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広報官トーゴー ───最後の卒業生───

作者:ネーマ
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広報官トーゴー ───最後の卒業生───

 
前書き
そういえば広報という仕事がある、だとしたらあんなことやこんなことの裏で、きっと忙しく働いていたのに違いない。
 

 
 アスターテの会戦が終結した。
 
「どうする?」
「どうするも何も……数は間違いないんだな」
「ああ、公式発表もごまかしなしでいくそうだ」
「そりゃごまかしようもないだろう?」
「千や二千ならどうにかなるが」
「一万が二万でも可能だがバレた時が面倒だ」
「面倒も何もバレないわけがないだろう」
 ここが統合作戦本部ビル内でなければ、営業会議か経営戦略だと思われるような会話が会戦終結前から、至極真面目に繰り広げられていた。
 ハイネセンの後方作戦本部へ、常時ひっきりなしに前線からの情報が送られているわけではない。敵の通信傍受の可能性もあるし、味方の士気に影響を及ぼすことも多々あれば、立案者の立場をおもんばかることもあった。負け戦の報告など聞きたくない、と豪語する者さえいる。
 敵を欺く為に嘘の通信を流すこともあるし、そうやって味方を励ますこともあった。
 しかしその中で真実のみを提供される部署がある。一刻も早く事実を知り、それに対応すべく場合によっては決着がつく前から動くこともあった。
 広報室である。
 建前は軍部と市民の間を取り持ち、軍の情報を等しく正しく知らしめる為の部署であるが、実際には嘘とまではいかなくとも誇張したり、わざと公開しないなどの情報操作の方が重要になった。



 電話が鳴った時、ヤンはまだ深い眠りの中にいた。官舎に帰りつくやいなやベッドへ倒れ込み、十六時間連続で寝てもまだ足りないくらいだったのだ。
 ユリアンは居留守を使うべきか悩んだ。
 ヤン・ウェンリーのところには彼の名を利用したい連中からの連絡が後を立たない。
 講演依頼もあれば、テレビ出演、執筆依頼もある。歴史書なら喜ばしいところだが、「ヤン・ウェンリーのよくわかる兵法」はぎりぎり理解できるとしても、「経営戦略にみるヤン・ウェンリー」とか、「ヤン・ウェンリーを目指すには」「ヤンの食卓」となるといったい何を求めているのだ? と首を捻りたくなるようなものばかりだ。
 ようは「ヤン・ウェンリー」の冠がついたものが欲しいだけで、ヤン自身の値打ちが認められたわけではない。
 ユリアンが来て住居が片づいたことと、美味しい紅茶が飲めることの他に、ヤンが助かったと思っていることが不要な電話に応対しなくてよくなかったことだった。
「提督は出かけています」
「何時に戻るのかはわかりません」
「どこに出かけたかは……軍規の関係で僕には知らされていません」
「はい、お電話があったことは提督に伝えます」
「申し訳ありません」
 などユリアンが答えるのを、ヤンは笑いをかみ殺して見ていればよかった。
 ユリアンは律儀にどこの誰からの電話だったのかを伝えるが、ヤンは右の耳から左の耳へといった感じで二度三度の電話にも
「提督には伝えてあります」
 決して嘘ではないのだから、ユリアンは堂々と答えていた。
 悩んだのは、今、この時間にヤンが官舎にいることを知っての電話だったことと
「まだそこにいるんだろう? 我らが英雄どのは」
 すぐに取り次がなかった時の相手の物言いが気に障ったからだ。
 しかしだからこそ受話器を叩きつけることができなかった。
 ヤンにすり寄る電話なら同じ意味合いでも別の言い方をする。ユリアンにさえおべっかを使ってくる。だがトーゴーと名乗る男の言い種はどうにかしてヤン・ウェンリーと話したい輩のものとは違った。
「少々お待ちください」
 子機に切り替えると寝室のドアをノックする。返答がないのはまだ眠っているのだろう。
 昨夜、簡単な夕食を用意してあったが、ヤンは寝室へ突進した。寝間着に着替えるのは無理でも、そのままだと寝苦しいはずだと、ユリアンはシャツとズボンを文字通り引き派がしにかかった。その間、ヤンはされるがままで、ベットカバーの上で眠りかけていたのを、ユリアンがぐったり重たい身体の下から毛布を引っ張り出したのだ。
「……提督、お休み中に申し訳ありませんが」
 いつものように小声で言ってから、これでは目的が達成できないことに気づき
「提督、起きてください」
 声と一緒に揺り起こしにかかった。
「お電話です」
「…………うーん……電話? 私はいない」
 枕を抱いてヤンは寝返りを打つ。
「……いることはバレてます」
 ユリアンはこの会話を、電話の向こうの人物にはあまり聞かせたくはなく、声を殺しているのだが半分寝かけているヤンは状況把握ができていなかった。
「……ヤン・ウェンリーはアスターテで戦死した……そーゆーことにしてくれ」
「無理です、それは」
 相手がキャゼルヌあたりなら、ヤンらしいと笑って済ませ緊急でなければ「生き返ったら連絡しろ」となるところだが今回は異なった。
「起きるんだ、ヤン・ウェンリー」
 子機からの大音量だった。ユリアンは驚いて子機を取り落とし、ヤンもびくりと肩を震わせ、続いて目をこすった。
「……提督、お電話です」
 拾い上げた子機を手の平に押しつける。
「…………この電話は現在   」
 これまで散々通話しておいてそれは無理、とユリアンが心の中でつっこんだ時、ヤンの上体がゆらりと起きあがった。
「……はい、生きていました」
 まだ声はしゃっきりとは程遠いものの、ヤンはベッドの上にあぐらをかき、子機配達員にはひらひら手を振る。
 もちろん寝室のドアに耳を押しつけるようなユリアンではない。そしてヤンもドア越しで簡単に聞こえるような話し方をするわけもない。
 しばらくしてヤンが居間に現れた。まだ寝足りない顔をしている。
「いいタイミングです」
 こちらにどうぞ、とリビングテーブルに誘われた。ユリアンなりに考えてくれたであろう、身体に優しい消化のよさそうな食事が並んでいる。
「士官学校時代の先輩だ」
 自分から申し出たのは、言い訳レベルにも達しない情けない発言を被保護者に聞かせてしまったことと、心尽くしの食卓の中から野菜スープくらいしか手をつけられそうもない心苦しさからだった。
