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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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シーホーク騒乱 8

 おびただしい量の海水をしたたらせて陸に上がった魔鋼鉄のゴーレムはふたたび暴れ狂う――ことはなく、すぐに動きを止めた。

「……?」

 左膝の関節部分に容赦なく魔剣を突き刺し、ねじり斬ると、バランスを失ったゴーレムが他愛もなく倒れる。

「中の人は生きているみたいだが……」

 胸部のハッチに魔剣を押し当て、強引にこじ開けると海水とともにひとりの男――カルサコフが流れ出てきた。

「大量に水を飲んでいるな、このゴーレムには水中でも活動できる機能はなかったようだ」

 気を失ったカルサコフを警備官に引き渡す。彼らはすぐに【マジック・ロープ】と【スペル・シール】でカルサコフを無力化し、連行する。

「あの男。いったい何者で、どうしてこのような凶行を働いたのか、できることならわたくしみずから聞き出したいものですわ」

 ウェンディは形の良い唇を噛みしめ、口惜しげな表情を浮かべる。

「やつには拷問という付録つきの取り調べから、処刑台直行コースが待っていることだろう。俺たちが気にかけることはないさ」
「そうですけど……」

 拘束され連れ出されるカルサコフの姿を見送っていた、その時、異変が起きた。
 カルサコフの上腕部に彫り込まれた紋様、短剣に絡みつく蛇を描いた漆黒のタトゥー。その蛇がのたうち、闇の触手となってカルサコフにからみついたのだ。
 漆黒の蛇。霧のように実体のないものながら、絶対的な存在感をもった闇の塊。
 それは瘴気。
 闇に触れたカルサコフの皮膚が見る見るうちに変化していった。ぷくりぷくり、ぶくりぶくりと泡が膨れ上がるかのように皮膚がめくれ、肉がはじけ、ただれ落ちた。
 筋肉質だった長身はぶざまに膨れ上がっていく。
 それは、人であった面影を完全に失った生き物だった。
 樽のような胴体には数えきれないほどのいぼがあり、じゅくじゅくと正体不明の、悪臭を放つ、液体を分泌している。
 腐りかけた縄をよじり合せたような腕とも触手ともつかないものが三本、身体の周囲に生えていた。
 頭の位置はルイーツァリよりは低い位置にあるが、それでも並の男の倍ほどの高さにあり、足の先端は木の根のようにいくつも分かれ、わさわさとおぞましく蠢いていた。
 たったひとつ、頭だけがもとの形をとどめているのが、哀れであり、恐ろしくもある。
 だが狂気と妄執に囚われていても強い意志の宿った瞳は黒く濁り、淀んでいた。
 半開きになった口もとじからは、とめどなく薄桃色の液体がしたたり落ちている。
 それは――。
 それの名前は――。

「動的霊災!?」

 霊災。それは万物に満ちる霊気が極端に偏向し、五気と陰陽のバランスを崩すことで発生する霊的な災害のこと。動的霊災とは瘴気が実体化し、物理的に影響をおよぼすまで進行した霊災を指す。
 もっともここルヴァフォース世界には地水火風の四大精霊力や純粋な霊気やマナの流れはあっても五気は存在しない。
 この世界で歪みを体現する存在、それは――。

「悪魔か……」

 悪魔。
 それは人の深層意識下で広く認知された強大な概念存在のなかでも、負の要素に満ちた強大な概念存在。
 疫病、旱魃、飢饉、地震、台風、火事などの天災。
 虚偽、裏切り、妬み、憎しみ、肉欲、殺人や暴力衝動などの悪しき感情。
 そういった人の様々な忌避や禁忌や恐怖が、宗教や信仰。あるいはもっと純粋で原始的な感情――恐怖と結びついて具現化したもの。
 カルサコフの肉体を触媒に、悪魔が受肉したのだ。
いぼから滴り落ちた液体から猛烈な臭気が立ち込める。
 さわやかな潮風が吹く港は一転して汚れと瘴気が渦巻く地獄と化した。
 
「うぐっ」「ウエッ」「おえぇ」

 悪臭もあまりにひどくなると『臭い』ではなく『痛い』と感じるようになる。周囲の人々の目や鼻の粘膜に刺すような痛みが走り、嗚咽をもらす。
 もはや臭気ではなく毒気。それも心身を冒し汚す猛毒だ。

