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チェロとお味噌汁と剣のための三重奏曲

作者:おかぴ1129
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番外編 あなたにはヒミツ ~鳳翔~

「鳳翔さん、こんな催し物があるそうですが……ご一緒にどうですか?」

 今晩の夕食の仕込みのため、たくさんのじゃがいもの皮を剥いている時でした。弟子の赤城によく似たミイラさんが、私が仕事に勤しむ厨房にやってきて、カタカタと震えながら一枚の封筒を私に差し出してきました。

「えっと……ど、どなた……ですか?」
「あ、赤城……ですが……」

 あまりに非現実的な光景に、つい間抜けな返答を返す私に、赤城によく似たミイラさんは、そう言ってパキパキと音を立てながらニヤッと笑いました。正直言って、その姿は恐ろしかったです……。

 じゃがいもを剥く手を止め、タオルで一度手を拭いた後、私はミイラさんからその封筒を受け取りました。封筒は、今どき珍しく封蝋で封がされたもので、真っ赤な封蝋には戦艦の意匠のシーリングスタンプが使われているようです。

 封を破り、封筒の中を覗きました。中には、クラシックコンサートのチケットと、そのチラシが一枚入っています。キレイにできてはいるけれど、どことなく手作りのあたたかみが感じられるそのチラシには、『我々太陽の戦士たちの演奏を、太陽になった気分で暖かくお楽しみ下さい』と書いてあります。大淀パソコンスクールの、あの人を思い出しました。

「赤城、これは?」
「ええ。大淀さんのところのソラールさんから頂いたものです。なんでも、ソラールさんのお弟子さんが所属しているオーケストラだそうで。チケットをいっぱいもらったと行っていました」

 そう言って笑う赤城によく似たミイラさんは、見ていて本当に怖い……いや、これは本人には言えませんね……。

 確かに昨日、私は智久さんのチェロを聞いて、クラシックという音楽にちょっとした興味を持ち始めています。でも、クラシックのコンサートだなんて、今まで私たちに縁のない世界。テレビや映画で見るクラシックコンサートなんかは、みんな洋装のおめかししたりしてるのをよく見ます。私が持っているのは和服だし、第一、そんなところは、私には敷居が高すぎます……。

 それに、チケットに書いてある日付は今日。今日の私は、この食堂で仕事をしなければなりません。流石に今日は、無理です。

「残念ですけど赤城……というか、赤城でいいんですよね」
「はい……ずーん……」
「ご、ごめんなさい……でも、私は今日は無理ですよ」
「どうしてですか?」
「私には和服しかありませんし、第一、今日は仕事です。残念ですが、またの機会にします」
「そうですか……」

 赤城によく似たミイラさんは、そういってパキパキと音を立てながら、がっくりと肩を落としました。私はそんなミイラさんに頭を少し下げた後、じゃがいもの下ごしらえに戻ろうと包丁を握ったのですが……

「今日のコンサート……普賢院さんも来るそうなのですが……」

 ……え!?

「残念です……ではロドニーさんとソラールさんと神通さん、普賢院さんと、私だけで行ってくることにします……」

 智久さんが来る……その事実を前に、包丁を握ってのんきにじゃがいもの下ごしらえをしてられるほど、私はおしとやかではありませんでした。

「赤城。前言撤回します」
「……はい?」
「今日の仕事は誰かに変わってもらいます。私も行きますっ」

 次の瞬間、私の口はそう答えていました。いざという瞬間は、思考を離れて身体が動く……まるで、戦闘時の時のように、私の口は無意識のうちに、そう動いていました。

 その後、その赤城似のミイラさんから『コンサート会場は休憩スペースでご飯が食べられるそうですよ?(チラッ)』と言われ、思い立った私は、コンサートの前にみんなで食べられるお弁当を準備することにしました。食材もそう残ってないし、時間だってないけれど、そこは長年培った腕で、やりくりしてみせました。オーナーも……

――厨房の食材、ちょろまかしてかまわんよ。
  お前さんには、いつもお世話になってるんだ。
  だからお前さんにも、幸せになってもらわにゃ

 と言ってくれ、厨房の食材のいくつかを使わせてくれました。おかげで、とてもいいお弁当が出来ました。

 お弁当の準備が終わったら、それを冷ます間に、お味噌汁を作ります。

「あ、鳳翔さん、お味噌汁ですか?」
「はい。飲んで欲しい人がいるんです」

 私の隣で今日の当番を変わってくれた間宮さんが、私の鍋を覗き込んできます。すでにお出汁は取っている。私はその中に、準備していたわかめとお豆腐を入れ、煮立たせました。途端に私達の周囲に、カツオだしの良い香りが立ち込めます。

