東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
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まぼろしの城 1
治承・寿永の乱。
平安時代末期の治承四年(1180年)から元暦二年(1185年)にかけて起きた、俗に源平合戦と呼ばれるこの内乱は、壇ノ浦で終焉する。
平知盛をはじめ、平氏のおもだった武将らは海へと身を投じ。安徳天皇もまた三種の神器とともに入水した。
「もののあわれよのう」
その合戦の一部始終を高台から見ていた者がいる。
伸び放題の白い髪に伸び放題の白いひげ。ぼろぼろの水干を身にまとい、血のように赤い紗の眼罩で顔を覆った老人だ。
水島の戦いの勝利で一時は勢力を盛り返した平氏だったが、結局は敗れた。
「陰陽寮も、立場が悪くなろう」
平氏の擁立する安徳天皇に従った陰陽寮。陰陽師たちは、その天文の知識でもって日食が起こるのを予測し、それを平氏に伝え、平氏はこれを合戦に役立てた。
日食の起こる時期、その原因を知らない源氏の兵らは、戦の最中に起きた突然の暗闇。日食に恐怖し、逃走した。これが水島の戦いでの平氏の勝因の一つとされる。
それでも、大局は変えられなかった。
陰陽師は、戦いに負けたのだ。
「貴族の世は終わり、これからは武士の世となろう。京の都もどうなることやら、……晴明よ、おぬしなら今の世を、これから迎える新たな世をどう思うのであろうな……」
先ほどから独りごちる老人の声は妙に高く、若々しい。
「そこでなにをしている!」
太刀を佩いだ武士の一団が老人を誰何し、取り囲む。
返り血なのか自身の血なのか、みな全身を赤く染め、殺気立っている。
「こたえよ」
「なに、平氏の世の終わりを憐れんでおったのよ」
「おのれは平氏にくみする者か?」
「くみせぬ」
「源氏にくみする者か?」
「くみせぬ」
「ならば去ね、邪魔じゃ」
「いやじゃ」
「なに!?」
「儂はいま少しここにおる。ぬしらが去ったら波の下に消えた者ら、弔ってやらねば」
「おのれは僧か?」
「いいや」
「神官か?」
「いいや」
「では何者か?」
「陰陽師」
「うぬ、やはりおのれは平氏方の者か!」
武士たちが太刀を抜き老人に襲いかかろうとする。と、老人がなにごとか口の中で呪を唱える。
すると武士たちと老人との間に出現したものがあった。
それは右手に槍を、左手に宝塔を持ち、戦装束に身を包んだ毘沙門天であった。
その身の丈は九尺。およそ二メートル七十センチ。
武士たちは驚きの声をあげて後方に跳びすさる。一瞬ひるんだがしかし。
「毘沙門天がかような陰陽師のために姿を現すはずなどあるか」
「陰陽師のまやかしぞ」
「仏神をもてあそぶとはゆるさぬ」
かえって武士たちの怒りを焚きつけてしまったようで、いきりたった一人が老人の脳天目がけて太刀を振り下ろした。
鈍い音がして、老人の顔の中ほどまで太刀が喰い込む。
「どこを狙っておる。儂はここぞ」
クツクツという老人の笑い声が隣から聞こえる。
たしかに斬ったはずの老人がすぐ近くに無傷で立っていた。
「おのれ、あやしの術を!」
武士たちはめいめいに太刀を振るい、老人をめった切りにするのだが、そのたびに老人は消え、また別の場所に姿を現す。それをまた武士が斬り、老人が消えては現れる……。
「きぇーっ!」
「とりゃーっ!」
武士の一人が渾身の気合いとともに打ちつけた太刀が老人の首を刎ねた瞬間、みずからの身にも鈍い衝撃が走る。
「あ!?」
次の瞬間、目の前には首を失った仲間の武士の姿があった。その者の手にした太刀がおのれの身を貫いていた。周りには仲間の死骸がころがっている。
そう、武士たちはたがいにたがいのことを老人と思い、同士討ちをしていたのだ。
幻術である。
いつの間にか老人の幻術にとらわれてしまったのだ。
最後に残った武士も、声にならぬうめき声をあげてこと切れる。
