フルメタル・アクションヒーローズ
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第160話 存在しない女
船内全体が天地をひっくり返すかのように傾き、中にあるもの全てが激しく揺らされている。廊下の壁に飾られていた高級そうな絵は無惨に焼け焦げ、シャンデリアは粉々になり、その破片が床全体に散らばっていた。
豪華客船の船内にある、広大なステージ。恐らく優雅な舞踏会を催すために造られた部屋なのだろう。
このきらびやかな空間全てが、今は火の海に飲まれ、焼き尽くされている。辺りを見渡してみても――それらしい人影は見当たらない。
ベルトに巻き付けられたバックパックの中にある、チューブが付いたオートマチック式の拳銃。それを引き抜いた俺は、別の廊下に繋がる入り口を塞ぐ炎を狙った。
そして引き金を引き――白く濁った消火剤を見舞う。たちまち炎は勢いを弱め、叱られた子供のように縮こまってしまった。
「……早くフラヴィさんと合流しないと。確かにここに繋がる入り口で、彼女を見掛けたはずなんだが……」
俺は火が小さくなったことを確認し、すぐさまそこを飛び越えて奥へ進んでいく。三年前に銃で撃たれた経験があるから、拳銃型の消火器ってのはどうも受け付けないんだが……この際、なりふり構ってはいられないよな。
「しかし、随分と広いな……ここ。まるで迷路だぜ。急がねぇと、俺まで海底にエスコートされちまう」
傾いているとはいえ、まだなんとか歩ける角度ではある――が、このままではそのうち、廊下の壁を足場にして歩く羽目になる。
そんなところまで行ってしまえば、もはや沈没秒読みも同然。最悪、フラヴィさんも女性客も俺自身も、海に沈められてしまうだろう。
もちろん、そんな結末はまっぴらごめんだ。全員救助で終わらせなきゃ、任務完遂とは言えまい。
「フラヴィさん、フラヴィさん! 応答してくれ、フラヴィさんッ! ……くそッ、通信も繋がらねぇ。『救済の龍勇者』の防御力なら、ちょっとやそっとの爆発で命に関わる怪我なんてしないはず。よほどのことがない限り、あの人がどうにかなっちまうわけがない。通信機が熱でイカれちまったってことか……」
――確かに、ここまで凄まじい火災に出くわしたケースは、俺も初めてだ。
「救済の超機龍」を預かってから、一年間。色んな事件事故に駆け付けて来たが、こんなに長い時間で熱気に囲まれて活動した経験はなかった。通信機がショートしても不思議はないのかも知れない。
スーツ自体はまだまだ耐えられるはずだが……問題は沈没までのタイムリミットだけではなくなってきたようだな。
「ちっくしょう……! フラヴィさーんッ! 俺だッ! 返事をしてくれーッ!」
可能な限り、大声を上げて返事を求めてみる……が、案の定、効果はない。
ここにいない、ということは別の部屋なのか? 高級客室やら厨房やら機関室やら、思い当たる場所はだいたい回ったはずなんだが――
「おいッ! あぶねーぞアンタ! 今すぐそこから離れるんだッ!」
――ッ!?
「今のは……フラヴィさんかッ!」
行く当てを見失い、どうするべきか考えあぐねていた俺の耳に、聞き覚えのある怒号が突き刺さる。場所は……船内じゃない! 外にいるのか!?
声が聞こえた方向を探った先にあったのは、外部に繋がる廊下だった。さっきのフラヴィさんの口ぶりから察するに、女性客も外に出ているらしい。
よかった……! なんとか全員水没は免れそうだぞ!
