いから、ということか、止め絵を横にスライドさせるような動きが多いのであるが、そのような中にも時折キラリ光る、思わず唸ってしまいそうな素晴らしいシーンがある。
プロに比べて当然劣る技術力を、演出によって、カバーするどころかそれ以上のものにしている。
キャラもかわいらしい、動きも、カット切り替えの演出もしっかりしている。
歌も、プロみたい。
ほんと、秀逸な作品だ。
三人だけで作ったのかな、これ。
それとも、仲間がいるのかな。
学校での、あの話しぶりから考えて、現在はこの作品のお話の部分を作っている、ということなのかな。
いやあ、凄いのを発見しちゃったぞ。
感慨深げに腕を組んだ敦子は、ふと机上の時計を見て、びくり肩を震わせ立ち上がった。
「いっけない、もう半になっちゃうよ! はじまっちゃう!」
現在、二十二時二十八分。
慌ててノートパソコンを閉じると、どたどた音がするのも構わず全速力で一階へとかけ降りた。
居間へ入ると、父がソファに座ってゴルフレッスン番組を見ていたが、
「あたし見るっていってたでしょ!」
と、金切り声を張り上げながらテーブルのリモコンを手に取り、九番ボタンを連打。
連打の意味などない気もするが、ゴム製ボタンだとどうにも反応が鈍い感じがしてしまい、焦るとついついやってしまう。
「はじまたっ!」
ちょうど、そのアニメが始まったところであった。
まずはオープニング曲。ずらり揃った女性アイドルたちが、曲に合わせて華麗なダンスを見せている。
アイドリの愛称でおなじみの、「アイドルドリーム」。正確にはその第二期である、「アイドルドリーム きらり」である。
自室に小さなテレビはあるが、それではアイドルの華やかな世界が伝わらない。敦子はこの作品をリアルタイムで観る時は、必ず居間の46型液晶テレビで、と決めているのだ。その上でさらに自室でもう一回観るのである。
「サンサンサン、サンシャイン、ウッ、キーラキラ!」
父、母、兄がなんとも複雑な表情でじーーっと見ているのも構わず、主題歌を主人公の三雲美羽菜たちと一緒に歌い、叫び、踊る敦子であった。
6
沢花敦子は、学校の廊下を歩いている。
橋本香奈、須藤留美、大島栄子、いつもの仲良し三人と一緒に。
「あれ確かさ、小暮俊悟が主演なんだよね」
「えー、イメージと合わない!」
「いやいや、これ以上はない配役でしょ」
「そお? で、あとは?」
「ヒロインは、城山若菜だったかな」
「病弱のヒロイン役だよね。なら、そっちはいいんじゃない?」
「なんでよ、逆でしょ! 合うのが合わなくて合わないのが合うってさあ」
「ムキになってえ。ただ香奈が、小暮俊悟のこと好きなだけなんじゃないの?」
「う、ばれたか……」
珍しく、漫画アニメ絡みの話題で盛り上がっていた。
といっても、漫画アニメそのものではないが。
「ぼくのなは」という人気漫画の実写映画化が決定したのだが、そのキャストの話で騒いでいたのである。
原作漫画は敦子も好きで、全巻持っている。
深夜アニメは、変にオリジナル色が強いのが好きではなかったが、一応全話チェックした。
漫画アニメ絡みということで、珍しくも敦子主導で話が進んでおかしくない話題であるが、しかし当の敦子は普段以上に会話に参加せず、ふんふん頷き役に徹していた。
俳優の名をよく知らないこともあるが、それよりなにより漫画アニメの実写化が大大大嫌いで、口を開けば棘あり毒ありなことばかり発言してしまいそうだからである。
でもこれまでの人生、棘あり毒ありな言葉をぶちまけたことなど家族くらいにしかなく、他人に対してだと自分がどうなってしまうか、どんなことをいってしまうかまったく分からない。
だから黙っていた。
心の中だから語れることだが、本当に最近の実写化ブームには辟易する。
たかだか十五年の人生で、最近の、などと語るのもおこがましいかも知れないが、でも本当にそう思う。
人気漫画を別のメディアで展開したいのならば、まずは漫画と親和性の高いアニメでやればいいではないか。「ぼくのなは」はやったけど、一般的な話として。
単純な話、漫画が動くのがアニメであり、実写化特有のキャラのミスマッチなど起こりようがないのだから。
まあ、声優が合っているかという、別の問題は発生するが。
だいたい実写映画って、いつもいつもただ有名なだけの役者ばかり揃える。それは結局のところ、話題性つまり集客優先というだけではないのか。
作り手側の上層部にとっては、作品そのものなどどうでもよく、観てくれる人がいるという当たり前のことすらもどうでもよく、ただお金さえ落としてくれればいいのだろうか。
制作現場としては、どう実写化するかということで、楽しんで、苦労して、生み出しているのかも知れないけど、それだって、作り手の独りよがり感は否めない。
でも……それをいい出したら、実写に限らず劇場アニメも似たようなものか。
最近だんだんとCGに違和感がなくなって、映像は文句なしに凄いものが作れているというのに、なんだって声に素人を使うの?
