ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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魔術の国の異邦人 2
前書き
原作小説『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』10巻はいよいよ明日発売。
いつもの富士見ファンタジア文庫の発売日とは異なるので注意。
気がつけば地下室のような場所に立っていた。
床には魔方陣が描かれ、自分はその中心にいる。まるで何者かの呪法によって召喚でもされたかのような状況。事実魔方陣には召喚用の術式が込められている。
(結界か……)
召喚だけではない。魔方陣内にいる任意の存在を外に出さないよう結界も張られていた。
(だが、雑だな)
目の前で悪魔だなんだと、意味不明なことを騒ぎ立てるヘソ丸出しのツインテール少女を無視して周囲を注視する。
結界による拘束はあくまで地上部分のみ。しかも自分ひとりにしか作用していない。これならば土行術で床面に潜ったり、穴を開けて外へ出られる。
「なぁ、ここから出してくれないか」
「ならその前にわたくしを傷つけないと誓いなさい!」
「…………」
少女の言葉に呪術的拘束力は感じられない。甲種言霊でこちらの行動を制御される可能性はないようだが、即答ははばかられた。
呪術者にとって口約束もまた呪なのだ。めったなことは口にできない。
一見無害な少女のように見えるが、とんでもない極悪人ということもありえる。その場合はそれなりの対応をすることになるのだが、ひとたび口にした言葉をたがえるのは後味が悪い。
「そっちにそのつもりがないのなら、勝手に出るさ」
「な、なんですって!?」
石床に手をついて呪を唱える。
「命土行遁、移动。疾く!」
土行に命じて遁ず、移れ。いわゆる土遁の術だ。結界の下を潜って外に出るつもりだったのだが、術は効果を発揮しなかった。
「なに!?」
術をしくじったわけではない。たしかに成功した。それにもかかわらず発動しないのだ。
「命土行遁、移动。疾く! 疾く! 疾く!」
おなじ術を二度三度と試みるも、結果は変わらず。
「ふふん、なにやらあやしげな術を使おうとしているようですけど、無駄ですわよ。わたくしの作った魔方陣にわずかな瑕疵もございませんわ!」
得意気に胸を反らすウェンディ。だがそんなことはない。封印系の術式など組み込まれていないと、秋芳の見鬼は視ていた。
「ならば――」
その場で奇妙な足踏みをする。帝国式陰陽道に伝わる禹歩。霊脈を通って別の場所に瞬間移動する呪術だ。
むき出しの土がある場所と異なり、整地された石畳の上からでは長距離移動は不可能だが、この結界の外に出る、ほんの数メートル程度の移動なら造作もない。
「…………」
だが禹歩もまた効果を発揮しなかった。たしかに発動した手応えはあるにもかかわらず――。
「ちょっと、なに奇妙な躍りなんてしていますの。ダンスをなさりなさいなんて命じてなんていませんわよ」
「ええい! タニヤタ・ウダカダイバナ・エンケイエンケイ・ソワカ!」
魔方陣はごく普通の白墨。チョークによって描かれている。水天の真言で水流を発射して洗い流すつもりだったが、これまた不発に終わった。
「禁術則不能現、疾く!」
術を禁ずれば、すなわち現れることあたわず。
力業で強引に解呪しようとする。だが自家薬籠中の持禁の術すら発動しない。
「どういうことだ……」
術を封じられたわけではないのに術が使えない。今まで例のなかった出来事に呆然とする。
「なにやら悪魔の邪法をこころみているようですが、このウェンディ=ナーブレスの魔方陣は完璧、完全。無駄な抵抗はあきらめたらいかがかしら」
「ウェンディ=ナーブレスというのが君の名前か?」
「そうですわ――ハッ!!」
真の名を知ることで対象を束縛する。
悪魔や魔術に長けた存在に安易に名前を教えてはいけない。
そのような言い伝えがある。
手持ちの召喚呪文書にもそんな記述があったはずだ。
そのことに名乗ってから気づいたウェンディが思わず口を押さえる。
「ウェンディ=ナーブレス。俺をこの魔方陣の中から出せ」
甲種言霊。
呪力が乗せられた言葉によって相手の精神に干渉し、言葉の内容を強制させる呪。
幻術系とならんで秋芳の不得意とする呪だが、相手の霊力ははるかに格下。さらに名前を知っていることによる有利な条件によってやすやすと術中におちいるはずだったのだが――。
「こ、答えはNOですわ!」
これまた不発に終わった。
「なんてこった、いったいなにがどうなっているんだか……」
「次はわたくしが質問する番ですわ。悪魔よ、あなたの真の名を教えなさい!」
どうやら相手に名が知られても問題はないようだ。では逆の場合はどうか? 真の名を知って召喚モンスターを支配する。いかにもサモナーらしいではないか。
ウェンディは期待を込めて訊ねる。
「俺の名は……」
真の名など、大層なものは持ち合わせていない。忌み名という考えがあるが、いくつもの名を名乗ったところで『その名前は自分を指している』と認識した時点ですべての名はおなじものとなる。
これがこんにちの呪術界の定説だ。
素直に名乗ろうとしたが、言葉につまる。
思い出せないのだ、自分の名を。
寝起きの、頭に靄がかかったような茫洋とした感覚。
(俺の名は……名前は……)
「……賀茂秋芳」
たっぷり十秒ほどの時間をかけてなんとか自分の名前を思い出すことができた。
「はぁぁ!? カモ・アキヨシだなんておかしな名前ですこと。……カモ・アキヨシよ、このわたくしウェンディ=ナーブレスを絶対に傷つけないと誓いなさい!」
「いや、それは約束できないな」
「なんですって!」
どうやら悪魔を「名前で縛る」方法は使えないらしい。
「まったく、なんなんですの。きちんと呼び出したのに言うことを聞かないし、この本に書いてあることって信用できませんわ」
いぶかしげに手にした本のページをパラパラとめくって、内容を確認しだす。
表紙には英語でも日本語でもない――強いていえば英語に似ている、見なれぬ文字が書かれている。
『初心者必読! ゼロからはじめる召喚魔法』
秋芳の知識にはない文字にもかかわらず、そう書かれているのが読めた。
(なぜだ、なんであんな文字が読める? いや、そもそもさっきからこの娘は何語でしゃべっているんだ!?)
