東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
残照 1
丸太のように太い胴をした巨大なムカデ。
フェーズ3の動的霊災。タイプ・ワームだ。
そのナイフのように大きな牙が秋芳の身にせまる。
(秋芳君!)
思わず声をあげる京子。
軽やかに身をかわすと同時に、金光一閃。
手にした霊符から延びる光刃が大ムカデの胴を半ばほど断ち斬った。
シャァァァッッッ!
痛みと怒りに震える大ムカデの口から黒い噴煙が吐き出される。
(石化の呪!? 逃げて秋芳君!)
どういうわけか京子にはその煙に石化の呪詛が込められているとわかった。
「オン・マユラ・キランデイ・ソワカ」
両掌で孔雀明王印を結び、真言を唱えると、まばゆい光が後光のように射す。
害虫や毒蛇を駆逐する孔雀明王の力が噴煙を退ける。
さらにその聖なる光気は大ムカデの体にもダメージを与え、全身を覆う硬質の殻に無数の裂け目が生 じ、そこから毒々しい色をした体液が漏れる。
ピギャァァァッ!?
たまらず退散する大ムカデ。
「禁足則不能歩、疾く!」
足を禁ずれば、すなわち歩くことあたわず。
どどうっ。
無数の脚をせわしなく動かして逃げようとした大ムカデだが、その足の動きすべてを禁じられて地に転がる。
「ノウモタヤ・ノウモタラマヤ・ノウモソラキャ・タニヤタ・ゴゴゴゴゴゴ・ノウガレイレイ・ダバレイレイ・ゴヤゴヤ・ビジヤヤビジヤヤ・トソトソ・ローロ・ヒイラメヤ・チリメラ・イリミタリ・チリミタリ・イズチリミタリ・ダメ・ソダメ・トソテイ・クラベイヤ・サバラ・ビバラ・イチリ・ビチリリチリ・ビチリ・ノウモソトハボタナン・ソクリキシ・クドキヤウカ・ノウモタラカタン・ゴラダラ・バラシヤトニバ・サンマテイノウ・ナシヤソニシヤソ・ノウマクハタナン・ソワカ」
孔雀明王の陀羅尼だ。
破邪の光が雨のように降りそそぎ、ムカデの形をした動的霊災はたちまち修祓された。
(やっぱり強いわね、秋芳君。あたしが心配することなんてなかったわ)
そこで、目が覚めた。
「…………」
見なれない天井が目に映る。
季節はずれの蝉の鳴き声が聞こえる。
畳の匂いが鼻をくすぐる。
障子を通して光が柔らかく差し込んでくる――。
ゆっくりと身を起こし、寝起きの頭で今がどういう状況なのか整理する。
(ここ、どこ? なんであたしここにいるんだっけ? ええと……)
「あ、目が覚めた? おはよー、京子ちゃん。もうお昼だよ」
どこか猫じゃらしを連想させる柔らかな声質の声がかかる。秋芳の使役式、笑狸だ。
「陰陽医さんのとこには秋芳と純ちゃんだけで行ったよ、予約の時間だったからね。京子ちゃん、気持ちよさそうに眠ってたから……。なんかいい夢でも見た?」
「え?」
言えない。
秋芳君が夢に出てきたなんて恥ずかしくて言えない。
「あ、真っ赤になっちゃって。エッチな夢でも見たとか?」
「そんなの見てない!」
そうだ。
獣の生成りになった木ノ下純の具合を診てもらうため、腕のいい陰陽医のいる奥多摩の田舎まで秋芳、笑狸、京子、純の四人で来たのだ。
「一人じゃ心細いの。京子ちゃんたちも一緒に来てくれない?」
そう純に頼まれた時、秋芳も京子も「ご両親はつき添ってくれないの?」という言葉が喉まで出かかった。
家族との間に、いろいろとあるのだろう。
もし秋芳が今の純の立場で実父が生きていたとして、医者のもとまでつき添ってくれるのだろうか? 賀茂の一族の誰かが一緒に来てくれるのだろうか?
生成りを祓う立場になる者が生成りになることを不名誉に思う陰陽師はたくさんいる。自分のミスでなったのだから、最後まで自分でなんとかしろ。
そんなふうに突き放されたのでは?
