東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
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残照 3
(秋芳君、聞こえる? 秋芳君!)
京子の声が瘴気の中から響いてくる。
「聞こえる! 俺はここだ。ここにいる!」
秋芳が瘴気の中に足を進めようとした、その時。金色の光に包まれた京子が目の前に姿を現した。
その手には一本の矢が握られている。
(これを、この金矢で大ムカデにとどめを刺して!)
矢に手を伸ばす秋芳。
指と指がかすかに触れ合った、その瞬間。秋芳の頭に京子の今までの記憶が流れ込む。
(――――ッ!?)
川原でのかなえとの会話。大ムカデの襲撃。いくども繰り返される悪夢。工場での戦い。
目が覚めると同時に山中のもとへと押しかけ、糾弾し、盗んだ金矢を取り返して社へ急行。
瘴気が渦巻く中、秋芳の姿を『視た』のだ。
ここではない場所にいる秋芳の姿を。そして『わかった』のだ。
こちらとあちら。二つの世界に存在する大ムカデは同時に倒さねば、修祓できないことを。
「やるぞ」
「ええ」
気づけば周りの風景が変わり、鷹寛たちの姿がない。
灰色の空、延々と続く野原、目の前には小山がそびえる。
こちらとあちらの交わる場所。秋芳と京子はそう直感した。
と、小山からひときわ巨大なムカデが二人の前に姿を見せる。
大きい。
そして、長い。
小山を何重にも巻いて、なおあまった胴を持ち上げ威嚇のうなり声をあげる。
俵藤太の伝説に倣い、矢じりを舐めて唾をつける秋芳。
すると、秋芳の舐めた跡をなぞるように京子も舌を這わせた。
「お、おい」
「ん、ちゅ……ぱっ。ふふ、ちょっと下品だったかしら? でも、こうしたほうがもっと効きそうでしょ。あたしとあなた。二人分の力よ」
「まったく、とんだ破廉恥お嬢様だ」
シャアァァァッ!
牙をむき、襲い来る大ムカデの眉間に金矢を突き刺す。
「「南無八幡大菩薩!」」
街を滅ぼした大ムカデは消滅した。
すると――。
「ありがとう、京子ちゃん」
かなえだ。
「助かったよ」
「ああ、あんたらのおかげでやっと解放される……」
「これでやっと静かに眠れるよ」
「あんな化け物を退治しちまうだなんて、陰陽師ってのは凄いね!」
かなえだけではない、街の人々が姿を現し、感謝の言葉を言っては一人一人消えていく。
「かなえちゃん……、川。楽しかったわ。あとご飯もとっても美味しかった」
京子は薄々感づいていた。あそこは、あの街とそこに暮らす人たちが、すでにこの世の存在ではないということを。
「京子ちゃんのおかげで悪い夢の繰り返しがやっと終わったわ。これで街は元通り。お祭りも始められる」
「お祭り、あたしたちも参加できる?」
「う~ん、今はちょっと無理みたい。もう時間がないから――」
「かなえちゃん!」
「ありがとう京子ちゃん、さようなら――」
「……うん、またね。かなえちゃん」
「え? な、なんなの? 今のなに!? ねぇ、あなた。あなたも『視た』わよね?」
ヘアバンドの女性――鷹寛の妻である土御門千鶴――が狼狽し、夫に声をかえる。
「ああ、まるで白昼夢だったな……。巨大なムカデに街の人々。この土地の記憶が見せた幻か……」
改めて一か月前に起きた霊災により街が壊滅してしまったことの説明をする鷹寛。
「土地というのはたんなる場所じゃない。そこで起こった強烈な出来事が記録された記憶装置としての力もあるという。君たちはその記憶に、残留思念に取り込まれたのだろう。だが、君たちは記憶を書きかえた。彼らを救ってくれたんだ。街には私の知り合いがたくさんいた。私からも礼を言わせてくれ。ありがとう京子さん。ありがとう秋芳くん」