「キャゼルヌ少将のような?」
「うーん、それとは違う……かなり違うな」
 スプーンで一匙ずつ、スープを胃に流し込みながらヤンの口はあまり滑らかではなかった。
「最後の戦史研究科の卒業生でね。だから一学年上だった」 


 それはヤン・ウェンリーにとっては青天の霹靂だった。寝耳に水でもあり、藪から棒で足下から鳥が立つであり、まったくもって予想外のことだった。
 もっとも他の者に言わせれば、予兆はあった、事態は十分に予測可能だった、らしいのだが。
 父親が亡くなったこと、そして学費に当てようと思っていた遺産がゴミだったことも困った事態ではあったものの、死なない人間はいないし、名うての収集家でも偽物をつかまされることは怏々にしてあるのだから、美術商でもない父親などいいカモだったのだろう。それはもういい。
 私立大学ならいざ知らず、士官学校の特定学部が資金難で閉鎖されるとは。
「せめて私が卒業するまで待ってくれたらよかったのに」
「まあ、いいじゃないか、ほおり出されなくて助かった思えば」
 ヤンとしてはいっそのこと、もう必要ない、と追い出された方がよかった。
 学校側はきちんと対策を講じた。しかも入学試験では点数が足りなかっただろう戦略研究科への転科なのだから喜べと言われた。もし応じないのであればそれまでの学費を返還しろ、とも。
 軍人になる為の学校であり、ヤンもそれは承知しての入学なので学校側の要求に従うしかなかった。これが学科廃止につき退学してもらう、学校都合による退学なので学費返還は免除、であれば万々歳で退学したのだが。
「そりゃあ、先輩は卒業できたからそんなことが言えるんです」
「戦略の方が入試での偏差値が高かったからラッキーだと思っているヤツもけっこういるらしいぞ」
「私は最初から戦史研究科が志望でした」
「そんなこと言ってたな、確か」
 トーゴーは笑いながら
「卒業後は戦史編纂室に配属されて、ずーーーっと資料整理したいんだよな」
 そう付け加えた。
「ええ、誰より真面目に勤めるつもりでした。今だって諦めてはいませんし」
「それって今いる連中が聞いたらムッとしないか?」
「私の心意気だから関係ありません」
 士官学校最後の戦史研究科卒業式会場で、その時にはまだあのような形での再会など、二人とも夢にも思っていなかった。



 ヤンが自分が「エル・ファシルの英雄」と称され、昇進することを聞かされたのは彼の上官からでも、もっと偉い人物からでもなかった。また統合参戦本部ビルでもない。 
 三〇〇万人の民間人を保護して後方星域に進入した時に、一隻の駆逐艦がヤンの乗る艦に接舷の許可を求めてきた。
 その際の通信では三〇〇万人の民間人の引き受け先、一時的に着陸する惑星などの連絡もあったので、それを文書化したものを渡されるのだと思った。
 だから形ばかりの司令官室を訪れたのがトーゴーだったのも、単純にそこまで人手が足りないのかと勘違いした。
「おめでとう」
 儀礼的な報告のやり取りの後、トーゴーがそう言ったので、ついヤンも
「ありがとうございます」
 と反射的に返し
「運がよかったんですよ」
 そう付け加えた。
 ヤンとしては、もしも帝国軍がレーダーに映るものは人工物に非ず、と思いこんでくれなければ作戦は失敗した。一人でも疑いを持ち、偵察機を出すことを言い出してそれが受け入れられれば、ヤンたちも捕虜になっていたはずだったからである。
「……まあ、運……と言えなくもないが」
 トーゴーは苦笑した。
「奇策だったことは認めます。リンチ少将が囮になってくれたのも偶然の産物、誰が指示したわけでもありませんから」
「…………? 何の話をしているんだ?」
「? 何って、今回のエル・ファシルからの脱出劇のことですよね?」
「うん? ああ、なるほど、確かに運もあったか」
 何やらトーゴー納得している様子から、どうも話が食い違っていることがヤンにもわかった。
「おめでとうはお前の昇進のことだよ」
 ヤンは目を白黒させているが
「はあ……これで階級が抜かれてしまうんだな。タメ口ももうしばらくの間だけか……まあ、だいたいが軍艦に乗っているわけでし、俺はそう簡単には昇進しないんだから、そのうち抜かれるとは思っていたが」
 そうトーゴーはぼやく。
「戦死や捕虜になる機会もまずない分、給料が少ないのは利にかなっている」
 自分を納得させるように頷いている様子を、まだヤンがきょとんとして見入っていることにトーゴーは笑った。
「昇進が決まったんだ、お前の」
 言いながら、とんっと人差し指でヤンの胸をつく。
「……私、の?」
「そう、お前だ」
「昇進?」
「まさか昇進の意味がわからないわけじゃないだろうな」
「ま、まさか……」
 いくらヤンとてそれはない。ただそれが自分の身に降りかかるとは思っていないだけだ。少なくとも現状においては。
「エル・ファシルを失ったのは致し方ない。それに至る経緯については別途検討されるだろう。だが民間人を見捨てて逃げるなど軍人の風上にもおけない恥ずべき行為だ。
 しかも三〇〇万の民間人が目撃しているのだからごまかしようがない。囮になるのが最初から目的であった、と言い含めるにしては舞台が大き過ぎた」
 リンチ少将のおかげでヤンたちは無事に脱出ができたのだが、それは最終局面だけを見ればオーケーなだけで軍部としては一番避けなければならない事態である。
「そこでエル・ファシルの英雄の誕生というわけだ」
 三文役者のごとく両手を広げてトーゴーはポーズを作る。
「今となれば逃げ出した輩が捕虜になっていてよかったよ。英雄と恥部が一緒に凱旋はできないからな。奴らを叩くことはマスコミに任せておけばいい。
 ああ、お前が気にすることではない」
 ヤンは無言で頷いた。頷くしかなかった。
 リンチ少将本人がどのような目に遭おうとも本人がしたことの責任を本人が取るのは当たり前のことである。しかし彼の周囲には民間人を置き去りにして逃げることに反対した者もいただろう。
 そのような事態になったことを知らないまま艦に乗っていた兵はさらに多いに違いない。
 彼らも少将と同等の罪をおうべきなのだろうか? ヤン自身も上官の策にいつも賛成しているわけもなく、どちらかというとそれはちょっと、と思うこともしばしばで、しかしそれも軍人の責務の一つ、船頭多くして船山へ登るとあるように、乗り込んだ船の船頭に命を預けるほかないこともある。
