僕は生き残りのドラゴンに嘘をついた
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番外編
二人で迎える、初めての新年(2018年お正月番外編)
大陸最南端に位置するペザルという港町の、北西側にそびえたつ山。
その頂上近くの斜面には、大きな天然の洞が存在している。
それは……かつては人間にとって恐怖の対象であったドラゴンの群れの巣であり。
そして現在は、『山神様』と呼ばれることに決まった、世界で最後のドラゴン――デュラの棲家であった。
そのデュラは巣の中で腰を落とし、体をやや丸めて脱力した姿勢でくつろいでいたが……。
今、目の前に樽が一個、ドンという音とともに置かれた。
ほんの少し遅れて、ピチャッという波紋が生み出した音。樽には透明な液体が満たされていた。
「……さっき挨拶に来ていた人間が持ってきてくれた物のうちの一つだな。水なのか?」
天然の洞を利用したこの巣。上部には山頂に通じている大きな穴が開いている。そこから差し込む光が、長い首の先をわずかに傾げたデュラの仕草を、逃さず照らし出していた。
さっき挨拶に来た人間というのは、ペザルの町長以下役人たちである。役人たちはまだ恐怖心があるのか、挨拶をすると贈り物を置き、すぐに帰ってしまっていた。
いまデュラの目の前にその樽を置いたのは、まだあどけない顔をしている亜麻色の髪の人間。今後は『山神様の管理人』と呼ばれることになった元超級冒険者――ソラトである。
「デュラ、これは水じゃなくてお酒だよ」
「オサケとは何だ」
「あ、デュラは知らないよね。ぺザルでは新年の始まりを祝って、これを飲むことになっているんだ。町長さんたちがこんなに大きな樽を持ってきてくれたということは、二人で飲んでって意味だと思うよ」
ソラトは樽のそばに腰を下ろした。
そして手に持ったのは小さな金属製の杯。樽の中身を八分目まで入れる。
「じゃあ乾杯。デュラは体に合う杯がないから、樽を杯にしてそのまま飲んで」
そう言って、ゆっくりと杯に口をつけた。
デュラは一度起き上がり姿勢を正すと、手の爪を器用に使って樽を固定し、中身を一気飲みした。
「……」
ソラトは顔をしかめる。
デュラも……おそらくソラト以外の人間には見分けがつかないのだろうが、表情を歪めた。
「ソラト、ひどく苦い」
「あはは。美味しくはないよね……僕もオエってなるよ。五十種類の薬草を溶かし込んだ酒だから、味はよくないんだ」
「美味しいと思わないものを飲んで祝うのか。妙な話だ」
素直な感想を言って、また腰を落としてグテーっとなるデュラを見て、ソラトは笑う。
「そういうもんなんだよ。でも……ドラゴンでも苦いとかあるんだ。面白いね」
「面白いのか?」
「うん」
「我々にも味の好みはある。人間と同じだ」
デュラは今でもよくドラゴンのことを「我々」と表現する。ドラゴンが世界でデュラ一匹しかいない現在では、あまり正確な表現ではなくなっているのかもしれない。だがその言葉からは何となく優しさがにじみ出ている気がして、ソラトは聞くたびに不思議と温かい気持ちになった。
「熊はおいしいの? たまに食べてるよね」
「あれはおいしい」
「ふふふ。鹿は?」
「一番好きだ」
「ふふふふふ。そうなんだ。じゃあ……あ、そうだ。人間は? ドラゴンにとっておいしかったの?」
味の好みをしゃべるデュラを見るのが楽しくなって、ソラトはつい調子に乗って聞いてしまった。過去を責める意味などは微塵もなかったのだが、言ってから少し意地悪な質問だったかもしれないと思った。
滑らせてしまった口を慌てて引っ張って戻す。
「あっ、これは別に嫌味とかそんなんじゃないよ? 答えたくなかったら答えなくていいからね!」
だが、言われた本人は気にはしていないようだった。
「私は食べたことがなかったから知らないが、同胞の話では――」
「えっ? デュラは人間食べたことないんだ? 意外!」
思わず途中で遮ってしまった。
「意外か? ドラゴンはそもそも人間を食べない生き物だ」
「へええー……」
今までドラゴンに殺された人間は全員食われてしまったものと思っていたソラトには、それは驚くべき事実だった。
しかし。
「いま『私は』って言ったよね。食べたことがあるお仲間さんもいたってこと?」
