ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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辺境異聞 1
秋芳が目覚めると、見覚えのない古びた聖堂の中にいた。
「…………」
かつて信仰者たちの祈りの場として使われていたであろう、十字の形をした聖エリサレス教会の聖印が見下ろす座席の上で眠り込んでいたのだ。
「頭痛い~、どこだぁ、ここはぁ……」
気だるげな女の声に振り向けば、懺悔室の中からセリカが顔を出すところだった。
(うお、こいつこんな美人だったのか。それに乳でけえ)
黄金を溶かしたような豪奢な金髪と精緻に整った白皙の貌に、艶美な線を描く肢体。埃だらけの朽ちた廃墟という背景がよりいっそう彼女の美しさを強調し、まるでひと筋の光明とともに美の女神が降臨したかのようだ。
暗い店内と、酒に酔っていたため気づかなかったセリカの美貌に、今さらながら目を奪われる秋芳。
「あれぇ~、おまえ、だれだっけ? ここはどこだ?」
「俺の名前は賀茂秋芳。ここがどこかは知らん。……なんか、どこかに行く途中だったような」
「……リリタニア?」
「ああ、そうそう。リリタニアだリリタニア。そこに行くとか行かないとかそういう話で」
「なんでリリタニアになんか行くんだ」
「……さぁ?」
「ああもう、リリタニアなんかどうでもいい。ここはどこなんだ、フェジテじゃないよな」
外へ出て辺りを見て回る。
小高い山の中腹あたりだろうか、おいしげる木々の合間から眼下に広がる平原。ところどころに丘陵が見えた。
「うーん、まったく見覚えがない」
「やれやれ、フェジテに帰るのも一苦労だな。これじゃあ今日のお勤めはなしだ」
「なんの仕事をしてるんだ。おおかた魔術関連だと思うが」
「なぜそう思う」
「【センス・ライ】だの【センス・マジック】だの、あんなゴチャゴチャ符呪しまくってるやつは魔術師くらいだ」
「ああ、そういえばおまえは魔力が〝視える〟んだったな。……そうだ魔術学院に講師として籍を置いている、一応な」
「なんか妙に歯切れの悪い言い方だな」
「実際に教壇に立つことなんて、ほとんどないのさ。それでも私みたいな第七階梯の人間はいるだけで学院の株が上がるってんで、いるだけで重宝されてるよ」
魔術師には下から順に第一階梯、第二階梯、第三階梯、第四階梯、第五階梯、第六階梯、第七階梯の七つの位階が存在する。
学院を卒業したての新人は第三階梯、第四階梯は平均的な魔術師が至る最高階位。第五階梯は天才で第六階梯は超天才。第七階梯ともなれば規格外だ。
ちなみに遺跡調査やその他特別な任務などで人員を募集する場合は第三階梯以上の者には報酬を与えるという規定が存在する。
「ペルソナ5の鴨志田みたいなものか」
「……なんかものすご~い嫌な例えをされた気がするぞ。訂正しろ」
「うちの十二神将みたいなものか」
「うん、だいぶマシになった気がする。……言っておくが給料泥棒に甘んじているわけでもないからな、学院の地下で得た情報や物を提供することで、給料分以上の貢献をしているつもりだよ」
「地下迷宮か、そういえば、そんなのもあったな」
アルザーノ帝国魔術学院の地下には広大無辺な古代遺跡が存在する。
「地下に向かってのびる塔」のような構造をしており、探索危険度はS++。帝国最高難度を誇る迷宮で、地下九階までは学生実習などでも使用しているが、地下一〇階を境に危険度が激増する。四九階までは「愚者の試練」とも呼ばれ、内部の構造が定期的に変化しているために転移魔方陣の設置や地図が意味をなさないのだ。
「身近な場所にダンジョンがあるだなんて、東のミカド国のナラクみたいだ。学院の地下にある、入るたびに構造が変わるとか、月光舘学園のタルタロスみたいで今から潜るのが楽しみだな」