「嗅ぐな! これは瘴気だ。吸えば霊障を受けるぞ。【エア・スクリーン】と【マインド・アップ】で防御しろ」

 魔術の心得のある何人かが自分もふくめ、まわりの警備官らに対抗魔術をかける。

「なんなんですの……、いったい……ううっ!?」

 リビングアーマーやゴーレムを前に気丈に振る舞っていたウェンディだったが、瘴気を撒き散らす異形の存在を目の当たりにして平静ではいられなかった。
 自身に対抗魔術をかけることもできず、うずくまって胃の中のものを吐き出す。
 ウェンディだけではない。訓練を受けた警備官や衛兵たちでさえおなじ状態におちいっている者が出ている。
 これが、悪魔だ。
 姿形が恐ろしいだけではない。その存在そのものが極限まで堕落し腐敗した、おぞましく、醜悪で、淫らで、冒涜的な、究極の邪悪。
 悪魔は本来実体のないエネルギー生命体で、悪魔が肉体を得るには地上の生物と合体しなければならない。一般に合体する相手の知能が高く、能力が優秀であるほど強い肉体を得られる。
 魔術的な方法で星幽体(アストラルボディ)などのかりそめの肉体を作る方法もあり、星幽体をした悪魔には魔術によるものをふくめ物理的な攻撃がほとんど効かない。だがその場合は大量の魂を、生け贄が必要になる。
 現世に維持させるだけでも手間がかかるため、ひとりの生け贄に受肉させるだけですむ方法のほうが多用される。
 悪魔の姿は千差万別。彼(彼女)らは歪みの象徴であり、非存在であり、悪夢そのものだ。いびつな、ゆがんだ、醜悪な、妖美な、見るに堪えない、狂気を誘う――。
 そのような形容詞がつきまとう。
 青い炎につつまれた無数の髑髏、黒い霧のなかに浮かぶ数百の目や口や鼻、虫と鳥の頭をもった巨大な赤ん坊、コウモリの羽根と無数の腕を持った直立する獅子、山羊の頭部を尻から生やして逆立ちしている無頭の紳士、幾何学的な固まりの集合体――。
 などなどが記録にあらわれる悪魔の姿だ。

「ああああaAAはははhahaha――」

 悪魔の身体に生えているカルサコフの顔が白痴じみた笑い声をあげると、木の根のような足をわさわさと蠢かし、移動をはじめる。
 こんなものが街中に侵入すれば、その被害はリビングアーマーの比ではない。

「こいつを退治するのは俺の仕事だな。陰陽の理をはずれた魔障を修祓する、陰陽師たるこの俺の役目だ」

 たとえもといた世界の陰陽術が使えなくても世界の歪み、霊災を修祓せんとする義務感が秋芳を駆り立てる。

「……ウェンディ・ナーブレス! しっかりしろ」
「うう……」
「逃げるのか、あきらめるのか、ゲロの海の中で溺れ死ぬのか」
「そんなの、ごめんこうむりますわ」
「アーサー・ペンドラゴン、ジークフリート、クリシュナ、ペルセウス、キンメリアのコナン、アンディ・クルツ――。俺の語り聞かせた物語の主人公たちを思い出せ。彼らは絶対の危機の時にどうした?」
「立ち向かいましたわ」
「俺は今からやつに立ち向かう。お嬢を守る余裕はない。だから自分の身は自分で守れ、いいな」
「い、言われなくても……。わたくしだって立ち向かってみせますわ……『我々は貧者に分け与えるために富者から奪う。何人も分け隔てせずに弱者を等しく守る』!」
「その科白は――」
「ロビン・フッド。あなたの聞かせてくれた物語の中の登場人物の言葉ですわ。ただただ奪い、破壊するだけの怪物に、このウェンディ=ナーブレス。退きませんわ!」

 奮起したウェンディが自身に【エア・スクリーン】と【マインド・アップ】をかける。
 自分のためではなく、なにかを、だれかを守るためなら、この娘は実力以上の力を発揮するのではないか。
 とりあえず、立ち直った。
 そう確信したあと、カルサコフだったものへ魔剣を手にして駆ける秋芳。
 そこへ三本の触腕が風切り音をあげて打ちかかってきた。

 ヒュン、ヒュン、ヒュン!
 
