フルメタル・アクションヒーローズ
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第5話 からっぽの少年
鳶口纏衛。その名を、恵はよく知っている。幼少期からの付き合いである真里を、かつて命懸けで救い出し、亡くなった消防士の名だ。
真里の家には、生前の彼を移した消防団の集合写真が飾られている。それは初めて彼女の家に遊びに来た日から、今までずっと変わっていない。
家族揃い、事故の日には当時の犠牲者だけでなく彼個人にまで祈りを捧げる習慣となっており、彼女の父が娘の男関係に厳しいのも、纏衛の殉職が原因だった。
彼が死を賭して守り抜いた命を、父として何としても幸せに導かなくてはならない。大恩人である纏衛に深い尊敬の念を抱く真里の父は、彼への敬意をさらなる娘への愛情へと昇華させていた。
その愛情ゆえ、娘を男の影から遠ざける目的で女子校へ通わせるつもりだった彼としては、聖フロリアヌス女学院への入学の話は天啓だったのだろう。
真里の幼馴染である恵も、その事情には精通している。養子の話に先約がなかったら、佐々波一家が纏衛の息子を引き取るつもりだった、ということも聞き及んでいた。
その纏衛の息子が、ヒーローとなって父と同様に娘を守ってくれたのだと知ったら、真里の父は何を思うのだろう。そんなことを思案しながら、恵は目線で話の続きを促した。
「……七年前の事故のあと。私は博士の養子となり、父に代わって『救済の遮炎龍』のテスト要員となるべく、訓練を受けました」
「他にも救芽井エレクトロニクスから派遣された候補者はいたが、最終的な審査の結果、テストは彼に任せることになった。元の鞘に収まった、と言うべきかも知れませんな」
それに応えるように、言葉を紡ぐ幸人。そんな彼の説明を、脇の誠之助が補足する。
恵はそこでようやく、真里が幼い日に別れた少年が辿った道の険しさを、知るに至った。
「確かに、『救済の遮炎龍』に選ばれるための訓練は熾烈でした。……が、私は父の遺志を継ぐつもりで、資格を勝ち取った」
「そっ……か。じゃあ、あんたはお父さんの分まで、みんなを助けるために……!」
「――いえ、違います」
「えっ?」
そして、父の想いを受け継ぎ、自分達を守るヒーローになったのだと恵は確信し、見直すように頬を緩ませる。やはり希望していた通り、彼には腹黒いところなどなかったのだ、と。
だが。それは幸人本人の口から、否定されてしまった。これで迷うことなく昨日の件で礼を言える、と喜ぶ恵を曇らせて。
「少なくとも、『救済の遮炎龍』になるまでは。私は、そのつもりでいました。父に代わり、人々を危難から救う立派なヒーローになる――と」
「だ、だったら」
「そうして資格を得るに至った時。……感じたのは、虚無感でした」
「……!?」
掌で小型消防車を撫でながら、そう語る幸人は、恵と目を合わさない。背を向けて言葉だけを紡ぐその姿は、恵にはどこか弱々しく映る。
「その時になって、ようやくわかりました。……私は……オレは。本当にヒーローになりたかったわけじゃない。人を助けたい、なんて純粋な気持ちがあったわけでもない。ただがむしゃらに『救済の遮炎龍』の道に打ち込むことで、父さんを亡くした気持ちを、悲しみを。埋めようとしていたに過ぎなかったのだと」
「……私も、薄々は勘付いてはいましたが。なにぶん、才能だけは突出しておりましたからな。他の候補者より有用なデータが取れる人材であるなら、動機を問う意味もありません」
「私自身も、そこまで自分が矮小な人間だったとは気付きませんでした。泣いてばかりの弱い自分と決別する。そんな覚悟を決めた『つもり』で、名前まで変えたのに」
「そん、なの……」
椅子から立ち上がり、何かを言おうとしても、かける言葉が見つからない。そんなしみったれた理由でしか戦えないなんて、間違ってる。そう言いたくても、彼らにとってはそれに縋る他なかったのだから。
「……それからの半年は、戦う理由を探しながら義務感だけで走り回る毎日でした。どんな動機であれ、本当に心から人々を助けたい、と願った候補者達を蹴落として『救済の遮炎龍』になった以上、勝手に投げ出すわけにも行きませんから」
「……」
初めて人々の前に姿を現した日から、ずっと。みんなのヒーローは、『救済の遮炎龍』は。
人命救助への情熱などとは無縁な、機械的な義務感だけで戦っていた。あれほど「救済の遮炎龍」を尊敬していた琴海も、「義務だから仕方なく」拾った命でしかない。
