魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲~
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第22話『神話の時を超えて~対峙した魔王と勇者』
「大丈夫か!?ザイアン!」
偶然立ち会わせたからよいものの、もし銀閃アリファールの切っ先が出遅れていたら、ザイアンは未練のまま命を落としていただろう。
助けないわけにもいかない――というわけでもない。
例え利用価値があるなしで救いを決めつけるのは、勇者にとって、人間性に欠いたこととしか思えない。
今という一時を助けたかった――ではない。
先という今後を助けるために、凱は銀閃殺法『八頭竜閃』を放った。
だが、銀閃の勇者シルヴレイブの竜舞よりに先んじた青年の『斬撃』があった。
同時にそれが、ザイアンという命にして的を狙う機械仕掛けの魔弾を防いだ――という事実。
先手を取られた凱には、驚愕する余裕などない。目の前の青年に対して。
その青年の名は――
「貴様は……ノア?」
呻きに近いような、ザイアンの一声。
自分より有能で父に重宝されていた同世代の青年。微笑を崩さないまま、ザイアンに一瞥をくれる。
「大丈夫ですか?ザイアンさん」
ザイアンに優しく差し伸べられる、金髪青年たる華奢な手。
まともに責務を果たせなかった『へたれ』な自分を気遣ってくれているのだろうか?しかし、父に言葉を届けられなかった今のザイアンにとっては、そのような労りなど傷に塩でしかない。
うっとうしい――という感想しか沸かなかった。
金髪の青年ノアの行動を咎める一人の兵士が、銃を突き付けながら声を上げた。
「ノア様!我々はザイアン様が逃亡される場合は射殺せよとの命令を受けています!」
「すみません。僕自身はそんな命令を受けていないんで」
落ち着いたノアの言葉の裏腹に、不気味な雰囲気が漂う。
情がないから、慈悲を乞われても耳を傾けない。
打算がないから、益があろうと武勲に先走ることもない。
テナルディエ、ガヌロン双方に重宝される――女王以上の最高の駒。
そんな駒だからこそ、ザイアンを射抜こうとする兵をノアが止めることさえも、テナルディエはあっさり予測していた。
情も打算もなければ確実に予定通りとなる。
まさに『盤上』の駒として最高なのだ。このノア=カートライトという青年は。
そのノアに誰もが手を出せないでいると、止まった空気を打ち破るかのように、静かに彼はつぶやいた。
「……失礼しましたガイさん。さあ、この先にテナルディエさんがお待ちです」
「分かっている」
立ち止まっていた足取りは数秒を置いて、一斉に動き出す。
しかし一人、歩みを止めるものがいた。ザイアンだった。真っ先に気付いたティッタは後ろを振り向いた。
「だ……ダメだ!オレは行けない!」
「ザ……ザイアン様?」
突如として呼びかけるザイアンの声。その震える言葉の心意をうかがい知るものはいない。
「――――先に行くぞ」
「……すまない」
どういう風の吹き回しか、シーグフリードはそう告げてノアに案内を促した。
こういう時、凱と付き合うと面倒くさいことこの上ない。
とことん情に訴える。情を持ち掛けて相手の感情をくみ取る。反吐が出そうなほどのきれいごとを語るなど、現実肯定主義たるシーグフリードにとって雑音以外の何物でもなかった。
残った凱とティッタは、地面に膝をついたままのザイアンの姿を見つめていた。
――何も語らない時間が、無意味に過ぎていく。
つくづく自分勝手で、矮小で、身勝手な人間だと、ザイアン自身は思いこむ。
ユナヴィールの村で凱達と勝手に別れ、助けられた矢先に今度は会いたくない。結局自分は何がしたかったのか?
そしてザイアンはすぐに心の内を白露する。
「オレの言葉は……父上に届かなかった!アルサスに報いるために――何かできることはないかと思って……けれど、結局オレには何もできなかった!」
気が付けば、涙をぽろぽろと流していた。
アルサス――本当なら、君一人の為だけに報いると言いたかった。
でも、それは言えない。
自分には『ティッタ』と呼ぶ資格がない故の戒め。せめてあの子の為にできることはないかと悩み苦しんだ。
言葉で心に訴えても、銃を突き付けて武力に物を言わせても、あの人は――父上は全く怯みもしなかった。
どうやらこれが自分自身の能力の限界らしい。17という年齢の割には浅はかな考えだったと――自分への侮蔑と情けなさがぐるぐる回る。
無力。
それ以外の言葉が見つからない。
「もう父上は――次に会うときには、銃の引き金を引くことをためらったりしないだろうな……オレの命なんて……父上にとって」
自嘲気味につぶやくザイアンに対して叱責する声が飛び込んでくる。
「子供を心配しない親が何処にいるんですか!?」
自分より年下の少女が、年上の自分を気倒する勢いで言い詰める。
失意に沈むザイアンの肩に手を乗せた凱は、過去に想いを馳せながら覚えている限りのことを語り始めた。
「ザイアン……君の言うことが本当なら、今頃君は命を落としていたはず。けれど、こうしてまだ生きているじゃないか?それはまだ君の父さんの心に、息子を想う気持ちが残されている何よりの証拠だと、俺は信じている!」
かつてサイボーグ時代の中、EI-02戦の影響で医療室に立ち会わせていた恋人と実父の言葉を思い出していた。
当時、文字通り鋼の身体だった凱の生命維持は困難を極めていた。異文明からもたらされた――ということもあるが、何より地球外知生体による戦闘の中でのものが大きく、最終可変超人合体から勇者王最強攻撃に続く展開を避けられなかった。
生命維持グラフ。それはずっと規定数値を境にしてレッドゾーンに触れており、あたかも凱に残された、かすかな命の残り火を揺らめかせているかのようだった。
――どうかね、命君。凱の様子は?――
――麗雄博士……生命維持グラフがずっとレッドゾーンで――
――まあ、時期に回復するじゃろうて。ハッハッハ!――
――あんな状態で戦わせるから!博士は凱が心配じゃないんですか!?――