 頭、胴、足を同時に――ではなく、微妙に時間差をつけて避けにくくした、狡猾な連撃。
 どのような肉体の作りになっているのか、樽のような身体から生えた触腕のみがグラインダーのように横回転し、接近をゆるさない。

「破亜亜亜ッ!!」

 近づくのに邪魔ならば切り落とすのみ。
 気合いとともに振るった鉄をも切り裂く斬撃はしかし、触腕の表面をわずかに傷つけたのみ。
 
「ぬめりやがる!」

 ゴムのように弾性のある表皮に、いぼから出た粘液がまとわりつき、潤滑油の役目をはたしていた。
斬撃、打撃、刺突。外部からのあらゆる衝撃を弱らせてしまい、剣や銃では分が悪い。
 秋芳とともに果敢に剣を振るっていた警備官のひとりが触腕の一撃で壁まで吹き飛ばされる。

「無理に近づいて攻撃するな、こいつには剣よりも魔術による攻撃のほうが有効だぞ!」

 だが強力な攻性魔術を使える魔術師の多くは総督府の攻防戦でカルサコフに倒されてしまっている。
【ブレイズ・バースト】や【ライトニング・ピアス】のような威力のある魔術の使い手はこの場にいないようで、【スタン・ボール】や【マジック・バレット】のような魔術が時おり飛んできては悪魔の身を傷つけるが、いかにも効果が薄い。

「《魔弾よ(アインツ)》! 《続く第二射(ツヴァイ)》! 《更なる第三射(ドライ)》!」

 ウェンディも必死になって習得しているなかでもっとも攻撃力の高い魔術を、【マジック・バレット】を矢継ぎ早に連唱し、収束魔力の光弾が次々と放つが、結果は悪魔の皮膚を焦がすのみ。焼け石に水だ。

(立ち向かうと決めましたのに、これではあまりにも無力ですわ! わたくしに力が、もっと大きな力があれば……!)

 それらにくらべて悪魔の唱える魔術は強力だ。

「《金色の雷獣よ・地を疾く駆けよ・天に舞って踊れ》」

 異形の身に唯一残っている人の部分。カルサコフの頭部が呪文を紡ぐ。

(木気の高まり、雷か!)

 錯覚である。
 実際は木気など存在しない。雷撃系の魔術を使用する瞬間のマナの構成や術式を秋芳の見鬼がそのように視させているだけにすぎない。
 それは秋芳も頭では理解しているが、とっさにそう思ってしまう。
 閃光と轟音、そして衝撃。
 無数の稲妻がほとばしり、雷球が荒れ狂った。
【プラズマ・フィールド】。術者の周囲に無数の雷球を展開し、周囲一帯を稲妻の嵐でなぎ払う電撃系のB級軍用魔術。電撃系のC級軍用魔術である【ライトニング・ピアス】の上位高等魔術だ。
 秋芳ほどではないが近距離で悪魔に攻撃していた警備官たちが稲妻になぎ払われ、一掃された。
 もう少し近くにいたり【エア・スクリーン】の加護を受けていなければ即死していたことだろう。
 では魔術の加護もなしに悪魔と接近戦をしている、雷陣の中心近くにいる秋芳の身はどうか。

(金剋木! じゃないんだよなぁ)

 もといた世界ならたやすく剋す、制することのできる攻撃にさらされるも、全身に気を廻らし、練らして、精神を集中することで魔術に抵抗。
 いわば生来の【トライ・レジスト】。それも三属エネルギー以外の、あらゆる魔術的な攻撃に対応する万能の防性能力。
 身体中をさいなむ電流に筋肉が収縮し、内臓が悲鳴をあげ、激痛が走る。だが総身から白煙をあげつつも、感電死はまぬがれた。

「uuuuu……、コ、コロぉして、クレぇぇぇ。たノム」

 目や口から薄桃色の体液を流し、わずかに残された人であった部分が、カルサコフの首が哀願する。
 悪魔になった者を救うには、肉体を破壊する。殺すことでしか救えない。
 
「いいいィィィたぁい、いたいいたいいたいイタイくルシィIIIいヤだぁぁあぁぁぁァァァ――《爆炎よ・障壁となり・燎原を走れ》――aaagaaaころしてころしてころしてコロシテコロシテたのむぅぅぅコロコロコロ――」