「よく殺す者はよく殺される。武士とは因果なものよ」
真新しい血臭があたりをただよう中で、老人は自分の心境の変化に気づく。
先ほどまで感じていた寂寥感がなくなっていた。どうやら呪術を行使したことで憂いが晴れたようだ。
「……ふむ、やはり儂にはもうこれしか、呪術しか残ってはおらぬ。多くのことにはとうに飽いた故、胸躍ることも少のうなったが、これだけは。術だけは、良い。たとえ幾瀬、幾歳経とうが、どのような姿になり、どのような名で呼ばれることになっても、我が魂は変わらぬ。これこそが、儂なのじゃ――」
老人はそう独語し、クツクツと笑った。
嬉しいような、寂しいような、楽しいような、悲しいような――。そんな笑いかただった。
現代。
日曜日の百枝家、天馬の部屋。
「できた……。ついに、完成した……」
部屋の中央に広げた折り畳み式の座卓の前で、天馬はそうつぶやいた。
声が、震えている。
感動しているからだ。
座卓の上には一抱えではきかない大きさの、巨大な城の模型が置かれている。たった今、自分の手で完成させた。そのことに感動しているのだ。
「最初は無理だと思ってたけど、やればできるんだなぁ……」
亡くなった父親の趣味が模型作りだったこともあり、その影響で天馬はこの手の作りものが好きで、中学まではプラモデルなどよく作っていた。
さすがに陰陽塾に入ってからは勉学にいそがしく、空いた時間にプラモデルを作ることはなくなったのだが、少し前。突然祖父が友人からゆずってもらったと言って、この城の模型を持ち帰ってきたのだ。
その友人は模型を買ったはいいが、説明書を読んだだけで難易度に挫折し、置きっ放しだったのだが、その話を聞いた祖父が天馬の模型好きを思い出して譲り受けたという。
祖父から模型を渡された時は正直、複雑だった。祖父の友人が匙を投げただけあって、かなり手間ひまのかかる作りだったからだ。
しかし孫のためにゆずってもらい、わざわざ重くかさ張る物を持ってきてくれた祖父の気持ちを思うと、無下にもできない。
さらにこの模型。その完成度とともに値段の高さでも有名なメーカーの作品で、それを前にして純粋に『作りたい』という欲求もあった。
空いた時間。勉強の合間などに気分転換を兼ねてコツコツと作業し、やっと落成させたのだ。
「う~ん、改めて見てみると我ながら会心の出来栄えだよね。やっぱりウェザリングもやって良かった。お城の模型は始めてだったけど、このほうがリアルっていうか雰囲気が出るよね。あ、でも石垣はやっぱり難しいな。もうちょっと……、いやいや、これ以上は汚くなるだけだ。瓦屋根とのバランスを考えると、これくらいにしとくのが正解だよね。うんうん……」
真剣な表情でみずからの作品を再確認しながら独りごちる。
城の模型は天守閣だけでなく本丸御殿や櫓、内堀など、城全体が再現されていて、もともとはなかった庭の砂や木々までつけ足されているため、ちょっとしたジオラマに見える。
建築物は内部まで作りこまれ、屋根や壁の一部は取り外しができ、中が見られるようになっているのだが、そうした境目は見てわからないように念入りに塗装してある。
これも天馬の成せる技だ。
「こうなると人間も配置してみたいなぁ、でもこのスケールの人形なんてあったっけ? どうせなら侍がいいし、そうなると馬も欲しい……。あ、石垣の目立たない所に忍者を置くのもいいかもしれない! よし、ちょっと探してみよう」
物作りというのは楽しい。
おそらく死んだ父も同じ楽しさを知っていたのだろう。もし父が生きていたら、自分の作った模型を見てなんと言うだろうか? それに父の模型作りを苦笑しながら眺めていた母は――。
見てもらいたかったなぁ。
誰かに見てもらいたいなぁ。
見て欲しい。
「あ、そうだ」
いつだったか、天馬は自分が模型を作っていると友人たちに話したことがあった。春虎など、完成したらぜひ見せて欲しいと言っていた。