 トーゴーが言うところの「マスコミに任せる」のは軍人だけではないはずだ。
 何の罪もない少将の家族がどんな扱いを受けるのか、その想像は容易く、まったく楽しいものではなかった。
 昼も夜もなく押し掛け、今回のことをどう思うのか、取り残された民間人にどんな言い訳をするつもりなのか、巻き添えにされた部下に申し訳ないと思うのか、などなど、家族にしてみれば何故そんなことに答えなければならないのか、本人でないのだからわかるわけがない、ことを尋ねられるだろう。
 リンチ少将に言いたいことはないか、と聞かれたとしても、それが本人に届くわけでなし、望まれている回答が決まってもいる。
 これが民間人に銃を向けたのなら人々の怒りも強く、家族まで許すまじという気持ちになることもあろうが、万が一そうだったとしても本当に家族にまで敵意を向けるべきではない。
 ましてや、結果として少将は囮になってくれたのだ。彼らがエル・ファシルに留まり、そこを帝国軍に包囲されたら、戦闘のあげく軍人民間人共に大量の戦死者を出した上での占拠、あるいは全滅、よくても無血占領は必須だった。
 ほぼ身一つでの脱出には負担が伴いはしたが、帝国領地になれば財産は没収になっても不思議ではないし、民間人は必要ないと放り出されたとしても同じことで、リンチ少将のおかげで最良の事態が得られた、とも言える。
「まさかこの期に及んで妙なことを考えてはいないだろうな」
 気づくとトーゴーの顔が目の前にあった。長身な分、やや身を屈めている。
「囮となる作戦であれば、残していく部下にもそれなりの地位の者を選ぶ。何よりも民間人には伝えるはずだ。整然として脱出する為に」
 強い意志の色の濃い瞳の先にあるヤンの眼球が戸惑い動く。
「苦労したんだろう? 皆ををまとめるのは」
 その時のことを思い出しているのは即座に見透かされた。
 同盟軍に見捨てられたと思ったのは民間人だけでなく、残された軍人も同様だった。ヤンの階級がもう少し高ければ、自分たちを護る為に配置された軍人を信頼し、頼ろうともしてくれただろうが。
「もう筋書きは変えられない。いや、事実をねじ曲げられては困ると言った方が正しいな。リンチ少将がエル・ファシルから逃げ出したことは隠しようがないんだ。
 実は囮で最初から決まっていた作戦でした、見事帝国軍を騙せてめでたしめでたし───上手くいけばいいが、もしそれが嘘だとバレたらどうなる? 
 軍人が民間人を見捨てただけでも大問題なのに、それを隠そうと姑息な策を講じた……考えたくもない。事実に勝るもの無しだ。
 それともあれか? エル・ファシルの英雄には嘘がバレた後の信頼回復の策がある、とでも?」
 トーゴーは正論を語っている。少なくともリンチが市民を見捨てたことは隠しようがない。
「……それは、そうですが……え? 今何と?」
「信頼回復の策があるなら試してみてもいいが、その前に持ち帰って検討させてもらう」
「い、いえ……それではなくて、ええと、エル・ファシルの何とか?」
「ははは」
 トーゴーは低く笑った。楽しげな響きを伴っている。今にも小躍りせんばかりだ。
「エル・ファシルの英雄だよ。何のひねりもないのがいささか短絡的だが、わかりやすくていいだろう?」
「……誰のことです、それは」
「……まさか……よもや本気で聞いていたりはしないな?」
「本気だと言いたいです」
「よかった。心労で耳が悪くなったか心配した。なんせ大切な身体だからな」
 一歩下がるとヤンの全身に視線を這わす。
「もう少し上背があるとか、体格が良いとよかったんだがな。まあ、いかにも、でないところが逆にアピールになる」 
「……今さら身長は伸びませんが……」
 ああ、とヤンは思い出した。
「そういえば、先輩は広報官になって勧誘記録を更新しましたっけ」
 トーゴーはヤンよりも頭半分ほど背が高く、細身ではあるが軍人として鍛えられた身体に軍の礼服が似合っている。
 式典の類を除いて、ヤンたちが着用しているのは黒いジャンパーにアイボリー・ホワイトのスラックスだが、広報官は普段から礼服を着用した。これはジャンパーが戦闘服の色合いが濃いことと、他にも大きな理由があった。
「戦史科を出て広報官へ、華麗なる転身、でしたか。校内でも噂になりました」
 広報官の仕事の中で軍への勧誘が占める割合は大きい。その為、広報官は士官学校卒よりも各大学の卒業生、特に運動系のサークル活動をしていた者が多かった。
 軍隊は縦社会であるから、大学の運動部ならばそれに慣れている。
 無関係の人間が「軍人にならないか」と大学を訪ねても、練習真っ最中な学生がまともに話を聞くとは思えない。しかし先輩であれば、それこそ縦社会が生きてくる。
 卒業してすぐなら後輩も覚えているが、十年経っていようともOBの威厳が通用するのが運動部だった。それが伝説と称されるような名選手であれば効果は絶大である。
 だからそのような人物をまず勧誘すべく、広報官は大学を回ったものだった。
 鍛えた身体を軍で生かそう、ではなく、その人脈を生かしてくれ、と。
 そしてこうも付け加えた。
 広報官である限り、前線に出ることはない。各種手当ては充実しているし、年功序列で適度昇進し、退役後は恩給も出る。
 大学とのパイプを太いまま保つ為に、勤務時間内に後輩と一緒に汗を流すのも可能、合宿などへの参加も出張扱いになった。
 学士あがりと呼ばれる新兵は、理不尽な扱きに近い訓練や古兵の罵倒に弱いが、運動部卒は違う。どれも学生時代に経験したもので、先輩の命令は神の声のようなものだったから、初期訓練で逃げ出す者は極めて少なかった。
 勧誘率だけでなく定着率も良い。
 その中でトーゴーはいきなり勧誘成績のトップに躍り出た。
「偶然の副産物だ」
 それはここでトーゴーが初めて見せた不機嫌そうな様子だった。
 帝国軍と違い同盟軍は女性兵士もいる。
 前線で戦うばかりが軍人の仕事ではなく、後方でもいくらでも仕事はあった。軍艦にも普通に乗務し、女性パイロットもいる。
 最初は説明会へ同行しただけだが、個別応答になったらトーゴーの前に女性の列が出来た。決まりきった勧誘文句なのに礼服に身を包んだトーゴーが説くと女性陣がうっとりして見つめてくる。 