 自在に操作することが可能な炎の壁を生み出す【フレア・クリフ】。
 灼熱の炎が猛速度で床を駆けた。
 後方から銃や魔術で応戦していた人たちが灼熱の炎壁に飲み込まれる。

「くっ、《清き水よ―》! 《冷たき氷よ―》!」

 ウェンディが手持ちの水晶石や氷晶石を使うことで防護壁を展開。なんとか消し炭になるのはまぬがれたが、多くの人が火傷を負った。
 悪魔のたったいちどの呪文で、人間側の前衛と後衛は甚大な被害を受ける。

(このぬるぬる野郎に致命傷を負わせるには……。この方法は、使えるか?)

 意を決した秋芳が攻撃の手を強める。
 龍が尾を払うが如く人体の急所である両の向骨を斬り払う瞬撃《龍尾下閃》。
 足を軸に回転を繰り返し、その遠心力を利用して移動回避しつつ斬撃を放つ《風旋撩刀》。
 襲い来る猛虎の牙を模した、強烈な斬り落とし攻撃《落虎牙劈》。
 龍が天に向けて放つ咆吼の如く天地を揺るがす壮絶な刺突《天吼前刺》。
 獅子奮迅、疾風怒濤、驍将疾駆、闘志豪壮、古今無双、八面六臂の猛攻撃。
 ありったけの絶技の数々を繰り出した。
 触腕の表面に次々と裂傷が増え、三本の触腕のうちの一本には半分近く切り裂く傷をあたえることができた。
 だが攻めに集中しているぶん、どうしても守りが薄くなる。
 大きな痛手を受けぬよう、なんとか致命傷は避けているが鞭のようにしなる触腕がかすめ、傷ついた場所に黒くにごった血がにじむ。
 赤ではない。どす黒い、血が。
 悪魔の身体を濡らす粘液には強力な呪詛や魔術毒が込められている。
 秋芳は気を廻らすことで解毒。除去できなかった分を体外に排出しているのだ。
 易筋(ヨーガ)と気功(プラーナヤーマ)。
 拳法(メイ・パヤット)とともに達磨大師によって天竺から中華に伝えられたこれらの技術は肉体と精神の完璧な制御を目的とする。
 体内から有害物質を排除する程度のことは秋芳にもできた。
だが、神仙ならぬ人の身には限界がある。
 運動と出血による体力の消耗は裂けようがない。
 秋芳が呪文を唱える。

「《天使の施しあれ》」

 白魔【ライフ・アップ】。対象者の自己治癒能力を増強し、傷を癒す初等法医呪文。
 けれども秋芳は、それを自身ではなく悪魔にむかって使用した。
 悪魔の身に刻まれた傷のひとつがふさがる。

「な、なにをなさっていますの!?」

 恐怖で混乱したのか悪魔にあやつられでもしたのか、秋芳の行動にウェンディもまわりの人々も困惑した。

「俺は血迷ったわけでも悪魔にあやつられたわけでもない! みんな攻撃の手をゆるめるな、今は俺を信じろ!」

「…………」

 ウェンディをはじめ、その場にいた人々は秋芳を信じた。
 いや、賭けた。と言ったほうが近い。

「《天使の施しあれ》!」

 猛然と攻撃を繰り出すいっぽう、相手を回復させる秋芳。
 自身の血は流れ、体力と魔力が失われていく。

(死ぬかな)

 機械的に身体を動かしつつも、頭の片隅にそんな考えが生じる。

(万魔を祓い、千妖を降し、百鬼を縛り従える。陰陽師たるこの俺が異国の地で動的霊災に負けるのかよ)

 死の予感を感じたことは今までにも何度もあった。
 
 葛城山で手持ちの式神をすべて一言主に複製されて戦闘になったとき、京の街で牛頭天王の率いる百鬼夜行に遭遇したとき、夜の鞍馬山で魔王尊と相対したとき。
 
(あと、それと――)

 陰陽庁で十二神将を相手に戦ったとき。

(さすがにみんか強かったなぁ。……んー、なんで俺は陰陽庁にカチコミしたんだっけ?)