そのことを思い出したのだ。
さっそく携帯電話のカメラで完成した城を撮り、メールに添付して送ろうとする。どうせなら春虎以外にも見せたいし知らせたい。冬児や夏目。京子や秋芳にも。
文章を考え、書いて、唐突なメールを謝った上で、一斉送信。
「ふぅ……」
天馬は満足げに息をついた。
街ゆく人々が同じ方向に視線をむける。
亜麻色の髪をハーフアップにした、アイドルのような美貌とモデルのようなスタイルをした少女の美しさに、みなが注目している。
だが誰一人として声をかけようとはしない。少女のまとうオーラが、まわりに人を寄せつけないのだ。まるで結界でも張られているかのように、ぶつかったりすれ違いそうになる人も自然に道を開けてしまう。
もとより非凡な霊力と容姿を誇る才媛だったが、如来眼の力に目覚め。数多の呪術をおぼえるうちに自然と身についた自信が、人々にそうさせるのだ。
倉橋京子。
それが少女の名前だ。
「楽しかったし美味しかったけど、歌舞伎見て柳川鍋食べて、て。十代のデートにしてはかなり渋いわよね」
京子が隣を歩く青年にそう声をかける。
短身痩躯で僧侶のような剃髪頭をした青年の名は賀茂秋芳。京子とは好い仲だ。
「まぁ、渋いっちゃ渋いかな。うちの塾生ら、旧家だ名門だといってもみんなまだ若いもんな。ああいうのを楽しめるようになるには年相応の知識と教養が必要だろうし、そのてん俺たちには素養がある」
「あら、だれかさんと違ってあたしは正真正銘の十六歳よ。ま、素養があるのは認めるけど。能や歌舞伎の観劇にはお祖母様のお供でたまに行くし」
「俺だってじゅうななさいだ」
「まだ言ってる」
クスリと笑う。たったそれだけで大輪の花が咲いたかのような雰囲気になる。ローズピンクのリップのみという薄化粧が、美貌をいっそう輝かせていた。
「ねぇ、今日の演目の『鳴神』だけど。こないだのあなたにそっくりだったわ」
「ああ……、言われると思ったよ」
歌舞伎の『鳴神』とは。
朝廷に恨みを持つ鳴神上人という呪術師がいるのだが、この呪術師が竜神を滝壷に封じ込めてしまい、日照りが続く。こまった朝廷は雲の絶間姫という美姫を使わして上人を色仕掛けで落とし、竜神を解き放って雨を降らせる。
だいたいそのようなお話だ。
先日の野外実習のさい、秋芳は京子の美人計に見事にはまり後れを取った。京子はそのことを言っているのだ。
「……ところで、なんであなたさっきから軽く穏形してるの?」
「鋭いな。目立たなくなる程度の薄い穏形で、なおかつずっとそばにいて。よく気の変化に気づいたものだ」
「見くびらないで。始めて会った時のあたしじゃないんだから、そのくらいわかるわよ『士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待すべし』て言うでしょ。ましてやあなたと毎日訓練してるんだから、見鬼だって上達するわ。で、なんで穏形してるのよ?」
「目立つのもやっかみの目で見られるのも苦手なんでね」
そう言って軽く周りを指さす。
「あら、別にいいじゃない『どうだ、俺の彼女はこんなにも美人なんだぞ』て、自慢しなさいよ」
「いい、ガラじゃない。性分なんだよ、俺はずっと影働きしてたからな。注目をあびるのには慣れてない」
「ふーん……、それじゃあ、ねぇ。この後は二人っきりになれる場所に行かない?」
「お! いつになく大胆かつ積極的だな。ついに婚前交渉する気になったのか?」
「もう、ちがうわよバカ。そうじゃなくていつもの訓練よ」
「好きだな、訓練」
「あなたに逢って呪術の奥深さを実感したのよ。自分が学ぶことはたくさんあるって」
これまでの京子の十六年。もうすぐ十七年間、倉橋家の娘としての自覚を持ち、日々鍛錬し、勉強してきたつもりだ。
けれどもここ最近ほど本気で勉強したことも、したいと思ったことはなかった。そして本気で学べば学ぶほど、自分がどれだけ『より学ばねばならない』かを痛感していた。
