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TOHO FANTASY Ⅰ

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少女

「今私たちは何処へ向かうべきなのよ!?」

霊夢はバイクを高速で運転しながら後方の仲間に聞いた。メーターは既に120を示しており、彼女の疾走を多くの街の人々が目撃する。トンネルを抜け、その高速たるや汗血馬の如し勢いで、二人を乗せたバイクは疾走する。手慣れない霊夢がその視線の先に捉えるは、全く不明な未来である。そんな彼女達を執拗に追いかけるのはマスコミであり、世間体に情報を届けるためにヘリコプターを巧みに操ってバイクを追いかける。数多くのヘリコプターがバイクの動きに付随するように滑らかな推移を見せており、その世界を動かさんとする英雄を追いかけるは主神ヴォーダンに仕えるヴァルキューレに相違ないだろう。零落の閃光、〈創造〉で繕われる棕櫚縄の流れ。それらは虚空で謳われ、凛々しく、また瑞々しさを誇っている。

「今現在、B区域に突入しました!」

とある一台のヘリコプター、最も霊夢たちに至近して撮影を試みる命知らずなそれの中から身を半分出した女性リポーターは説明していた。B区に突入すると、周りのビル街が商業施設に変わり、店員や客が猛スピードで疾走する彼女を話しのネタにしていた。轟音を伴わせて駆け抜けるバイクは、人の波を突っ込む大槍である。歯を食いしばり、どうなろうとも受け入れる覚悟の出来た決心顔で、死への勝利を目論む哲学者の紅潮は、ウーファ映画の一つを作れるに違いないだろう。彼女は格好の餌食であった──願望と戦意の孤独において。

「…B区を超えた先に街を離れて、とある農村に行きます!ひとまずはそこへ向かいましょう!──そこの人たちはいつも奴隷反対デモをやっていたので、きっと助けてくれるはずです!」

後ろの仲間はそう彼女にアドバイスをする。風の音が邪魔して声が余り届かなかったが、古代の文字の解読者のように一部一部を繋げて全体の意味を見出した彼女は咄嗟に理解した。そんな彼女はすぐさま了解の旨を開口し、仲間の指示を仰いで騎を操縦した。

そのまま疾走しては信号も無視し、車との接触を避けながら進んでいく。しかし次の交差点はパトカーで塞がれていた。パトカーが彼女の運転するバイクの進路を拒んでいるのだ。数台を縦に並べ、道路そのものを塞ぐ砦を作り上げていた以上、万事休すであった。中に乗っている警察官たちは、やって来た彼女達を先回りして待ち構えており、何時でも対応可能な状態であったのだ。霊夢は刹那的に把握した。そして歯軋りして状況を呪ったのである。今の彼女は正しくソドムとゴモラを殲滅する力さえ体現出来ていたのかもしれない。

「…ぶ、ブレーキをかけてくださいっ!」

仲間はそう焦って霊夢に伝えるが、霊夢はそのまま斜め右に直進し、商業施設の立体駐車場に突入する。一般の利用者に紛れて逃走を図る判断に、流石の警察たちもこの行動は予測していなかった。すぐさま何人かの白バイが彼女を追いかける。徹底して抵抗する意志が、運転中の霊夢の引きつった頬や疲弊に果てた目が表していた。──うち震える内奥、ただ無惨な姿を呈す恐怖のスペクトル。闘争に於いてその名残を遺す壊血病気味の右腕。それでも彼女は抵抗したのだ。──彼女は〈革命〉の人である。

「い、今!商業施設の駐車場に入っていきました!」

入口付近に設置された、天井に張り付く形態の監視カメラは駐車場に入ったバイクの姿を、他の車による死角で捉えることが出来なかった。霊夢は料金所のバーをそのまま突っ込んで壊し、上へ、上へと上がっていく。滑らかな坂を幾度も駆け抜けて、徐々に登っていく様は外にいるマスコミにとって誂向きの的となった。縁どられる被写体は、ヨハネス・フェルメールのような輝かしさを併せていながらレナ・ハデスの如し力への意志を人格化している。大凡、その聖なる讒言はこう語るだろう──私は百の魂、百の揺籃と陣痛を経験した。私は既に幾度もの訣別をした。私は胸も裂けるような最後の別離の瞬間を知っている、と。

「ど、どうするつもりですか!?」

仲間は訳の分からない行動をとる霊夢に対して聞くが、彼女には作戦とは言い難い『作戦』が存在した。 霄壤がひっくり返っても有り得ないような、飽くまで解放への〈過程〉の一存として、それを避けられぬように見えた霊夢の決断である。其処に尋常を求めることは誤ちであった。臠せ、その反現実の神々よ……今に彼女は〈彼ら〉を知る。