 ひとりの少女の姿が脳裏をよぎる。
 栗色の髪をアップにし、毛先をはらりと流している。ぱっちりとした瞳に、長いまつ毛。ローズピンクの唇。
 キュートな美貌やバランスのとれたスタイルはファッション誌のモデルと言われても、すんなり納得しそうな、そんな美少女。



 約束の時間が過ぎた頃、ひとりの少女が待ち合わせのカフェに颯爽と入ってきた。
 その瞬間、客の視線が一斉にそそがれた。
 白のブラウスと黒のパンツというラフな身なりでも、長身からファッションモデルのオーラがただよう。

「おまたせ!」

 はち切れそうな笑みを浮かべて声をかけてくる。
 雲間から陽光がさしこむような笑顔に秋芳は自分の恋人がたいへんな美人であることをあらためて確認した。



(京子……)

 双龍塔――地脈を流れる龍脈から気を吸い上げ、あらゆるエネルギーに変換する呪術技術の粋をあつめて造られた風水機構。
 その塔の人柱にされた京子。
 彼女を助け出すために自分は十二神将の守る陰陽庁に戦いをしかけた。
 そして、勝った。
 京子を、最愛の人を守ることができた。

(だが、その時の戦いの余波で生じた時空の歪みに俺は吸い込まれて、こっちの世界に来たのか……)

 妙な安堵感。
 いそいでもとの世界に帰るつもりにならない気持ちの正体に気がついた。

(ああ、俺は、なすべきことをしたんだ。京子を救ったんだ。だからか。だから、もういいのか)

 大切な人を守れた。だから未練はない。

「帰ってきて! かならず帰ってきて、秋芳くん!」

 ――!

(いや、まだだ。まだ死ねないな!)

 そう。あのとき、京子は帰ってきてと言った。
 秋芳の帰還をのぞんだ。
 秋芳の帰還をのぞんでいる。
 ならば、帰らなければならない。
 このようなところで死ぬわけにはいかないのだ。
 心の深奥から闘志がわいてくる。
 気力充溢。
 剣をにぎる手に力がこもり、斬撃はその勢いと激しさを増し、刺突の速さと鋭さが冴え渡る。
 そして、ついに――。
 悪魔の身に異変が生じた。
 【ライフ・アップ】がかかっても傷がふさがらない。
 それどころか傷が大きくなり、治したはずの傷まで開いている。
 皮膚がはがれ、骨が折れ、出血性の障害が体内外の各器官で生じ、全身に壊死が広がっていく。
 治癒限界。
 ごく短期間に法医呪文による肉体治癒を何度も繰り返すと、とある施術回数から治癒の効きが極端に悪くなり、さらには肉体の自壊に至る状態をさす。
 繰り返される過剰回復が生体組織活動に深刻な障害をあたえるために起きる現象で、戦いに身を置くだれもが『癒やし手の手をつかむ死神』と恐れる。
 この悪魔はカルサコフの肉体を触媒に受肉した存在。星幽体をした、概念が形をとった悪魔とはちがい、この世界の法則に縛られている。肉体の枷に囚われている。
 肉体をもった存在ならば、治癒限界があるはずだ。
 そう考えたゆえの【ライフ・アップ】連続使用。
 秋芳の予想はあたった。

「UGAAAaaaッッッ……」

 もはや手をくだす必要はない。
 カルサコフだった悪魔は三分と経たないうちに、死滅した。
 ウェンディが秋芳のもとへ駆け寄る。

「や、やりましたの……?」
「ああ、もうこいつは生きていない」
「勝ちました……、勝ちましたわ!」
「……《群れなす雷精よ・疾く集え・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》」

 なにを思ったのか、秋芳はなにもない空にむかって太い雷光を放った。

「ひゃんっ!? な、なんですの、いきなり?」
「いや、だれかに見られている気がしたんでな」
「はぁ?」
「そんなことより、まだ動けるか?」
「とうぜん、動けますわ。魔晶石だってまだこんなに」
「ならけが人の救助だ。こいつのせいで街中に負傷者があふれているぞ」
「力なき人々を守り、助け、癒すのも魔術師の務めですわ。……まずは、あなたを癒さないと」
「不要だ。この程度の負傷と不調なら活剄で回復できる。……というか、あんな方法で倒した後に【ライフ・アップ】を使うのはなんかいや」
「ま、まぁたしかに」
 