「迷宮探索志望者か、おまえが正式に学院に通うようになれば許可もおりるだろうよ。それよりものどが渇いた、水」
「さっき井戸があっただろう」
「ずっと使っていない井戸だぞ、汚いじゃないか」
「井戸というのは単体で存在する水溜りではなく、帯水層や地下水脈の一部だ。使わないからといって澱んだりはしない。もっともあまりにも長いこと使わない、人が手を入れないと表面に土砂や枯れ葉がたまったり帯水層が痩せて水が汲めなくなることがあるが」
「そういうのを汚いと言うんだ、そう言うのを」
「まあ、試しに汲んでみよう」
聖堂裏にあった井戸に近づくと、秋芳が異変を察した。
「まて」
「なんだ」
「五気の偏向――ではなくて精霊力の均衡がくずれている。あんたの言うとおりだ、あの井戸の水は穢れて、よくないものになっている」
「狂えるウンディーネでもひそんでいるのか?」
「そんなところだ、近づかないほうがいい」
「そんな危険なやつ、ほうってはおけないな」
「あ、おいっ」
秋芳の言葉を無視して足を進めるセリカ。
すると井戸の中から黒くにごった水が噴水のように吹き出し、人の形をとった。
「キャハハハハハッ!」
泥にまみれた裸の少女が哄笑をあげる。
本来ならば清らかな水で肉体を形作った、全裸の美しい女性の姿をしているウンディーネの見る影もない。
「ううむ、長いこと祀られることのなかった井戸神が祟りをなすことがあるが、これもそのようなものか」
「溺れちゃえ☆ 沈んじゃえ☆」
汚泥まみれのウンディーネがその身を濁流に変えて押し寄せる。狂気に囚われた彼女たちは陸上生物の鼻や口に浸入し、肺を満たして水死させることを喜びとする。
くるぶしにも満たない路上の水溜まりや浅瀬や小川で溺死した者は、この狂えるウンディーネの被害に遭ったと言われ、ルヴァフォースの人々に恐れられていた。
「逃げるぞ、こいつらは水のある場所から遠くには――」
「《失せろ》」
灼熱の業火が真紅の海嘯と化して狂えるウンディーネを押し潰す。超高熱に焼かれ、ひと滴の染みさえ残さず蒸発した。
黒魔【インフェルノ・フレア】の火力は凄まじく、狂えるウンディーネどころか井戸を跡形もなく吹き飛ばし、聖堂の一部と周囲の木々を消し炭に変えた。
井戸のあった場所にはクレーターが生じ、高熱で溶けた土石が急速に冷えガラス状に変異しつつある。
「たおしたぞ、だがこれじゃあ井戸が使えないな。もう一発ぶちかまして大穴を開けるか」
「このアホーっ!」
「なんだいきなり」
「まわりを見ろ、まわりを! 地形が変わっているぞ。井戸や建物はともかく、森を焼くとはなにごとだ。自然破壊もたいがいにしろ!」
「なんだおまえ、自然崇拝者(ドルイド)か?」
「だれが九階から出てくる壁を壊す青い呪文を使う魔法使いだ!」
「またわけのわからないことを……」
「やりすぎだと言っているんだ。あんたの実力ならもっと穏やかに対応できただろうに、むやみに破壊するな」
「男の癖にこまかいこと言うじゃないよ。それより井戸は、水はどうするんだ?」
「たった今あんたが壊しただろうが! 掘り起こすなよ、山ごと吹き飛ばしそうだ。……ちょっとまて、偵察がてら探してみる――《闇夜に舞い・羽撃け・御先の大鴉》」
【コール・ファミリア】で召喚したカラスで空からあたりを見回すと、山の裏側に小さな滝があり、滝壺からのびた川の先には田園地帯が広がっていた。ぽつぽつと建物も見え、人がいそうだ。
水を確保したいことだし、とりあえず滝にむかってみた。
「あ、あれ」
セリカが木の上を指さす。その細い指の指し示す先には紫色の果物がたわわに実っていた。
「アケビか」
「あれ食べたい」
「朝の食事は、あれでいいかな。落とすから下で取ってくれ」
落ちている石を拾い上げ、樹上にむけて投げると、拳大の果実がぽとりと落ちた。
「アケビ……」