「俺がそんな理由で広報官になったと思っているのか? 何の為の戦史研究科だ。まさか戦略と戦術がすべてだとでも? エル・ファシルの裏切り者なんかより大きな花火を打ち上げる必要があるのさ。エル・ファシルの英雄、ヤン・ウェンリーという花火だ」
 そこまで聞くと、ヤンにも昇進を伝える使者がトーゴーである理由がわかった。トーゴーは戦史研究科を出たからこそ広報官になったのだ。
 戦史研究科では戦争の歴史を学んだ。
 大昔からの戦略や戦術もだが、情報操作の重要性は戦いの方法が変化しても高くなるばかりだった。また戦意昂揚の為に国力をかけた盛大なイベントを開くのも昔からで、貴重な映像が残っておりヤンも見たことがある。
 巨大なコロシアムや広場で当時の支配者や軍幹部、政府の要人が自らを正当化どころか神格化し、戦争を讃美する演説をした。世論は軍拡を指示するようになり、その中で冷静な判断力を持って反対した者は非国民と罵られ、心身共に差別され傷つけられた。投獄や処刑、一族郎党まで同罪となったこともある。
「まあ今はゆっくり休め。式次第は後で送る」
 ハイネセンに戻ってからトーゴーの言葉の意味を痛感した。あの後寝貯めしておくのだったとヤンは大いに後悔した。
 生者に二階級昇進は与えられないのでヤンの大尉はわずか二時間だった。
 しかもエル・ファシルの英雄を際だたせる為に、どちらも仰々しいほどの手順を踏み、マスコミの取材責めにあった。
 これまでヤンが会ったことのない階級の者が破顔で握手を求めてきた。記念撮影の嵐、次から次へのテレビ出演にその合間にはインタビューもあった。
 一週間の間、ヤンの顔がテレビに映らない日はなかったし、同じやり取りが幾度も流された。
 事後処理もあったのに、それは免除され、求められるままあちこちに引き回される。
「市中引き回しってこんな感じだったのかな」
 普段乗ることのない豪奢な地上車中でヤンはつぶやいた。
「酷いなあ。待遇がぜんぜん違うと思うが」
 広報官として一緒に乗り込んでいたトーゴーが聞き捨てならないとばかりに返す。階級こそはヤンが上の立場になったが、公の場でなければ結局は士官学校の先輩後輩の関係が続いていた。
「どこもきちんと応接室に通されるし、お前さんの好きな紅茶を用意してあるだろう?」
「……紅茶も好きですが、酒も好きです」
「それはさすがにまずい。なんせ任務中だ」
「これが任務ですか」
「給料出ているじゃないか」
「紅茶、飲む時間がないです」
 それにはトーゴーが吹き出した。
「あー、確かに、ゆっくり飲んでいる時間はないか」
 応接室に入るとヤンには紅茶が出されるが、挨拶と打ち合わせの嵐で、紅茶どころか食事を取る時間もなく、出された豪華弁当は地上車の中で食べつつ次の場所へ向かう有様だった。
「質疑応答は事前に打ち合わせが欲しいと言ったのは誰だ?」
「私は広報官ではありませんから。突然の質問に立て板に水は無理です」
 それに関してはトーゴーからの申し出だった。
 テレビも可能な限り出る、インタビューも受ける、軍の会見にも同席する、ただしヤンへの質問は事前に提示すること、それ以外の質問には答えられない、約束を違える社があれば今後一切の取材を断るし、軍からの情報提供もしない───これまでも広報官から厳しめの提言はあったがこれほどではなかった。
「まあな、俺が広報官だったことに感謝してくれ」
 ここまでしなくてもいいのでは、という声もあったが、士官学校時代のヤン・ウェンリーを見知っている、咄嗟に気の利いたやり取りが出来る男ではない、エル・ファシルの英雄の失言ですべてが台無しになってもよいのか、たった一言で元首の地位を降りた者が過去どれほどいると思っているのか、広報室でトーゴーが言い放つと反論は一切出なかった。
「でもこれなら先輩が読み上げても……」
 質問状はいいとしても、すべて返答も書いてあるのだ。
「不満か? 直してもいいぞ。直したものを見せてもらうが」
「検閲ですか」
「人聞きの悪いことを言うな。添削と言え、添削だ。英雄が恥をかかないように。で、実際のところどうなんだ?」
「……このままで、いいです」
 どの答えも、軍人としてはこう答えるしかない、これ以上のものを考えるのは無理だった。また当時の心境としてもほぼその通り、状況もまるでその場にいたかのようだった。
 もっとも質問事態が厳選されたありきたりなものばかりだったこともある。
 当然不満はあがったが「芸能人のスキャンダルと一緒にするな。軍人にいったい何を聞きたいんだ? 軍には機密事項が山ほどあるのは知っているはずだ」トーゴーは一喝した。
「こーゆーことにも興味があるらしいぞ」
 ボツにした質問状をヤンに見せる。
「…………これは、ちょっと……」
 それはリンチの行為についてどう思うか、を始めとした逃亡した者に関するものと、ヤン自身の生年月日はいいとしても、極プライベートに関わるもので、恋人の有無から好きな女性のタイプ、休日に何をしているのか、最近見た映画は?など軍人に聞く必要があるとは思えないものばかりだった。
「士官学校時代の成績については、学校側は提出してもよいと言ったがこちらで断った」
「……すみません」
「改竄するわけにいかないからな」
 トーゴーは戦史研究科を次席で卒業した。ヤンも首席や次席まででなくとも「優秀な成績で」と言えればよかったのだが、ごくごく普通だった。戦略だけなら「そこそこ優秀な成績」だったが、射撃など落第点すれすれの科目も多く、よい部分だけをクローズアップすると「軍は都合のいい発表しかしない」というトーゴーたちが避けたい事態を招いてしまう。
 もちろん嘘ではない、隠したわけではない、たまたま公表する機会がなかっただけだ、は得意技ではあるが、ヤンの成績で使うのは難しい。
「恋人の有無は残すか?」
「いいえ」
「せっかくだから好みのタイプの女性だけでもどうだ? 申し込みが殺到するぞ。バーラト星域に放送されるというからすごいことになるだろうが」
「けっこうです」
「いい話だろう? 階級からだいたいの年収もわかるし、さすがに同時放送は無理だから時間差はあるな。ゆっくり吟味できる」
「けっこうの意味が違います」
「わかっているさ。でもそうでもしないと彼女いない歴=年齢になるんじゃないかと思って」
「…………」
「図星だろ」
「……違います。私だって」
「おおっ、そいつは初耳だ」