言外に、そう言い放たれたように感じた恵は、視線を落として逡巡する。聞きたくはないが、聞かなくてはならない。
「真里も……真里も、あんたにとっちゃ、どうでもよかったのか? あんなに走って助けた命も……あんたからすれば、義務だから仕方なく拾ったものでしか、なかったのか?」
真里や琴海には劣る、小ぶりな胸の前で服を握る。不安に瞳を揺らして、それでも真実を求めて。
振り返り、そんな彼女を見据える幸人の眼は。
「それは、違います」
「……!」
はっきりと、それを否定した。
◇
半年前にようやく完成した「救済の遮炎龍」のスーツは、手探りの研究から生まれた試作品だった。その半ば偶然の産物であるスーツを基に、より完璧な完成品を造るためのデータを集める必要があったのだ。
そのための実戦データを集めるテスト要員になったのは、本来それに選ばれるはずだった鳶口纏衛の息子。
しかし彼はただ能力が高いだけで、本質的にはヒーローへの意欲はないに等しかった。それでも他者を排して資格者になった以上、約半年に渡るテスト期間を満了し、その責任を果たす義務がある。
才羽幸人が、そうして無気力なままヒーローとなってしまい、半年近くの月日を経た三月頃。テスト装着員としての任期満了が、二ヶ月に迫る時期。
聖フロリアヌス女学院の学園長から、ある依頼が舞い込んできた。用務員として女学院に潜伏し、生徒達の治安を守って欲しい、と。
一般家庭の出身である佐々波真里の入学は、この時点で確定しており、自分達のアイデンティティを脅かす新入生の到来に、当時の在学生達はすでに殺気立っていた。そのため、真里が何らかの危害を加えられる可能性が当時から見え隠れしていたのだ。
しかし、具体的な行動を起こされているわけではない以上、女学院側も迂闊には介入できない案件であり、「何か」が起きてからでしか対処できない以上、「何が起きても」大丈夫な人材を配置しておく必要があったのである。
そこで学園長が白羽の矢を立てたのが、当時世間の注目を集めていた噂のヒーロー「救済の遮炎龍」だった。
依頼の内容を聞きつけた幸人は、一も二もなく承諾し、カーキ色の作業服に袖を通すことになったのである。
それは無気力で、常に受け身でしか任務を引き受けてこなかった彼が初めて、積極的に動いた案件でもあった。
理由は無論、依頼内容に登場した「佐々波真里」の名前である。
あの日、父が命と引き換えに救い出した少女が。今も、無事に生きている。
それは父の殉職が無意味でなかったという何よりの証であり、消えていたはずの火を灯すきっかけになったのだ。
そうして彼が聖フロリアヌス女学院に勤務する用務員となり、一ヶ月。
四月の入学式の日。ついに幸人は、あの日の少女と再会し。彼女が自分を覚えていないことに安堵した。
覚えているのが自分だけなら、彼女に気を遣わせずに済む。そう思い、勘付かれる前に踵を返し、何も知らない、関係のない用務員として振る舞おう。
そう、しようとした時だった。
生徒会長と言葉を交わした彼女は、自分が女学院に来た目的を、幸人がいる前で口にした。
あの日の男の子が、いる前で。
その瞬間。
幸人は、しばし茫然と彼女を見つめ。
涙を悟られまいと。仕事に打ち込む様を装い、顔を背けた。
生きていてくれたばかりか。自分のために、この女学院に辿り着いたと言い切ってしまった彼女が。
空虚な理由でヒーローになった少年には、ただひたすらに眩しかった。
その日から、初めて。幸人は。
「誰かのために戦いたい」という、ヒーローなら持って然るべき気持ちを、知るに至ったのである。
「救済の遮炎龍」テスト要員の、任期満了。その瞬間を目前に控えた今になって、ようやく彼は。
ヒーローとして、戦う意義を見出したのだ。
「……オレは、彼女を。守りたい。それが、からっぽのオレに残された、たった一つの……」
その想いを、記憶を辿るように語る幸人。そんな彼がふと、話に聞き入る恵の顔を見た瞬間。我に返ったように咳払いし、再び背を向けてしまった。
いつものような余裕がなく、どこか子供っぽい彼の様子に、恵は微笑ましげな表情になる。
「……失礼しました。多分に私情を挟んだ話をしてしまったようです」
「いいよ。その私情を聞きたくて、ここまで来たんだからさ」
全ての枷が外れたような思いに、恵は頬を緩ませる。少なくとも真里は、本当に大切に思われていたことは間違いない。あの瞬間、彼女は純粋な想いから守られていた。