「どこからどう見てもアケビだな。…… ドラゴンとかキマイラとかがいる世界なら、べつにアケビがあってもおかしくないよな。俺のいた世界のアケビとはちがう、この世界独自に進化したアケビがいるということにすればいいんだから。 日本原産種であるアケビがルヴァフォースにあってもおかしくない!」
「だれにむかってなんの力説をしているんだか。……なぁ、アケビの形って」
「うん?」
「アケビの形って、なんかエロくないか?」
「エロくねえよバカ女。いいからだまってお食べなさい」
やがて間近から川のせせらぎが聞こえてくる。アケビを食べ終わる頃には滝壺にたどり着いた。
清水で口をゆすぎ、喉を潤して川沿いに下る。
「あ、あれ」
セリカが川面を指さす。陽光が反射して縞模様になった水面を黒い影が泳いでいる。
「イワナか」
「あれ食べたい」
「まぁ、アケビだけじゃもの足りないか」
手ごろな大きさの石を拾い、狙いをつける。
「…………っ!」
川にむかって放った石でイワナを一尾、仕留めた。
「さっきも思ったが器用なものだな。その石、符呪したわけじゃないんだろ?」
純粋な魔術戦にこだわる魔術師からは嫌われているが、投擲武器に必中のルーンを書いたり刻んだりして戦う方法は広く知られている。
「印字打ちといってな、野外生活にあると便利な技だよ」
自分の分もふくめてもうニ、三尾仕留めようと狙いをつけるが、なかなか水面に浮かんでこない。少しでも深みにいると石の勢いが削がれて仕留めきれないのだ。
「手裏剣でもあれば楽に捕れるんだが……」
「めんどくさいなぁ、ここは私が【ブレイズ・バースト】で発破漁を――」
「そういうのをやめろと言っているんだ! そんなことをすれば関係ない生き物まで死んでしまうし、食べきれない分まで捕る必要はない。無益な殺生はよせ」
「まったくエリサレス教会の僧侶みたいなこと言うやつだねぇ。いいじゃないか、ついでに湯浴みもしたいし」
「湯?」
「そう。ひとっ風呂浴びてシャキッとしたいんだよ」
「川の水をせき止めて湯を沸かすつもりか?」
「うん」
「豪快な……、リナ=インバースみたいなことを考えるやつだ。水浴びじゃいかんのか」
「水浴びするには風も水も冷たすぎるよ」
北東の万年雪連峰を越えて流れてくる寒冷な気団の影響でフェジテの気候は一年を通して涼しい。
「なら【トライ・レジスト】を使えばいいじゃないか。あるいは【エア・コンディショニング】とか」
【エア・コンディショニング】とは身体回りの気温・湿度を調節する魔術だ。身体にかかる水そのものを温めることはできないが、対象にとってつねに最適な温度状態を維持してくれるこの魔術がかかっていれば水に体温を奪われて寒い思いをしなくてすむ。
「なるほど、おまえ機転が利くな。もう少し時間がかかりそうだし、私はさっきの滝壺で水浴びしてくるよ」
「気をつけろよ」
「そのことだが」
「うん?」
「おまえのことは信用している。だが、念のため【デッド・ライン】を張り巡らせておくから近寄るなよ」
「まったく、ぜんぜん、これっぽっちも信用してねえじゃねえか!」
操死【デッド・ライン】。線状結界の魔術罠。それは生と死を別つ境界。不用意に足を踏み入れば、即座にデス・スペルが発動し、侵入者を死に至らしめる。
「私ってばほら、淑女だろ。ガードが固いんだよ」
「関係ない森の動物や通りかかった人が巻き込まれたらどうする! 人払いの結界を張るとか、【セルフ・イリュージョン】で身を隠すとか、そういうのにしとけ!」
「おお、なるほどなるほど。そんな使いかたもあるとはね、おまえってほんとうに機転が利くな」
「あんたが雑なだけだ」
「じゃあ水浴びしてくるから覗くなよ。絶対に覗くなよ。いいか、ぜっ、たい、に、の、ぞ、く、な、よ~」
「わかったから行ってこい!」
セリカの言葉を反芻する。あれは芸人の前ふり的な、覗けという意思表示ではないだろうか。
(ふん、そんな深夜三流俗悪萌えアニメの主人公じみた真似、頼まれてもするものか!)