 秋芳とウェンディはみずからも疲弊していながらその日の夜遅くまで懸命に街中を奔走し、けが人の救助にあたる。
 シーホークを襲った災禍は、ようやく終焉をむかえた。





 閃光とともに遠見の水晶球が粉々にくだけ散り、間近で見ていたエレノア=シャーレットの顔に破片が突き刺さった。

「あら、やだ」

 無数の水晶片によって顔面をずたずたに傷つけたにもかかわらず、まるで服にお茶でもこぼしたかのような、のんびりとした声をあげる。

「こちらに、気がついた? 勘の良い殿方ですこと」

 顔にめり込んだ大小の水晶片が机の上にぽろぽろと落ちる。
 細胞が増殖し、神経が伸び、血肉が広がる。【ライフ・アップ】などの比ではない。ありえない早さでエレノアの傷ついた肉体は治癒されていく。

「勘の良さもさることながら、魔術も使わずに【トライ・レジスト】を発動していたようですが……」

 気を廻らして魔術に対する抵抗力、防御力を高めた秋芳の練気術はエレノアの目にはそのように見えた。

「異能力者かしら? だとしたらあの身体能力の高さもそのせい?」

 エレノアはカルサコフをずっと監視していた。
 組織のなかでも有能かつ危険と判断された者は蛇剣の刻印に特殊な処理をされることがある。
 ある者は致死性の毒を、ある者は特殊な爆弾を、ある者はギアス、あるいはカースを付呪され、裏切りや暴走に備える。
 カルサコフの場合は、悪魔だった。
 
「着いた早々に同志を処断してしまった時はどうしたものかと思いましたが、なんとか最後まで使えましたわね。……少しだけ、もったいない気がしますが」

 カルサコフを調整し教育を施したのはエレノア自身。
 調整の課程で刷り込んだ記憶が強烈すぎたのか、富裕層に対する憎悪が強すぎた気がするが、あの程度の歪みなど組織の擁す他の強化人間に比べれば微々たるものだと考えている。
 それゆえ少なからず愛着があった。
 愛玩用のペットとまではいかなくても、お気に入りの玩具程度には。
 
「あのゴーレムを相手にあそこまで奮戦するだなんて……。しかもあんなにも華麗にして剛毅、燕のように舞ったかと思えば獅子のような一撃をくり出す。帝都の剣闘士でも、あのように強く美しい剣技の使い手、いませんわぁ」

 だが、もはやカルサコフに対する愛着は消え失せた。代わりに秋芳への興味がふつふつとわいてくる。
 わいてくるのは興味だけではい、他の感情。いや、肉体的な情動が。
 秋芳の戦いを思い出し、脳裏に思い浮かべるエレノアの息が荒くなる。
 熱く湿った吐息を漏らすと、身体を震わせ、その手を自身の股間へとのばした。

「ああんッ!」

 もぞもぞと、身震いしながら両手を激しく、時に緩慢に動かしてみずからの身をまさぐる。

「あんなの……はじめて、見ました、わ……なんといか……その……お下品ですけれども……フフ……私ったら、濡れちゃいます……アッ! ああッん」
 
 エプロンドレスにロングスカート。彼女が身にまとっているのは地味で貞淑な侍女の装い。
 それゆえにいっそうその行為の卑猥さを際立たせた。

「しかもッ! あんな方法で《汚れの悪魔》をッん、たおすだ、なんて、あっ、あああっ、ンンっんン。あんなのっ、あんなことされたら、私ッ!」

 おのれの身に備わった高い不死性。それすらも無力化させる可能性を秘めた、エレノアの予想だにしなかった【ライフ・アップ】をもちいた秋芳の戦術。
 
「斬ったり、刺されたり! 癒したり! 燃やしたり、凍らせたり! 癒したり! アはアンっ! 斬る! 癒す! 刺す! 癒す! 燃やす! 癒す! 凍らす! 癒す! 攻める! 受ける! 攻めて受けて癒して! 攻め受け癒す! 攻め! 受け! 攻め! 受け! 攻め! 受け! 攻め! 受け! リバァァァァァァス!!!!」

 髪を振り乱してよだれを垂らし、白目を剥いて自慰に耽るその淫乱な様にはもはや、女王付き侍女長兼秘書官としての怜悧な姿は微塵も残っていない。

「ああン、いっちゃう★」 

 秋芳との戦いを、殺し殺される様を妄想し、エレノアは果てた。 
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