京子にしても祖母と母との関係は良好だが、父親とは疎遠だ。
陰陽塾に通う生徒は名門・旧家の者が多く、そういう家は複雑な家庭環境を抱えている場合が多々ある。
秋芳と京子はあえて質問せず、純の頼みを快諾した。
どうせなら小旅行を楽しもう。
気の塞いだ純を元気づけるため、連休を利用して日帰りのところを旅館に一泊することになった。
「きのうの夜のこと覚えてる? 京子ちゃん、ずいぶん飲んでたよ」
そうだ。
旅館の夕餉にアルコールが出たのだが、旅先の解放感からか、かなり飲んだ記憶がある。
「京子ちゃんて脱ぎ上戸だったんだね」
「ええっ!?」
「あははっ、やっぱり覚えてないんだ」
最初は秋芳と笑狸しか飲んでなかったのだが『憂いを晴らすには酒が一番』と、純に酒を勧め、その 飲みっぷりに感化されて京子も飲みだしたのだが、すぐにでき上がってしまった。
「あ~、なんか暑い」
などと言って着ている服を脱ぎはじめ、下着姿になる寸前に純があわてて制止しなかったら、男三人の前で乙女の柔肌を余すところなく披露していただろう。
そう、男三人の前で。
男の娘を自称する木ノ下純や少女の姿に好んで化ける笑狸が同行しているため意識しなかったが、この面子で女子は京子ただ一人なのだ。
「京子ちゃん無防備すぎるよ~、薄い本だったら完全にやっちゃったり、やられちゃうパターンだったね、あれは」
「薄い本てなに!?」
だがたしかに昨夜は羽目を外しすぎた。
自分で言うのもなんなが、倉橋京子は優等生だ。
陰陽道の名門にして、現代呪術界の大家、倉橋家の娘。
陰陽塾での成績も優秀で、講師たちの信望も厚い。
クラスではたいていの場合、中心的なポジションにいる。
今まで築いてきた『倉橋京子』という優等生のイメージがボロボロとくずれていくイメージが浮かんだ。
けれどもこういう『生きかた』も悪くない。
「秋芳、遅くなるようならメール入れるってさ。それまでは街中でも見物して周ったら? お祭りの準備とかしてて面白そうだよ」
「お祭り?」
「うん。ここの仲居さんが言ってたけど、ええと、なんとかってお祭りが……」
「金矢祭りです」
白い襦袢姿の少女が二人の会話に割って入る。旅館の仲居だ。
「お客様たち、きのうはずいぶんお楽しみだったみたいですね。遅くまでずいぶんにぎやかでしたよ」
「あ、ごめんなさい。騒がしかったわよね。ひょっとして他のお客さんから苦情とかありましたか?」
「ぜんぜん! だって宿泊されてるお客様は賀茂様たちだけですから」
「え? お祭りがあるのに? 普通そういう時っていっぱいお客さんが来るんじゃないの?」
「こ~んな辺鄙な田舎町のマイナーなお祭りを目あてに来る人なんていないですよ。あ、でも今日、早朝チェックインのお客様がいたから、あれがそうなのかな?」
ずいぶんとあけっぴろげな仲居さんのようだ。だがイヤミな感じはしない。
これが彼女の素なのだろう。
齢は京子と同じくらいで、まだまだ遊びたい年頃に見える。
「お昼ごはん、どうしますか? 簡単なのでいいなら用意できますよ?」
「……そうね、お願いするわ」
「この漬け物美味しい! 白いご飯によく合う」
「お魚も美味しいわ。これ、鮎よね? 川魚ってあんまり食べたことないけど、こんなに美味しかったのね」
「近くの川で獲れたの。旬はすぎちゃったけど、じゅうぶんいけるでしょ?」
「うん、いけるいける」
「金矢祭りでしたっけ。どういう謂れがあるお祭りなんですか?」
京子と笑狸は仲居――ここの旅館の娘で家業の手伝いをしている。浅田かなえという名だ――の用意してくれた昼食を堪能した後、お茶を飲み、ひと息入れながら会話に興じる三人。
かなえは同年代の話し相手があまりいないそうで、嬉々として話に応じてくれた。
「えっとね、昔、俵藤太って人がこのあたりを荒らしまわる大ムカデを退治したって話なんだけど」
「ムカデ!?」
「うん、ムカデ。倉橋さんムカデきらい? て、あんなキモい生き物、普通はきらいだよね。好きな人なんているわけないか」
「ムカデ、わりと美味しいよ」
「え~、笑狸さんてゲテモノ好きなの!? 以外! そんなかわいい顔してるのに……」