それは秋芳と出会ってからだ。彼と出会ったのち、いくつかの霊災に遭遇し、相手にするたびに力量不足を実感してきた。
ついには如来眼の力に覚醒し、霊力こそ大幅に上昇したが、強大な力を手にしたからこそ、その〈力〉を制御するための力。知識や技術が必要だと真摯に思う。
学習することはほんとうに、あきれるほどたくさん、いくらでもあった。
呪術は奥深く、広大だ。京子はそのことをようやく実感でき始めている。
「――だからあなたのせいなの。最後まで責任持ってつき合ってちょうだい」
「なにが『だから』なのかは理解できないが、君とならなんでも、どこまでもつき合うつもりだよ。じゃあこれから陰陽塾に行くか?」
「ううん、別の場所」
「ほう? そりゃ気分転換になっていいな。同じ場所ばっかりじゃ、さすがに飽きる。で、どこに行くんだ?」
「旧陰陽塾の塾舎よ」
陰陽塾そのものは半年近い歴史があるが、現在京子たちが通っている塾舎は去年建てられた新しい塾舎だ。それ以前は同じく渋谷にあった塾舎が利用されていた。そのことを言っている。
「ほう! 旧塾舎か、旧校舎みたいでなんかいいな。俺は旧校舎って響きが好きなんだ。なんかこうノスタルジックというか郷愁を誘うよな。あと地下に不思議空間が延々と広がってて、レアなお宝とか落ちてそうだし」
「あら残念ね、正確には旧塾舎跡に隣接する甲種呪術の訓練場のことなの。旧塾舎自体はもう取り壊されてて、別の建物が建ってるの」
「そうか……」
「でもその訓練場は閉鎖されたまま残ってるから、それを使わせてもらうわ」
「うん、面白そうだ」
「でしょ? で、秋芳君。鍵を開ける術とか知らない?」
「おい、不法侵入するつもりか? そういうのはちゃんと許可を得てからだなぁ」
「関係者以外立ち入り禁止になってるけど、あたしたち塾生は関係者だから問題ないわ」
「施錠されてるのを無許可で開けたらいかんだろ」
「もう、変なところで堅いのね」
「俺はもともと真面目だからな」
「二人だけの秘密の場所、秘密基地が欲しくない?」
「…………」
二人だけの秘密の場所。秘密基地。なかなか魅力的な響きだ。
「ねぇ、いいでしょ? 入りましょうよぉ、お願い……」
京子の甘い猫なで声が秋芳の脳を痺れさせる。それは甲種言霊以上の呪力を発揮し、心を揺さぶった。
「うんそうだな……。うん、そういうおイタができるのも、学生のうちだけだし、入ってみるか」
「やったー☆ で、鍵開けの術ってあるの?」
「ある。俺の場合は鍵を禁じて開錠させることができるし、扉や鍵を一種の結界に見立てることで、結界を破る術を応用して開けさせることが可能だ。器用なやつなら鍵穴に入れると形を自在に変化させる鍵を簡易式で作り出すことなんかもできる」
「へー、今さらだけど呪術って便利よね」
「あればあったで便利だが、なくてもなんとかなる。しょせんはその程度だけどな」
「それって陰陽師にあるまじき科白じゃない?」
「陰陽師だからこそだよ。呪術師というのは術を使うのであって、術に使われてはいけない。ましてや術に『憑かれる』なんてことは絶対にあってはいけない」
「甲種呪術にこだわらず視野を広く持って物事に柔軟に対応すべし。でしょ?」
「そう。呪術なんてのは人類の生み出した技術の一つ、道具の一つ、問題を解決する手段の一つにすぎない。それにばかりこだわる必要なんてまったくない」
「……呪術師が目的のためにもちいるのなら、それがなんであっても『呪』……」
「お、なかなか含蓄のある言葉じゃないか。教科書に載せてもいいくらいだ」
「あたしが陰陽庁のトップになったら載せとくわ」
「ぜひそうしてくれ。呪術師だからこそ、呪術にこだわってはいけない。てね」
そんなやり取りをしているうちに件の訓練場に着いた。
公民館や体育館を思わせる外観で、内部は現在の陰陽塾にある地下呪練場と似たような造りをしていた。