「フラヴィさん、かなり焦ってるみたいだった……何があったんだ……?」
――そうして希望を感じる一方で、焦燥感に溢れていたフラヴィさんの声色に、俺は一抹の不安を感じていた。彼女の切迫した叫び声から察するに、女性客が危険な状況なのかも知れない。
何が起きているのか。何が起ころうとしているのか。その真相を突き止めるべく、俺は燃え盛る廊下を駆け抜けて――一気に外へ飛び出した。
「なっ……!?」
そこで、目にしたのは。
女性客が火に囲まれ、窮地に陥っている――のではなく。
「――来ましたね」
上の階の手すりに腰掛け、足を組み、悠然と佇む姿だった。少なくとも火災に巻き込まれ、逃げ遅れた人間が見せる様子ではない。
熱風に煽られ、流水のような曲線を描いているブロンドのロングヘアからは、優雅な印象すら感じられてしまう。
外見は……二十代後半くらいだろうか。黒いロングコートで全身を覆う姿からは、ミステリアスな雰囲気が滲み出ている。
組まれた足は滑らかなラインを描く一方で、かなりの長さであり、長身の持ち主であることが窺い知れる――かな。
こちらを見詰めている鮮やかな碧眼は、自身の周囲を焼き尽くしている炎のことなど、まるで意に介していない。女性客はまるで高見の見物でもしているかのような物腰で、俺達を手すりの上から見下ろしている。
……だが、「来ましたね」ってのは……どういうことなんだ? やけに落ち着いている上に、まるで俺を待っていたと言わんばかりの口ぶりだ。
穏やかで優しく、それでいて相手を捉えて離さない。そんな逆らえない何かを刻み付けるような――不思議な声色だった。
何者も寄せ付けない煌めきを漂わせる白い肌には、何の外傷も見られないし、怪我はしていないようだが……だからといって、この落ち着きは普通じゃない。
――まるで、自らの生還が確定しているかのような佇まいではないか。
「フラヴィさん、彼女は……!?」
「おっ……おお!? 旦那か! なんだってこんなところまで――って聞いてる場合じゃねぇな。残りの乗客は彼女だけなんだが、どうも様子が普通じゃねぇんだ。見りゃわかると思うが……」
「ああ。あんなに炎に囲まれてるってのに、全然取り乱していない。手すりにまで追い詰められてるって事態に気づいてないのか……!?」
「いや、そんなはずはねぇが……とにかく、ほっといたら火炙りにされちまう。あの勢いの炎に迂闊に飛び込んだら、着鎧甲冑だってタダじゃ済まねぇし……旦那! こうなりゃ飛び降りさせて、マントで受け止めるしかねぇ。手伝いな!」
女性客の背後を包んでいる猛火は、数メートル以上の高さに及んでいる。
フラヴィさんの言う通り、上の階に飛び乗って助けに行くにはリスクが高すぎるだろう。熱を帯びたスーツで彼女に触れたら、深刻な火傷を負わせてしまう可能性もある。
それならば、彼女に手すりから飛び降りて貰い、下の階にいる俺達で受け止める方が安全――ということだ。
俺はフラヴィさんの判断に強く頷くと、彼女が手にしていたディヴィーゲマントを引っつかみ、ジュリアさんの時と同じ要領でマントを広げる。
女性客側に飛び降りる勇気を要求することになってしまうが、これなら確実だ。俺達がいる階は、まだそこまで火は回っていない。上の階に向かうよりは、安全に女性客を保護できるだろう。
そうすれば、後はフラヴィさんの酸素タンクでディヴィーゲマントをボートにして、三人でそれに乗り込んで脱出するだけだ。
「そこのあんた! このマントが見えるか!? 怖いかも知れないが、ここに向かって飛び降りてくれ! 絶対に、俺達で受け止めるから!」
得体の知れない女性客だが、助かりたい気持ちがあるなら、誘いに乗ってくれるはず。俺は彼女に自殺願望等がないことを祈りつつ、マントを靡かせて救出準備があることを強調するように叫んだ。
「……」
……だが、女性客は何の反応も示さない。すぐそこまで火の手が上がっているというのに、興味なさげな視線をマントに向けている。
生還することを諦めているのだろうか。だが、それにしては全く目が死んでいない。つくづく、得体の知れない女性だ。
「おいっ! 聞こえてんのか!? 怖がんなって、アタイらがぜってぇ助けるからよ! そこにいたらどっちみち死んじまうんだ! 飛び降りさえすりゃ、アンタは絶対に助かる! 絶対だ!」
フラヴィさんも懸命に説得に掛かっている――が、女性客の反応は相変わらず淡泊そのもの。そうしている間にも、炎はジリジリと彼女に迫ろうとしている。
「くっ……! あのままじゃ助からねぇ! こうなりゃ危険だろうが何だろうが、上の階まで行って引っ張り出すしかねぇぞッ!」
「待ってくれフラヴィさん! 『救済の龍勇者』の耐久力で持つかどうかはわからない。ここは一番頑丈に出来てる俺が行く!」
俺はマントによる受け止めを諦め、上の階に飛び乗ろうとするフラヴィさんを腕で制止し、一歩前へと進み出た。
――その時だった。
「意味があるのでしょうか? そんなことのためだけに――着鎧甲冑の力を行使して」
「……!?」
「救うことよりも、壊すことの方が何倍も簡単だというのに。着鎧甲冑は今まで大勢の命を、そうやって助けてきた。その力の用途が武力に向けられた時のことを、考えてみたことは……ありませんか?」
「な、何を言って……!?」
女性客がようやく口を開いたかと思えば――出てきたのは、着鎧甲冑についての話だった。救うだか壊すだかよくわからんが、今はそれどころじゃないはずなのに。
……しかし、なんだろう。同じようなことを、以前にも聞いた覚えがある。この話はまるで……?