「……いや、鷹寛さん。どうやらまだ終わってはいないようですよ」
秋芳はそう言って空の一点を指さす。
空に、亀裂ができていた。
まるでガラスに入ったヒビのようだ。
「うわっ、シュールな光景ね。まるでなんかの絵画みたい」
千鶴が素っ頓狂な声をあげる。
ヒビは徐々に広がり、そして割れた。
空が割れたのだ。
そこから強風とともに凄まじい気が流れ込んで来る。
気だけではない。
なにかが、とてつもなく強大ななにかの気配がする。
そしてそれがこちらに迫っている。
「あ、秋芳~」
「お、笑狸か。おまえも無事だったんだな」
「それどこじゃないよ。なんなの、あの空! なんなのこのとんでもない妖気!」
「街の人々が土地の記憶に囚われ、惨劇を繰り返していたのはたんなる自然現象なんかじゃない。おそらくこのバカでかい妖気の主がそう仕込んだんだ」
「なんのために?」
「苦痛や恐怖をなんども味あわせて楽しむため。人の魂を飴玉見たくしゃぶり尽くすのが好きなんだろう」
「そんな、ひどい…。ひどすぎるわ」
みずからの両肩を抱き、うなだれる京子。
その時ひときわ強い風が吹きつけ、空の穴からなにかが這い出てきた。
「お気に入りのオモチャを台無しにされてご立腹らしい。自分の巣から出てきやがった」
イソギンチャクを思わせるミミズのような体。全身から無数の触手が生え、大小いくつもの眼球のような器官もついている。
ヒューヒューと笛の音のような鳴き声を発し、明滅するかのように体が見え隠れを繰り返している。
「ぬ、半体半霊か。あれでは物理攻撃は効果が薄いな」
「それと木気に偏りがあるわね」
土御門夫婦は即座に相手の大まかな属性を見抜いた。
「それにしても凄まじい妖気だな。まさに移動型霊的災害。生きた台風がいるとしたら、こんな感じか」
ピヒィィィイン――!
鷹寛の台風という言葉に反応したわけではないだろうが、異形の動的霊災がこわれた笛のような甲高い叫びをあげると大旋風が巻き起こる。
「急急如律令」
鷹寛が落ち着いて一枚の符を投じる。
金行符。
風は木気と金気のいずれかにかに属するが、木気を帯びた怪物の放つ風ゆえ金気で対抗するべきと判断したからだ。
金剋木。
五行相剋の理にもとづき、暴風は金気の楯にふさがれた。
金気と木気の相剋に大気が激しく鳴動する。
風は防いだ。
だが、そこに込められた瘴気までは防げなかった。
高濃度の瘴気があたりを吹き抜ける。
体中の細胞と神経が、汚水で流され満たされるような悪寒。魂が凍りつき、恐怖と絶望が思考を停止させようと心を蝕む。
並の人間ならばそれだけで死んでしまってもおかしくはない。
「オン、コロコロ、センダリ、マトウギ、ソワカ!」
秋芳はあらゆる疾病を癒す薬師如来の小咒をとっさに唱え、瘴気を無効化する。
「ほう、やるな。さすが賀茂の御曹司」
そもそも呪禁師は宮中に医師として仕えた存在。ケガや病気の治癒といった状態異常の回復が専門なのだ。
「だがやつはなんだ? あんなタイプの霊災は見たことも聞いたこともない」
「さしずめタイプ・インディファイナブルとかネームレスだとかじゃないですかね。あの名状しがたい空飛ぶポリプは」
ポリプというのは、クラゲやイソギンチャクのような刺胞動物の体の構造のことだ。
「ふ~む、しかしあの目の数……。ひょっとしてあれが噂の百目鬼ではないか?」
「……俵藤太が退治したといわれる下野の国の百目鬼。ははぁ、なるほど。ムカデつながりですか」
「鬼でもムカデでもいいけど、木気だと私の得意な電撃と同属性だからやりにくいわねぇ、もう」