廊下を抜けた置くにはバスケットコート三面分ほどの広さのアリーナあり、高い位置にある窓から外の光が差し込むので以外に明るい。だが、さすがに埃が目立つ。今すぐここで激しい運動をするのは体によろしくないだろう。
「空気の入れ替えと清掃が必要だな」
「そうね、とりあえず今日はお掃除だけしときましょうか」
「だな」
陰陽塾では掃除を始め、雑用全般用に『モデルM1・舎人』という汎用式を多く使用しているが、あいにくとそれらの持ち合わせはないので、手持ちの簡易式を使い清掃にあたらせた。人の形をした影法師たちがせっせとあたりを掃除しだす。
「……さて京子。ここで質問だ」
「え?」
「孫子の兵法に『拙速は巧遅に勝る』という言葉があるが、呪術の場合はどうだと思う?」
秋芳はそう言いながら、口訣も導引も結ばず不動金縛りをみずからの簡易式に放つ。
影法師は数秒ほど動きを止め、また動き出した。
今のは術式をまともに組まない雑な呪だった。しかし詠唱や集中がないぶん素早く発動できる。
早くて雑な術と、遅くて丁寧な術とどちらが良いか――。
「……ずばり両方ね! 時と場合によって使い分けるのが正解よ」
「両方ってずるい答えだなぁ」
「あら、ちがうの?」
「いや、たしかに臨機応変に使いわけるで合ってる。だが強いてどちらか選ぶというなら遅くて丁寧な術だ」
「あら、ちょっと意外ね。あなたのことだから『いくら正確に術を発動させても相手がそれに対して万全な構えをしたら効果は薄い。それよりは反応される前に攻めて攻めて攻めまくればいい。相手が対処できないなら拙速でもじゅうぶん効果を得られる』とか言いそうなのに」
「あー、たしかにそんなこと言いそうだわ、俺……」
「でしょ? ちがうの?」
甲種呪術は制御を誤れば暴走し、術者どころか周囲にまで被害をもたらす可能性がある。そのため一つの呪術を習得するさいは完全に制御できるようになるまで習うし、実際に使用するさいも丁寧に細心の注意をはらって行使するのが常だ。
だが時には危険を承知で雑だが早い方法で攻撃してくる者もいる。先ほど秋芳が使ったような不完全だが高速で発動できる金縛りなども、牽制。本命の攻撃につなげるジャブのような使い方をすればバカにはできない。
手数の多さと速さに対して、安全かつ丁寧で正確な術を用意していては間に合わない。
「それでも術が暴走した時の反動や、相手に返された時の危険性を考えれば『きちんと呪文を選んでから呪力を練り、正確に発動させる』べきだ。白兵戦じゃあるまい、呪術戦で考えるより前に体を動かせ。なんてのはまちがってる。考えることを放棄してはいけない」
「でも実際にそういう雑で危険なやり方で呪術を使ってくるのが相手だと、押し負けちゃったりはしないの?」
「そのための訓練だよ。思考する時間を限りなくゼロに近づけ、安全で素早く、かつ正確で丁寧な呪術を行使する。日頃から呼吸するように無意識に呪力を練ることを心がける。そのためには鍛錬あるのみ」
「つまりあたしの日頃のおこないはまちがってないってわけね」
「そう。奇策はしょせん奇策。地力の成ってる相手にはそんな搦め手は通用しない」
「今のお話であたしの修行欲が燃えてきたわ! ねぇ、秋芳君。やっぱり少し――」
その時京子の携帯電話がメールの受信を知らせる軽快な音を鳴らした。
「……天馬からだわ、珍しいわね」
「む、俺にも天馬からだ」
メールの内容を確認するにつれ京子の眉間にゆっくり、ゆっくりと皺がよっていく。
「……なによ、これ」
長い文面に続いて何枚かの写真が添付されている。様々な角度から撮られた城の模型。それらを一応すべて目を通し――。
「……ふ~ん……」
と、気のないつぶやきをもらす。
どんな返事をするか正直迷ったが、とりあえず『すごいわね』と送信しておいた。
「そういや天馬って、子どものころはプラモデルとか作ってたっけ。秋芳君のも同じメール?」
「ああ。そうなんだが……、むぅ……。まず、ちょっとジェラシー」
「はい?」
「君は子どもの頃の天馬を知っているんだな」
