東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
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刀会 2
刀会。
武道実技をかねたクラス対抗の紅白戦は巫女クラスの中でも派手で盛り上がる人気講義の一つだが、今回のそれはいつもよりさらに盛り上がりを見せた。
例年ならば陰陽寮地下にある呪練場でおこなわれる行事なのだが、今回は陰陽庁に隣接する呪練場。通称『呪道館』で開催されることになったからだ。
伝統武道の普及と奨励、心身錬磨の大道場としての役割をになうことを趣旨として設立された東京都千代田区にある本家日本武道館がアイドルやアニメ声優といった芸能人らのコンサート会場と化したなかで、この呪練場だけはそのような大衆の娯楽施設になることなく本来の役割をまっとうしていた。
この場所でおこなわれるようになったには理由がある。一つにはこの時期に呪道館が空いていたこと、ひとつには巫女クラスの存在が陰陽庁内でここ最近なにかと話題になっており、はたしてその実力のほどはどのようなものか、機会があれば見てみたいという意見が多くあがり、今回のような流れとなったのだ。
アメリカ国防総省を思わせる五角形の外観は陰陽道の五芒星を模したもので、高純度の呪力の練り込まれた注連縄、高い霊気を宿す磐座、清らかな盛り塩、青々とした榊、様々な種類の護符――。陰陽庁や陰陽塾と同様、いやそれ以上に堅固な結界が外部にも内部にも大小無数にほどこされている。
場所が場合である。血気盛んな若き祓魔官や呪捜官が禁呪まがいの大技を繰り出すことも多々あり、呪力が外に漏れ出さないように造られていた。
甲種呪術の練習、競技場としては国内最大規模で、フェーズ4。百鬼夜行級の霊災に見舞われても耐えられるとさえ言われている。
まだ開会前だが観覧席は多くの人でうまっていた。いずれも陰陽庁の職員、呪術関係者だ。ぶざまな姿は見せられない、八〇人近い巫女クラスの生徒たちは緊張の色を隠せない。
「あら、石戸さん震えてらっしゃるの?」
「こ、これは武者震いよ。そう言う神代さんこそ何度もお手洗いに行って緊張しすぎなんじゃない?
生体尿管カテーテルでも用意したら?」
そんな中で比較的落ち着いているチームがあった。第一試合であたる緋組拾参番隊と白組壱番隊だ。だが白壱番隊のほうにいるはずの二人、七穂氏白亜と十字眞白の姿が見あたらない。
「琥珀さんだけ!?」
「ええ、そう。あの二人には案件を追ってもらってるから遅れるのよ。第一試合には間に合わないわね。その間は私が相手してあげるわ」
「……たいした自信だな。じゃあ琥珀に勝つってことは、壱番隊に勝つってことでいいのか?」
内に湧き起こる怒りを押し殺し、おさえた声音で問いかける紅葉。一人で三人、いや桃矢を入れて四人を相手にするなど、バカにしている。
「あなたこそ『たいした自信』ね、二之宮紅葉。私に勝てるつもりだなんて……。そうよ、たとえ一人でも私の負けは壱番隊の敗北、言うまでもないわ。もっともあなたみたいな甘ちゃんに負けることなんて絶対にありえないけど。良い機会だから実力の差ってのを教えてあげるわ、これはバトルじゃない、セミナーよ」
灼熱の闘志を宿した視線と氷結の意志をもった視線がぶつかり合う。
「あのう、珊瑚さん」
「なぁに、桃矢さん」
「たしか琥珀さんたち壱番隊の人とは入学当初にいざこざがあったって言ってましたよね? プール掃除の時に」
「ええ、そう……。彼女は、紅葉さんは元壱番隊だったのよ」
「え……」
「それがとある案件に関わった時に仲たがいしてしまったの――」
案件。巫女クラスの生徒たちに課せられる自由課題で清掃や失せ物探しから低レベルの霊災修祓まで、人々から寄せられたさまざまな依頼のことを指す。
これは半年近く前、才気あふれる二之宮紅葉が白組壱番隊として市民のお悩み相談にのった時の話――。