「ちょ、ちょっとお三方! なに呑気に会話してるの! あんな怪獣みたいな霊災を修祓するつもりなんですか!?」
怯えの色を隠せない純の問いに対し。
「「そうだ」」「そうよ」
三者、異口同音の答えが返る。
「そ、そうって……、本気?」
「木ノ下先輩。ケンカで大事なのは技でも力でもない。胆です。気圧されたらそこで負けなんです。霊災修祓だって同じですよ」
「うむ。どの道この距離じゃまともに逃れられん。やるしかないしな」
「私たち夫婦にまかせなさい。最悪あなたたちだけでも逃がしてあげるから」
その時。突然、あたりの霊相に変化が生じた。
空飛ぶポリプ――百目鬼――の放つ気と同等。いやそれ以上の莫大な気が秋芳たちの立つ場所を中心に湧き上がる。
京子だ。
京子の体から膨大な気が、たとえ見鬼でなくても視認できるほどの霊気があふれ出ている。
否。
京子の体を通して大地の、天の気が集まっているのだ。
天地に満ちる霊気が一点に凝縮される。
道教に伝わる仙術や方術の中に法天象地という天地の気を集めて練り上げ、自分自身の体を巨大化させる術があるが、これはその比ではない。
(バカな! これほどの気。人の身で耐えられるわけが――!?)
「――せない」
「京子?」
「ゆるせない……。かなえちゃん、街のみんなを苦しめ、もてあそんだなんて、ゆるさない。絶対にゆるさない!」
うなだれていた京子がすっくと立ち上がり、百目鬼をにらみつける。
京子の紫がかった瞳の奥に、秋芳は星を視た。
入塾初日の屋上で京子と語った時に『視た』あの光景。
星々の衣をまとい、光輝を放つ京子の姿。
それが今、現実のものになった。
「し、信じられん。あれは仏眼仏母の相。あの少女は……如来眼の持ち主だというのか?」
鷹寛が絶句する。
如来眼。
豎眼や菩薩眼。龍眼とも呼ばれるそれは、仏教においては菩薩の慈悲を体現する力とされ、道教においては龍脈の流れを見極め、変える力があるとされ、その時代の覇者を導くという。
世の中が乱れるとそれを鎮めるために如来眼の持ち主が現れるともいわれ、またその逆に手中に収めんとする時の権力者らに狙われることで、治世を乱す火種になるともいわれる。
本来ならば星読みとは星を読むことはできても、星を動かすことはできないもの。
星々の流れを変えることも、その輝きをあやつることも。
星読みにできることはただ見守ること。そして、その言葉の持つ力を信じて助言し続けることだけなのだが――。
京子に宿る力は、そうではない。
星読みの中の星読み。
人の定めのみならず、龍脈の流れ。星々の流れ。すなわち森羅万象を意のままにあやつることができる――。
今、京子は龍脈の力を手にしている。
ヒューヒューと笛のような鳴き声を発し、百目鬼が退く。
京子に怯えているのだ。
空の穴に逃げ込もうとする百目鬼。だが――。
「逃がさないわ――」
京子が無造作に刀印を結び、切りつけるように腕を振るった。
純粋な霊気の刃が百目鬼の巨体を両断する。
もう一撃。
四つに裂けた百目鬼の体は陽炎のようにかき消える。
なんの呪文詠唱も集中もない、単純に気を放っただけで霊災を祓ってしまった。
「うっ、クッ、あ、ああああアアアア――ッ!?」
光に包まれたまま空高く舞い上がる京子。
「いかん! 龍脈の力に飲み込まれ、暴走している!」
京子は苦しそうに身悶えしながら、西へと飛翔する。
「笑狸!」
「うん!」
笑狸は即座に大鷲へと変化し、秋芳をつかみ京子を追って空を駆ける。
西へ、西へ、そして南へ。目に映る雲は瞬く間に背後に遠ざかる。
かなりのスピードだ。
(龍脈にそって飛んでいる……。この方向は富士山か? あんな気をまとったままで日本最大の霊峰に突っ込んだらなにが起こるかわからん。最悪噴火するぞ!)