それが、恵にはただただ嬉しかった。才羽幸人は、「救済の遮炎龍」は。悪人なんかではないのだと。
「散々隠してきたことは、謝罪せねばなりません。来週には任期満了となる身ですが……本来なら、それまで『救済の遮炎龍』としての個人情報は公表できない規約ですから」
「心配すんな。お前の任期が終わった先も、アタシはベラベラ喋らねぇ。口の硬さには、自信がある」
「ご厚意に、感謝致します」
「感謝しなきゃならないのは、アタシの方さ。……よかったよ。ちゃんと、話聞けて。それで、才羽はこれからどうすんだよ? この先もずっと、任期を終えても真里には何も話さないままなのか?」
「そのつもりです。私が鳶口纏衛の息子と知れば、今までのような気安い話もできなくなるでしょう。知らないほうがいいこともあります」
「……そっか」
「尤も、それは私個人の感覚に基づく判断でしかありません。私より遥かに彼女を理解しておられるであろうあなたが、話すべきであると断じるのであれば……」
「……そうかもね。でも、それは当分先に延ばした方がいいと思う。女学院に馴染む前にそんなこと知ったら、さすがにショックで学校辞めちまうかも知れねぇからな」
恵は親友の、繊細で優しい心をよく知っている。昨日の件で恐ろしい目に遭っても、「ちゃんとやった人と話し合えれば、解決できるかも知れない」と彼女は言っていた。親友でなければ気づけない程度に、肩を震わせながら。
そんな彼女が、自分が好意を寄せる相手が「自分が人生を壊してしまった少年」であることや「何もかも知っていた上で隠されていた」こと、「親子共々、自分の危難に巻き込んでしまった」ことまで知れば、さすがに心を折られてしまう。
そんな悪手を、この男に打たせてはならない。僅かな時間でそこまで逡巡した恵は、自分達だけで秘密を共有することに決めるのだった。
その旨を、言葉にして伝えた時。
「わかりました。……やはり、あなたに話してよかった」
「……!」
幸人は、ふっと口元を緩め。穏やかな笑みで、そう口にした。
刹那。
恵は、頭を鈍器で……それもフルスイングで殴られたような衝撃を受け、思わず足を組んだ姿勢のまま、倒れそうによろけてしまった。
そんな様子を訝しむ幸人は、再び元通りの仏頂面に戻ってしまったのだが。恵は、あまりのことに突っ込む余力もない。
(さ、さい、ばが……)
幸人が、笑った。
ほんの一瞬だが、笑っていた。それは、仏頂面しか見たことのなかった恵には、強烈なショックを与える現象だった。
(え? なに? あいつ、あんな風に笑えるの? あ、あた、アタシに、笑った……の……?)
もしかしたら、真里ですら見たことがないのではないか。素顔すら知らない生徒会長では、一生縁がないかも知れない。それほどの希少な一瞬に、思わぬタイミングで直面してしまった。
単に顔がいいだけで、何考えてるか見当つかない上、優しい親友を振り回すいけ好かない仏頂面男。それが、昨日までの自分の中の「才羽幸人」だったはず。
それなのに。そんな男が、ふと笑顔を向けただけで、心臓が爆発させられたような衝撃を受けてしまった。体が、顔が、熱い。焦げる。溶ける。思考が、はっきりしない。
これは、まずい。
好きに、なってしまう。
「ア、アタ、アタタタ!」
「……?」
「アタシ、アタタタシ! そろそろ帰らないと親父がうるさいし、おいとまするわ! ま、また明日な!」
「そうでしたか。長く付き合わせてしまい、返す言葉もありません。今車を用意しますので……」
「いやいい! ちょっと夜風に当たりたいから!」
「畏まりました。では私が送りますから……」
「いや無理! 今あんたと二人きりで夜歩いたらアタシの心臓が死ぬ!」
「では博士を呼びますので……」
「それこそ無理! あんな胡散臭いオッサンとなんか死んでも無理!」
あるはずのない、あってはならない考え。そこへ至ってしまった恵は熱暴走のあまり、お茶を出そうと席を外していた誠之助まで罵倒し、嵐のように走り去ってしまった。
あらゆる対応を跳ね除け、突然顔を真っ赤にして逃げ出してしまった恵。自分が対応を誤ってしまったのかと頭を悩ませた幸人は、誠之助が戻ってきても、暫し反応が出来ずにいた。
「おや、幸人。玄蕃様はもうお帰りか?」
「……オレが何をしたって言うんだ……?」
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