「ん、まぁ天馬の家も陰陽道の旧家だし、その関係で少しわね」
「天馬も子どもの頃の君を知っている」
「まぁ、あたしがむこうを知ってる程度には、むこうもこっちを知ってるんじゃないかしら」
「俺の知らない君を知ってる人がいることに少し嫉妬」
「あら! うっふふふ、やぁ~ねぇ。そんな子どもみたいヤキモチ焼かないの。あなたとの思い出はこれからいっぱい、い~っぱい作ってあげるわ。未来のあたしを、この倉橋京子を独り占めできるのよ? だからそんな些末なこと気にしちゃダメよ、秋芳君」
「未来だけでなく過去も独り占めしたい」
「贅沢ねぇ、タイムスリップする呪術でもあるわけ?」
「う~ん、どうだろう? ま、必要があるのになければ作るのみだが」
「…ねぇ、もし時間を遡ることができたら、いつの時代に行ってみたい?」
「そうだな、古代エジプトの赤ビールやボヘミアンたちが飲んだ本物のアブサンを飲みに行きたいな。あと張飛の作った保寧圧酒もどんなものか味見してみたい」
「お酒ばっかりじゃない! 少しは陰陽師らしく安倍晴明や土御門夜光と会ってみたいとかないの?」
「ん、あとは実際の安土城を……、て、そうだ! 城だよ城! 天馬のやつ、凄いものを作ったなぁ。この模型、相当手が込んでるぞ」
メールに添付された画像をまじまじと見て感心する秋芳。
「この造りと天守閣の鯱から察するに、これは名古屋城だな」
「へぇ、わかるんだ」
「惚れ惚れするなぁ……、こういうのを作れる、創造できるのは本当に凄いよ。ある種の神の御業だよ」
「いくらなんでも言いすぎじゃない?」
「いいや、そんなことはない。想像し創造する。これは呪どころか奇跡だよ」
「そ、そう?」
「ああ、そうさ。絵画でも模型でも文章でもなんでも。無や、それに等しい状態から有を生み出す。これこそ人の持つ『真の』呪の力じゃないか」
「…………」
「なぁ、京子。これから天馬の家に行ってもいいかな?」
「ええっ!? あたしとの訓練は?」
「君との時間は未来に大きく広がっているんだし、ちょっとくらいいいだろ?」
「ん、もう……。しかたないわねぇ、じゃあ、あたしも行くわ。この模型がそんなに凄いのか、自分の目で見て確かめてみたいし」
こうして二人は天馬の家に行くこととなった。
護国寺にある百枝家。
天馬には自宅に行くと連絡を入れて了承を得たが、まがりなりにも陰陽道の旧家を訪ねるのだ。手ぶらというわけにはいかない。
いや、旧知の間柄である京子ならそれでもかまわないのかも知れないが、始めて天馬の家を訪れる秋芳はそういうわけにもいかない。賀茂の看板を背負いし者が土産もなしにぶらりと立ち寄るのはいかがなものか。と、秋芳が菓子折りを手に天馬の祖父母に挨拶したのだが、これまた妙な流れとなった。
「賀茂家の方にわざわざご足労いただきまして、誠に恐縮です。聞けば秋芳さんは飛び級で卒業してそのまま陰陽塾の講師になられるとか」
「え? いや、確かにそういう話は出てますが、まだ現実のものでは……」
「秋芳先生。どうかうちの天馬を一人前にしてやってください」
「いやまだ先生ではなく一塾生でして……」
「天馬。今のうちに先生から多くのことを学ぶんだぞ」
「う、うん」
「どうかよしなに、よしなにお願いします!」
「わ、わかりました。おりを見て陰陽の術を教授します」
そのようなやりとりの後、件の模型を見せてもらった。
名古屋城。
またの金鯱城。東海道の押さえとして慶長十五年(1610年)に徳川家康によって築かれた。大きな堀と天守閣が特徴で、特に鯱の頭部が異様に大きく、これは遠くから眺めた時に均整がとれて立派に見えるように配慮されているためだ。
平城であり、実際の攻城戦の想定よりも徳川の威信を示すための造り。壮大で優美な造形をしている。
「う~ん、凄い!」
「でしょ!」
「写真で見たよりデカいな。迫力がある」
「でしょ!」