京子の飛翔速度にあと一息で追いつけない。
「笑狸、俺を離せ」
「秋芳!?」
「かまわない。短時間なら飛べる術がある」
「う、うん、わかったよ。気をつけてね。無茶しないでね!」
秋芳の身を放す。
「乗虚御空、飛霊八方、廻転舞天。疾く!」
空を飛ぶ乗矯術を発動させ、京子に近づき、横に並ぶ。
黄金の気をたえずに放出し、光の粒子をまき散らしている。
放出しているのは瘴気ではないが、その姿はフェーズ3だった。
動的霊災。だからこそ制御できずに、暴れている、暴走している。
人間の身体を核に霊災が実体化する事例はある。
それらはタイプ・オーガに分類され、俗にいう『鬼』と呼ばれる存在になる。
(だがこれはタイプ・オーガどころかタイプ・ドラゴンだ。このままでは九頭竜や燭陰にでも成りかねん!)
「秋芳君!? 助けて! 力が、力がどんどんあふれてくるの! 霊気が止まらないの! なんとかしてっ! あたしもう壊れちゃう!」
「落ち着け京子。おまえなら龍脈の力を制御できる。呼吸の仕方を忘れるか? 『普通』にしていればいい」
「わからない! どうやって!? 死んじゃう! 霊気が、なくなっちゃう! もうダメ……」
完全にパニック状態におちいっている。
京子の感覚的には全身から大量の血が流れ出しているようなものだろう。
だが京子が命の危険を感じるのも正しのかもしれない。
輸血されているからといっても、それと同じ量の血を流し続けて無事でいられるわけではない。血が なじむには時間が必要だし、今の京子の場合、駆け巡る膨大な量の気に身心が押し潰されないだけでも不思議なのだ。
(心を鎮める術ならいくつかある。だが今の京子にそれらを使っても、このバカでかい気に弾かれてしいまうだろう……。ええい、甲種がダメなら乙種呪術だ!)
秋芳は賭けに出た。
空中で勢いよく京子に抱きつく。
秋芳の身に激痛が走る。制御できずに荒れ狂う気が全身をさいなんでいるのだ。
「京子。俺はおまえが好きだ!」
そう叫び京子の唇に自分の唇を重ねた。
温かく、柔らかい。鼻腔をくすぐる花のような香り。
強く抱きしめたその体もまたマシュマロのように柔らかく、そして華奢だ。
男の子ってなにでできてる? かえるにかたつむり、子犬のしっぽ、そんなものでできている。
女の子ってなにでできてる? お砂糖にスパイス。素敵なものいっぱい。そんなものでできている
マザーグースの一説が秋芳の頭にふと浮かぶ。
なるほど、たしかに京子の体は砂糖やスパイスで作られた甘いお菓子のようだ。
独り占めして食べてしまいたい。
「京子。おれはおまえが好きだ。つき合ってくれ」
キスをした後、告白。
きょとんとした顔でこちらを見つめる京子。
「返事は?」
「……え? ええっ! あ!? は、はい。うん……。あ、あたしも、あなたのことが、秋芳君のことが好き。おつき合い、しましょう」
それで、
京子の気が静まった。
激情をおさめるには別の激情をぶつければいい。
テンパっている時に嫌いな相手にいきなりキスされ、愛の告白をされたら。
あるいは逆にそれが好意を抱いていた相手からだったら。
とりあえず。
とりあえずは落ち着くものだ。
秋芳の賭けはあたった。
そしてまた両者にとって幸いなことに、今回は後者。相思相愛だった。
東京へ向かう電車の中。
あれから京子の状態を診るため鷹寛の家に一泊し、帰路についているところだ。
いろいろなことがあった。
疲れているのだろう。座席に座る笑狸と純は寝入っている。
その向かいの席に座る京子もまた、隣にいる秋芳の肩に頭をあずけて寝息を立てていた。
刻々と傾く陽射しに、京子の整った横顔が赤く染まる。