東京都郊外にある一軒家。プラモデルや美少女フィギュア、書籍やCDが一見乱雑なように、見る者が見ればテーマ別、作家別に整然と配列された、いかにもオタクな部屋の中で一組の男女が楽しげにたわむれていた。
「ねぇ、あなた。仕事のほうは順調?」
長い黒髪の女がそう言ってシャンプーする時のように両手で男の髪を優しくかき回す。
「ああ、新しい連載も始まって今月はいそがしいんだ」
「うふふ、すてき! 仕事のできる旦那様って好きよ。ましてクリエイティブな職に就いている人なんて最高! さすがあたしの旦那様ね」
「おいおいよせって、昼間から」
女は男を無理やり立たせてベッドの上に転がりこんだ。
「抱いて、周ちゃん……」
「うん、抱くよ。由衣」
周一の休みなく続ける愛撫に由衣がしだいに反応しだす。ゆるやかに上下する白い腹の動きがじょじょに大きく、激しくなってきた。
少々性急かつ強引に突入したため、由衣は『あン……』と甘い声をあげて周一の首筋にしがみつき、背後に脚をまわし、しっかりと自身の体を固定する。俗に言うだいしゅきホールドというやつだ。
「ああ! いいっ! いいわ……。あなたって最高! 大好きよ周ちゃんっ、ああッ……!?」
愛する由衣の中で果てた周一はしばらく事後の余韻にひたり、幸せをかみしめる。
幸せだ。
最高に幸せだ。
由衣と出会えた幸運を神に感謝している。この世にはフィギュアやBDをいくらたくさん集めても満たされないものがある。世界は一人で生きるより、二人で生きるほうがより素晴らしいことだと、彼女に逢って知ったのだ。
おなじようなオタク趣味で考えかたも一致する。ケンカや口論をしたことなど一度もない、理想の恋人だった。
「おれはなんて運が良いんだろう、君と出会えて最高に幸せだよ」
「あたしも周ちゃんに出会えて最高に幸せよ……」
独りで生きていたころは孤独なんてないしたことないと思っていた。本物の女なんていなくたって、アニメやエロゲーでじゅうぶんだった。
でも、今はちがう。もう独りにはもどりたくない。
「あたしもよ」
由衣がやさしく微笑む。
「あなたはあたしのすべてを受け入れてくれた最初の人よ。……ねぇ、まだ起てる?」
「もちろんさ!」
二人はふたたび愛し合い始める。押し殺した嬌声が部屋の中に響く、そのとき――。
「周一! 入るわよ、周一!」
返事もまたずに部屋の引き戸が開き、年老いた女が姿を見せた。
「な、なんだよ母さんっ、いきなり入ってくるなんて、『ゆかり』もいるんだぞ、少しは気を使ってくれよ」
ゆかり、と言った。周一は先ほど由衣と呼んだ女性のことをゆかりと呼んだ。
「あ、ああ……、周一……。周一……、ごめんよ、ごめん……」
悲しげな顔をしてなにかをうったえかけようとした老母をさえぎり、周一は声を荒げる。
「いいかげんにしてくれないか、母さん! おれは仕事もやっているし、奈々というかわいい嫁ももらった。いったいなにが不満だって言うんだよ!」
こんどは奈々だ。
由衣、ゆかりと呼んで、奈々と呼んだ。
「あ、ああ……。そうだね、そうだね。おまえは良い息子だよ、うん……。あ、あのねぇ、親戚の子が来てるんだよ、紅葉ちゃんて子なんだけど……」
「そんな子いたっけ? 記憶にないなぁ」
「ち、千葉のおじさんのとこの紅葉ちゃんよ。東京の学校に通うことになったからあいさつに来てさ」
「遠くの親戚なんて他人みたいなものだろ、めんどくさい。おれは合わないよ、母さんが相手しろよ。……さぁ、出てってくれ」
うむを言わさず老母を部屋から追い出した周一は舌打ちをして引き戸を閉めた。
「まったく、ほんといやになるよ、母親ってのは。ノックもなしにドアを開けるし頼みもしないのに部屋の掃除をするし」
「そんなに悪く言っちゃダメよ、お母様なのに……」
「遥はやさしいなぁ」
遥と呼ばれたモノはやさしく、ただただやさしく周一に微笑み返した――。