 初耳も何も、トーゴーが卒業してから挨拶以外で話したのは先日が初めてである。
「いいな、ぜひそれは入れよう」
「いやです。だいたい昔のことですし」
「相手の名前を公表しろとは言わないさ。イニシャルか仮名でいい。写真は修正を入れさせよう……って冗談だよ、冗談」
 と言いつつも珍しくもヤンの目がつり上がるまでトーゴーは本気だった。
「残念だなあ。エル・ファシルの英雄との集団見合い、企画として悪くないのに」
「これ以上さらし者にするつもりですか」
「だから、見合いだと言っているじゃないか。たまに開催している。評判いいぞ。ハイネセン以外で、はっきり言うとやや辺境地域ではあるんだが」
「広報は結婚相談所まがいのことまで?」
「何でもやるさ。軍のイメージアップと勧誘の為ならば」
 もともとは開拓惑星移住者向けだったが、トーゴーは別の部分に目をつけた。
 大きな産業のない地方であっても軍人ならば安定した収入がある。異動はあるが住まいの心配はいらない。最低限の生活ができる住居が軍人には提供される。もし基地しかないような場所なら単身赴任、残った家族の生活が困らない額の手当が支給される。戦闘に限らず任務中の疾病は無償で治療できる───男女問わず結婚相手として悪い条件ではない。
 トーゴーはこれを逆に利用した。
 結婚相手に軍人を、ではなく、軍人になれば結婚しやすい、独身者も生活には困らない、衣食住は軍が面倒をみてくれる。どれも広報としては今更な募集時の文言であるが、これまではそれを人口の多い場所でおこなっていた。
 これまでは下手な鉄砲も数撃てばとばかりに大都市で説明会を開いていたが、広い会場に集まる人員はまばらだった。
 それをトーゴーは手間はかかるが地方に狙いをつけた。
 町の小さな会場は、より高給の貰える職場を求める若者で溢れた。用意した資料が足りず現地職員が慌てるほどだった。
 軍人は甘い美味しい仕事ではない。訓練は厳しく、なんのコネもツテもない地方出身者の多くは前線に送られる。艦隊戦が主であるから戦死率も高い。
 以前は儀礼的に戦死報告と二階級特進が伝えられるだけだったが、ハイネセンから遠い者ほどトーゴーは軍から人を向かわせた。自身が勧誘した地域であれば時間が許す限りトーゴーが花を持って訪問した。遺影に手をあわせ、今も同盟領が自治を保てるのは尊い犠牲があったからだと遺族に頭をさげ、恩給の説明や手続きまで面倒をみることによって、それまで多かった「勧誘の時には美味しい話だけして息子や娘をさらっていく」悪評を減少させた。
 末端の兵士の死に様など誰も知らないし伝える者もいないが、トーゴーはその時の階級、乗っていた艦、戦況からそれらしい最期を想像して遺族に語った。
「さて、そろそろ着く。なかなか美味い弁当だったな」
「よく食べられますね」
「値段の分、揺れは少ないはずだが」
 ヤンの階級では乗れない地上車の中で、トーゴーは食事はもちろん、書類を書き、あちこちに電話をかけ、テレビ用にスタイリストの役割までこなしている。
 予定通りの質問にこれも予定通りにヤンが答え、終了時刻に下がりかけた瞬間
「リンチ少将に一言」
 協定を破って一人の記者が呼びかけてきた。
「もう時間です」
 素早くトーゴーが間に入ろうとしたが、それよりも差し出されたマイクが早い。
「……え、ええと……お元気で……」
 それまでもカンペを読み上げているかの応答だったのだ。質問状にリンチの名前が出ているものは却下してある。
「以上です!」
 咄嗟のことでヤンはしどろもどろになり、それでも軍にマズい返答ではなかったが、的を得ているとも言い難く、トーゴーはマイクを引ったくると大声で叫んだ。
 一方記者たちは模範解答を読み上げるヤンには飽きていたので、微妙ではあるものの、おそらくはヤン・ウェンリーの本意らしき声が聞けたことには喜んだ。捕虜になっている上官に対して、極めて好意的に受け取れば確かに呼びかけとして間違ってはいない。
「ハイネセン日報は出入り禁止だ」
 目敏くIDカードを確認したトーゴーが言えば、舌打ちした後に隣にいる記者の方を向く。
「少将は捕虜条約があるから元気だろうが、家族はどうだろうね」
 形は記者への問いかけだったが、ヤンに聞かせたかったのは丸わかりだった。トーゴーが睨んだことは目の端で捉えてはいても、あくまでも記者同士の会話である体裁を保つ。
 ヤンの背中を押して壇上から下がると、そのまま廊下を早足で進み、車へ連れ込んだ。
「先輩」
「疲れただろうから次のテレビはキャンセルしよう。夕食までホテルで休むといい」
 その場でトーゴーはテレビ局とホテルに電話を入れる。幾度か呼びかけても、それが済むまでトーゴーはヤンを見ようともしなかった。
「……まあ、そのうちわかることだ」
 そう言って車内に備えつけられているテレビのスイッチを入れた。
 先ほどの会見は生中継だったが、今は繰り返しの映像をスタジオで検証している。
 ヤンがどうにか答えた後、中継が切り替わった。
 現在のリンチの官舎は無人、連日マスコミが押し寄せて家族にインタビューしようとする様子が流された。近所迷惑だから帰って欲しいとのインターホン越しの応対では満足せず、一日中チャイムを鳴らし続け、道路はマスコミの車で溢れた。近隣住民への被害も出ている為、警察が車両と大人数での取り囲みは止めさせたものの、入れ替わり立ち替わりになっただけで、家族は家の中に閉じこもったままだった。
 建物の壁には「卑怯者」「給料泥棒」「軍人としての恥を知れ」など落書きと張り紙が隙間もないほどで、庭の草木は踏み荒らされ、ゴミの山になっている。
「仕方ない」
「家族は何もしてないんですよ」
「そんなことは百も承知だ、連中だって」
 リンチの住んでいた官舎の様子を一通り写すと、カメラはスタジオに切り替わり、もっともらしい肩書きの名札をつけた者たちの討論になった。そこでトーゴーはテレビを消す。
 ヤンが不満そうな顔をすると
「どうせ台本通りのことしか言わない」
 苦笑いしながら言い
「テレビで話している連中の八割はうちが雇っている。作戦のことをべらべら話されても困るし、かといって軍に詳しい人間がどこにでもいるわけがない。
 反戦派の言うことはだいたい予想がつくから対応しやすい」
 そう付け加えた。
「いくらお前をエル・ファシルの英雄と持ち上げても、それもリンチの所業があったからだ。それは隠せない。世論も見逃さない。