「…………」
夢の中で秋芳が戦っていたのもムカデだ。
あれはひょっとしてなにかのお告げなのでは? 京子の心に一抹の不安がよぎる。
「でね、その大ムカデってのが山に何重も巻きつくほど大きい、怪獣みたいなやつだったらしくて、そいつが田畑を荒らすわ人を食べるわの大暴れ。みんな大迷惑してたんだけど、そこに俵藤太て強いお侍さんが通りかかって、そいつをやっつけてめでたしめでたし。その時のお話がもとになってるの」
「俵藤太って、藤原秀郷のことだよね? 平将門を討ちとった」
俵藤太。
またの名を藤原秀郷。
関東で乱を起こした平将門を討った武将として有名だが、それ以降は資料にほとんど名前が見られなくなり、亡くなった年さえも不明という、いささか謎の多い人物だ。
伝承の中では近江の国の大ムカデ退治。下野の国の悪鬼・百目鬼退治で名が知られる。
「そう。その藤原秀郷さん」
「でも、金矢祭りの『金矢』ってのはどういう意味なの?」
「そのムカデ、すっごい硬かったらしくて、刀も矢も弾いちゃったんだけど、最後に残った一本の矢に唾をぺっ、てつけて射ったら、なぜかそれが効いて倒せたんだって。不思議よね~」
「そういえば唾には魔除けの効果があるって言うわね」
唾に魔除けの効果があるという話は世界中にある。
また沖縄には落し物を探すさい、唾を手の平にのせて呪文を唱えると失せ物が見つかる。などという『まじない』があるという。
これらは乙種呪術といえよう。
「その最後の矢を祀ってる神社がこの街にあって、その名も金矢神社。だから金矢祭り。なんかもう、そのまんまよね」
浅田かなえはケラケラ笑いながら話を続ける。
「あたしはその大ムカデって、今でいう霊災なんじゃないかなと思うのよ。倉橋さんたち東京から来たんでしょ。やっぱ東京って多いの、霊災? あと陰陽師に会ったことある?」
「それは…」
京子が言いよどむ。
自分たちは陰陽塾に通う見習いの陰陽師であり、プロの陰陽師の教えを毎日受けている。
そのことを正直に言っていいものか?
世間での陰陽師の評判はすこぶる悪い。
霊災の修祓などでその活躍を一時的に感謝される瞬間はあるが、それ以上に発生した損害の責任を問われる、批判の声のほうがはるかに多い。
たしかに東京に霊災が多発する原因を作ったのは陰陽師・土御門夜光が執り行った儀式の失敗によるものなので、それはしかたがないのだが、時にはそれとは関係ない、理不尽な差別や非難を受けることもある。
笑狸が京子の表情をうかがう。どうする? 言うの? そんな心の声が聞こえるような気がした。
「浅田さん。あたしたち、陰陽塾の生徒なんです」
隠す必要はない。
意を決し、京子は正直にそう答える
その返事にかなえが目を丸くする。
「凄い! あたし陰陽師の、木暮禅次朗さんのファンなの!」
「え!?」
この反応は京子の予想外だった。
「木暮さんてかっこいいわよね。この前の霊災修祓の時とか、直径が二メートルくらいありそうな木の霊災をズバッと斬り倒して、ほんとマンガみたいだった! ええと、なんだっけ『五行の理を以って、鋭なる金気、沌せし木気を滅さん。金剋木、魔瘴退散』だったわよね、たしか」
呪文詠唱まで正確にそらんじてみせるかなえ。
「いいなぁ、陰陽師。あたしも陰陽師になりたい……」
「え、ええっと……」
京子は困惑した。
てっきりネガティブな応えが返ってくると思ったからだ。
「ねぇ、陰陽塾って、どうしたら入れるの?」
「それは、まず見鬼ができないとダメね」
見鬼。
霊気を感じ取る、いわゆる霊感というものだが、陰陽師になるにはこの才の有無が第一条件だ。
この能力の強さは個々の才能に大きく左右され、高位の見鬼は一般のそれらには見通せない術理や法理。天地に満ちる気の流れそのものまで見極めることができるという。
「あー、あたし、そういうのない……。ね、見鬼だっけ? それってどうしたらできるようになるの? なにか特別な練習とかあるわけ?」
「う~ん、生まれつきのものだから、訓練や練習で見につけられるものじゃないの」