「ああ。同胞で食べた者は……いや、正確には食べようとした者はいた」
「どういうこと?」
「我々に滅ぼされた人間の町があるのは知っているな?」
「うん。降伏を拒んで一人残らず殺された町があるって、聞いたことあるよ」
「人間の町を襲撃したのはあれが初めてだったが……我々は殺した人間を全部食べるつもりだった」
「なんで? 普段は食べないんでしょ」
「我々なりの敬意、といったら信じるか?」
「デュラ言うことは何でも信じるよ」
「……」
これまたソラトだけがわかる表情。そして首がスッと動いて。
ペロリ。
「うはは。まだ話が途中でしょ」
微妙な酒臭さは別に気にはならない。ただし顔を舐められるのはくすぐったい。身をよじってしまう。
話の続きをどうぞということで、デュラの頬をポンと軽く叩く。
「……まあ、食べればその肉が我々の体の一部となって残るからだ。そうでなければただ殺しただけだ」
「なるほど」
「しかし、結局食べることはできなかった。とても食べられる味ではなかったそうだ」
デュラが上から差し込む光に目を向けた。
「もしかしたら、その時点で我々の運命も決まったのかもしれない。食べ物にならぬものを大量に殺した時点でな。この世界で、食べるため生きるため以外に、わざわざ無意味な殺しをする生物などいない」
「確かに食べ物でもないのにわざわざ殺すのって、よく考えたら不自然なのかもね」
不自然――デュラはその言葉に反応した。
「そうだ。不自然という言葉が一番合う。今思えば、我々が討伐されたのも自然界の掟に逆らった報いなのかもしれぬ。我々は大魔王様との契約があったとはいえ、大きな過ちを犯してしまったのだろう。
人間は私の見る限り不必要に他の動物を殺すことはない。人間が生き、我々が滅びる。この世界はごく当然の答えを出したに過ぎないのだろう」
「……」
なんと言えばよいかわからず黙ってしまったソラトの背中に対し――。
「なんで年明け早々にそんな暗い話をしてるのかなあ」
「わっ!?」
ソラトはあぐら座りのまま飛び上がった。
振り向くと、地味な灰色マントに身を包んだ人間たちが巣の入口からに中に入ってきていた。人数は四人。先頭の若い男は酒の樽を持っている。その樽の上はやや小ぶりな籠が乗っており……どうやら食べ物が入っているようだ。
元冒険者、しかも一番上のランクだったのに、ソラトは誰かが近づいてくる気配にまったく気づかなかった。
デュラのほうはというと、驚いた様子はない。だがその代わり腰を落としていた形をやめて起き上がり、意識的に姿勢を正すように、首をしっかりと起こした。
「久しぶり、ソラトくん。元気だったかな」
「久しぶり? えっと……誰だっけ?」
「ん? 俺忘れられた!? まだそんなに前の話じゃないよな? そっちのドラゴンさんはちゃんと覚えてくれているみたいなのに。ひどいなあ」
「……私は目と鼻の両方で対象を覚える。ソラトよりも気づきやすいのだと思う。その節は大変世話になった」
そう言って長い首をペコリと下げるデュラを見て、ソラトはようやく思い当たった。
「あ! 勇者さんたち?」
「やっとわかったか。遅いよ」
先頭の若い男が樽を一度置き、マントを払うように開く。
見覚えのある……いや忘れもしない、勇者の青い鎧。
「ごめんなさい。マント姿だったんで分からなくて。あのときは本当にお世話になりました」
「なんでい。まったく」
「いや、だってあのとき凄いわかりやすい色と格好だったし。勇者さんは青い鎧で、女戦士さんはピンク色の水着みたいなえっちい鎧で、僧侶さんは水色の法衣で、魔法使いさんは緑のローブ――」
ソラトは慌てて弁明したが。
「はー、色と恰好でしか覚えていないとかどうなんだ」
どうやら一層呆れられたようである。
「あれ? 何気に私だけ、けなされたか?」
「ははは。少しは姿を変えないとお忍びの旅になりませんからね。いつもはこんな格好ですよ」
「フォッフォッフォ。大丈夫じゃソラトくん。ワシは昨日のメシもよく忘れるからの」
勇者以外の三人も大慌てのソラトに対し、それぞれ笑いながら言葉を返してくる。そして次々とマントを開き、最初に会ったときの恰好を披露した。
「というかソラトくん。どうして巣の中で新年を祝っているんだい? 暗いところで話してるから話題も暗くなっていくんだって。酒持ってきたから、外行こうよ、外」