「──しっかりと掴まっておきなさい!」

「…え!?」

「だから言ったじゃない!行くわよ!」

仲間にそう忠告した彼女は立体駐車場の屋上、五階に到着する。後ろから追いかけてくる警察をよそにバイクは…屋上から舞う。縁を飛び越え、大空へ飛び渡るメニッポスの伝説。鋼鉄の蝋を翼としたイカロスの神秘。…彼女は第二のメニッポスであり、イカロスの後継者であった。何をも恐れず、人類の空に対する渇望をたった今、握り締めたのだ。最早彼女は新世界に達しようとしている。タイヤの空回りの音が空中で響き渡り、強大な力が彼女達を睥睨した。

ふとした反物理学的な抗力が働いた。それは霊夢の持っていた本来の飛行能力の欠片とも言うべき奇跡である。何故、この時にこれが作用したのかは本人とて知り得ないだろう。制御という幻想である。ウスペンスキーの言葉は今、それが真となったのだ。解けた一瞬の全身全霊は、〈未来〉と称されたエーテルに吸収される。飛んだ影響でそのままパトカーの壁を乗り越え、振動が大きながらも着地した。バイクは何度かバウンドしたが、何も壊れることを知らない。そのまま道路を走って行くは、神話の真理であったのだ。

駐車場まで追いかけてきた警察たちは霊夢たちの咄嗟の行動に手も足も出なかった。そのまま屋上から飛ぶが不時着し、下にいたパトカーと衝突、炎が舞い上がった。その様相は音から分かるものだ。後ろに座る仲間は悲惨な光景に諸手で顔を隠した。二人の乗る騎は何事も知らぬ無機質さ加減を伴わせ、噞喁の如し過呼吸は緊張の沙汰を思い知らせるものだ。

「…パタゴニア機は不滅よ」

霊夢はそう仲間に言うと、落ちたスピードを上げるためにスロットルを握る。この先です、と言う仲間の指示通りに彼女たちは警察を潜り抜けた。

◆◆◆

「只今、郊外の農村地帯へ突入しました!」

病院内のテレビは農村部へと逃走する霊夢たちをしっかりと映していた。パチュリーとにとり、そして社長は霊夢との戦いで怪我をし、入院した神子のお見舞いに来ていた。見舞い客の三人は、神子の気分転換にと高級品の和菓子を差し入れた。名も著名で、かの神子とて何時かは頬張りたいと思ったものである。戦闘で胸や腕辺りを強打、骨折した彼女の様子は今に処刑された聖デュオニュシウスの模倣となった。しかし聖デュオニュシウスは甦る。その死体を拾い上げ、大地を踏みしめて歩くのだ。…神子とて同じであった。何かしらの幻想が、大きな靄となって暗雲と化し、立ち篭める世界で歩む巨人である。渡された和菓子は巨人の踏み絵に他ならず、動かす手は眩暈の中に生まれる漠然とした災難に差し伸べる『神の見えざる手』だ。

「──み、皆さん…来て下さったんですね……」

「…あなたが手古摺るのは仕方ないわ、相手は博麗の巫女よ。幻想郷でトップの力を誇っていると言われるぐらいだもの、伊達じゃないわ。しかし、バイクの運転に手慣れていたのは肩透かしを食らわされたわ」

「…まあ安心しなよ、直に治るだろうさ。ここの技術も大幅に進化したものでな。だからそれまでは安心してゆっくりしていきな。…後は私たちがアイツを何とかする」

にとりは神子に頼りがいのある言葉を投げると、神子はその言葉に甘える。今に死にそうな彼女は、その闇をうっすらと月光のように照らした。頭部に巻かれた幾重の包帯から染み出る鮮烈な赤褐色が生々しい。

「あ、ありがとうございます…」

「…それにしても―――神子、お前も哀れなものだぜ」

社長は神子の傷ついた体を見ながら、残念そうに呟いた。置かれていた椅子に腰掛け、顔を前に出す形で話しかける。憐れみの情が満遍なく放出されており、暗鬱へ差し込む恩寵の光耀であった──。

「…これでPDM担当課は暫く1人減ってしまったようなものだぜ。だからパチュリー、1人で頼む」

「分かりました、社長」

パチュリーは社長に頭を下げた。その先には、困惑した表情を苛立ちに置換して貧乏揺すりをする姿が目立つ。表では平静を繕っていたつもりであろうが、無意識的に表へ出ているのだ。
恐らく社長の意味深長な思慮は深淵のように奥深く存在していたであろうが、決してそれらが明るみに出ることは無い。崖の下に〈記憶〉を落とすのだ──先に眠るコキュートスの檻は、専ら誰にも見られない。

「流石、立派なPYTの社員だ──そう言えばにとり、研究は進んでいるのか?」

「今現在、GENESIS細胞を1人の奴隷に移植させ、密室にて実験を継続しています。現状は何も様子が見られておりませんが、恐らくは期待通りの物になるかと思われます」