あまりにも自然に聞き取れていたので疑問に思うこともなかった。耳に入る言葉は聞きなれない旋律の異国の言語として耳に入るのだが、頭には日本語として伝わってくるのだ。
(あれ? なんか前にもこんな珍妙な二か国語放送を経験したような……)
「カエルの目玉、コウモリの羽、君影草の花、人の魂だとごまかすための雌鳥十羽、etc、etc ……。必要な触媒はきちんと用意してありますのに、おかしいですわね」
(あのときは……、あのときって、いつだ? いや、というかそもそも俺はだれだ? 『賀茂秋芳』という俺はだれなんだ!?)
呪禁の血筋――葛城山――賀茂家の養子――京都――数多の裏働き――百鬼夜行――陰陽塾――。
やはり、記憶が混濁している。
プロフィール欄に書かれているような、過去のことを断片的に思い出すことはできるが直近のこととなると思い出せない。
鮮明だったにもかかわらず、見終わった後にボヤけてしまう夢の内容のように。
「まったくだれですの、この本の著者は。出版元に問い合わせをして謝罪を要求させましょうかしら」
おたがいに自分の考えに没頭していると、息急き切ってミーアが駆けつけてきた。
「す、す、すみません! すみません、お嬢様~。材料、まちがえちゃいました~」
「なんですって!?」
「お塩だと思ったらお砂糖。バタタ芋じゃなくてタロ芋でした~」
「んまぁ! 触媒に誤りがあればまともに起動できなくてよ」
「塩はともかく芋って、肉じゃがでも作るつもりか。どんな悪魔召喚だよ」
「種から育たず、芽に毒のある芋類は大昔に聖エリサレス教会教皇庁が異端認定したことがありますし、悪魔召喚の儀式に使われても違和感ありませんわ」
「そうか~? て、ちょっと待て。ここはヨーロッパか?」
「ここは栄えあるアルザーノ帝国はフェジテにあるわたくしの家。ヨーロッパなんて国も街も、存じませんことよ」
「……いまは、西暦何年だ?」
「聖歴一八五X年ですわ」
西暦。AD(アンノドミニ)ではなく聖暦。
「……新聞は、あるか?」
「ありますけど、それがなにか」
「もってきてくれ」
「あなたに指図される謂れはなくってよ」
「いいから早く!」
「わ。わかりましたわ。しょうがないですわね……」
妙な迫力に負けてミーアに新聞をもってこさせる。
新聞にはかつて高い税金がかけられており、富裕層にしか読まれないものだったが、今世紀に税金が廃止されたことと印刷機の発達によって低価格で手に入るようになり、大衆新聞も広がった。
ミーアがもってきたのも使用人たちが読んでいる大衆紙だ。
『オルザーノ~フェジテ間の鉄道整備。実用化はまだ先か』『シーホーク、堤防の老朽化問題』『サイネリア島リゾート開発進む』
英字に酷似した文字でそのような記事が書かれているのが、秋芳にはなぜか読めた。そしてウェンディの言ったとおり記載された日付は西暦でも平成でもない、聖歴というのが使われている。
「まさか、そんな、タイムスリップどころか異世界じゃないか……パラレルワールド――十一次元――超弦理論――ユークリッド空間――いいや、カラビヤウ多様体とM理論が――ぶつぶつぶつぶつ――」
「は? なんですの?」
「永遠に循環する円環が存在し、もう一方には不可逆的一方的な時間の直線があり――前者をインド・ギリシア型時間といい時間に対する空間の優位を――直線的時間の概念はユダヤ・キリスト型時間とする――インド・ギリシア型時間概念は多神教に通じ、ユダヤ・キリスト型のそれは一神教に通じ――循環的時間の概念を――ぶつぶつぶつぶつ」
「お嬢様、この人はどなたですか? なんだか現実逃避しちゃってるみたいですけどぉ」
「……そっとしておきましょう、なにやら惑乱なさっているみたいですし」
こちらの声は届きそうにない。時間を空けて、夜にでも様子を見に来ましょう。ウェンディはそう判断して地下室を後にした。
「『異次元騎士カズマ』って言葉が通じないから最初必死になって言語をおぼえたんだよな。その点俺は言葉の壁がないぞ、わーいわーい。異世界ものの元祖ってなんだろう? 高千穂遙の『異世界の勇士』か? いや、『異境備忘録』とか平田篤胤の『仙境異聞』なんてのもあったな。あれは今でいうラノベなのかな。『幻夢戦記レダ』って菊地秀行がノベライズしてたんだよなぁ。バローズの火星シリーズとか、『発狂した宇宙』とか『アーサー王宮廷のヤンキー』とか、異世界ものは古今東西枚挙にいとまがない、ひとつのジャンルともいえるのだから、飽きたとかいうやつは無理に読まず素直に別の作品を読めばいい。あ、そういえば『天空戦記シュラト』の小説版て完結してないよな――」
あとに残された秋芳はうつろな目をしてぶつぶつと独り言をつぶやいていた。
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