そして見鬼とは天与の才能であり、後天的な訓練で能力をのばすことはできても、元からの素質がないものにはあつかえない。
なんらかの呪術により見鬼が付与されることはできるが、才のない者が自前で修得するのは不可能。
というのがこんにちの呪術界の定説になっている。
「そっか、残念……」
気まずい沈黙。
「あ、倉橋さんたち。もしヒマなら街の中を案内するわよ。なにもないところだけど、鮎の獲れた綺麗な川はけっこう自慢だったりするの」
「いいんですか? 旅館のお仕事は…」
「いいの、いいの! もうずっと閑古鳥が鳴いてて、やることなんてないんだもん。ちゃんとお母さ…。女将さんの許可もらっとくから気にしないで」
「あ、いいね~、川。ちょっと暑いし涼みに行こうよ」
「それじゃあ、お願いします、浅田さん」
「かなえでいいわよ。…こっちも、京子ちゃんでいい?」
「ええ、よろしくね。かなえちゃん」
夕方からの祭りの準備に騒がしい街中を抜けて、街のはずれを流れる川にたどり着く。
清らかな流れが涼しい風を運んでくる。
「ひゃ~、綺麗だねぇ。ボク、ちょっと入ってくる」
「ちょ、笑狸ちゃん!?」
言うが早いか服を着たままジャバジャバと清流に分け入る笑狸。化け狸だけあって、このへんは実にエネルギッシュだ。
「もう、笑狸ちゃんたら、着替えどうするのよ……。でも、ほんとうに綺麗な川ね」
「でしょ? この川くらいなものよ、この街のいいとこなんて」
そう言って小石を拾い水面に投げるかなえ。
「金矢祭りだってあるじゃない。なんか思っていたよりずっと本格的みたい。みんなすっごい楽しそうに準備してたわよね」
「…こういう田舎って、地域の共同体みたいな意識が強いの。行事を手伝うのは当然の義務だって、なんかうっとうしいのよね、そういうのって」
「そうかしら? みんな率先して手伝って、ああいうのって貴重だと思うわ」
京子もかなえにならい小石を拾い水面に投げつける。
しばらく二人で石を投げ続ける。
「素敵よね…。時間がゆっくり流れてる、て感じ」
「……よくTVとかで都会のマンションは隣に誰が住んでるかわからない。病める現代社会の典型。みたいな感じでやってるでしょ? でも、それはそれでいいと思うのよね。ここみたいなのって最悪。ほんとにうっとうしいもの、せまいせまい共同体。監視し合って干渉し合って、相手の生活にずかずかと踏み込んでくる。デリカシーなんてなくて、だから若い人はみんなここを出て行っちゃう……」
「かなえちゃん……」
「陰陽塾って渋谷にあるのよね。京子ちゃんは渋谷、好き?」
渋谷。
道玄坂、宮益坂、公園通り……。
とにかく坂が多い。
坂の下がりついた場所に渋谷駅が存在しているのだが、そこに、谷間の真ん中に引き寄せられるように大衆が集まる。
まるで蟻地獄にはまった人間たちが、その底辺で蠢いてるような印象がある。
上流から下流に流れていく水のように、渋谷には様々な気が流れ込んで来るのだろう。
陽と陰。
二つの気が。
そんな場所にあるのが陰陽塾なのだ。
「ゴチャゴチャしてて空気はよどんでて、朝は生ごみの臭いがして、道端でケンカしてる人もいっぱいいる……。ここみたいに綺麗な川もない。でも好き」
「どうして?」
「いやなところもあるけど、いいところもあるわ。それに――」
「それに?」
「陰陽塾があるから、そこがあたしの場所だから」
「そっか……」
小石を水面に投げる。
「いいよね、そういう場所がある人は」
小石を投げる。
「……あたし、ここがきらいなわけじゃない。このなんにもない街の一部みたいな自分がきらい。毎日あたりまえのように過ごしている自分がきらい。ここにいたら、あたしずっとこのまま、きらいなあたしのままでしかない」
「かなえちゃん、だれでも今の自分が百パーセント『いい』だなんて思ってないわ。だれでも自分のいやな部分を知っている。でも、そういうのもふくめて自分だと思うの」
「それは、ほんとうに『いやな』ところのない人の、才能のある人の科白だよ」
小石を投げる
「見鬼かぁ…。あたしもそういう才能が欲しかったなぁ」
投げる。
「石、それじゃ跳ばないよ」