ホクホクとした黄金色のじゃがいも、あめ色の玉ねぎ、出汁が染み込んでやわらかくなったインゲンとにんじん、ボリュームのある薄切り肉。周一は妻の用意した肉じゃがを一口食べて称賛の声をあげた。
「美味い! 美味しいよ、美菜子の作る料理はいつも最高だな」
「うふふ、周ちゃんってば……」
しばらくの間舌鼓を打ち、料理をたいらげると先ほどの話になった。
「――どうも親戚ってのがきらいでね、なるべく顔を合わせたくないんだ。なんか昔いやなことを言われたような気もするし」
「だれかになにを言われても気にすることなんかないのに、あなたは立派にやってるわ」
「そうだよな、おれは立派にやってるよな。……しかし母さん、最近は情緒不安定だな。あんなんでちゃんと仕事できてるのかな?」
「一度お医者様に診てもらった良いんじゃない?」
「ああ、そうだな……」
その時ぎしぎしと床がきしむ音がした。誰かが部屋の外にいる。また母さんか。うんざりした周一が口を広くより前に戸が開いた。
「こんばんは、お邪魔します」
「邪魔するわ」
「お邪魔しますね」
老いた母親などではない、そこにいたのは三人の少女たちだった。千早、襦袢、白衣が一つになったような上着と緋袴のようなキュロットスカート。神道の巫女装束のようなデザインをした紅白の着物。陰陽塾巫女クラスの制服に身をつつんでいた。
「おひさしぶりです、周一さん。春から陰陽塾に通うことになった二之宮紅葉です。この二人はルームメイトの――」
左右の目の色がちがうツインテールの四王天琥珀。昔の女学生のようなポニーテールにリボンつきカチューシャをした十字眞白。
天下の陰陽塾塾生。それも恰好から察するに巫女クラスの生徒が三人も現れた。唖然とする周一をよそに自己紹介をすませた紅葉、琥珀、眞白は返事も聞かずに部屋の中に入り、あたりをうかがう。三人の視線がテーブルの上にむかう。
大皿に盛られた肉じゃがが湯気を上げていた。
ついさっき完食したはずの料理が、箸もつけられていない、できたての状態でそこにある。
「……とても美味しそうですね。せっかくだから私たちもご一緒させてもらっていいですか?」
妙に冷めた目でそれを一瞥した紅葉たちは部屋に入った時と同様に周一の返事も待たず、おのおの腰を下ろす。琥珀は引き戸の前、眞白は窓側、紅葉は周一と妻との間に正座する。これは部屋の中にいる者を外に出さないような配置に見えた。
(おいおい、ずいぶんとあつかましい子たちだな……)
これだから親戚はきらいだ。親族だから、血縁者だからとプライバシーも遠慮もなしにズケズケと人のテリトリーに入ってくる。
「周一さんがすごい美人のお嫁さんをもらったって聞いたんですけど、この人がそうですか?」
妻の話題になったとたん周一の不機嫌な表情が一転、喜色を浮かべて語り出す。
「ああ、そうだよ。さやかは良くできた嫁さ。おれの仕事が家で一日中パソコンにむかう仕事なんで、つきっきりで世話してくれるんだぜ。作る料理も美味いし……。おかげでこんなに太っちゃったけどな」
太っていると、そう言った周一はみずからの腹をなでた。枯れ木のように痩せ衰えた細腕が、たるんだ皮だけのへこみ腹をなぞる。
「――あなたがすてきだからついて行くのよ、周ちゃん」
「いやいや、みゆきは良い女だよ」
三人の女子に囲まれているというのにはばかりもせず、仲むつまじくたわむれ出した。
「周一さん、どんなお仕事をしているんです?」
「ん? ああ……。おもに雑誌のコラムや寸評を書いてるけど、たまにエッセイなんかもやるな。小説も書くよ、まぁ、ライターってやつだな。ほら、これなんか今月から始まったおれの連載だよ」
そう言って紅葉に一冊の本を手渡す。サブカル系の雑誌で、発行年を見ると今月どころか数年前に出版されたものだった。周一の名は――、あった。ただしコラムでもエッセイでも小説でもない、読者ハガキとして投稿コーナーに掲載されていた。内容もあたりさわりのない凡庸なものだった。