――子供を心配しない親が何処におる!?――
――あ……!――
――……凱は2年前に死んどるはずだった。命君、凱がこうしてサイボーグとして生きてくれとるだけで嬉しいんだ――
――……博士――
――だから、こいつのやりたいことをやらせてやりたい。敵との戦いも凱が自ら望んだことだ――
――ご……ごめんなさい……私……私!――
――いいんだよ。命君がいるおかげで、凱も安心して戦えるんだから――
そんなことを、思い出していた。
意識不明――人工呼吸器という生命維持の仮面を被るメディカル中の凱に、当然両者の言葉は届いていない。でも、記録装置という電子記号の形でしっかりと凱の脳内に保存されていた。
だからザイアンに伝えたい。こうして生きていること自体が、君自身の進む道を――認めている証拠だと。
例え、それが方向を違える対立する道になろうとも。
「だからザイアン――君は選ばなきゃならない」
唐突に凱が訪ねた。ザイアンがふっと顔を堅くして、ティッタが意表を突かれたような顔でガイを見やる。
「一人で銀の流星軍の幕舎へ来た時からの君を見ているし、状況が状況だ。信じる軍旗や着こんでいる甲冑にこだわる気は、少なくとも俺にはない」
凱は時折見せる、悲痛な視線をザイアンに向ける。
「ここから本格的に、状況次第だと俺は君の父さんと本気で剣を交えることだってある。君自身が行く末を見届ける覚悟があるか――テナルディエ家の一人息子として」
テナルディエ家の一人息子――その生い立ちを思い出し、ザイアンの先天的なそばかす顔に痛みが走る。だが凱が何かを言う前にティッタが噛みついた。
「そんなの……関係ないじゃないですか!?」
「正規の軍人が組織を抜けるということは、ティッタが思っているよりずっと大変なことなんだよ。彼もそれがわかっていて、決別したはずだ」
しかし、凱も厳しい口調を崩そうとしない。
「ましてや――ブリューヌへ全面反旗を翻したのが、自分の父親じゃ……」
その選択が、どれほどの重さを帯びていただろうか?既にその答えは銀の流星軍の幕舎を訪れた時、答えは出ていたはずだ。
凱の懸念は当然のものだ。ディナントの戦いにおいて敵はジスタート軍だった。ザイアンにとっては単なる外交上の敵国だった相手だから、大した抵抗も感じずに戦うことができた。
だが、今後はどうなるかわからない。
混成軍たる銀の逆星軍、その中枢たる『テナルディエ軍』を敵にすることになったとき、彼は当然『故郷』と戦わなければならなくなるのだ。当人たちにとっても苦しいことでもあるが、国家独立を掲げる地位にある父親の立場を思いやればなおさらだ。また逆にこれが、ただの父親への反抗心から出た行動なら、そういう人物に安心して耳を傾けることもできまい。
「俺はこれからも君を当てにしたいと思っているし、ここでアルサスに引き返したいなら止めはしない。君の決断を尊重する」
凱があえて反感をもらうような厳しさで、ザイアンに問うた理由はわかるような気がした。
ユナヴィールで別行動をとったザイアンを見て、凱は彼にまだ迷いがあると察したのだろう。また、この時点で、ユナヴィールで引き返したザイアンの意志をはっきりと聞いておかなければ、自分も含め、銀の流星軍全体と共闘していくことは難しい。
ザイアンはしばしうつむいて考えているようだったが、やがて目を上げて凱の眼を真っ向から見返した。
「ディナント……アルサス……いえ、ブリューヌでも多くの戦争を見て聞いて、思ったことはたくさんあります」
ザイアンはぽつりぽつりと語り始める。
「今すべきこと、したいこと、しなければならないこと――何がわかったのかそうでないのか、それすらも今の俺にはわかっていません」
決してザイアンは口が達者なほうではない。と、凱は聞いて思った。逆に、その言葉は何の飾り気も誇張もない、真摯なものだと受け入れられた。
そして、ザイアン自身も心のうちで自嘲する。ディナントの野営地で一戦前にティグルとその弓を嘲弄したあの『おべんちゃら』だった『口』はどこへいったのやら。
「けれど、自分が目指している理想世界は、貴方たちと一緒だと――今でもそう信じています」
実の父に銃の引き金を引かれた今となってもなお、ザイアンの使命はへし折れていなかった。それどころか、小さく、徐々に灯を宿したかのような渇望が生まれるのを感じ取っていた。
「――正直、あたしにもこれと言って何ができるかわかりません」
凱の隣に、ティッタが覗き込んだ。
「俺たち『流星』が、志半ばで倒れた者たちから託されたものは大きい」
ティッタはうなずく。ザイアンは小さく「はい」と答える。
「たった千の兵力で何ができるか――何かをなすにしても不可能に近いかもしれない」
不可能に近い――しかし、決してゼロではない。今の時代を象徴するかのような、星の輝かない夜空を見上げながら凱は語った。
「可能性は見えないかもしれない……でもガイさん、ザイアン様、あたしは信じていますから」
元気づけるかのような口調と言葉が、少女からもたらされた。
「ティッタ?」
「小さくても、流星の輝きは消えない――ということを。あたしだって、『夢』をずっと見続けていきたいから」
不思議と、ティッタの言葉に二人の青年は安堵を覚えた。むしろ、勇気づけられたような気さえした。
テナルディエと邂逅する者と、既に決裂した者の両者にとって、救いに近いような感覚を覚えた。
そうだ。先のことを思い悩んでいても仕方がない。自分たちにできることを、ひとつひとつこなしていくしかない。託されたものの大きさに、これから挑む時代の流れに怖気ついてしまっては、何もできなくなる。
「だから……『勇気』だけはずっと信じています」
そっと目を閉じるティッタの横顔は、なぜか温かさをもたらした。
そうだった。彼女自身、ティグルを奪われ、バートランを失い、誰よりもその現実に打ちのめされていたに違いない。それなのに、銀の流星軍の中である意味、最も落ち着きを払っているのはこの少女なのではないか?
不意に、無自覚に、知らずのうちに勇気を与えてくれるティッタこそ、本当の勇者じゃないか?