 沸騰したところで一度火を止め、沸騰を沈めます。静かになったらお味噌を丁寧に溶き、再び火を入れます。沸騰させないよう、ごく弱火で、静かに、神経を注いで……

「わぁ……お味噌のいい香り……」
「……」
「鳳翔さん?」
「……」

 ここは、絶対に気が抜けません。お味噌は煮立たせてしまうと、この素晴らしい香りが飛んでしまいます。私はあの人に最高のお味噌汁を飲んで欲しくて……私に気持ちを届けてくれたあの人に、私の気持ちを届けたくて、全神経をお味噌汁に注ぎました。

「……」

 智久さん。私は今日、あなたに気持ちを届けます。あなたがチェロに乗せて、私に届けてくれたあなたの気持ちに、今日、私はお味噌汁で応えます。あなたが『美味しい』と笑顔で言ってくれた、私のお味噌汁で。

 智久さん。はじめてあなたを見たその時から、私は、あなたがずっと気になっていました。

 あなたがお味噌汁を飲むその姿を初めて見た時、『なんて美味しそうに私のお味噌汁をのんでくれるんだろう……』と思いました。厨房で配膳に勤しむ私から少し離れたテーブルで、あなたは、目を閉じ、静かにお味噌汁をすすったあと、まるでお風呂に浸かった瞬間のように表情をゆるめ……

『ほぉ……っ』

 と、とても温かく、そして心地いいため息をついてくれましたよね。あの姿を偶然見た私は、その日から、食堂にやってくるあなたの姿を目で追い、そしてお味噌汁を飲むその姿を見つめることが、日課になりました。

『こんにちは。今日も来ていただけたんですね』
『は、はいッ! だって、とっても美味しいですから!!』

 ある日、あなたにその日の献立を渡す私がつい声をかけた時、あなたは素っ頓狂な声で返事をしてくれましたね。きっと、『声をかけてくるはずない』と思っていた私が声をかけてきたから、びっくりしたんでしょうね。

 ……でも智久さん。白状します。あの時、私もとてもびっくりしたんですよ? あとからとても恥ずかしくなってきて、赤城とロドニーさんの前で、私は顔を押さえてもじもじすることしか出来なかったんですよ?

『……こ、声をかけてしまいました……っ!!』
『……鳳翔さん?』
『赤城? 鳳翔はどうした?』
『ぁあロドニーさん。なんか仕事が終わってからずっとこんな感じで、顔真っ赤っかでもじもじしてるんですよ』
『?』
『あー……どうしましょう……声かけてしまいました……ぁああっ』
『『?? ???』』

 だって、私自身、あなたに声をかけるつもりなんて全然なくて、気がついたら、口が勝手に喋ってたんですから。あの後は大変でした。胸がドキドキして、あなたがお味噌汁を飲む姿がまぶたから離れなくて……緊張して、全然眠ることが出来ませんでした。だって、眠ろうとして目を閉じたら、あなたの姿が目に浮かぶんですもの。

 ……でも、それはあなたにはヒミツです。

 ヒミツにしていることは、他にもありますよ?

 私が食堂のシフトを離れてオフの日。私が晩ごはんを食べようと食堂に赴いて、あなたが食堂で一人でご飯を食べてるのを見つけた時、私の胸が大きくドキンとしたことを、あなたは知らないでしょう。

『……相席してよろしいですか?』
『いいですよ。よかったらどうぞ』

 意を決した私はあなたと相席したのですが……俯いていたあなたは気付かなかったでしょう。あの時、お盆を持つ私の手が、緊張で少しだけカタカタと震えていたことを。

 気付いてなかったでしょう。あなたが『食堂代表で、剣術大会に出ます』と言ってくれた時、私はうれしさで頭がどうにかなりそうでした。つい握ってしまったあなたの手はとても温かくて、ずっと握っていたくて……必死に頑張って手を離したことを、あなたは知らなかったでしょう。

 少しずつ少しずつ、お味噌汁が温まり始めました。私はそのタイミングを逃したくなくて、今のうちに水筒を準備しておくことにします。いくら保温性の高い水筒といえども、今はとても冷たい。だからポットのお湯を注いで一度、水筒を温めることにします。コポコポと心地良い音が水筒から聞こえ、そして水筒全体がぽかぽかと温まってきました。この瞬間が、私はとても好きです。

 剣術大会の日のこと。あなたは覚えてますか?

『智久さんはー……元々、争いや武道には向いてないのかもしれませんね』
『うう……そうですか?』
『はい。その分、智久さんは優しいということです』
『どうしてですか?』
『だって……』

 あのあと、私が何て続けたかったかわかりますか?