プロが勢揃いして臨まなければならない商業娯楽の制作に、どうしてそこだけアマチュアを置くの?
勝手に宣伝をしてくれるから?
なるほど分かった。でも、それがどうした。
作品は後世に残るものであり、芸術なんだ。そうしたことを、まったく考えていないじゃないか。
その時その瞬間だけ客が入れば、金が入れば、それでいいのか。
さすがにテレビアニメの劇場版は、メインキャストはそのままだけど、ゲストキャラは必ずといっていいほど素人を起用する。
素人が一人紛れ込んでいるだけで、どれだけ作品全体の雰囲気に違和感が生じることになるか、ひょっとして分かっていないのかな? アニメ作りのプロのくせに。
ドラマでたっぷり実績を積んだ俳優だからって、アニメの声の当て方とは技術的にまったく違うものなんだ。
素人起用に関しての擁護派がよく発する頓珍漢な言い分も、この問題をより助長している気がする。
「役者出身の霧元五郎さん演ずるガロンの声は、ちゃんと合っていましたがなにか?」、などという意見だ。敦子にいわせれば、そんなのはたまたまであり、アニメ声の素人をオーディションもせずに起用したことに違いない。「実際、俳優やタレントの方々の声は、ほとんどの場合が合っていませんが、なにか?」だ。
「アメリカじゃ、役者が声優をやるの当たり前だよ。違和感ないでしょ?」なんていう意見も聞くが、これも敦子にいわせれば、「日本では絵柄も、必要とされる声も違うから、違和感ありありなんですが」。
でもまあ、役者ならまだいい。
百歩譲って、まだ許す。嫌いだけど。
許せないのは、小学生役の声優に本当の小学生を使う映画。
「リアルでしょ?」って、ちっともリアルじゃないよ! アニメのリアルはアニメに合うことがリアルでしょ! だったらこれからは絵も、小学生のキャラは小学生に描かせろー!
というか、そういうのってもうアニメである必要ないじゃん。最初から実写で企画を作ればいいじゃん。
ただでさえ劇場アニメは、既に素人声優だらけになっており、プロ声優の活躍の場が相当に失われているんだ。
このままじゃあ、いずれテレビアニメまでそうなってしまうかも知れない。
それはつまり、プロ声優の減少、獲得枠の減少を意味することに他ならない。
プロ声優になるんだというわたしの熱く真剣な夢が、趣味で声当てを担当するだけの芸能人に破壊されてしまう。
そんなことに、なってたまるか。
そんな世の中に、してたまるか。
必ず、
必ず、プロ声優になって、
頑張って、
声優界を変えて……
「敦子ってば!」
「うわ、ごめん。聞いてた聞いてた。うん、別に小暮俊悟とかいう人の主演でもいいんじゃないかな」
「全然聞いてない! どこで食べてこうかって話していたのに」
「あ……ごめん」
すっかり話題が変わっていたのか。
自分の胸の中で、すっかり熱く熱く語ってしまっていて、聞いていなかったよ。
熱く語るといっても、恥ずかしくて心の中でしか語れないけど。
そういえば、イシューズさんと呼ばれていたあの二年生の三人組、己をまるで隠すことなく高らかな大声でアニメを語り合っていたよなあ。
羨ましいな、ああいうの。
あれから、まったく姿を見かけないなあ。
学校で有名な三人組、とか留美はいってたけど、初めて見てそれっきりだよ。
気になって廊下歩くとキョロキョロ探しちゃうけど、でもまーったく見かけない。
実は誰にも視ることの出来ない、妖精さんだったのかな。
で、たまあにふらり人間界にハイホーハイホーとあらわれて、アニメの話をして、去っていくのだ。
ん? でもアニメの話をしたいだけの妖精さんなら、なんで人間界にくる?