だが、周一の中ではそれが『小説』になっているらしい。
「どうだい? それは。いわゆる異能力バトルものってやつなんだけど、おれはオリジナリティあふれるまったく新しい特殊能力を考えてみたんだ。今までだれも考えついたことのないような、もの凄い無敵の超能力だよ! 訊きたいかい? それは――右手で触れることであらゆる魔法や超能力といった異能の力を無効化する能力さ! どんな能力を持つ敵とも戦える万能の力。この力を手にした高校生の少年が次々と現れる敵と激しいバトルを展開していく予定さ」
「すごいわ、あなた。こんなことだれも思いつけない、あなたはスーパーハイパーメディアクリエイターよ、売れっ子作家よ!」
「ふふ、これも理恵がいてくれるおかげだよ」
「ううん、あなたの才能よ」
たった今自慢げに語った内容の作品はとっくの昔に別人の手によって書かれ、世に出ている。だが周一の中では自分の書いた作品になっているようだった。自分の世界の中では――。
ふたたび二人だけの世界に没頭し出す周一とその妻を置いて紅葉達は部屋を出た。
「ひどい霊気の偏向でした……。あの部屋、穢れに満たされていますわ。これは除霊、ううん、修祓が必要ですわね」
ゲッソリとした顔で眞白が感想を言うと琥珀も考えを述べた。
「そうね、でも見鬼たところ瘴気の強さ自体はたいしたことないわ。それでも段階的にはフェーズ3寸前といったところだし、これは今すぐにでも修祓したほうが良い。手をこまねいていたら移動型・動的な霊災にまで発展しちゃう」
どこから取り出したのか、円盤状のロリポップキャンディを口にしつつ、修祓の段取りをテキパキと指示しだす。
四王天琥珀。彼女こそ白巫女壱番隊のリーダーなのだ。
「護符の種類と貼る場所は――、使用する術は――、必要な物は――」
「…………」
「どうしたの、もみもみ? なにか考えごと?」
「あ、ああ……。あの人の、周一さんの姿があまりにも異様だったから、少し、その……」
「ええ、ほんと気色悪かったですわ。ガリガリに痩せているのに目だけは爛々として、魔物のようでした」
「見た目もひどいがそれだけじゃない、現実から目をそむけて自分だけの世界に没頭していた。人とはああも簡単に壊れてしまうものなのだろうか……」
「元凶を絶てばもとに戻るわ。今は霊災修祓に集中、わかった?」
「あ、ああ――」
「――高天原天つ祝詞の太祝詞を持ち加加む呑んでむ。 祓え給い清め給う――」
三人の巫女たちは口々に最上祓いの祝詞を唱え、かまえた弓の弦を引いて音を鳴らしている。
鳴弦。弓に矢をつがえずに弦を引き、音を鳴らすことにより邪気を祓う退魔の儀だ。
神聖な呪力の込められた音が響き、あたり一帯を霊的に浄化する修祓方法。
巫女たちの儀式の横では周一の母が数珠を手に一心不乱に祈っている。ただしこちらは儀式とは関係ない。彼女たちの術が完成して息子が救われ、もとの生活にもどれるよう、神仏にすがっているのだ。
効果はすぐにあらわれた。
部屋の中で愛し合っていた周一とその妻だったが、祝詞が聞こえてくると妻が突然苦しみだしたのだ。
「あなた、お願い。あ、あの呪文をやめさせて……。苦しい、体がこわれそう……」
よくはわからないが階下から聞こえる呪文が妻を苦しめているようだ。血相を変えて部屋から出て下に降りた周一は儀式を阻止しようと巫女たちに拳を振るう。
「いいかげんにしろーっ、いったいなんのつもりだ! 綾を苦しめるやつはゆるさない、綾はかならずおれが守るんだっ!」
「縛り、絡めよ。急急如律令」
琥珀の投じた木行符が青いつる草に変じ、周一の身を縛り上げた。
「くそっ、なにが目的でこんなことをするんだ!?」
床にころがった周一は瞋恚に満ちた目で巫女たちをにらみつけ、悪態をつく。そんな周一の視線を正面から受け止めて、紅葉はゆっくりと説明する。
