大洗女子 第64回全国大会に出場せず
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第7話 新たな戦車
原野が電卓代わりにスマホを使って試算した見積金額は、ゆうに中古のマンション1区画が購入できる金額だった。
角谷が発掘戦車だけで最後まで戦った理由が、優花里にも納得できた。
確かにこれでは、たとえ大戦初期の戦車でも大洗女子には買えない。
「……これでは、うちの予算で買える戦車なんて」
優花里はすっかりしゅんとなって、うつむいてしまう。
むろんこれには戦車の本体価格は含まれていない。
1945年8月15日ルールがある以上どんなお古の戦車でも値が崩れることはないし、戦車の売買のたびに連盟に登録検査料として本体価格の3割相当を課せられる。
復刻版を完成させても完成検査料、輸入する際には入国検査料を徴収され、買い手からは登録手数料を取る。そうでなければ損害補填で「これで新築だ」にはならないだろう。
当然連盟や大手流派も、それ以上の荒稼ぎをしており、政治家にも利権のお裾分けをやっている。戦争が割に合わなくなって、それに代わるビジネスとなったのが戦車道だ。
そして砲弾も、特殊デバイス付き競技弾頭の販売権は連盟のみにあり、製造メーカーからユーザーが直接購入することはできない。当然連盟の利ざやが上乗せされる。その額は卸売原価とほぼ同じだといわれている。連盟は理事会に対してだけしか責任を持たず、こと金銭面の細目は、監督庁の文科省にさえ開示されない。
とんだ「公益社団法人」があったものだ。
「戦車道はお金持ちの道楽」と大洗女子の一般生徒が揶揄するのも当然だろう。
「均質圧延鋼板のカーテン」の奥の院とさえいわれ、様々な利権にまみれているのが戦車道と言っていいかもしれない。男性理事長もその利権擁護のための、言わば必要悪だ。
だから角谷は戦車道を学園存続のバーターとして持ち出したのだ。
そして大洗動乱は利権がらみで起きた一方の当事者のリベンジマッチというのが、その正体である。それに西住宗家と島田宗家がパイの分け前を増やす機会と見て乗ったのだ。
そうでなければ二大巨頭自らがしゃしゃり出たりしない。
だが結局勢力図は何も変わらず、辻局長は排除され、理事長一人がほくそ笑んでいる。
そしてその権謀術数の世界に乗りだして行くには、優花里はあまりにも純朴に過ぎた。
もちろんこの世界に棲息する魑魅魍魎の一匹である原野も、何を考えているか知れたものではない。はずであるがここで彼は人の良い笑みを浮かべつつ、優花里に美味しい提案を持ちかけた。
「と、あたりまえのお話しかできないのなら、貴校までわざわざ足を運んだりしません。
ちゃんとお土産はもって参りました」
原野はアタッシュケースから書類ではなく、タブレットPCを取り出し、ポケットWi-Fiらしきものも起動させるとタブレットに30文字ぐらいの暗号化キーを打ち込み、秘匿回線らしきものにアクセスした。
「これは……」
タブレットのブラウザに映し出された画像と、プライスタグ。
破格の値段であるが、優花里は戦車自体にも飛びついた。
「これはハンガリーの!」
「お目が高いですね。これが私どもの『隠し球』です」
「38MToldi軽戦車の装甲強化型、42MⅢ型に、43M TuránⅢ重戦車ですか!」
「ええ、43Mの方はガンズ・コーポレーションが戦時中に試作したものをコピーして復刻したものです」
「ま、まさか実物の写真が見られるなんて感無量ですっ!」
「ええ、実力はあるのですが知名度が全くなく、どなたも買おうとなさいません。
どのお客様もお金があれば、どうしても知名度の高い戦車をご要望されますし。
そのようなわけでチハと同等かそれ以下と見られて、値崩れが激しいのです。
あなたほどの博識な方は、戦車道界ではなかなかいませんからね」
いままで自分のことをそのように持ち上げてくれる人間がいなかったため、優花里はいままでの懸念はどこへやら、すっかり天にも昇る気持ちになっている。
「そしてこちらをごらんください」
「これは、……まさか、実車が存在するなんて!」
「ええ、戦時中にはご存じのとおり1両も完成することがありませんでした。
これはヴァイス・マンフレート社が残した設計図面をもとにガンズ社の機関車工場で組み立てられた『復刻版』です。
もちろんあなた様なら、この戦車の真価はおわかりのことかと」
「ええ、もちろんです!