「たんに組み立てるのだって難しいのに、この汚し塗装とか自分でしたのか? これは良いセンスしてるよ天馬」
「でしょでしょ!」
「これって名古屋城以外の模型もあるのか?」
「うん、けっこう有名なメーカーだからね。僕は名古屋城しか持ってないけど、たくさん出てるよ」
天馬はPCを起動させて模型製造メーカーのホームページを見せる。
「これは……」
「多いでしょ、ほとんどのお城が模型化されてるんじゃないかな?」
「竹田城があるな」
竹田城跡。山城遺跡であり、虎が臥せているように見えることから虎臥城とも呼ばれる。
秋から冬にかけてのよく晴れた早朝に朝霧が発生することがあり、この雲海に包まれた幻想的な姿から、天空の城や日本のマチュピチュとも呼ばれるようになった。
「雲海を現す綿までついてるのか、凝ってるな」
「欲しいけど高いんだよね」
「讃岐の高松城だ。俺、この城好きなんだよな」
高松城。
城の北側が海に面していて、残りの三方の堀には海水を引き入れた堀が広がる、日本三大水城の一つ。堀には真鯛などの海の魚が泳ぎ、天然の牡蠣も生息しているという。
「これは、モデリング・ウォーターの使いどころだな。て、本物の水も入れられるって書いてあるぞ!」
「それも欲しいけど高いんだよね」
「幻の城シリーズなんてのもあるぞ。これ、安土城はともかく帰雲城なんて完全に想像で作ってるんじゃないか?」
帰雲城。
岐阜県の白川村にあったとされる城だが、大きな地震による山崩れで埋没。これによって城主の内ヶ島一族はすべて死に絶えてしまい、内ヶ島氏は滅亡してしまった。そのとき埋まったとされる埋蔵金伝説があることでも有名だが、城のあった正確な位置は現在でも特定されていない。
「幻の城シリーズは特に高いんだよね」
「……天馬」
「なに?」
「他の城も、作りたいか?」
「もちろん! でも高いから今は無理かなぁ。もっとお小遣いためてから――」
「天馬の誕生日っていつだ?」
「え? 〇月〇日だけど」
少し先だ。
「よし! 少々早いが俺からの誕生日プレゼントだ。好きな城を選んでくれ」
「ええ!? そんないきなり……」
「さぁ、どれがいい? 安土城か? 大阪城か? それとも岐阜城?」
「そんな、悪いよ」
「いやいや、半分は俺が見たいだけだから遠慮するな」
(男の子ってこういうのほんとうに好きねぇ……)
男子二人が盛り上がっているのをよそに、話に交ざれない京子が手持ち無沙汰にTVのリモコンを押す。
『あなたの、TVに、時価ネットたなか~。み・ん・な・の、欲の友♪ ハァ~イ、こちら時価ネット。時価ネットたなかでございます。生放送でお届けする噂のショッピング番組時価ネットたなか。良い物をつねに適正価格でお届け、う~ん、目が離せない。さぁ~て本日紹介する商品はこちら! アイアンバニー、ハイレグアーマー、アームブリッジ、ダンシングヒールが一つになった【魅惑の淑女セット】でございます。こちらにさらに高級フレグランスのイティズドリームもおまけにつけちゃいます。さらにさらに! 今回時価ネットからお申し込みいただいた方だけへのサプライズ。〇〇社制オリジナル幻の城シリーズ・聚楽第の模型をプレゼント! 先着一名様まで限定でございます。さてこの商品、気になるお値段は――。ぜひお早めにご注文ください。ご注文はインターネットとお電話で、ごらんのアドレスと電話番号から時価ネットに連絡してください――』
「……なんなの、この通販番組。いかがわしい変な服に香水と模型の組み合わせってカオスすぎるわ……」
「あ、もしもし時価ネットさんですか? 魅惑の淑女セット一つお願いします」
「あ、秋芳君!?」
「いいんだ天馬、俺の好きにさせてくれ。あの聚楽第をおまえに贈らせてくれ」
「で、でも魅惑の淑女セットと香水なんてどうするのさ」
「京子が着るよな?」
「着ないわよ!」
「着ないの?」
「着ない! 香水はともかく、あんな服いらないわ。ていうか秋芳君、衝動買いするタイプだったのね……」