「やっと部屋から出られましたね。私たちはあなたの親戚なんかじゃありません、あなたのお母さんに頼まれて霊災修祓に来た陰陽塾の者です。あなたはあの『女』に憑かれてずっと幻覚を見せられていたんです。あの部屋の中にいる限り、ずっと虜にされていたことでしょう」
「なにを言っているんだ、わけがわからない。おれたち夫婦の仲を邪魔しないでくれ、彼女は良くできた妻なんだ。彼女の献身のおかげでおれは順調に仕事ができて幸せに暮らして――」
「これを見て。あなたの書いたっていう作品なんて、どこにもないでしょ」
横から琥珀が数冊の雑誌を手渡す。ページをめくり確認する周一が動揺の表情を浮かべた。
「――どういうことだ、おれの書いたコラムがない。――こっちも、こっちも、これもおれの小説が、書評が、どこにも載ってない。消えている……」
「消えたのではなくて始めから載ってありませんの。先ほど紅葉さんが言ったでしょう、あなたは幻を、幻覚を見せられていたんです。……周一さん、あなたはライターでもなんでもありません。ただの無職です」
「ち、ちがうっ! ちがう! ちがう! ちがう! おれは、おれはッ……」
「食事だってそう。あなたは毎日美味しい手料理を食べていたつもりでしょうが、ほんとうはここひと月の間、ほとんど水しか口にしていません。このままでは、餓死します」
「!?」
「現実にもどって来てください、周一さん。すべては幻だったんです。売れっ子のライターで仕事をバリバリこなしているというのも、あの『女』と結婚しているというのも」
「うそだっ!」
「――そうよ、うそよ。周ちゃんに変なことを吹き込むのはやめて」
ずるり、どさり、ずるり。二階から降りて来るものがいる。
「周ちゃんはあたしの旦那様よ。この部屋でずっとずっとずっと、永遠に幸せに暮らすのよ」
ずるり、どさり、ずるり――、ずるり、どさり、ずるり――、ずるり、どさり、ずるり――。
うごめくものがあらわれた。精巧な作りをした等身大のシリコン製ドールが地を這い、人の言葉を発して近づいて来る。かつてはなめらかで美しかったであろう肌は薄汚れ、全身に亀裂が入っていた。場所によってはシリコン製の皮膚がめくれ、ワイヤー制の骨格が露出していて、ひどく不気味だ。
「ひぃっ、動いてる!?」
その異様な姿を目にした老母は恐怖に後ずさり、手にした数珠を強くにぎりしめた。
「タイプ・マテリアル……! 人形が核になったせいで思ったよりもずっと早く動的霊災化しちゃったみたい」
「あれをよく見るんだ周一さん。瘴気に穢された部屋の外でなら、あいつの正体がわかるでしょう?」
「ああ、由衣、由衣、ゆかり、ゆかり、奈々、奈々、遥、遥、美菜子、美菜子――。おれの妻だ、おれの妻たちだ――」
鼠蹊部から腐臭を放つ動く人形に頬ずりするようないきおいで近よった周一はそのまま『妻』の腕に抱かれ、歓喜の涙を流す。
「くっ、よほど強く暗示がかかっているみたいだな。部屋から出ても目が覚めないだなんて」
「もう部屋とか関係ないわ。瘴気をまき散らすあの人形が存在する限り彼は正気にもどれない。全力で祓うわよ」
巫女達は手にした弓に呪力を込めて臨戦態勢にうつる。
「ずっとずっと、一緒に、ずっとずっと、おれと一緒にいてくれぇぇぇ」
「もちろんよ、あたしはいつでも周ちゃんのそばにいる。周ちゃんの味方よ。……でも、ここにはあたし達の邪魔をする人がたくさんいるわ。だからだれにも邪魔されない、あたし達だけの場所に行きましょう」
「え?」
人形の手に光る物がにぎられていた。どこから持ってきたのか、鋭利な刃をした果物ナイフだった。
周一目がけて刃が走る。
「周一~っ!!」
木行符で縛るか、不動金縛りをこころみるか、鳴弦を放つか――。だが三人の巫女達が反応するよりも早く、老いた母が凶刃と息子の間に割って入り、盾になった。
「か、母さん……」