へそ曲がりの秋芳は黙々と作業を続けた。
魚を仕留めたら枯れ枝を断ち割りへし折って、焚き木を作り、河原を掘って焚き火を起こし、大きな葉を折って簡易な鍋を作って湯を沸かし、枝で作った即席の串に刺して川魚を焼く。
「おー、いい感じに焼けてるじゃないか」
測ったかのように絶妙のタイミングでもどってきたセリカは焼き魚を見て相好を崩す。
水気を帯びた彼女は全身からしっとりとした雰囲気をただよわせ、妙な色気を醸し出している。
燦然と輝く太陽から、闇夜に浮かぶ月へと変幻したかのようだ。
セリカが嬉しそうな顔でかぶりつく。赤く柔らかそうな唇に秋芳もつい気を取られる。
立ち居振る舞いは子どものそれに近いのたが、不思議と優美さを感じさせるのだ。
「たまにはこういう素朴な味もいいな。ああ、食後のお茶が飲みたい」
「さすがに茶は用意できないな」
「ならフェジテにもどるとすか」
「タクシーがありゃ楽なんだが……」
「タクシー?」
「遠耳水晶ひとつでどこにでも駆けつけてくれる馬車みたいなもので――」
山を下りて田園地帯に近づくにつれ空模様があやしくなってきた。
そう遠くない空から雷鳴が轟き、風が強くなる。
やがて鉛色をした雲から大粒の雨が滴り落ちた。
雨は瞬く間に勢いと量を増し、南国のスコールさながらの暴雨と化した。
「ああ、うっとうしい! 【コントロール・ウェザー】でも使って止ましてやろうか」
「局地的な環境情報の改竄は生態系に後遺症を発生させる可能性があるから、行使するのなら念入りに準備をして――」
「また屁理屈を!」
「《大気の壁よ》。ほら、濡れるのが嫌なら【エア・スクリーン】でも使って傘代わりにしろ」
「なるほど、おまえ機転がーー」
「だからあんたが雑すぎるんだっての」
雨はやむ気配を見せない。
【エア・スクリーン】によって風雨はまぬがれているが、舗装されていない野路はぬかるみ、歩行が困難になってきた。
「まったく……、こんな大雨が降るって予言できなかったのかい、占い師」
「……日輪の動き、星の動き、大地の揺れ、天地(あめつち)のことは何人であれどうにもならぬと安倍晴明だって言っている」
「安倍の声明? 北のミサイルが飛んできたのかい」
「メタな発言はよさんか! ……言っておくがきちんと調べれば天候くらい予測できるからな。方位や星の在り方を見て吉凶を占うのが陰陽師の仕事で、その一環として天気を当てるくらい――」
「はいはい、わかったわかった」
「わかればいい、わかれば」
突如として閃光が瞬く。
轟音とともに近くの木が炎上した。落雷だ。
「こりゃあいかん、どこかで雨宿りを――」
ふたたび稲光が走る。
陽光をさえぎる黒雲と風雨で視界が悪いなか、数瞬だけ光に照らされ、小高い丘の上に城のような建物が見えた。
「あそこだ、行こう」
城の前に来るとセリカがくるりと振り向き、両手を高々と上げ、 音吐朗々と声を響かせた。
「ふっふっふ、いいぞいいぞ。雨よ降れ、風よ吹け、雷よ吠えよ。生意気な人類に天界の鉄槌をくらわせてやるのだ……!」
「……なんの真似だ、それは」
「いや、なに。こういう場所でこういう状況だから、つい」
城の古い大扉が強風にあおられ、きしみながら開いた。中は真っ暗で廃城のようだと思ったが、奥からランプを掲げた人影が近づいてくる。
光に照らされ、この時になってはじめて玄関の両脇に立っている門番たちに気がついた。
(隠形しているわけじゃない。こいつら、妙に気が薄い)
門番たちからは瀕死の病人のように微弱な、弱々しい生気しか感じられない。
(まるで、死人だ)
秋芳は闖入者に視線もむけず、微動だにしない門番たちの姿に、生きる屍のような印象を受けた。
「ひどいお天気ですわね……」
ランプを掲げた人物。白いドレスを着た金髪の少女が秋芳たちに微笑みかける。
「父はいま執務中で手が離せないため、代わってご挨拶いたします。辺境伯ヨーグの城へようこそ。わたしは娘のフーラともうします」
光の加減であろうか、稲光に照らされたフーラの瞳は一瞬だけ真紅に染まって見えた。
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