「え?」
いつの間に川から上がったのか、全身から水をしたたらせている笑狸の姿があった。
「水切りの石。もっと平らな石じゃなきゃ水は切れないよ」
そう言って手近な石を拾い、水面に投げつけた。
一つ、二つ、三つ、四つ……。
石は水面にいくつもの輪を作って遠くまで跳んだ。
「石を変えれば結果が変わることもある。でも、投げるのは自分でしょ。世界の中心は自分。逆じゃない。世界の裏側や果てに行っても、京子ちゃんは陰陽師を目指してると思う。それが京子ちゃんの真ん中の部分、つまり自分だから。『才能』なんていう環境に左右されるような情けない真ん中じゃ、次の場所で悩んだ時に、また同じように見失うよ」
「笑狸ちゃん…」
いつも軽薄な笑狸がそのようなことを口にするのは正直意外だった。
「かなえちゃんが欲しいのって才能ならなんでもいいの? それとも見鬼が欲しいの? もし見鬼の才が欲しいなら秋芳に見てもらうといいよ。いい訓練を教えてくれるかも」
「え、でもそれって後から身につけることができないじゃ…」
「秋芳がよく『努力に勝る天才なし』て言ってるよ。どんな天賦の才能を持っていても、努力し続ける人にはどんな天才も勝つことはできないってさ。血筋や出自を重視する、今の呪術界のやり方に疑問や不満があるみたい。だから見鬼の習得や霊力の底上げに関する 独自の鍛練法を考案してるみたいだから、ひょっとしたら教えてくれるかも。…あ、でも下手したら気脈が断たれて廃人になったり、最悪死んじゃうから、そのつもりでね」
「え、遠慮しとくわ。あたし、まだそこまでの覚悟はないから」
「まだ、ね…。でも本気で陰陽師になるつもりなら、東京まで訪ねてきてよ」
「あ、べつに陰陽師を目指すとかじゃなくて、今度渋谷に出て来るときは連絡して。一緒にいろんなところを案内するわ。あたし、この街にもまた来るから」
「うん、わかった…。二人とも、ありがとう」
遠くから喧騒が聞こえてくる。
「あれ? お祭り始まったの?」
「そんなことないわ。だってお祭りは夕方からだもの」
人の怒声、泣き声、悲鳴――。
祭りの賑わいとはあきらかに異なる剣呑な響き。
黒い噴煙まで上がっている。
(噴煙! まさか……)
「京子ちゃん!?」
駆けだす京子。
「かなえちゃんはここにいて! 笑狸ちゃん、かなえちゃんを頼んだわよ」
返事も待たずに騒動のもっとも激しい場所を目指して進む。
街中は、巨大なムカデの群れにあふれていた。
大きいもので電信柱ほど、小さいものでも大人の腕くらいの太さをしたムカデたちが人々を襲っている。
一匹や二匹ではない。
十匹、二十匹、三十匹……。
数えきれないほどの大ムカデたちが跳梁している。
角のような触覚をいやらしく蠢かせ、人々を追いつめ、捕え、食べている。
首から上をねじ切られ、血しぶきの上がる死体の横で頭をかじるムカデの姿がある。
切断された胴から灰色をした腸をぶちまけ、のたうつ老人に無数のムカデが群がるのが見えた。
半被を着た肉の塊。あれはついさっき通りがかる時に言葉を交わした少年――。
大ムカデの放つ異臭と人々の流した血の臭いが鼻をつく。
人が、目の前で死んでいる。
食い殺されている。
「うぐぅっ」
うずくまり胃の中の物を吐きだす。
(なんなの!? いったいなにが起きてるのっ?)
助けなければ。
戦わなければ。
自分は陰陽塾の生徒だ。無力な人々を霊災から守らなくては――。
しかし――。
「いやっ、もういや! だれか助けて!」
涙が止まらない。
腰から下に力が入らず、へたりこむ。
自分を支える力が砕け散った。勇気など湧いてこない。完全に戦意を喪失した。
自分では敵わない。
自分ではどうしようもない。
自分はもう、負けてしまったのだ。
「助けて、秋芳君……」
一匹の大ムカデが鎌首をもたげ、京子に迫る。
自分に迫る牙をただ見つめ返すだけの京子。
「秋芳君……、お願い、助けて」
(自分は『負けてしまったのだ』だの、自分には『できない』だのと思い込み、決めつけることは、自分で自分に可能性を閉ざす呪をかけているに他ならない。目を覚ませ! 倉橋京子!)