「いつか着鎧甲冑は、兵器になる。平和利用のために生まれてきた技術は、全てその道を辿ってきた。今は綺麗な仮面を被っていても、いつかは必ずそれを剥がされる。……あなた達はそれでも、救芽井家の高尚な理念を守り通せるのでしょうか?」
女性客はそんな俺の思案をよそに、今度は手すりの上に両足で立ち上がっていた。漆黒のロングコートと金色の長髪が、風を強く浴びて旗のように靡いている。
この行動に危機感を覚えた俺は、一気に引き返して再びマントをつかみ取る。それと全く同じ動きを見せるフラヴィさんも、同様の危惧を感じていたようだ。
「まさか飛び降りる気か!?」
「マントを広げるぞ! 急げ旦那ッ!」
俺とフラヴィさんは示し合わせるように、同時に白いマントを精一杯広げた。
ますます大きくなっていく、船体が裂ける轟音のせいで女性客の話はよく聞き取れなかったが――今は彼女の言葉に耳を傾けている場合じゃない。
そして、そんな俺達を一瞥した女性客は――
「私は、それを知りたい」
――小さな声で、何かを呟くと。
「なぁッ……!?」
飛び降りてしまったのだ。俺達どころか、この階の手すりまで越えて、船の外にまで。
普通の人間なら有り得ない跳躍力。それを見せ付けられた俺達は、一瞬だけ呆気に取られてしまったが――
「くッ……!」
「な、なんてこったい!」
――すぐさま我に返り、彼女を視線で追うべく後ろを振り返った。そして手すりに駆け付け、そこから海面を見下ろした……のだが。
「い、いないッ!?」
「そんな……どこへ!?」
彼女は、既に姿を消していた。
ただ飛び降りただけなら、海面に衝突して水しぶきを上げるはず。だが、そんな衝撃音は聞こえてこなかったし、それらしい波紋も伺えなかった。
そもそも、この高さなら今も落下中のはず。彼女が飛び降りてから俺達が反応するまで、二秒も経っていないのだから。
本当に、何の痕跡も残さず。姿も見せず。
まるで、そんな人間は初めから存在していないのだと、錯覚させるように。彼女は、自らの存在を消し去ってしまったのだ。
「な、なんなんだよ、一体……!?」
「彼女はどこへ……!?」
さすがにこんな事態に出くわすのは、俺達も初めてだった。思わず互いを見合わせて、海面を二度見してしまう。
――だが、もう俺達にはうろたえるだけの猶予も残されてはいなかった。
「うッ! こ、この揺れは……!」
「まずい! もう船が割れちまう……! こうなっちまったら、もう逃げるしかねぇ! 悔しいが――脱出するぜ、旦那ッ!」
「……あ、あぁ」
俺達が立っている、船体前方。今まで軋み続けていたその床が、とうとう限界に達したようにひび割れ始めたのだ。傾斜もますます酷くなるし、そろそろ両足で立つのも無理になってきている。
これ以上の救助活動は――もう、無理か。
一方、フラヴィさんは一足先に、マントを膨らませながら外海に飛び出していた。
俺がそれに気づいた頃には、既に彼女はゴムボートを完成させつつ、ぶるるんっと胸を揺らしてそこに着地していたのだ。
「……くッ!」
そして、後ろ髪を引かれる思いで――俺もボートに向かって跳び、船外へ脱出する。
次いで、とうとう船体の前方がへし折れてしまい、前半分が海面に落下した衝撃が、津波のような波紋を生み出してしまった。
全てを飲み込むような轟音が、俺達に覆いかぶさって来る。もはや、逃げ場はない。
「来やがった……! 旦那ァ、しっかり掴まんなッ!」
「お、おうッ!」
俺達はその波の迫撃を受け、懸命にボートにしがみつく。
そしてこの勢いを受けて、俺達二人を乗せたボートは、仲間達が脱出した方向に押し流されて行くのだった。
その刹那。
俺の視界には――満月を横切るように飛ぶ、青白い光が映されていた。まるで、一条の流星のような……まばゆい輝きが。
――こうして、この救出作戦は一人の行方不明者を除き、全員が生還を果たす――という形で決着を迎えた。
確かに、あの状況でほとんどの乗客達が生き残れたのは奇跡と言っても過言ではない。今回の事故に於ける「レスキューカッツェ」の活躍は、正しく後世に残る偉業となるだろう。
しかし、俺の気持ちは晴れなかった。
行方不明者を出してしまったことだけではない。その女性の身元を掴めなかったことが、気に掛かって仕方がないのだ。
救出作戦後、乗客名簿等の記録で、死者や行方不明者を確認した際――「全員生還」という結果が出されていた。
つまり。
あのロングコートの女性は――名簿に載っていなかったのだ。
船に乗っていないはずの、女性の失踪。その事実は報道されず、現在は「乗客達全員が奇跡の生還を果たした」という結果のみが公表されている。
あの人は一体――誰だったのだろうか。
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