ザイアンの瞳に光が宿る。
「もしかしたら――ブリューヌ各地にも、オレ達と同じように考えている人がいるかもしれない」
決意したかのような張りのある声でザイアンは言った。対して凱は静かにコクリとうなずいた。
「きっとティグル達だって――あきらめていないはずだ」
勇者も信じている。自分が戦友と認め、尊敬するアルサスの領主――ティグルヴルムド=ヴォルン。
民を守る為なら『形振り敵わず戦う』赤い髪の男が、囚われたままで終わるはずがない。いつか、どこか、必ず『反撃の嚆矢』をうかがっているはずだ。
少し薄れてきた分厚い雲から覗き込む、星の海の夜空に、皆は想いを馳せていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
足を進めると、そこには『決別』が先ほど行われていたような光景が広がっていた。
獅子王凱、シーグフリード、フィグネリア、ティッタと少女の5人はノアに導かれるまま、魔王の居座るセレスタの中心部――ティグルの屋敷前までたどり着いた。
あのあと、ザイアンは一人離れていずこかへ去っていった。ただ「いつか星の丘で」と言い残して。
自分には、自分だけにできる戦いがある。それは、彼自身一人で挑まなければならない戦い。
――彼もまた、ティッタと同じく『理想世界を先導する超越者―アンリミテッド』の一人かもしれない。
そんなことを考えながら凱とティッタは歩いていると次第にシーグフリード達に追いついていた。
どうやらこちらに合わせて待っていてくれたらしい。最も、もう『ヴォルン家の屋敷』の手前なのだから、まとめて顔合わせしたほうが何かと手間を省けるとのことで。
「随分と遅かったですね、ガイさん」
「手間をかけた、ノア」
「僕は全然構いませんよ。心残りがあるままではとても『謁見』など叶いませんから」
謝罪する凱の言葉に対して全く気にした様子を見せないノア。それにしても――
(……謁見か)
幾多の戦歴を持つ凱とて、これから相対する存在に対して冷や汗を垂らす。
ここから先の戦いは、竜具のような武力に依存してはいけない。口から放たれる言葉一つが、手に持つ刃の太刀筋が、今後の展開を著しく左右する。
そして凱はティッタに視線を配る。恐らく、この『一戦』を制するのはもしかしたら――
「テナルディエさん、連れてきましたよ」
ご苦労と一言労って、奴隷と化しているアルサスの民に生産活動を止めるよう、武官たちに指示を出す。
「手間をかけた。下がっていろ」
「はい」
凱たちの不意打ちを考慮して、テナルディエはノアに手短な支持を出した。
ノアの明快な声が一帯に響く。夜の静けさも相まってか、彼のような優男の声でもよく鮮明に聞こえる。
ゆっくりと暗闇が明るみを帯び、やがて人の形を作っていく。
ヴォルン家の屋敷を背にして、くたびれた『玉座』に居座る、黒き鎧をまといし丈夫。
間違いない。ヴィクトール陛下に見せてもらった『写真』と同一の人相だ。
勇者と魔王――相対する。
「貴様が――『魔王』フェリックス=アーロン=テナルディエか」
百獣の王――獅子王を彷彿とさせるフルセットの髭。
長年の月日をかけて蓄えたような前髪が、魔王の眼光を引き立たせる。
短いながらも、猛々しく映える剛髪。
とはいえ、やはり光と影の芸術品たる写真と、躍動感あふれる実物では迫力が違う。
そんな当たり前の凱の感想を察したのか、テナルディエは重々しく口を開いた。
「――――流石は勇者サマ。よくご存じだ。今は魔王が生業だよ」
「ある人から『絵』を見せてもらった」
『絵』。
フェリックスはそれだけで絵の正体が何かを看破する。
獅子王凱がテナルディエをとらえた視界は、それこそヴィクトール王が見せてくれた『写真撮影』に他ならなかった。
「そうか、人の描き手を必要としない『写真撮影』。機械文明がもたらした恩恵の一つというわけか」
皮肉とも嫌味ともとれる視線を、目の前の豪胆な男――フェリックスはちらりと脇の空を見上げる。そこには支柱の上に円鏡が強い光を放っている。凱にはまるで『屋外運動場』や『大規模工場』を彷彿とさせる、施設照明のようなものが点在していた。
「こいつもその機械文明からもたらされた『投光照明』というものだ。そしてアルサスの財政に止めを刺した『負の遺産』の後の姿でもある」
「負の遺産?」
「……どういうことですか?」
フィグネリアが、ティッタがそろって疑問符の声を上げる。
「かつて、ここは『燃料資源』の原産地だったそうだ。だが、ブリューヌ建国後まもなくアルサスは搾取され、一時期廃村寸前まで立たされたのだ」
この中で唯一アルサス出身であるティッタは目を見開いた。ティグルがヴォルン家の当主として引き継いだ時から彼女は仕えているが、そのような話は一度も聞いたことがない。
(リムアリーシャさんはそのことを知っているのでしょうか?)
以前、ザイアン率いるテナルディエ軍を撃退したライトメリッツ軍は、ジスタートへ飛散する火種を払う為等の理由でアルサスに駐在していた時期があった。
その際にアルサスの地力を把握するために資料を調べさせてほしいと、リムアリーシャはティグルに要求した。(原作2巻参照)
もっとも、その時のティッタはまだ外つ国の人間であるリムアリーシャに僅かな警戒を抱いていたのだから、主の意向を受けてリムに鍵束を渡したときは内心穏やかではなかった。だから――資料や記録以外には一切手を付けないとの約束を付け加えて。
――リムとしては、初めてティッタに表情を緩めた瞬間でもあったのだから。
石炭を上回る燃料資源がアルサスで発掘されたのは、建国王シャルルがブリューヌ版図を定めてから間もないころである。当時、冬の冷厳を乗り切るだけの暖房設備は決してまともといえず、牧や断熱効果のある毛皮をたよりにするだけであった。しかし、空気を温めたり、調理をするための牧や炭はすべて『森』から賄うしかない。
