ドリトル先生と奈良の三山
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第二幕その四
「その時は」
「実際にそうなりそうだね」
老馬もこう思いました。
「その時は」
「動き出しそうだからね、写真とか観ていたら」
最後にホワイティが言いました。
「あの大仏さんは」
「動かないからね」
先生は皆に笑ってお話しました。
「立ち上がることもないよ」
「そうした造りなんだね」
「別にだね」
「動かないんだ」
「立ち上がりもしない」
「そうなの」
「そうだよ、まあ動いたら確かに凄いね」
先生もこのことは笑ってお話しました。
「立ち上がったりしてね」
「ついつい想像したけれど」
「流石にそれはなくて」
「座っているだけなのね」
「あのお寺の中で」
「そう、本堂の中でね」
物凄く大きなそこでというのです。
「そうして日本を護っているんだ」
「仏様のご加護で」
「今もそうしているんだね」
「そうだよ、その為に造られたしね」
その奈良時代にです。
「当時の日本は疫病とかが流行して大変だったし」
「戦争とかもあったりして」
「それでなんだ」
「世が乱れていてそれを時の帝が憂いてね」
聖武帝です、帝はその世の中を誰よりも憂いて心配されていたのです。
「日本、そして日本の人達のことを護ってもらう為に」
「あの大仏さんを造ったんだ」
「あんなとてつもなく大きな大仏さんを」
「そうしたんだ」
「鹿まで連れて来て」
「ああ、鹿はね」
奈良の鹿のお話にもなりました。
「あれはまた違うよ」
「えっ、違うの」
「大仏さんのお供じゃないの」
「そうじゃなかったんだ」
「あの鹿達春日大社の神様の使いなんだ」
大仏さんとは関係がなくて、というのです。
「仏様じゃなくて神様の方なんだ」
「日本の」
「そちらだったの」
「何かと思っていたら」
「そうだったのね」
「そうだよ、また違うんだ」
別の立場だというのです。
「大仏さんのある東大寺の傍にもよくいるけれどね」
「また違う宗教なのね」
「神様の方なんだ」
「あの鹿さん達は」
「そうだったんだ」
「そう、そしてね」
さらにお話した先生でした。電車は線路の上をひたすら進んでそのうえで奈良に向かっています。
「ああして奈良の街中にいるんだよ」
「公園にもいるよね」
「あそこにもね」
「奈良のね」
「あそこにも」
「よくいるよ、それでね」
そしてというのです。
「あそこでよくくつろいでいるよ」
「そうなんだ」
「あそこで遊んでいるんだ」
「くつろいで」
「人にも慣れてるし」
「うん、慣れているというよりかは」
あの鹿達はというのです。
「もう自分達が主って感じかな」
「奈良の?」
「特にあの公園の」
「そう思っているんだ」
「あの鹿さん達は」
「そうみたいだよ、後ね」
さらに言うのでした。
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