 だったらせめて、それはリンチの家族だけにしておきたい。
 皆が皆、リンチに賛同して逃げ出したと思うのか? それが作戦参謀の言い出したことだとしても、それを受け入れたのはヤツだ。最終的に命令を下したのはアーサー・リンチ少将。これは絶対に動かない。
 だが当の本人はいない。戦死していれば死をもって償ったと庇うこともできるが捕虜になったことは明白だ。
 だから俺は決めた。
 リンチとその家族はマスコミに差し出そう。その代わり、彼の部下は見逃してもらう。
 直属の部下まで責めて、あいつらが押し掛けたら家族から自殺者が出るかも知れない。子供は学校にも行けなくなるだろう。仕事をやめる者だって出てくる。リンチの命令に従っただけなのに、家族が捕虜になっただけでなく、残された者までさらし者にする権利がお前らにあるのか───説得材料としてリンチの官舎は教えた」
 ヤンはうなだれて聞いていた。
 軍人の、しかも少将の住まいなど手を尽くして調べればわかることである。トーゴーはほんの少しの手間を省いてやっただけだ。
 そして部下にまでその罪が及ぶのか───これが民間人に向けて発砲した、というものなら、実際に手を下した自覚が本人にもあるだろう。リンチが逃げたくない者は別行動を取れ、そう個々に選択させたわけでもない。
「家族は今はハイネセンのホテルにいる。外出できないことにはかわりないが、電話も面会も取り次ぎには制限を設けているから静かに休めているだろう」
「軍が監視するってことですか」
 トーゴーはやれやれとため息をついて見せた。
「あいつらなら同じフロアの部屋を取って、直接ドアチャイムを鳴らし続けるぞ。ああ、ホテルなんてすぐにバレた。深夜に官舎から脱出させたが、真夜中だって交代で見張っているんだ。
 こっちも複数車両出したんだが、あっちの方が人数が多くて全車両がオマケ付きのままホテル入りだ。
 直接ドアは叩かれなくても一日中外線からの電話が鳴りっぱなしでいいのか? 電話や面会の取り次ぎをホテルに申し出るな、とは命令できない。一人でやっているならともかく、大勢が個々だから質が悪い。一人ならメシも食うしトイレにも行くだろうが。
 親戚や本当の知り合いかどうかは調べてから取り次いでいるが、当然だろう? あいつらにとって、嘘のうちに入らないレベルだからな」
「でもその電話は盗聴しているんですよね」
「だから、したいわけじゃない。やむを得ずの措置だ。あいつらはマイクは突きつけるがそれ以上のことはしない。それがどれほど精神的に追いつめるのかは知っているが、その行為自体は法を犯しているわけじゃないからな。だから手出しは絶対にしない。
 官舎を出たとたん、カメラとマイク攻撃はあったが、一人として家族の腕や肩を掴む者はなかった。目当ては家族の肉声と姿だからだ。
 だが世の中にはリンチに手出しが不可能なら家族でもいい、と思う輩もいる。そう、例えば巻き添え食って捕虜になった者の家族とか……
 お前と一緒にエル・ファシルから脱出した奴らはいいさ。昇進まではいかなくとも民間人を連れての凱旋だ。親類縁者鼻高々だろう。
 たまたま上官が違っただけだ。自分が選んだ上官でも部下でもない分、不満もあるだろうよ。
 いろいろと加減が難しいんだ。単純な負け戦の方が楽だったね。エル・ファシルの英雄に軍のイメージアップをしてもらいながら、少将の行為は行為として批判は受け止め、しかし部下にまでは累が及ばないようにフォローする。軍隊は厳しいが、それだけではない、護りもするとアピールしないと退役者が続出だ。勧誘にも影響する」 


 トーゴーからの電話を受け、ヤンはあの時のことを思い出していた。
「単純ではなかったんだが……」
 しかし会戦の流れを順序立てて思い返してみれば、そこまで複雑ではなかった。
 同盟軍が勝手に帝国軍の動きを決めつけ、それしか考えなかったからである。ヤンの作戦案は禄に目も通されないまま却下された。
「ヤン准将に一言挨拶して欲しい」
 アスターテ星域からようやくハイネセンに帰りついて早々、作戦本部ビルに足を踏み入れたとたん、トーゴーから電話がかかっていると伝えられた。ヤン・ウェンリーの姿を見たらつなぐようにと、もう二時間前から通話状態だと受付の女性兵士が受話器を渡して来たので、それは受け取らないわけにはいかなかったのだ。
 明日の慰霊祭の話だった。
「いやです」
 トーゴー相手にまどろっこしい言い方はしていられない。 エル・ファシルの時には訳がわからないまま流された。結果は軍の広告塔となり、テレビ局を回り、手を振り、記念写真を撮り、腱鞘炎になりそうな握手責めにあった。
 「一応壇上に席を用意しようと思っている」
「それもいやです」
 挨拶もだが、何よりも国防委員長と一緒の演壇上など真っ平ごめんで、さすがにそうとは言わない程度の大人の対応が、この時にはできた。
「そうか。残念だが仕方ない。慰霊祭には参列するだろうな」
「ええ、階級通りの席なら座ります」
「わかった。明日はよろしく」
 トーゴーは広報室にいるのだろう。背後はある種の戦場なのがヤンにも感じられた。


「そっちはどうだ? 承諾取れたか?」
 言いながらボードを見る。
 広い会議室が臨時の広報室になり、ボードは書き込みと張り付けられた写真で一杯だった。
 ヤンが敗残兵の収容に追われていた頃、広報官たちも不眠不休の戦いを強いられていた。しかもそれはヤンたちがハイネセンに還った後も激しくなる一方だった。
 会場は作戦本部ビルなので問題ない、国防委員長を始め、軍幹部の参列も予定を割り込ませた。
 慰霊祭では遺族席の一番前に座ってもらい、その後にマスコミの取材を受けてもらう、それをどの遺族も二つ返事で引き受けてくれるわけではない。
 どんなに遠くからでも往復の交通費と宿泊費は軍が出す、泊まりはハイネセン市内の最高級ホテル、慰霊祭当日も並ぶことなく着席できる。ハイネセン観光もその間の宿泊費も軍持ち、他にも望みがあれば可能な限り対応する。もちろんホテルと作戦本部ビルは送迎付きだ。
 この条件で引き受ける遺族もいるが、もう息子は豪華ホテルどころか食事もできない、敵の大群に囲まれてなぶり殺しのような状態だったという話は本当なのか、作戦ミスではないか、と逆につかみかかられることもあった。