やがて訪れる『資源枯渇』に対して、この『燃料資源』をうまく利用できないか。文官たちはそう考えた。
それは、手元の明かりを灯すカンデラの燃料を補う――
それは、夜の疲れを労わる外灯の燃料を補う――
それは、鍛冶産業の原泉たる炎そのものを補うと期待されていた。
しかし、新発見の存在は、幼稚なる知識程度で容易に扱えるものではない。
理由は、木炭や石炭のように燃焼力を制御しきれなかったからだ。ヒトが、無知のまま恩恵を受けようとした罰を、自然が与えたかのように思えて仕方がなかった。
逃げる人々をあざ笑うかのように燃え広がる、激しい炎。
水をかければすぐに消えると認識され、次世代の燃料と注目されていた『燃料資源』は一瞬のうちに無価値となった。
黄金と注目されていたものが、石ころの価値しかないとわかったら、長い年月を得て次第にアルサスを離れていった。ユナヴィールをはじめとした4個所の村が現存するのは、水路によって設計された炎の迷宮を生み出すために偽装罠として構築されたからだ。
(そうか。アルサスは昔、産業鉱山都市だったのか)
周りを一瞥する凱の視線と、その推測。推測は憶測とすり替わり、『太古の地球』との記憶と擦り合わせていく。
ブリューヌの土台となるフランスを先端とする西欧国を中心とした『燃える水』争奪戦――
火を獲得し、鉄を溶かして機械文明を生み出した人類に欠くことのできない、金塊も『燃える水』に比べれば物の数ではない。世界を焼き尽くした大戦の勝利を決定づけたその言葉は、さらなる軍事産業革命を後押しするに一役買った。
されど『燃える水』争奪戦の苛烈さの一例を挙げるならば、大戦終結後のとある油田を中心に敷かれた『商戦』である。
単なる物流ではない。両国講和戦でもない。『国』も一つの生命体である以上、自らの体温を保持するために『外交』という形で運動をし、『輸入』という方法で『資源』を得ようとする。
燃える水。燃える水。過去から現代に至る『知的生命体と機械文明』が根底から覆されない限り、獅子と竜のようにただ『燃料』と咆哮せざるを得ない。
14回目の宇宙として生まれ変わった地球でも、今だアルサスは戦争の渦中であることを転廻し続けていた。
(手に負えなくなった事業の負債をアルサスに長期分割運営させることで、ブリューヌ王政に都合のいい状態を作り出したということか)
規則的に並べられた風車や区画は、いわゆる『爪痕』のようなもの。(第7話参照)
鉱脈原のヴォージュ山脈に近いアルサスは、過酷な労働条件に目をつぶってしまえば、まさに鉱山産業で営む人にとって申し分ない立地条件だ。
「そして負の遺産――『毒壺』の恩恵は、『フェリックス』という私自身の『蝮……反逆者』を生み出した」
「俺もブリューヌでは既に異端者だ」
「炎の甲冑で身を焦がし、旧時代というしがらみから離脱した亡霊か。奇遇だな、私も先祖の血統をたどると――どうやら『ライトメリッツ』の亡霊らしい」
本来なら機密にしなければならない事項を、この目の前の大柄の男は、まるで世間話を語るような感覚で告げた。一般兵には当然のことながら、それらのことは知られていないらしく、次第にあたりがざわめき始める。
凱自身はすでに『異端者』となっており――フェリックス自身は『叛逆者』である。
最も凱は、かつてEI-01との接触事故の折、サイボーグ技術を用いた蘇生手術にて死の淵からよみがえった過去を持つ。故に死亡扱いとなり地球には凱の墓がある。今更ブリューヌに凱の墓が立てられようが感傷に浸る理由などない。
勇者は神に見放されており、魔王は神に逆らっている。神の見守る『箱庭』から追放されたものと、神の『楽園』を奪い取ったもの――それだけの違いでしかない。
だから、お互いに立場を気にする間柄でもないと告げたのだ。
前口上もこれくらいにして、凱はさっそく本題に切り込んだ。
「何故――アルサスを襲った?貴様の目的はブリューヌ、ジスタートの転覆であって、辺境の村一つや二つではないはずだ」
テナルディエの目的は、ブリューヌとジスタートの完全掌握。黒竜の化身へ――エステス一同の復讐劇。
ブリューヌ版図の片隅を奪い田舎の猿大将を気取るなど、はっきり言って行動が小さすぎる。
ただテナルディエは何も隠すつもりなく、淡々と語った。
「ここをジスタート侵攻への軍事拠点とする為だ。ヴォージュ山脈に接している山岳村なら軍の存在を秘匿できるうえ、『燃料資源』の採取も滞りなく進む」
ここで初めてブリューヌの負の遺産と、テナルディエがアルサスを奪った理由が一致した。
テナルディエがアルサスに目標を定めた理由はそれこそ、以前フィーネの推測通りに他ならないものだった。(第21話アヴァン参照)
ヴォージュ山脈にほど近く、それでいて王都より離れている山岳部にあるこのアルサスは、軍事拠点として申し分ない。
現に、今まで一度も騒がれることなく、統一軍としての巨大組織の『銀の逆星軍―シルヴリーティオ』が悠々と活動を行えることができたくらいだ。
「何より、ヴォージュ山脈を越えれば精強のジスタートがいる。そこには強力な戦姫がいる」
「……エレオノーラ=ヴィルターリア」
「その通りだ。『乱刃の華姫』――フィグネリア。たった五千の軍勢で二万五千の軍勢を壊走させたのだ。警戒し、しすぎることもあるまい――最も、その『エレオノーラ姫』もここにはいないがな」
「人質のつもり?随分と陳腐な手を使うのね」
「勘違いするな。今更奴らを人質にする気など毛頭ない。賓客として迎え入れている。エレオノーラ=ヴィルターリアだけではない。リュドミラ=ルリエも、そして――ティグルヴルムド=ヴォルンも」