「周一……、いいかげんに目を覚ましておくれ……。母さんはおまえのことが心配で心配で……。おまえはねぇ、ニートだけど母さんのたった一人の息子なんだよ。いい歳して働きも結婚もしないことを責めたし、悲しんでもみせたけど、おまえは大切な息子なんだよ、遠くへ行かないでおくれ……」
意識を失い、くずれ落ちる老母の背中から流れ出る赤い血。鮮血の強烈な色彩が周一の混濁した意識を覚醒させた。
(……母さん……? そうだ、思い出した。おれは……、おれは無職の引きこもり、ニートだった!)
周一は毎日毎日、自分の部屋にこもって外出も仕事もせず、親戚からは『いい歳をして』とバカにされ続けていた。
現実がつらかった。いや、憎かった! 世の中には金とコネに恵まれた家に生まれたというだけでたいした努力もせず、芸能界に入って富と名声を得るやつらだっているのに、なんでおれはこんな普通の家に生まれてしまったのか。
金もないコネもない。ついでに才能もない三重苦を恨んで、恵まれた境遇のやつらを憎み、悪口雑言をネット上に書き込む日々がずっと続いていた。
それでも憂さは晴れない。それどころかいっそう酷くなるいっぽうだった。
インターネットで言いたい放題、書きたい放題というやつは趣味や道楽というような根本的な娯楽ではなく一時的な現実逃避にすぎない。酒や麻薬で気をまぎらわすのと一緒で、それのせいで新たに悩みや苦しみが生じることもある。
そして知るということは必ずしも人を幸せにはしない。
辺鄙な場所に生まれて、都会に出て行く器量も才覚も勇気もない。そこで一生終えるしかない。昔ならば鬱屈とした思いを抱きつつも、それが世界のすべてと思い、てきとうなところで妥協し、自分自身と折り合いをつけ、生まれ落ちた場所に相応の楽しみを見つけて、それなりに満足のいく人生をおくれただろう。
だが今はちがう。
インターネット等で外部の情報を簡単に知り得る。自分の境遇がいかに退屈か、そこから抜け出せない自分がいかに無能かを思い知る。
成功した者たちに対する恨み、つらみ、妬み、嫉み……。自暴自棄となり凶行に走る若者が少なからず存在するのもうなづける。
そんなある日、なにげなく購入したシリコン製リアルドールが思ったよりもすばらしく、それに耽溺するようになった。性欲を満たすたびにちがう女性の姿を想像して抱き。そうでない時は理想の『妻』のイメージを投影していた。
もともと引きこもりがちだった周一だが、部屋から一歩も出ないほどになり、現実のすべてから逃げるように人形を愛し続けた。いやな外界のことなど、なにもかも忘れようと――。
それが良いわけがない。心の歪み、気の悪化は場所にも悪影響をおよぼす。霊気のバランスがくずれて瘴気を生み、霊災へと発展しつつあった。
「――あなたの歪んだ思いは人形に乗り移り霊災化を速めました。もともと人形、人の形をしたものには魂が宿りやすいといいます。そこにいるのはあなたの妻でも人間でもない。付喪神、タイプ・マテリアルに分類される動的霊災です」
「周……チャン……、周……チャン……、ア…イ…シ…テ…ル……。周チャン……」
暗示の解けた周一の目に醜悪な肢体をしたドールの真の姿が見えた。
ゴキゴキと手足の関節を鳴らし、感情のこもらない虚ろな目をしたヒトガタが。
「それはあなたを喜ばせるために都合のいい幻を見せてきました。なぜならそれは、その霊災は現実から目を背けたいあなたの心が生んだ存在。あなたの心そのものみたいなものです。さぁ、どうしますか? またそれのもとにもどって幻想の中で死ぬことを選びますか? それで幸せですか?」
人は自分がいきづまった時に都合の良い幻想を見る。たんなる願望や妄想ではなく、身も心もその中に逃げ込むことができれば楽だろう。しかし人は現実の中でしか生きることができない。幻想に身を投じ、現実から目を背け続ければ、まっているのは破滅だ。
自分一人が破滅するのなら、それはそれでいい。だが老いた母を、身を挺して自分をかばった家族を置き去りにするのか?