いち 妖精界にテレビがないので、そのため。
に 人間界にアニメの素晴らしさを伝えるため。
でもどうせならアニメの素晴らしさ以上に、プロ声優の素晴らしさ、必要性を伝えて欲しい。
頼むよ、イシューズさん。
「敦子、聞いてんのっ!?」
うわっ!
6
セカンドキッチンという名のファーストフード店に寄って、
七時に帰宅。
お風呂に入り、
髪をかわかし、
外で食べてきてしまったので、晩のおかずだけをちょっとつまんで、
昨夜録画した、「はにゅかみっ!」を見て、
学校の宿題と、授業の予習復習をやって、
さあ、声優修行の開始である。
まずは、メルヘン部屋の真ん中に立ち、お腹に手を当て発声練習。
あーーーーー、と声出し。
続いて、音階上げ下げしながらの腹式発声トレーニング。
続いて、あめんぼあかいなあいうえおや、早口言葉などの滑舌トレーニング。
「……黄巻紙っ! よし、今日はいえたっ!」
続いては、去年放送していたのを録り貯めておいた、トーテムキライザー第一期を利用して吹き替えの練習。
今日は、第九話を再生だ。
テレビの音量をゼロにして、ネットで拾ってきた台本を片手に、キャラに合わせて台詞を読むのだ。
「ははああん、だあって研究所に誰もいなかったじゃああん。気にしない気にしなあい。
「いや、その考えは間違っているぞ、リコ。あいつら、脳だけがすっかり気化して倒れていた。なら、それまで誰が基地にいたのか。それとも、事が起きてから、脳が消失するようなことがあったのか。例えば……
「ええええ、でもさあああ
「でもじゃない。難しい話じゃあないだろう。疑問点を抱くに値するかどうか、という点においては。
「まあルーにゃんがそういうなら、そうなんだろうねえ
「理論的に、よく考えてみよう。まず一つ目には……」
主人公である姫野リコと、脳内に潜む別人格であるクールな天使ルウ、の掛け合いシーンを使って、演技力訓練と、吹き替えのイメージトレーニングだ。
第二話と、この第九話は、二人だけの長尺の掛け合いが多いので、最近このようによく練習に使っている。
以前の敦子は、その話の全体を再生して、出てくる人物すべての声当てにチャレンジしていた。より演技の勉強になるだろう、と。
でも、実際やってみると、混乱してしまって一人一人への感情移入がおろそかになるし、いつか自分がプロ声優になっても髭面の巨漢戦士の仕事が入るはずもないし、股間蹴られて悶絶してる男性の痛みなんか分かるはずないから真に迫った演技など出来るはずないし。だから最近はもっぱら練習で演じる役を多くても二人に絞っている。
混乱なく演じ分けることが出来れば凄いことだけど、実際、いまの実力では及ばないどころか逆効果なので、まずは簡単なことを完璧にしてから、それから幅を広げていこうと思っている。
まだ十五歳。高校一年生。時間はたっぷりとあるのだから。
少しずつ、コツコツと、だ。ローマの……あれ、なんだっけ。まあいいや。
さて、吹き替え練習が終わると、テレビを完全に消した。
気分が乗るようにBGMを流し、
筋トレを開始である。
まずはストレッチで軽く身体をほぐし、
腕立て伏せ、
腹筋、
背筋、
腕立て体制を維持しつつ、同時に発声練習、
「あーーーーーーーーーーー、
かーーーーーーーーーーー、
さーーーーーーーーーーー、
あーーーーーーーーー」
あいたたっ、昨日も張り切りすぎちゃったもんだから、もう腹筋が痛くなってきたよ。つりそうだ。
でも、まだまだ。
こんな程度の痛みに、負けてなんかいられない。
わたしは、
絶対に……
絶対に、
絶対にプロ声優になるんだから!
頑張るぞお!
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