「「ふざけたことを……!!」」
異口同音の言葉が、獅子と隼から発せられる。獣は怒りの感情と最も相性がいいというが、そうかもしれない。
場違いな発言を繰り出すものなら、即座に食い殺す。
魔王と相対する勇者たちが、そう告げている。
「それで今度は――」
「ガイ。お前は少し黙っていろ」
「シーグフリード?」
埒が明かないと踏んだのか、しびれを切らしたのか、ついにシーグフリード自らが会話に割って入ってきた。
獅子王凱は、暗殺はおろか最初から有無を言わさずアリファールを振り回そうと思っていたわけではない。
遠い過去――例え反逆の塊として危険視されたからといって、黒竜の化身に祖先の妻を奪われ、アリファールで斬殺され、そして『大気ごと薙ぎ払われ』かけたのは事実である。
分厚い黒き鎧を纏っている為に視認できないが、テナルディエ自身に処刑されたときの『古傷』が遺伝という形で刻まれている。
そのために無辜の民を犠牲にするのは看過できないが、恨みに思い、復讐心を抱くことまではできない。
ただ、バートランの事を除けば――の話だが。
「で、今度は先祖代々の怨念と古傷の疼きを晴らすべく、ジスタート王国に復讐を果たすつもりかい?テナルディエさん」
不敵な表情をテナルディエに叩きつけるシーグフリードは、初手から核心を叩きつけてきた。
「シーグフリード=ハウスマンか。貴様は勇者と違い、私寄りに近い人間だから、理解してくれていると思ったが、どうやらハズレのようだな」
「なんだと?」
「少し私の過去を話してやろう」
テナルディエの存在と思惑は、そんなシーグフリードの想定の中にはなかった。
「私の目的は紅馬と黒竜の転覆や、先祖代々の復讐劇なんて小さいものではない。そもそも数百年前に至る祖先の世話を焼くなど義理はない」
魔王の表情に変化はない。厳岩とした顔を『投光照明』がかすかに照らし続ける。
――確かに、言われてみればその通りだと思う。わざわざ建国時代の世話まで焼く必要があるのかと。
雷禍の如き魔王の眼光が、いまだに凱達の瞳をつらぬき続けている。
「私には、血を分けた『腹違いの兄と弟』がいた。何度も死にかけた。繰り返される死闘に、私はある摂理を悟った。兄と慕い、信じれば裏切られる。弟と許し、油断すれば殺される――ならば、食われる前に喰らってしまえとな」
テナルディエの脳裏によみがえる、血を分け合った者同士で喰らいあい、糧として認識しあったあの頃。その殺戮を仕向けたのは自身の父であったことを。
「…………………」
「――シシオウ=ガイ。本当なら貴様も気づいているはずだ。『強者とは、弱者を喰らうもの』それこそが万物の摂理だと」
万物の摂理。その言葉を聞いた時、凱の全身に戦慄が走った。
終焉を超えた誓い―オウス・オーバー・オメガ。
宇宙創生をもたらす原始の炎がもたらすは、数多の摂理。
等価交換。
質量保存。
因果応報。
そして、生物が生物たらしめんとする、呪縛。
それこそが、弱肉強食。
前大戦時、凱もシーグフリードも宇宙の原液ともいえる≪オウス・オーバー・オメガ≫――通称トリプルゼロに触れたことで、宇宙の摂理に到達した。
1は2に成りえない。担い、0は人の手では成しえない。―1は+1へと必ずゆり戻される。増えすぎた弱者は必ず強者によって数を減らし、強くなりすぎた強者は弱者によって迫害され数を消していく。数学的生物化学の方程式にすぎないそれは、テナルディエにとって万物不変の摂理でしかなかった。
全ての力学は『安定』を求めて『連動』する。弱肉強食はその一環にすぎない。
バーバ=ヤガーの神殿で凱の『不殺』という檻が破られたのも、そのトリプルゼロという残り火が、高揚感によって一気に再び燃え盛ったためだった。
トリプルゼロを凌駕する摂理の輪廻式――アンリミテッドゼロ。
弱肉強食たる宇宙の摂理。奴らは怠惰な時代に退屈して経験値に飢えていたのかもしれない。
――……ハラヘッタ――
だから、テナルディエの言葉が痛烈に響いてくる。
「この腐った国が、ブリューヌの真の姿。階級制だの特権制だの惰眠を貪ってきた、弱者の支配する国の末路がこれだ。いや、ブリューヌだけではない。官僚制のジスタートとて同じこと。国の本質は辿るところ全て同じだ。私の目的は最初からただ一つ―――――――『強い国を作りたい』!!」
瞬間、葡萄酒の入っているワインがパリンと割れる。熱のこもる言葉に、凱は目を見開いた。
強い国を作りたい――それは、弱者であふれかえるばかりのブリューヌに、未来はないと悟った魔王の憂鬱。
ここに至り、凱は悟らざるを得なかった。確固たる信念のもとで行動する人間に説得は通じないと。
かつて、ソール11遊星主を説得しようとした際、凱は言葉を尽くして説得を試みた。しかし、犠牲で塗り固められた道を歩むことに対して決して揺るがぬ彼らは、懸命に言葉を紡ごうとする凱との説得に応じようとしなかった。
一つの世界に、二つの存在は肯定し得ない。
強者は正義となり、弱者は悪となる。
力無き者は滅びる。それが――物質世界の掟。
傲岸不遜なる遊星主の一人、パルパレーパも護に奪われたパスキューマシンを回収する任務上、ギャレオリア彗星を潜りぬけた際に、オレンジサイトから滴るトリプルゼロの『滴』に触れていた可能性は否定できない。テナルディエの語った『弱肉強食』という摂理は、まさにパルパレーパが語る『物質世界の掟』そのものだった。
「すべての欺瞞を!怠惰を!摂理の炎で焼き尽くす!国という大樹の根を引き抜いて種をまく!」
間違いない。
この人物は自身を『正義』と称して行動しているはずだ。
「私がブリューヌを……いや、大陸全土を『強い国』にして見せる!機械文明にも屈しぬ理想世界を築く先導者たる私の『使命』だ!!」
――――今、この魔王は何と言った?