周一の目に決意の光がやどる。
「ウワァァァァッ!!」
暗示が解けた周一がみずからの手で決着をつけようと動く。人形の手にしたナイフを強引に奪い、それを一気に振り下ろす。狙うのは人形の首。殺すべきは自身の歪んだ心。
そう、殺すべきは歪んだ心だ――。殺すべきは――。
ぴたり、人形の首に突き刺さる寸前にナイフが止まった。
「周一さん……?」
まさかまだ迷いがあるのか、ふたたび惑わされたのか、見守る巫女達の心に不安が生じる
「できない。おれにはこいつを殺せない」
「まさか、まだ未練がありますの!?」
老母の傷口に治癒符を貼り治療していた眞白が非難の声をあげる。
「そうじゃない、そうじゃないんだ。……ただ」
「ただ?」
「こいつはおれのせいでこんなになってしまったんだろう? それなのに今またおれの勝手で殺すことなんてできない。こいつを助けてやってくれ」
「あんたまだそいつに……」
「そうじゃない! そうじゃないんだっ、もうこいつに依存することはしないよ。なぁ、巫女さん達。どうにかできないのかい? 退治とかしないで、生かしてやることは?」
できなくはない。式神に、使役式にしてしまえばいいのだ。
霊災と式神は似たような存在だ。極端な話、陰陽庁の管轄下にあり、人間が制御できる状態にある動的霊災は式神。そうでないものは霊災。そのように分類されていると考えてもおかしくはない。
だがそれにはまず周囲に無差別に瘴気をまき散らさぬよう霊気を安定化する必要がある。
動的霊災に明確な自意識や知性が存在するのなら、説得や脅迫により本人の意志で静まることも可能だが、今回のような生まれたばかりの霊災は本能のまま行動したり強迫観念に縛られたりして、それに応じない可能性が高い。
これは暴れ回る獣を傷つけずに生け捕りにするようなもので、たんに修祓するよりもはるかにむずかしいことであり、三人の巫女の中でもっとも優秀な琥珀でも無理だった。
そして次は維持の問題だ。このような使役式は従えることがむずかしく、意のままに制御するには技術面や霊力面など、術師に高い能力が求められる。
これもまた今の巫女達にできることではない。
はっきり言って周一の要望には応えられない。応えたくても無理なお願いというものだ。
「それはできないわ」
「……できるかもしれない」
断言する琥珀と逡巡する紅葉。
「周一さん。あなたがそいつに情けをかけること、それ自体があなたに迷いがある証左よ。あなたはまだそいつに憑かれてる。さがってて」
「そんな……」
周一はその言葉を聞いて、人形をかばうように思わず琥珀の前に立ち塞がった。
「周チャン……」
「どいて、ケガをするわ。あなたさっきそいつに刺されそうになったのを忘れたの? お母さんはあなたをかばってケガをしたのよ!」
琥珀は生き人形をこの手で修祓せんと呪力を練る。
「まて、琥珀」
「なぁに? まさかあなたまでこの人形を助けようだなんて言うつもり?」
「そうだ。さっきの周一さんの言葉だが、そのとおりだと思う。人間のエゴから生み出したものを人間のエゴで殺すというのは、あまりにも勝手だ。勝手すぎる」
「殺すんじゃない、修祓するのよ」
「消してしまうのだろう、同じことだ。どうだろうか、依頼主の要望を聞いてこの一件は陰陽塾か陰陽庁に報告して、修祓ではなく調伏してくれるよう頼んでみては……」