「……ここはどうしても欲しいな」
 トーゴーが指した写真は幼い子供を抱いた家族写真だった。隣には両親と一緒の写真もある。
「ハイネセンまでは来てます。両親だけですが。嫁はショックで寝込んでいるとかで」
「慰霊祭の方は?」
「そこまでは……でも石碑のことは伝えてあります」
「そうか」
 敗戦確定の時からトーゴーは慰霊祭を計画し、一部の兵士の墓を急遽用意させた。
 ハイネセンを見下ろす丘の上に広大な墓地がある。ほとんどの中はカラだ。遺体の一部でもあればよいのがボタン戦争と言われるようになった時代以降の常だった。
 軍が催す慰霊祭などどうせ軍賛美のものだし、一番前の席で目立つのも、ましてやインタビューなど受けたくはないとは言っても息子の墓があると聞けば、それだけは別だろう。
「ホテルを出たようです」
「こっちも出よう」
 トーゴーは礼服を着込みながら天気予報を確認する。
 墓地の入り口で地上車を降りた頃には、降り出した雨が小さな水溜まりを作り始めていた。
「これを……」
 傘と一緒に渡された花束を受け取り、調べてあった場所へ向かった。ハイネセン市街を見下ろす小高い丘には、幾つもの傘の花が見受けられる。
「……あの……」
 同盟軍の礼服を来た人物が息子の墓の前で立ち止まったことに訝るような視線を向ける。トーゴーはすでに家族が供えた花の横に持参した花束をおいた。
「息子のお知り合いで……?」
 父親らしき人物は尋ねる。戦死したことは知っていたとしても、墓の場所まではまだ誰も知らないはずだった。自分たちも慰霊祭の知らせと一緒に聞かされ、半信半疑でやってきたのだ。
「先日はお電話で失礼いたしました」
 トーゴーは傘を背後へ投げおいて深く腰を折った。
「……もしや……あなたは」
「はい、トーゴーと申します。今一度お願いにあがりました」
 一昨日、電話口でトーゴーは母親の話を二時間近く聞かせられた。
 結婚して八年目にようやく一人息子が生まれ、小さな頃は病気がちで大変だったことに始まり、それから後のことも細々と、結婚して孫が生まれ、息子は我が子をまだ二度しか抱いていないこと、トーゴーは相づちを打ちながら熱心に聞き入った。
 しかし慰霊祭とインタビューの話をすると母親は半狂乱になった。
 電話を代わった父親は無礼を謝ったが、慰霊祭についてのはっきりした返答はなかった。
 ハイネセンまでは来る、トーゴーは確信した。
 妻の恨み言を二時間聞いていたことを知っている。望みはある。
「どうか、お願いします」
 雨に打たれ続けているトーゴーの髪の先から滴が落ち、ぬかるみ始めたそこに膝をついた。
「やめてください、そんなことをされても───!」
 傘を捨てたトーゴーが濡れていくことも気にはかかっていたが、額までも地面につけるのを見て父親は息を飲んだ。トーゴーがおいた花を引き千切っていた母親も動きを止める。
「どうか……お願いします」
 礼服の背中は雨で完全に色が変わり、スラックスも泥水を吸い、それでもトーゴーは嘆願を続けた。
「……わかりました」
 根負けした父親が静かに言い、妻の手から花束の残骸を取り戻すと再び息子の墓へ供える。
「ありがとうございます」 
 頭をあげるように言われても、トーゴーは少し顔をあげただけで膝と手は地面についたままだった。そのまま夫婦が墓地から去るまで見送る。
 完全に立ち去ったのを確認して、少し離れた場所にいた部下のブラウンがタオルを持って駆け寄ってきた。その気配にトーゴーも立ち上がり、投げ捨てていた傘を拾う。
「噂に聞いていましたが、初めて見ました」
「そうか?」
 額の泥を拭きながら平然としている。
「あーあ、こいつは下着までいったな」
 礼服はぐしょぐしょになっていた。白いだけに泥染みも目立つ。
「まあいい」
 着替えが車に乗せてあるので、トーゴーは顔と頭だけを拭き、思い出したように手の平も拭った。
 乗ってきた地上車は目立たないように墓地の入り口から離れた場所に止めてある。大きな車が遺族の目に入らないよう、用心に用心を重ねてあった。
 シートが汚れることなど気にせず素早く車に乗り込んだ。車中で上着とシャツを脱ぎ、ざっと拭いてから乾いたシャツを着込む。いくら広い車種であっても立てるほどではないが、トーゴーはスラックスも履き替えた。
「急ぎでクリーニングを頼む」
 テレビ局での打ち合わせも済ませてから広報室に戻った。夫婦の承諾が取れたことは報告してある。
「お疲れさん」
「さすがだな」
「明日はいい画が撮れるよ」
 まだボードには未処理の印も多く、あちこちで電話の呼び出し音が鳴り響いている。
 完全な事務仕事はある程度の時間はかかるものの、片っ端から片づけていけばよい。
 軍幹部の出欠、送迎車の手配、その後の食事会にしても似たようなイベントはあったのでマニュアルがある。椅子を並べるなどの会場準備は人海戦術で、足りなければ士官学校の学生を呼び、バイトの手配もしてあった。
 敗戦が決定した瞬間からトーゴーたちは走り続けている。
 広報官の派手な動きは公開前の戦況をマスコミに悟られてしまうが、そこは協定を守れば見返りがあることをトーゴーは徹底して理解させた。
 今回で言えば、遺族席の撮影と式典終了後のインタビューがそうだった。以前は遺族の撮影は遠景で、ましてや囲みでのインタビューなど不可能だったのだ。
「また必殺技を使ったのかい?」
「土下座なんかして軍人としてのプライドはないのか」
「あったらできないだろうよ」
 電話応答の声に混じってそんな声も聞こえてきた。
「だったら───!」
 次の台詞を察知してブラウンの腕を掴む。続いたのは独り言にしては大きな発声だった。
「プライドはあるさ。広報官としてのプライドならば」
 ブラウンが振り返り、今度は彼に向かう。
「同盟軍大佐としてのプライドもあるぞ。だから土下座でも何でもできる。土下座しても俺は何も傷ついてはいない。服も顔も洗えばいい。任務の為だ。
 もしお前が艦隊司令官で、敵司令官に土下座をして会戦に勝てるとしたらどうする? 土下座などやすいものだと思うんだがな。
 昔、戦場では敵の大将の首を取れば戦闘は終結した。負けが確実になった時、自分の命と引き替えに臣下と民を助けてもらったという話もある。自分の命惜しさに部下も護るべき市民を見捨てる者もいるというのに。
 それと比べたらどうだ。