確かに、自分の振舞いを、こう言ってのけた。
――『使命』――300年前、各国の建立過程に至る戦乱時代、誰もが口にした言葉。
『人』の抗争に終止符を打つべく、彼の地に舞い降りた黒竜の化身――ジルニトラ。
天上の神々の啓示を受け、誓い剣を取りて立ち上がった聖剣王――シャルル。
部族統一という安寧を求めて立ち上がった円卓の騎士――黄金伝説。
国家滅亡の危機を前にして、立ち上がった覇王――ゼフィーリア。
だが……。
この男は建国神話から出でた亡霊などではない。むしろ、この男の建国神話は終わっていない。
「その『使命』の為に血を流すのは、少なくとも貴方自身ではありません。その血を流すのは、今を平和に生きている人々です!」
突如、最も力を持たぬ少女ティッタが凱達の前に躍り出た。冷たい夜の大気を突き破る言葉は誰も彼も驚愕させた。
下手に動こうものなら、発言するものなら命を落とす。誰が石弓で狙っているのか、抜刀するのか、刺突するのか、若しくは合図でそれらが成されるのか、テナルディエ本人がそれを命令するのか、そういった引き金たる可能性は否定できない。
「ティッタ!?」
「大丈夫です。あたしに任せてください」
凱は心配を隠せなかったが、ティッタのほうは動じない。しかし、ティッタの横顔はどこか凛々しかった。
「強さこそが正義――弱さは罪。その『論理』は人によっては心地よく聞こえるかもしれません。ですが、それは強さという概念の押し付けです。文字をしたため、言葉を交わすほどの文明を持つ我々が、どうして『力』でしか語れないのですか?力なくとも、今を懸命に生きる人々を、大切な人たちと笑いあう幸せを否定する権利はありません!」
「小娘!閣下に対する無礼の言葉!この場で」
「構わん。このまま続けさせろ」
「しかし!」
だが、ティッタの主張を否定する者たちが現れた。テナルディエに控える兵士たちである。見ると、その手には銃が、剣が、槍が構えられている。
がちゃり。
すちゃり。
びしっ。
しかし、ティッタの主張を促すものもいた。テナルディエ本人である。これから全大陸を制覇する魔王が、小娘一人の言葉を受け止められないと思われては沽券にかかわると踏んだのか、それは本人にしかわからない。
魔王は少女の名を問うた。
「娘。名はなんという?」
「ティッタと申します―――テナルディエ卿。身分を問わぬ応対にありがとうございます」
「フェリックス=アーロン=テナルディエだ。ほう――貴様があのヴォルンの侍女にして巫女の血統ティッタだったのか」
「あたしを知っているのですか?」
「ヴォルンから貴様の事は聞かされていた。それで、ガイたちと共に『力』でアルサスを取り戻すつもりか?」
先ほどの主張の返礼と言わんばかりに、ティッタを挑発する。力でしか語れないのかと告げられたばかりに。
「いいえ、ガイさんにも、フィグネリアさんにも、シーグフリードさんにも邪魔はさせません」
頼らないということは、信じられないとイコールではない。
頼るばかりではいけない。信じることが、信じさせることが、『信頼』の神髄。
だから今のティッタには通じない。それどころか、心から奮い立たせる表情で返す。
それを証明するかのように、さらに数歩、テナルディエへ近づいていく。その行為がどれほど危険なものか。
分かっているから、彼女も戦っているのだ。とはいえ――
この距離では凱の一足飛びに『遅延』が生じてしまう。加速度差で圧倒的に有利なノアが凱の背後に控えている以上、うかつな行動はとれない。
ただそれは、テナルディエへ挑む勇者の挑戦に見えた。
「大丈夫です。いまこそ、ガイさんとの約束を果たすときです」
「約束――だと?」
魔王の疑問符。さならが止まらぬ少女の勇者たる姿勢。
「次は魔王である貴方と、勇者のあたしで争いましょう」
「ティッタ!?」
ティッタの身を案じて、アリファールを抜刀しようとした凱は、シーグフリードに差し止められた。
「ガイ、言ったはずだ。黙ってみていろと」
同じく黙って見守っていた銀髪鬼も、ティッタの行動を肯定した。
(こいつはなかなか面白そうだ)
娘の行為と魔王の反応。ただそれが見ものなだけで、とりわけ感情的何かを抱いていったわけではない。ただの興味本位だ。
テナルディエは言う。
「貴様は勇者を名乗るのか?巫女である貴様が?」
「巫女は――捨てました」
「……なんだと」
気のせいか、一瞬テナルディエの目元がくぼんだような気がした。
「残されたこの手では、祈ることしかできません。今しなければならないのは……つかむことです。勇者になれば、祈るこの手は掴む手に代わる――そう信じて勇者を名乗ることを告げました。生きる資格は祈ることで手に取るのではなく、つかみ取るものだと」
齢15の少女の手のひらがギュッと絞られる。それはさながら無力を嘆くかのように。
「本当なら……あなたの言う弱者でしかないあたしが、勇者を名乗るのはおこがましいかもしれません――ですが」
強い意志を瞳に秘めて、栗色の髪の少女は魔王に抵抗する。
「貴様は『弱者』というものを勘違いをしている」
「え?」
静かなる魔王は訂正を促す。お前は勇気の使い方を得ているようだが意味を得ていないと。
「強者とは、何も腕力に限ったことではない。貧しさよりも豊かさを――醜さよりも美しさを――ヒトは誰しも相手より優れていれば安心する。だが、それは『優者』であって本当の強さはない。――何故だと思う?」
「それは……」
「これは私の持論にすぎないが、強者と弱者を区分けるものは『心』だと思っている。いや、ヒトとそうでないもの自体を区分するものだと――私は信じている」
相手より優れた部分を見つけ、そこに安堵する。ヒトの本質は臆病で恐怖に駆られるから、相手より優れようとする。
圧辣非道の悪噂らしからぬフェリックスの主張に、凱の動揺は色濃く映った。
ユナヴィールの村の惨状――置かれた現状に憤りを隠さない村人達。自分より弱いものに罪を擦り付けた連中。今まで結束して乗り越えた絆がいかに脆いか――。
――俺がルネに言ったことと同じだ。
――俺は、あいつらを人間だと思っている。それは、彼らに意志があり、こころがあるからだ。少なくとも、人と人以外を区別するものは心だと信じている――
「だが、貴様は力無き者であるにも関わらず、こうして私との対決を直に望んでいる。それは真なる勇気を持つ、魂と心を持っているからだ」
「テナルディエ卿……」
「貴様の望みは何だ?」
あたしの望みは――
ティグル様を、返してください?
バートランさんを、返してください。
どれもこれも違うような気がして、ティッタは何度も首を振った。
確かに、その人たちを――あの幸せだった時間を返してくれるなら、返してほしい。
でも……それはあたしだけが望んでいるもの?
今、あたしがしなければいけないことは……何?
犠牲者を減らす?
助けること?
戦争を終わらせること?
星の巡りを彷彿する思考がティッタに駆け巡る。天文学的『一点』から、彼女はここで答えを出さなければならない。
「アルサスを……返してください。今すぐここから出て行って!出てけ!」
――――――――一瞬、その場の大気が凍てついた。少女によって。
――――――――刹那、この場の大気が蒸発した。魔王によって。
運命の邂逅なのか、この台詞を親子に渡って吠えていることは、ティッタ自身気づいていなかった。
「真っ先に『ティグル様を返してください』などとほざくものなら、そこに控えているノアの『鬼剣』によって首と胴は分かたれていたぞ」
テナルディエの意図がわからない。
パチンと指を鳴らすふりをする。
ティグル様を返してください――というくだり、どこか小馬鹿にしているような口調であったような気がするが――
同時に、凱の後ろで控えているノアが、取り回しの良い『脇差一本』の柄に手をかけていた。
光の輪郭、影の実体をもつかませない神速技術で、ティッタの首筋、凱の首根を狙っていたのだろう。いつでも狙えるから、油断もできるし余裕 を見せつけることもできるのだ。
ともかく――
ここで凱の心理に一つの光が差し伸べる。
(もしかしたら、説得することができるのか?)