「もみもみ、あなたバカ? 依頼主はこの人じゃなくてこの人のお母さん。そして依頼内容は『息子にとりついた悪霊を祓ってくれ』霊災の修祓が私達の任務なのよ、忘れたの?」
「それにそれですと案件放棄になってしまいます。はえある白巫女壱番隊の名に泥を塗ることになりますよ、紅葉さん」
「…………」
「歪んだ想いが性欲の処理のために作られた道具にやどって魔物と化した。穢れ以外のなんでもないわ。そいつは神道を汚す敵なの」
「悪しきものを慰撫し鎮魂するのも私達巫女の責務じゃないか。力づくで修祓するばかりがやり方じゃない!」
意見が割れた。
紅葉と琥珀。双方がともに正しいと思う主張をし、たがいに一歩もゆずらない。両者の板挟みとなり困惑する眞白。
「……おれからの案件だ」
「「「」は?」」」
「おれからの案件。『おれから除霊した悪霊を式神にしてくれ』だ。母さんは払ってくれと依頼したんだろう? 修祓じゃなくて落としただけでも案件達成でいいはずだ。修祓する、消し去る必要はない。そうだろ?」
詭弁だ。祓うイコール修祓ではないか。しかし一応は理屈に合わなくもない。
「まぁ、それはそうかもしれないけど……」
「落とした悪霊を修祓せずに式神として生かして欲しい。さっきの話じゃ、陰陽庁や陰陽塾ならそういうことも可能なんだろ? ちゃんと外に出て働いてきちんと報酬は払う。……もう引きこもりはおしまいだ。頼む!」
「周、チャン……? ドコカヘ、行ッチャウノ? アタシハイラナイノ?」
土下座する周一を見て不安げな声を出すドール。
彼女は殺すつもりで周一にナイフを振るったのではない。ただ一緒にいようと、『主』である周一の願いをかなえようとしただけだ。
そして元凶である周一が正気にもどったせいか、その身から発する瘴気が弱くなっていた。霊気が、安定しつつある。
「おれはどこにも行かないよ、サユリ。ただちょっと人並みに外出するだけさ。……あ、ああ、そう言えばまだ一度も本当の名前で読んでなかったな」
サユリ。
本当の名、と言っても製品名のことなのだが、それが彼女につけられた名前だった。
「……もう、わかったわ。その依頼、受理してあげる」
大の男に土下座され毒気を抜かれた琥珀は不承不承にだが周一の案件と紅葉の意見を受け入れることにした。
その後、陰陽庁に回収されたサユリは浄化処置を受け、庁内の案内係をしている。畳の付喪神が人に座って欲しいように、刀剣の付喪神が闘争を欲するように、愛玩用に作られたサユリには人の役に立ちたいという本能があるからだ。
周一は慣れない労働に四苦八苦しつつも、音を上げることなく仕事を続けている。
万事が上手くおさまったように思えたのだが、琥珀と紅葉の間に生まれた確執は深まり、紅葉は壱番隊を抜けることとなった――。
「そんなことがあったんですか……」
「でもね、琥珀さん本当は紅葉さんに帰ってきて欲しいと願ってると思うの。未練があると思わない? だって紅葉ちゃんの代わりに壱番隊に入った七穂氏白亜ちゃん、紅葉ちゃんとキャラかぶってるでしょ?」
「ま、まぁ二人とも黒髪ロングで凛々しい感じは似てますけど」
「そこっ。開会式が始まるぞ、私語はつつしむ!」
はじまりの言葉。道場訓が読み上げられ、ついに試合が始まった。
第一試合。緋組拾参番隊・二之宮紅葉 対 白組一番隊・四王天琥珀。
両者が刃を交える――。
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