 今俺たちがしなくてはならないのは、あの人たちにマスコミの前に立ってもらうことだ。その為ならば何でもする。最善の結果を出す為の土下座で、艦隊司令官が全艦発射の命令を下すのと変わらない。
 もちろん俺だって好んで土下座したいとは思わないがな。誠心誠意尽くして、話し合いでどうにかできたらとは思っているさ。
 あの墓の中は空っぽだ。遺体も遺品もない。戦死の知らせだけで息子の死を受け入れるしかないんだ。どうしてうちの息子が、と思っているところに慰霊祭だ、マスコミのインタビューとくれば、さらに「何故?」となるだろう。
 こっちも適当に選んでいるわけじゃない。
 効果を狙って百万を越える戦死者の中から選んだ遺族だ。
 国防委員長がどんなに立派な演説をぶったところで、結局は前線に出ていない男の話だ。後方の安全地帯からいくら国防を説いても限界がある。
 昔は君主も前線に出て命を晒した。さすがに先頭に立って突撃はしなかったが、文字通り命をかけたものだ。だから一言一言に魂が宿っていた。戦意高揚には必須だった。
 まあ、その意味だと今の国防委員長は使える。演説も上手いし、女性受けする外見だしな。
 だが生きて後方にいる、今後も前線に立つことのない男の演説だと思えばば、空々しい文言にしか聞こえないだろうよ。
 しかし幼子を抱えた母親の言葉ならどうだ? 一人息子を失った親の言葉を白々しいと思うものはいないだろう。
 わざわざ礼服は着たし、正直に言えば雨の予報は天の助けだと思った。
 役者が演出として土下座をして何に傷つく? 俺のやったことはそれと同じだ。演出は俺、スタートもカットも俺が出した。カメラこそ回ってはいないが、最高の絵が撮れた」
 トーゴーの言葉には淀みがない。満足そうな笑みさえ浮かべている。
「あの……大佐は」
 その先を察してトーゴーはにやりとした。
「ああ、前線にも出ず、後方支援をしているわけでもない俺がどうやって大佐になったと思っているんだ。今回もあいつが壇上で委員長と握手でもしてくれたら昇進間違いなしだったろうが」
「ダメでしたか」
「ああ……出世はもう十分にしているし、名誉欲もないヤツだからな。他のヤツなら俺だってもう少し粘ったんだが」
 普通なら国防委員長と一緒にステージに立つことは栄誉で、断る者がいるなどトーゴーは考えたことがなかった。軍に対してもアピールができる。
 しかしヤンは昇進の可能性についても、これ以上偉くなってどうする、と取り付く島がなかった。負け戦だからこその英雄の必要性を訴えてもヤンの答えは変わらなかった。
 最初はここが腕の見せ所だと考えていたが、エル・ファシルの時にヤンが自分のやり方をよく思っていなかったことを思い出した。もちろんあの時とは状況が違う。リンチの立場にあたる者はいない。
「とにかく今は一分一秒が惜しい。ああ、電話か」
 それは広報室としては公開されていない番号にかかってきたもので、トーゴー以外には取り次がれないことになっている。
「あの話か。あれは無くなった」
「…………」
「疲れが取れないので壇上は勘弁して欲しいんだと。仕方がない」
「…………」
「ああ、もちろん、必ず参列はさせる。今回はうちもそれでいい」
「…………」
「いいか、余計なことはするな。通報を誰が止めていると思っているんだ」
 通話はほぼトーゴーの一方的な会話で終わった。舌打ちする様子を、少し離れてブラウンは見ている。
「遺族への質問状が届いています」
 事前に遺族に見せておくにしても、ある程度吟味しておく必要がある。細かい指示を与えていると別の部下がファイルを見せに来た。
「委員長との質疑応答の回答があがってきました」
 当日マスコミと国防委員長ヨブ・トリューニヒトのやり取りもあらかじめ決められている。
「それにしても国防委員長にしておくには惜しいな」
 ざっと目を通してトーゴーは言った。
「うちに欲しい」
「ははは、そーゆー意味でしたか」
「お前らももう少しまともな文章を書け。次の委員長がここまで使えるとは限らないんだからな」
 トリューニヒトの前の委員長の演説の多くはトーゴーが手直しした。それで昇進したというのが広報の伝説にもなっている。
「でも大佐の昇進のネタがなくなるのでは?」
「今以上の輩はそう簡単には現れないさ。俺が保証する」
「どんな保証なんですか、それ」
 ブラウンにつられて周囲も笑ったが、それが専門でもあったトーゴーにはトリューニヒトの演説の力量がわかっていた。その外見も大きく影響している。
「その委員長から栄養ドリンクの差し入れが届いている。まったくもって抜かりのない男だ」
 その瞬間だけは広報室が一つになり笑いで満たされた。


  
 慰霊祭当日、トーゴーは建物に入るヤンを見つけた。
「壇上に立てとは言わないが、写真くらいどうだ」
「何もせずにいきなり写真だなんて、そこまでずうずうしくないです」
「アスターテの英雄じゃないか。気にする必要はない」
「では言い方を変えます。そこまで厚顔無恥ではありませんから」
 ヤンの決意は堅い。
 トーゴーもここで粘るつもりはなく、聞くのはタダ、写真たけでも承諾が取れたら儲けもの、くらいの気持ちだった。
 進行表通りに慰霊祭は進んだ。
 トリューニヒトの演説途中でのアクシデントは痛かったが、幸い一般の参列者はそれがあのヤン・ウェンリーだと気づいておらず、それにはほっとした。
 遺族のインタビューも滞りなく終わり、予定外の質問をする記者がいたが、そこもうまく切り抜けた。
「どこの者だ?」
 以降の軍の会見には呼ばないなどの措置も考える。
 アスターテ回線でのヤンの六〇時間不眠記録には負けるものの、トーゴー個人の記録を塗り替え、後始末は部下に任せて官舎へたどり着くと、数日前のヤンの逆で彼を待ちかまえていた電話があった。
「……やはり赦せない」
 呪詛にも似たつぶやきに深々とため息をつく。
「…………わかった……ほどほどにな。子供もいるんだ」
 返答を待たずトーゴーはベットへ倒れ込んだ。


 
 

 
後書き
夏に書いて、思いの外気に入ったので公開します。
電話の主は想像通りです。
トーゴーとの関係については、各自の連想にお任せします。

ちなみに書きながらイメージはディーン・フジオカでした。 
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