ドリトル先生と春の花達
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第一幕その八
「桜の木が植えられているんだ」
「一体どれだけ植えられているのかな」
「この学園ただでさえ木が多いけれど」
「桜が特に多いけれど」
「一体どれだけあるかな」
「桜の木がね」
「ううん、千本はありね」
桜の木がというのです。
「多分にしても」
「千本もあるんだ」
「そんなになんだ」
「大学だけでね」
先生が勤務しているそこだけにしてもというのです。
「高等部や中等部、それに動物園とかを入れると」
「もっとなんだね」
「桜あるんだね」
「そうなんだね」
「うん、特に植物園はね」
そちらはといいますと。
「大学以上にあるだろうね」
「千本桜以上なんだ」
「そこまであるんだ」
「千本もかなりだけれど」
「もっとなんだ」
「そうだと思うよ」
それこそというのです。
「あそこもね」
「植物園に桜のコーナー置いてね」
「あそこで和歌会とかしてね」
「春になるとね」
「そんなこともするよね」
「あれもいいね、だからね」
先生は目を細めています、そのうえでの言葉でいsた。
「あの和歌会も楽しみだよ」
「そうだよね」
「先生も参加してるよね」
「和歌会に」
「そちらもだね」
「うん、去年からね」
実際にそうしているのです、先生も。
「楽しまさせてもらってるよ」
「そうだよね、けれど」
「先生和歌の経験は?」
「あまりないんじゃ」
「そうだったんじゃないの?」
「イギリス人だしね」
「和歌には疎いんじゃ」
「そこはチャレンジだよ」
笑顔で答えた先生でした。
「何でもやってみることだよ」
「和歌もそうなんだ」
「まずやってみる」
「チャレンジだね」
「それが大事なんだ」
「失敗してもいいんだ」
例えそうなってしまってもというのです。
「まずはね」
「やってみることなんだ」
「失敗してもいい」
「それでやってみる」
「そうしてみるべきなんだ」
「何でもやってみないとはじまらないからね」
それこそというのです。
「だから和歌も謡ってみたんだ」
「イギリス人でもだね」
「謡ってみて」
「それで去年も参加して」
「今年も?」
「そのつもりだよ」
是非にという返事でした。
「僕もね」
「じゃあもう少ししたらだね」
「先生は和歌会に参加するんだ」
「そして桜を観ながらなんだ」
「和歌を詠むんだ」
「そうだよ、しかし日本人は贅沢だよ」
こんなことも言った先生でした。
「とてもね」
「あれっ、日本人って贅沢なんだ」
「和歌を詠むだけでも?」
「そうなるの?」
「だって満開の桜を観ながら和歌を作るんだよ」
それがというのです。
「筆を使って紙の札に書くんだよ」
「ううん、その風流w満喫する」
「それが贅沢なんだね」
「言われてみればそうだね」
「日本人って贅沢かもね」
「そうした楽しみを満喫するなんてね」
「平安神宮なんか行ったら」
京都のそこにです。
「もうそれこそだよ」
「四季のお花に和歌を満喫していて」
「それ以上の贅沢はない」
「そうした場所なんだ」
「これだけそうした意味で贅沢な国はないかもね」
それこそというのです。
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