ザイアンが果たせなかった責務を、ティッタなら遂げること叶うかもしれない。
今ははっきりと道筋が見えなくとも、せめて光明は差し込めてほしいと願う。
「だが――我々もこの革命を取りやめるわけにもいかぬ」
「何故ですか?」
「この進軍は『国民国家革命軍』として、一人一人の『民』の総意の元で動いている。いうなれば『星の意志』だ。それに私には統治する長として『秩序と安寧』を守る義務がある」
「秩序と安寧とは?」
「安らぎだ。人々が外敵に怯えず日々を送ることができるのはなぜだと考える?それは過去、現在、そして未来へと続く。『終わらない明日』が続くからだ。――なぜ、人は夜眠れるのだ?それは朝になれば目覚めるとわかっているからだ。もし寝ている間に死ぬかもしれなければ、恐怖で眠ることもできないだろう。しかし、我らはそれを経験として朝になれば目覚めるとわかっている。その『輪廻』の繰り返しが秩序というものだ。私は銀の逆星軍の指導者として、時代の安寧を得るためにも、この革命はなさねばならん」
「結論は?」
「ジスタートへの足掛かりであるここは確立せねばならぬ。しかし、無益な争いは決して私の望むところではない」
「ではこのままあたし達が引かない場合は?」
「双方にとって悲劇が起こる事態――強制的排除に出るしかあるまい」
一歩も引かぬ主張論戦に、周りの者はいつの間にか圧巻され始めていた。
静寂の時間が――流れる。
かつて、これほどテナルディエに抗弁を唱えた者がいたのだろうか?
いざ異議を発しようものならば、一族そろって打ち首にされる。それがテナルディエに従う者魔王への認識だった。
しばし止まっていた時を動かしたのは、他ならない凱だった。
「俺も聞かせてくれテナルディエ公爵。貴方は純粋に戦争がしたいのか、そうでないかを。流星と逆星に分かれて――」
「ガイさん?」
「すまないティッタ。だけど―――」
少し表情を和らげて、抱く感情を素直に語った。
「しばらく見ないうちにすごく変わった。戦う人の顔になった。正真正銘の勇者だよ」
「そんなに怖い顔をしていたのでしょうか?あたしは」
「そうじゃない。何て言えばいいかな、勇気を見せてくれた……て感じだった」
「あたしにも、よくわかりません」
たくさんのことがありすぎた。今の今に至るまで。
ディナントから始まる戦いを起点とし、ブリューヌ全土の内乱が勃発し、少なからずアルサスも戦乱の渦中に巻き込まれていた。
ティグルとバートランを同時に失い、それからも逃げ惑う日々が延々と続いた。
大切な人を想う故、流す涙。
何度も何度も踏みにじられ、幾度も洗い流した心の滴。
だから、『いつまでも続く流れ』を、このままにするわけにはいかない。
「ガイさんは、いえ……勇者様は、今に至るまで血を流されましたか?」
勇者と呼ばれた長髪の青年は、思っていることを、一辺の淀みなく話した。
「流した。だけど俺はそれを苦痛とか大変とか思ったことは一度もない。確かに、『あの戦い』では、戦えるのが俺しかいなかったというのもある。けれど、俺が今まで戦ってこれたのは、俺を勇者と信じてくれて、皆が勇者でいてくれたからだ。一人じゃなく、一つだったから。ただ戦場を駆るだけが勇者じゃない。ティッタや、この少女のように、『戦わない戦争』をすることで、戦ってくれる勇者たちがいる。何より、そのおかげで戦える人達がいる。大切なものを守る為の勇者にしてくれる。それはティッタ自身が一番わかっているはずだ」
「……ガイさん」
ティッタは胸の内にこみあげてくるものに、言葉を詰まらせた。
ディナントの戦いにて、主の背中を見送った時――
ザイアン率いるテナルディエ軍が、アルサスを襲った時――
大切な人たちが待っていてくれる。その人の為になら、人は何度でも勇者になれる。ティグルも、ティッタをはじめとしたアルサスの人々を守りたいから、勇者になれたのではないのだろうか。戦場の勇者たちを先導する『王』として。
そのような『弱者の糧になろうとする強者の責務』という論理が、テナルディエには理解できなかった。したくなかったのだ。
「ならば勇者ガイ。貴様の本音を聞かせてもらうか。そもそも貴様はこの戦争にあまり積極的ではないようだが」
テナルディエの指摘はもっともだった。
獅子王凱という人間の全容をノアから聞いていたが、どうも最後の部分だけは信じるに値しなかった。
不殺。愛。勇気。
数多の力学を衆知し、自然界にも人間社会を先導する『勇者』と、その頂点に君臨できる『王』にもなれるはずだ。
なのに、己が力を隠すかのように振る舞う始末。もっと巨大な野心を秘めているのではないか?そう思えてならないが故の質問だった。
シーグフリードに制されていた凱は、ついに己の本心を語るのだった。
「俺の本音はただ一つ。戦争の早期終結だ」
「戦争の早期終結なら、貴様はこの『人間同士』の戦争をどう考えている?戦争である以上、どちらかが滅びるしか勝敗は決めれまい」
どちらかが滅びるまで。
その言葉に対して凱は息をのむ。
正義と信じて陣営を率いた者たち、信念――盲心――欺瞞――関心を示さない者を黙認し続けてきた者たちは悪となる。
どうしてこうなる前に止められなかった?
無恥そのものが罪だ。知らなかったでは済まされない。
だから戦争は滅びという結果でしか勝敗を決めれないと――何もしなかった弱者と、こんな結末にしてしまった強者にも罪はある。
――――――――違う!!
凱は激しく首を横へ振った。それだけがヒトのすべてじゃないと。
「勝ち負けだけが戦争を終わらせることはないだろう。平和な世界を――世界に平和をもたらすのに、強者も弱者も関係ないはずだ。ましてや『人間同士』の小競り合いで神様や先祖の名前を借りるだなんて、それで本当に平和とやらがくるのかよ」
「ならば、貴様は今この場で言い争う私とティッタの主張は、どちらも嫌悪し、尊重するといいたいのか?」
「そうだ」
「どのような結末になろうとも?」
「くどい。それよりも、テナルディエ公爵こそ『革命』をやめる気はないのか?」
「ない。私は弱者からの迫害から強者を守る為に戦っている。我らブリューヌの人間には、長年革命を繰り返して発展を遂げてきた過ちを正す義務がある」
これまでの歴史が過ちで、これからの軌跡こそが、正しい道だと信じるゆえに起きた革命。だからこそ頑なに堅持するのだ。
「シシオウ=ガイ。これは『夢』という自由の欲求を持つ者同士が、信じる道を賭けて激突する革命なのだ。願わくはこの『舞台』から身を引いてくれることを願う」
――つまり、『魔弾の王と戦姫』という御伽世界からいなくなれと。
ティッタもテナルディエもザイアンも皆、対等だから勇者である凱は介入すべきではない。
結局……そういうことなのか?元凶なりし者は傍観者でいろと?