主砲は70口径75mm、砲塔防循曲面120mm、車体前面40度120mm!
速力路上45km/h! 信じられません、パンターより強力な戦車がこの値段とは」
「……もちろん『税込み』『乗り出し』価格です。
私どもではこれを3両押さえております。
まとめ買いでしたら、さらに勉強させていただきます。いかがでしょう?」
「あ……」
優花里がもし正真正銘の会長ならば、ここですぐに契約書を作ってしまいたいところだったが、会長職務代理者には随意契約の認められている金額以上の決裁権はない。
それを告げると、原野はまあそうでしょうねという顔をした。
「そうですね、それでしたら検討用に1両持ち込ませていただきましょう。
会長さんや隊長さんがお戻りになるころにまでには、持ち込めると思います。
その後にまたお伺いいたします。
なお、この商談は昨年戦車道をお始めになった大学や実業団にももちかけております。
私どもも売れなければどうにもなりませんから……。
――では、良いお返事をお持ちしております」
「はいっ!」
優花里はすっかり元気を取り戻したようだ。頭の中では連覇への皮算用もしている。
原野は、営業スマイルの裏でほくそ笑んでいる。
これなら大丈夫だろう。自分の代わりに営業マンになって必死に売り込んでくれる。
どのみち会長も隊長も、のどから手が出るほど戦力を欲しがっているにちがいない。
商談は成立したも同然だな。
原野は一切顔に出さずにそう思って、また金ぴかのブラジル製軽量ビジネスジェットの機上の人になった。
みほと華が学年末試験のため講習を数日間欠講して大洗女子に戻ってきたのは、原野が優花里と商談した2日後のことだった。
なお時を同じくして、逸見エリカも同じ理由で黒森峰女学園に一時帰還している。
「優花里さん。町の教育委員会からうちの戦車道に補助金が出るの?」
華もみほも、戦車道を3単位から1単位に縮小して、厳しい財政下でできることをやるしかないだろうと考えており、それに優花里がどう反応するか憂慮していたので、それが少なくとも次年度は解決すると聞き、安堵半分、不安が半分という微妙な心理になっている。
これがもし同窓会や町の有志による自発的な寄付であるなら、ありがたく使わせてもらうところだが、一個人、しかも匿名の人物が多額の現金を寄贈したというのには不安を覚える。しかも大洗女子に直接ではなく、町教委を介してだ。
善意に取ればお互いに気を使わないようにして受け取りやすくするため、悪意に取れば決して身元が彼女たちにもれてはならない人物からの思惑ありげなお金。
もし優花里が、寄贈者は直接連盟理事長の個人電話に変調装置付きの通話を仕掛けてくる怪人物だと明かしてしまったなら、華とみほは町役場に出向いて寄贈者に返納してくれるよう依頼してくるだろう。
優花里は、あんこうチームの信頼関係にのっとるなら、すべてを明かすべきだというのはわかっていた。だが、彼女は大洗女子を戦車道の不動の強豪にしたいという気持ちを押さえることはできなかった。
あとになれば、きっとわかってくれる。すべては大洗女子のためと理解してくれる。
そう思って、仲間たちに対する背徳感をねじ伏せる優花里。
彼女は原野のことも「戦車を試乗用に持ち込みたい」とだけ言う営業マンとだけ伝えている。
みほに現時点で詳細を伝えると、断るよう言われるかもしれないと思うからだ。
みほはどこまでも戦車道選手であって、優花里のように戦車自体にエンスー的興味はないことはよくわかっている。戦車の種類で言うなら優花里の方がよほど該博だ。
信頼するみほにこんな腹芸めいたマネをするのは気がとがめるが、これもすべて大洗女子戦車道の栄光の礎を築くため、と自分に言い聞かせる優花里。
しかし、彼女に腹芸は無理だった。まして相手は(ダージリンという例外はいるが)敵に決して自分の考えを読ませることはない西住みほと、平常心の怪物というべき五十鈴華である。この二人からすれば、純朴な優花里が何を考えているのかは、顔に全部書いてあるのも同然だった。
彼女ら二人は互いにアイコンタクトをかわすと、「あとは講習が終わってから考えましょう」と、いったん棚上げにすることにした。
どのみち態度決定の締め切りは3月下旬であり、華の決裁がなければ戦車は絶対買えないから、急いて事を仕損じる危険を冒す必要はない。
そして残りの日々は学年末試験に追われ、ろくにこのことを考える時間もないまま、みほと華は北富士演習場に再び出発した。
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