これは将来、お財布のひもはこちらできっちり締めなければならない。そう心に決める京子だった。
それから一週間と少し。
陰陽塾。
「もうすぐ完成するよ」
朝一番、喜びの笑みを浮かべて聚楽第の落成一歩手前だということを秋芳に告げる天馬。「おお、早かったな」
「うん、あの名古屋城ほど難しくなかったからね。それでどう? もし良ければ次の日曜日にでも完成する所を見に来ない?」
「それは良い。ぜひ見に行かせてくれ」
放課後。春虎達にも声をかけたのだが。
「悪い、おれ個人補習」
「ぼくはそのつき添いだ。まったく、今度という今度はしっかり学んでもらうぞ、春虎!」
「俺も補習につき合う。春虎とちがって強制じゃないが、なんせ途中転入ってハンデがあるからな、色々と知っておきたいんだ」
「……模型もいいけど、あたしとの約束も忘れないでよね。当日は先に訓練場に行ってるわ」
春虎、夏目、冬児、京子はパス。秋芳は一人、百枝家へ向かうことにした。
旧陰陽塾訓練場。
埃っぽかったアリーナは清掃され、見ちがえるほど綺麗になっていた。床面などわざわざワックスがけしたので、光沢を放っている。
秘密基地という言葉に触発された秋芳は、訓練場にかなり手をくわえてしまった。元々施錠されていた扉を無効化し、新たに呪術的な施錠をし、呪的結界も敷いてある。いつの間に持ちこんだのか、控え室にはいくつかの酒類まで置いてあった。
(自分で言い出しておいてなんだけど、まるで不良のたまり場ね。ふふっ、あたしもすっかり不良娘になっちゃったものだわ)
アリーナの一角。座卓の上に置かれた式盤を前にして京子はそんなことを考えていたが、すぐに雑念を捨てて集中し、みずからの意識をはるかな宇宙へと同調させようと誘導する。
これは星読みとしての訓練だ。
本来ならば星読みとは星を読むことはできても、星を動かすことも星々の流れを変えることも、その輝きをあやつることもできない。
星読みにできることはただ対象を見守り、助言し続けることだけなのだが、京子はちがった。
星読みの中の星読み。如来眼の力がある。
如来眼。
豎眼とも菩薩眼。龍眼とも呼ばれるそれは、仏教においては菩薩の慈悲を体現する力とされ、道教においては龍脈の流れを見極め、変える力があるとされ、その時代の覇者を導くという。
人の定めのみならず、龍脈の流れ。星々の流れ。すなわち森羅万象を意のままにあやつることができる力――。
最近はこの手の鍛練をしている。京子としてはもっともっと霊災修祓や対人呪術戦の訓練をしたいところなのだが、すでにプロの祓魔官レベルの技量を身につけたと判断した秋芳はもっぱら『自分にしかない力』を延ばすよう勧めているからだ。
集中するにつれ、身体から魂が離れて浮上するような不思議な感覚をおぼえる。唸るような風の音を聞きながら、重力を始めとしたあらゆる足場から逃れ、現実に重なる宇宙のような異なる空の世界にゆっくりと浮遊する。
無数の光が、数多の星々が視える。この光の一つ一つが人だ。人の運命だ。
深淵の彼方、時間や空間の概念すら異なるすべての要素が偏在化している宇宙。その宇宙に京子の観念が反映され、遠くにある現実の影を目の前に顕現させる。あるいは現実世界のすべてを凝縮し、縮図のように映し出す。千里眼のような感覚で宇宙を見渡していくと――。
星の一つに陰りが見えた。おぼろな闇が星を覆い、取り込もうとしている。それは京子の知っている星だった。
その星は、百枝天馬のもの。
(――え? なに? 天馬!?)
星の輝きを完全に覆い尽くしてなおあまりある巨大な闇。それは古の禍々しき闇。
天馬が、あぶない。
天馬の身に危険が迫っている。
助けなければ――。
後書き
このお話。ハーメルンに掲載時は別の題名でしたが、よく考えたら微妙にネタバレしていたので別の題名に変更しました。
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