「そして、俺が介入しなかった場合、二つの論理の衝突を以て事の是非をつけようと?」
「私たち逆星が絶対的正義とは言わぬ。絶対出ないがゆえに信じる正義であり、貫くためにはやはり『力』が必要なのだ。それがもっとも苛烈に試されるのが『戦場』であり、ここへ姿を見せたティッタもまた戦場の勇者といえよう」
「まったくもってその通りだ」
凱たちもかつて、ただ存続のみを賭けて三重連太陽系という過去の宇宙と闘争を繰り広げた。
共存することもできるはず。
もう後へ引くことはできない。
正義の為ではない。生き延びるという――生命体に刷り込まれた本能によって。
「だから俺も全く同じ論理を以て、勇者はあまねく『原作』に介入し……」
ここで凱は一呼吸置く。
「――――『人を超越した力』したを以て、進撃した軍を殲滅する」
ティッタ、フィグネリアは驚愕した目で凱の真剣な表情を見渡した。
対してテナルディエ、シーグフリードも同様の反応を示した。ムシのいい絵空事を抜かす男にしては、随分と過激な発言をしたものだと。
だが、凱の論争はこれで終わらない。
「無論、そちらが話し合いに就くつもりなら、俺も席に着く。しかし、『力』で押し通すなら、俺も『力』に抗うだけだ」
既に銀の逆星軍は時代の流れを加速、逆走、超過させてしまっている。
本来なら、その『原作―セカイ』にあるはずのない『機械文明』が、力学に逆らう『暴力』を解禁してしまっている。
とっくの昔に、魔王は勇者へ宣戦布告をしている。
そして魔王の言い分が放たれる。
「ならばこちらも言わせてもらうが――こちらには『七人の戦鬼』と『機械文明』がある。貴様に『英知』があるように」
そんなことはわかっている。
例え凱自身が『人を超越した力』をもっていようと、たった一人で時代も大軍も捻じ曲げることができるというのなら、はっきり言って『思い上がり』も甚だしいとしか言いようがない。
「シシオウ=ガイ。もしここで貴様と交戦することになったとしても、私たちが勝つ――絶対にだ。その確信が私にはある」
「百も承知だ。俺だって一人でなんでもできるとは思っていない」
少々苦い表情が浮かぶ凱だったが、気持ちを切り替えて反論する。
テナルディエの主張。魔王の使命。
そして、ティッタの意志。勇者の責務。
――――――――――抜刀。
しずかに抜かれた銀閃の刃は、夜の光景の中ではひときわ目立つ。
天に掲げた切先は、何を見上げているのだろうか。
「ただ――どっちが正しいかなんて俺にはわからない……だが!信じた者たちと、勇気ある誓いの為、そして!アルサスの皆を守る為に!俺は貴様たち『逆星』と戦う!」
腹の底から響いた凱の一声は、アルサス一帯に響いたかもしれない。
夜という静けさで、皆が『勇気ある誓い』に耳を傾けた。
空高くそびえる満月。まさしく時代の分岐点を見定めるかのように、昏く、かつ妖しく美しく輝いたまま。
一つの勢力。銀の逆星軍の魔王テナルディエ。
もう一つの陣営。銀の流星軍の勇者ティッタ。
双方の行く末を見守る――勇者と魔王の間に立つ凱。
難しいかじ取りとなってきた。
幾つか数える時間を有し、フェリックスは思案する。
今、ここで凱やシーグフリードの『代理契約戦争の生き残り』どもと本当に一戦交えるか――
一機当千の神話――『銀閃の勇者』
一鬼当千の伝説――『蝕炎の戦士』
二人の超戦力を相手にして負けないわけではない。ただ、テナルディエには不安要素があった。
例え勝利したとしても、少なくともアルサスは軍事拠点としての価値を無くす。
さらにいえば、戦力の3分の2は確実に失われる。補給の面も含めて。
かといって、ただ逃げるだけでは、負けを認めているようで癪だった。
ならば、せいぜいヤツらを褒めたたえるとするか。
(赤髭のクレイシュも同じように考察していたのだろうな)
ふと口元が吊り上がる。このような仕草も輪廻のたまものなのかと思うと、不思議で仕方がない。
とうとうフェリックスの太い唇がゆらめく。
「ティッタよ。この勝負の一旦の価値は貴様に譲ろう」
その言葉を理解するに、いくばくかの時間を要した。あの冷酷非道なる魔王がそのようなことを口にしたからだ。
兵達の間で動揺が走り、アルサスの民の間にも衝撃が迸る。
「……退いてくれるのですか?」
「ああ。契約の神ラジガストに誓って」
ブリューヌ、ジスタート双方で信仰される神柱の名だ。この名を宣言することは、絶対不変の意味を持つ。悪魔契約も同様に。
「この娘……本当に成し遂げたのね」
フィーネの心中に感涙と動揺が同時に走った。ありえないと読んでいた展開が、予想外へとつながったのだから。
だが、それはティッタ一人の力ではない。
「ティッタといったな。ガイに感謝するがいい」
「いわれるまでもなく、それは初めから感謝しています。シーグフリードさんにも、フィグネリアさんにも、そして――」
ティッタは隣にいる少女へ視線を送る。
「この小さな名も知らない少女にも」
そして、フェリックスの言葉はこれだけで終わらない。
「だがな、これで終わりではないぞ?」
「勝ち逃げは許さないとおっしゃいますか?」
「無論だ。せめてここを去る前に――――『置き土産』をせねばならん」
太く、鋭いテナルディエの指がパチンと鳴る。
深い夜にもかかわらず、凱達は上空から『影』の存在を察知した。それは獲物へ急降下する『隼』を思わせた。
不遜なる存在の名乗りと声色に、凱とティッタは聞き覚えがあった。
忘れもしない、アルサスで金欲しさに領内を暴れまわった不法者。
その名は――
「アルサスを統括するこのドナルベインが相手だ!」
輪廻の摂理は凱とドナルベインの再戦を運命に仕組ませた。
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