「……ん、……うん」
ふいに京子がくすぐったそうな甘い声をもらして、顔を上げる。
「……あたし、寝ちゃってたんだ」
「疲れてるだろう。もう少し寝ていればいい」
「いいの、今はあなたとお話したい気分だから」
「そうか」
それからとりとめのない会話をしばらく交わした後――。
「秋芳君。あたし陰陽師になる」
覚悟を込めてそう言葉にした。
「前から呪捜部とか、ちょっと後ろ暗い所だと思ってたけど、それは祓魔局だって同じだった。街が一つ消えたことを隠すような組織を正したいの」
秋芳は京子の考えをすぐに理解した。
「なるほど、中から正すつもりか」
「ええ、そう。そのためには『最高』の陰陽師になる必要があるわ」
隠蔽を指示したのは陰陽庁のトップの判断だろう。そして陰陽庁のトップとは京子の父親、当代最高の陰陽師と称される倉橋源治その人だ。
京子は父のやり方を正すつもりだ。だからこそ父に代わり『最高』の陰陽師になると言うのだ。
組織の長になることで、組織全体を改革する。
「それと、お願いがあるんだけど、あたしに呪術を教えて欲しいの」
これは百目鬼に囚われた異界の中。霊災修祓用の呪術に乏しく、はがゆい思いをしたからだという。
陰陽塾一年生の授業内容はほとんどが座学。それも呪術についての基本的な知識や、歴史についてがメインで、対人呪術戦や霊災修祓といった本格的な『呪術』の習得は二年からだ。
しかし、独学。あるいは塾生同士での教え合いを禁止する決まりはない。
秋芳は京子の頼みを快諾した。
「それと、霊力を制御する方法も。またあんなふうに暴走したら怖いわ」
「そしたらまたキスして止めてあげるよ」
「もうっ、そういう冗談じゃなくて……」
「霊力の制御に関しては気の持ちようだよ。それだけの技術を君はもうすでに持っている。毎朝禊をしているんだろう? あれがじゅうぶん霊力の底上げ。制御する訓練になっているんだよ。千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。同じ修行を欠かさずに続けることが重要なんだ。君は自分の〈力〉を怖がらなくてもいい」
「……うん、わかったわ」
「俺の知っている呪術を教えるかわりに、そっちの知ってる呪術も教えてくれ」
「それはいいけど…、あたしが知ってて秋芳君の知らない呪術なんて、たぶんないわよ」
「ある」
「そうかしら?」
「たとえば、恋愛」
二人は少しの間見つめ合った後、どちらからともなくキスをした。
陰陽庁長官室。
重厚な印象の部屋だ。
床には絨毯が敷かれ、奥の壁にある大きな窓からは秋葉原のビル群が見える。
その窓の前に一人の人物が立っていた。
袍に袴と石帯。束帯姿をしている。陰陽師の正装だ。
厳格な、ただそこに居るだけで周囲の人たちに緊張を強いる雰囲気を持った、そしてまた内に秘めた強大な霊気をも、ひしひしと感じさせる巌のような壮年男性。
倉橋源司。
名門倉橋家の現当主にして陰陽庁の長官。
『天将』の二つ名を持つ十二神将の筆頭。当代最高と謳われる国家一級陰陽師。
陰陽塾塾長、倉橋美代の息子であり、京子の実の父親。
現代の呪術界の頂点に立つ男だ。
「目覚めたか。思ったより早かったな」
「世が乱れれば如来眼の娘が生まれる。私の呼んだ者たちは役に立ったでしょう」
「うむ」
源司は誰かと話しをしている。だが誰と? 声の主の姿はまったく見えない。
「しかし少々やりすぎだ。はぐれ陰陽師の一人や二人や有象無象の霊災ならまだしも、街一つ壊滅させるような怪物まで呼ぶとは」
「あの被害者の方々には便宜をはかるよう、閻魔大王にお願いしておきます」
閻魔大王とはいったいなんの戯言か?