!!っ
声が聞こえた。
賀茂秋芳の声が、聞こえたような気がした。
(呪術者同士の戦いや霊災の修祓に『絶対』だの『百パーセント』だのなんてないんだよ。相手の使う術。瘴気の種類や強さなんてわからないのが普通。まして動的霊災ともなれば見た目も能力も千差万別、千変万化だ)
(ほんの一瞬のおびえやひるみ、弱気が一発逆転、起死回生の致命傷になる。一見した霊力や瘴気の総量が多い少ないなんて気休めにもならない)
(生きるか死ぬか、勝ち負けなんてサドンデスがあたりまえ。それが呪術戦だ)
(だが、それでも『絶対』に勝つ気で挑む! 霊力や手数の多寡で勝敗が決まるのではなく『勝つ』という気概をより強く持った方が勝つんだ)
(俺の好きな映画の一つにアーノルド・シュワルツェネッガー主演の『コナン・ザ・グレート』てのがあるんだが、それにグッとくる科白があってだな『俺たちは二人だけで邪教の者と戦う。命を捨てて立ち向かう。この俺の勇気をほめてくれるならば、力を貸してくれ。もし守ってくれなければ二度と拝まんぞ!』てんだ。逆境にあってなお卑屈にならず堂々としているその姿、実にかっこいい!)
放課後の教室や休み時間に、授業中に穏形しつつ、こっそり語った秋芳の言葉の数々が聞こえてくる。
京子の身から消えかけていた意志が、人々を守りたいと思う気持ちがよみがえる。
(わかった。わかったわ、秋芳君。あたしはあなたに『助けて』なんて言わない。そのかわり『あたしは戦う、だから助けて』お願い!)
背筋を伸ばし、迫りくる大ムカデに対し刀印を切る。
「オン・マユラ・キランデイ・ソワカ!」
暗転。
丸太のように太い胴をした巨大なムカデ。
フェーズ3の動的霊災。タイプ・ワームだ。
そのナイフのように大きな牙が秋芳の身にせまる。
(え? 秋芳君?)
一瞬、秋芳が助けに来てくれたのだと思った。
だが、ちがう。
ここは先ほどまで京子がいた街中ではない。
どこか廃墟めいた荒れ地。
(これって、今朝の夢?)
秋芳は大ムカデの攻撃を軽やかにかわすと同時に手をひるがえす。
金光一閃。
手にした霊符から延びる光刃が大ムカデの胴を半ばほど断ち斬った。
シャァァァッッッ!
痛みと怒りに震える大ムカデの口から黒い噴煙が吐き出される。
(同じだわ……。いったいどうなってるの? これは、なに?)
「オン・マユラ・キランデイ・ソワカ」
秋芳が両掌で孔雀明王印を結び、真言を唱えると、まばゆい光が後光のように射す。
害虫や毒蛇を駆逐する孔雀明王の力が噴煙を退ける。
さらにその聖なる光気は大ムカデの体にもダメージを与え、全身を覆う硬質の殻に無数の裂け目が生じ、そこから毒々しい色をした体液が漏れる。
ピギャァァァッ!?
たまらず退散する大ムカデ。
「禁足則不能歩、疾く!」
足を禁ずれば、すなわち歩くことあたわず。
どどうっ。
無数の脚をせわしなく動かして逃げようとした大ムカデだが、その足の動きすべてを禁じられて地に転がる。
「ノウモタヤ・ノウモタラマヤ・ノウモソラキャ・タニヤタ・ゴゴゴゴゴゴ・ノウガレイレイ・ダバレイレイ・ゴヤゴヤ・ビジヤヤビジヤヤ・トソトソ・ローロ・ヒイラメヤ・チリメラ・イリミタリ・チリミタリ・イズチリミタリ・ダメ・ソダメ・トソテイ・クラベイヤ・サバラ・ビバラ・イチリ・ビチリリチリ・ビチリ・ノウモソトハボタナン・ソクリキシ・クドキヤウカ・ノウモタラカタン・ゴラダラ・バラシヤトニバ・サンマテイノウ・ナシヤソニシヤソ・ノウマクハタナン・ソワカ」
孔雀明王の陀羅尼だ。
破邪の光が雨のように降りそそぎ、ムカデの形をした動的霊災はたちまち修祓された。
(街は、かなえちゃんはどうなったのよ!?)
そこで、目が覚めた。
「…………」
見なれない天井が目に映る。
季節はずれの蝉の鳴き声が聞こえる。
畳の匂いが鼻をくすぐる。
障子を通して光が柔らかく差し込んでくる――。
「あ、目が覚めた? おはよー、京子ちゃん。もうお昼だよ」
ページ上へ戻る