――竹刀を握るあなたより、
  美味しそうにお味噌汁を飲んでくれるあなたの方が、
  私は好きですから

 本当は、こう言いたかったんですよ? とてもキレイでかわいい首根っこを冷たい手でつっついて、恥ずかしさをごまかしましたけど。

 ……あ、でも、『速さが命』『研鑽を重ねたその先が向き不向き』というのは、本当のことですよ? あまりにあなたが真剣に聞いてくるから、私も真剣に答えました。本当は、『私はお味噌汁を飲むあなたの方が好き』と最後に付け加えたかったですけどね。

 でも、これもヒミツです。

 火にかけているお味噌汁が、周囲に素晴らしい香りを漂わせながら、少しずつ少しずつ、ふつふつと煮えばなになってきました。水筒の中のお湯を捨て、しっかりとお湯を切った後、お味噌汁の火を止め、そのまま、水筒に注ぎます。コポコポと可愛らしい音を立て、水筒の中に、私の気持ちが篭ったお味噌汁が注がれていきます。

 ……智久さん。昨日の演奏会の時のこと、覚えてますか?

『……じゃ、じゃあ! いつも美味しいお味噌汁を頂いているお礼……ということで!!』

 あなたがそう言った時、私が口をとんがらせてちょっとだけご機嫌ななめになったこと、気付いてましたか?

――私は、あなたに飲んで欲しくて作っていたのに……
  あなたがお味噌汁を飲む姿が見たくて、お味噌汁をいつも作っていたのに……
  お礼が欲しくて、作っていたわけじゃないのに……

 とっても自分勝手な言い草ですよね。しかも、あなたはお礼にチェロを弾いてくれるって言ってくれたのに、そんなことでへそを曲げるだなんて、おかしいですよね。私自身、そう思いますもん。なんで自分があんなにへそを曲げたのか、自分自身が不思議だったんですもん。でも、気付いて欲しかったな……私がごきげんななめになった理由。

 ……でも、あなたが気付かない限り、これもヒミツです。

 その後の演奏は、ほんとにもう、素晴らしいの一言でした。静かで優しく……まるであなたのような、素晴らしい演奏でした。

 それに、その曲の最中、チェロの美しい音色に乗って、あなたの声が聞こえてきました。

――鳳翔さん。あなたが好きです。

 だから私はそれに応えようと、お味噌汁に乗せて、自分の気持ちを伝えますと約束したんですけど……

 気付いてましたか? 『あなたが好きです』とチェロに乗せて告白してくれたあなたの姿が美しくて、私はずっと、あなたに見とれていたんですよ? 美しいあなたが奏でるチェロの音色があまりに優しくて、ずっと聞き惚れていたんですよ? それは、演奏が終わった後、思わず拍手を忘れてしまうぐらい、私の心を釘付けにしていたんですよ?

 知ってますか智久さん。私は昨日の夜、チェロを弾くあなたの姿を思い出して、ずっと胸がドキドキして眠れなかったんですよ? お布団の中で、あなたの言葉を何度も何度も思い出して、ずっと胸が高鳴っていたんですよ?

『わ……わ……! 智久さんが……智久さんが……わ……!』
『と、智久さんが……私に、“好きです”って……わ……!!』

 こうやって、あなたの為にお味噌汁を準備している間も、本当は集中しなきゃいけないのに、あなたがお味噌汁を飲んでくれる姿が目に焼き付いて……あなたの声が耳に届いて……あなたの言葉が心に響いて、ずっとドキドキしてるんですよ?

 ……でも、あなたにはヒミツです。

 絶対に、このことをあなたには話しません。

 だって……その分、あなたには、こう伝えたいですから。

――私は、あなたをお慕いしています。

 水筒の蓋をきっちりとしめ、すべての準備が整いました。お重も充分に冷めたようです。私は急いでお重を包み、私の横でずっと一部始終を見ていた間宮さんに聞きました。

「他のみんなはどうしたか知ってますか? 赤城たちはもう出ましたか?」
「あれ……さぁ……もう出たんじゃないですか?」

 慌てて時計を見ました。時計の針はすでに6時10分前。急がないと、せっかく準備したお重をみんなで食べる時間がなくなってしまいます。

 そして、せっかく気持ちを込めたお味噌汁を、智久さんに飲んでもらう時間が無くなってしまう。急がないと。

「では間宮さん。行って来ます!」
「はい。いってらっしゃい。がんばってくださいね」
「はいっ!」

 準備室で急いで着替え、私はお重と水筒を持って、会場までひたすら駆けました。

 智久さん。待っていて下さい。

 今、あなたの気持ちに応えます。あなたに、私の気持ちを込めたお味噌汁を届けます。

 あなたには、ヒミツにしていることがいっぱいあります。そしてそれは、これからもずっとヒミツです。

 だって、そのヒミツをこっそり打ち明けるよりも、あなたに伝えたい言葉が、私にはあるから。

 智久さん……私は、あなたをお慕いしています。

 終わり。
 
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