「おいコラ。人の家にズカズカ入ったあげく勝手に仕切り始めるな」
女戦士は勇者をたしなめるが、ソラトはその提案を受けた。
「それはそのとおりかも。外で一緒に乾杯しましょうか。デュラいいよね?」
デュラは穏やかな顔で首を縦に振った。
***
横穴の近くに、大きく開けている場所がある。
座っていても、麓の森や、ペザルの街並み、港、その先に果てしなく広がる海が一望できる、天然の展望台だ。
――人間では、夫婦は嘘や隠し事をしないことになってるんだ。だから、僕はもう二度とデュラに嘘をつかないよ。
――では私も嘘をつかないよう気をつけよう。
かつてソラトとデュラが誓いを立てた、二人にとっては特別な場所だ。
あまりの絶景のため、二人と四人は最初円形にはならず、全員がその景色のほうに向いて座った。酒の入った樽は一時的に忘れ去られ、景色に同化する。
「デュラ、見て。あそこにものすごく大きな船が見えるでしょ?」
「ああ。私がお前に乗せてもらった船よりもずっと大きい」
「だよね。しかも豪華だ。船だけじゃない。建物だって、少し前よりも立派な建物が建つようになってる。大魔王がいなくなったことで生活が脅かされなくなったから、いろいろなところに力が注げるようになってきてるんだ」
「なるほど。ソラトはよく見ているな」
「そのうち何もかもがすごい進歩して、僕ら人間は誰もがドラゴンみたいに力が有り余るようになるかもしれないよ。そうなったとき、人間も不必要に他の生き物を殺したり、世界征服とか変なこと考えたりする人が出てきちゃうかもしれないよね」
「だからー。ソラトくーん」
もちろんその声は勇者からだ。
「あ。ごめんなさい。新年にする話じゃないですよね。あはは」
「いやいや。そのようなことを考えるのも大事じゃろうて。まあ勇者殿のように強くても頭の中がスッカラカンで野心のない者もおるからの。決して未来は悲観するものでもあるまいて」
「それほとんど悪口だろ」
褒めているのかけなしているのかよくわからないが、言われている本人は後者に受け取ったようである。
「ははは。ところで、勇者さんたちってまだ世界を旅してるんですか?」
「そうだよ。もう少しでそれも終わるけど。早めに切り上げたかったんだけど王様がうっさくてさ。ほんっとめんどくさ」
勇者は生あくびと両手を挙げた大きな伸び付きで、そんなことを言う。
「フォッフォ。旅は楽しい面もちゃんとあるぞ」
「え、俺はあんまりないけどな。移動が面倒なだけ」
「はは。勇者様はもともと知的好奇心がないですもんね。旅はその土地のモノを見て、それを知ることでもあります。知ることが楽しくない人には旅はつまらないものかもしれませんね」
「だな。お前いつも『勉強になった』とかいう割にはすぐ忘れるだろ」
「ほっとけ」
三人が次々と勇者に突っ込んでいくのを見て。ソラトは安心の笑みが自然と出てきた。ああ、この四人の会話での役割も変わってないんだ。あのときのままなんだ――と。
「勉強は大事じゃぞ。特にこれからの世ではな……。もう剣ができれば良いという時代は終わりじゃからの。勇者殿は自他ともに認める勉強嫌いじゃが、ソラトくんはどうなんじゃ?」
「僕もあまり好きじゃないかも」
「旅することはどうじゃ?」
「うーん、それは嫌いじゃないですけど。ここでデュラと一緒にいるほうが楽しいです」
言い終わる前に、デュラの首が動いていた。
「イテテ。前も言ったけど、それ鱗がちょっと痛い」
「あ、すまない」
体にガリガリ頬をこすりつけられ、ソラトは笑いながら顔をしかめた。
「フォフォ。相変わらず仲良いのう。じゃが、お前さんたちは特にこれから、この世界の勉強が必要になるかもしれない立場じゃぞ」
「そうなんですか?」
ソラトがそう返す横で、デュラも首を少し首をひねる。
「うむ。お前さんたちはこの世界で特別な存在となる。人間と最強の野生生物の夫婦じゃぞ? もしも子孫を残せるということになれば、下手すりゃ人間の脳とドラゴンの力を併せ持つ最強の知的生物が誕生することになるかもしれん。
そうなったら、人間たちと、いや、この世界そのものとどう付き合っていくのかを真剣に考えなければならなくなるぞ?」
ここでデュラも一つ大きくうなずき、口を開いた。