だが声の主の口調に冗談を言っているような響きはなく。また、それを聞いた源司も冗談を聞いたふうには見えない。
「如来眼の他にも、こんな興味深いものを見つけました」
デスクの上にハラリと一枚の紙が落ちる。
それは答案用紙の写しだった。
源治はそれを手に取って目を通す。
「陰陽塾のテストか……、いささか字は汚いが、なかなか優秀な生徒だな」
「最後に書かれた文章に注目。それは貴方の望みをかなえる手助けになるのでは?」
「……新宿の地相を利用した霊力発電か」
新宿は水と縁が深い土地。
江戸時代。人口増加により飲料水が乏しくなったため、幕府は多摩川から水を引くための配水施設を建造し、明治時代には淀橋浄水場が造られた。
現代の新宿中央公園には東京人の生命を司る『場の力』に満ちている。
塔という建造物は風水学上の分類では木行の性質を持っている。
水生木。木は土中の水分を吸い上げて成長するのが理。
大地を流れる水。そこに込められた霊気を吸い上げて成長・発展する風水機関としての塔。
さらに二つの塔をもちいることで強力な霊的音叉効果を生じさせ、吸収した霊気をより増幅させ――。
「たしかに興味深いな。だがいかんせん現実味が乏しい。これを動かすには前提として龍脈の流れを……」
途中で口を閉ざす。
これを動かすには龍脈の流れを読み、あやつる術が必要なのだが。
それがつい先ほど見つかったではないか。
如来眼の娘が。
「なんというタイミングの良さ……、偶然とは思えぬ。まさに天の配剤か」
「使うつもりですか? それに如来眼の娘を」
「……その少女に働いてもらうにしても、それはまだ当分先の話だ。その前にまず陰陽法の改正をする必要がある。だがこの霊力発電の発想は気になるな。一度これを書いた者に会って見たいものだ」
倉橋源司に興味を持たれる人間はそうはいない。
それだけこのアイデアは魅力的だったのだ。
現代の陰陽師は祓魔官の霊災修祓をのぞけば世間から顧みられることのない職業だ。
その祓魔官にしても人員不足は年々深刻化し、現場の労働状況は悪化の一途をたどっている。
もとより狭い業界である呪術界だが、近年ではさらに閉塞し、疲弊しつつある。
だが夜光の作った現代陰陽術は奥深く多様性に富むものなのだ。
幅広い分野での転用が可能だし、霊災の修祓にしても今よりもはるかに効率の良い運用ができるはずなのだ。
陰陽術はこんなところで停滞し、衰退していいものではない。
陰陽師の名門である倉橋家主導による、陰陽道の社会的地位の向上。
それこそが、それこそが『倉橋』に生まれた自分の使命なのだ。
呪術による電力発電。
実に魅力的だ。新しい陰陽道が築く、新世界にふさわしい技術ではないか。
「――なによりもまずは如来眼の娘の身の確保が先決だ」
「その必要はないでしょう」
「どういう意味だ?」
「如来眼の力に目覚めたのは、貴方の娘。倉橋京子さんだからです」
「!?」
「もしその霊力発電のための二つの塔……。ふむ、二匹の龍の如く、高くそびえる二対の塔とは絵になりますね。仮に双龍塔とでも言いましょうか。それの運用に如来眼の娘である京子さんを使うとしたら、彼女には人としての生はあきらめてもらうことになります。他ならない貴方のご息女の人生を」
「……仮に、仮にそうなったとしても、あれも倉橋の人間だ。倉橋の決定には従ってもらう」
「そうですか。……それと、そのテストの回答者。双龍塔の発案者の青年なのですが」
一拍の間。
「かつて神隠しに遭い消息を絶った、貴方の息子です」
唇を離した後、京子が口を開く。
「秋芳君。あたしに惚れた?」
「ああ、惚れた」
「あたしのこと好き?」
「好きだ」
「あたしのこと愛してる?」
「愛してる」
「あたしもよ。もう秋芳君に『大好き』て呪をかけちゃったんだから。この呪は絶対に解けないわよ」
ふたりの恋人は肩を寄せ合い、たがいの重さと体温の心地良さに耽溺した。
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