「私は今や人間に生かしてもらっている存在だ。ドラゴンの血を持つ者たちがこの世界に対し何ができるのか。人間に対しどのような付き合い方をすれば最高の恩返しになるのか……。それはしっかりと時間をかけて考えていかなければならないことだと思う」
「うわあ、ドラゴンってしっかりしてるんだなあ。びっくりだ」
「ははは。勇者様よりもしっかりされているかもしれませんね」
「まったくだ」
「だからいちいち俺をいじってくれなくていいっての」
女戦士と僧侶に苦笑半分うんざり半分の顔を返す勇者。
一方ソラトは、魔法使いやデュラの言っていることに納得するとともに、不安も覚えた。
「うーん……でも例えば今から僕らが世界をめぐって見分を広めて、というのは難しいかも。もうすぐここを離れられなくなりそうなので」
「まあ、そんな慌てる話でもない。時間をかけてゆっくり考えるとええ。じゃがここを離れられなくなるというのはなぜじゃ?」
「えっと。実はもう、デュラ身籠っているみたいで。お腹の中にできちゃってるようなんです」
「――!?」
勇者以下四人の目が勢いよく見開かれた。そのまま飛び出すのではないかと思われるほどだった。
「……ソラトくん、そういうのは早く言おうよ。びっくりしたじゃないか。おめでとさん」
「なんと……。よかったな。二人ともおめでとう」
「交尾は成立したのですね。おめでとうございます」
勇者、女戦士、僧侶が驚きながらも祝辞を述べていく。
そして魔法使いは――。
「フム、めでたい。じゃがそういうことならば、課題は次の世代に託すのも悪くないんじゃないかのお」
そんな提案をしてきた。
「生まれてくる子供たちに、ですか?」
「そうじゃ。この世界のことを勉強させるのであれば、ペザルによい学者がおる。少し偏屈で変わった奴じゃが、きっとお前さんたちの子供にぴったりの師匠になってくれるじゃろうて。紹介状なら書くぞい」
「ありがとうございます。何の先生なんですか?」
「地理学、じゃ」
「地理専門の学問なんてあるんですか。全然知らなかった」
「そうじゃ。まあワシも聞くまで知らんかったがの。その土地における自然の営み、生物の営み、人間の営み、すべてを総括した学問じゃよ。その学者は特に植物の生態、植生学が得意だそうじゃがな」
「植物のことを? そんなの研究対象になるんだ……」
「植物は足がないじゃろう? その土地の寒さや暑さ、雨の量、土の質、動物相――その土地のすべてを反映する生物じゃ。それを研究することはこの世界そのものを研究する第一歩……とその学者は言っておったぞ」
「へえ……」
ソラトは眼前に広がる青と緑の絶景をあらためて見渡しながら、ゆっくりと魔法使いの言葉を消化した。
「じゃあデュラ、こうしようよ。いっぱい子供を作れば、一人くらいは旅も勉強も向いてるのがいると思うから、その子に勉強してもらって、そのうえで世界を見て回る旅をしてもらおう。
そして一緒に考えてもらおうよ。僕らの子孫たちはどうやってこの世界と付き合っていけばいいのかを」
「なるほど。それはよいな。賛成だ」
「よーし。じゃあ決まり! デュラ、一人目が生まれた後も一生懸命ヤって子供をたくさん作ろう。弓と同じで数撃ちゃきっと当たるよ!」
「わかった」
「……そこは普通に『子作り頑張ろう』とでも言えばいいんじゃないか? やらしいぞ」
女戦士が珍しく勇者以外の人間に突っ込んだ。
「ソラトくん相変わらず面白いなあ。で、話がまとまったんなら、そろそろ乾杯し直さないかい。酒の樽とつまみが仲間になりたそうにこちらを見ているよ?」
笑いながら勇者がそう言って、ポツンと横に置かれたままになっている樽を指さした。
「あ、そうですね。すみません」
ソラトは亜麻色の髪を掻くと、樽を抱えて六人の目の前に持ってきた。
樽を半円状に囲むように座り直しが終わると、杯を一人一人に配る。もう樽ごと飲むことは無理そうなデュラには、ソラトが杯で飲ませることにした。
そして勇者に乾杯の音頭をとってほしいと振る。
勇者は「何に乾杯するのかはもう決まりだな」と笑い、杯を掲げた。
「それじゃあ。新しい命に、新しい生物に、乾杯――」
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