「…そうか、分かったぜ。後は神子がいない間、空いた隙までしっかりとGENESISの管理を頼む」

「その件についてはご安心下さい」

にとりは社長に頭を下げながら了承した。着ているスーツ服に多少の波が目立ち、皺が生まれる。その蒸れから少しの汗が出たが、気に留めることは無かった。

「…結構自信満々なんだな」

「はい。今現在、四台のGENESISの前にはPYT兵を派遣しています。警備には万全です」

「PYT兵?またお前の新作か?」

「ええ。PYT兵は幻想郷から連れてきた奴隷を選出したものです。それぞれにPDMの力を返還させた上でPDMに彼女たちの記憶を消す「erasure.exe」を入れたことで役目を果たす兵士になりました。便利な機械兵士だとでも思ってくれれば」

「……そうか、なら安心だぜ」

社長は満足そうな表情を浮かべた。椅子に腰掛けながら煙草を一本取りだし、ライターで火をつける。病室でタバコを吸う無神経さも甚だしいが、恐らくはそここそが〈名誉としての〉社長の在り方だったのだろう。スゥ、と薄灰色に濁った立ち煙が上へ舞い上がる。天井の空気清浄機に呆気なく吸い込まれ、それらは無惨な最期を遂げた。…すると体を横になっていた神子が口を開いた。

「私がいなくて申し訳ないのですが…社長。首相と会談して、PDMの生産費を補う補助金を貰って欲しいのです。今の経営状態と基底資金とでは、とても…」

「任せるんだぜ。首相は董子だ、互いに握手をするのは目に見えている」

「…お願いします」

神子はそう別れを告げると、3人もそのまま別れを告げて病室を出て行った。外からの薄日が木目地のブラインドの隙間から漏れ、光が差し込んで来ている。若干落ち着きを取り戻した神子は、担当の医師に許可を貰っていないのにも関わらず、見舞い品の和菓子を一齧りし、その愁眉を開くことなく窓辺を見つめていた。

◆◆◆

森の中を搔い潜り、バイクで疾走する霊夢たちは田舎の田園風景の中を通ってはデモで有名な農村に到着する。仲間が彼女に止めるよう告げると、霊夢はブレーキをかけて停車した。音立てて止まるバイクは砂利道にて停車し、二人は降り立つと農村特有の新鮮な空気が鼻から伝わってきた。綺麗に澄んだ、何にも妨げられることのない純白な臭いである。霊夢はそれを幻想郷の空気に見立て、大きく深呼吸した。
追いかけてきたヘリコプターは既に二人を見失っており、それらの物騒なプロペラ音は聞こえなかった。

ぽちぽちと建っている一軒家。流石に合掌造りというわけではないが、家と合わせて畑や水田、ビニールハウスが点在していた。霊夢はそれらを見て、幻想郷とはまた別の郷愁を覚えたのである。ふと反射的に震える身体は、慣れぬ近代への反動か。

「…ここが噂の」

霊夢が呟くと、近くのビニールハウスの中で作業をしていた一人の老婆がそんな二人に気づき、記憶と照らし合わせた。そして、中継で映っていた巫女と姿が一致した。脳裏に映える姿形は、かの巫女であった。老婆は身をわなわなと震わせ、感嘆声を上げたのである。その様子や、石膏で作られた仮面の城を崩壊させた如し驚きであった。

「き、来たのかい遂に!」

老婆はすぐにそんな2人を歓迎した。熱く抱擁し、疲弊や疲労を親友とする二人を抱きしめた。ふと仲間は心の奥底から湧き出る新鮮な親近感の情に拠ったものなのか、目頭が少し熱くなった。驟雨を呈する壮観は、湧湯のように流れゆく。行く先々で拒絶された旅人の、「受け入れられた」という事実への審美的な感情であった。別称して安堵とも言うそれを、仲間は体現していた。

「あなたたちが…最近テレビに映ってる人かい?」

老婆はそう彼女たちに問うと、霊夢は頷いた。もはや言葉さえ出る力も残っている自信が無かった。極度の困憊が彼女に押し寄せ、図体を支える両脚も諤々と震えを見せていた。

「…そうかいそうかい、なら全員を集めなきゃのう!爺さんや、爺さんや!」

この老婆はすぐ家へ戻っていったが、この手のステレオタイプ的な〈田舎の幻想〉は痛く霊夢を感動させた。やっと実家に帰れたのだ、という無根拠的な安心感が全体を占める。疲弊への無意識的な反動形成と安堵の弁証法的展開が、今の彼女に与える心持ちの正体である。それを暴くに容易いのは相違ないだろう。

「──この世界にも…奴隷反対派の人間は存在するのね…」

「都会部の人間は賛成派が大多数ですが、急な発展に少し抵抗を持った農村部の方々は私たちを助けようとしてくれるんです。急激な時代変遷が全体に受け入れられるとは限らないんですよ」

仲間はそう言うと、さっきの老婆が手招きしていた。老婆は嬉々として玄関先から微笑んでおり、二人はその光景に多少なりとも癒された気がした。心が温まる一瞬は、霊夢にとってこの世界から来て初めての経験となった。

◆◆◆

老婆は農村に住む近所の人たちを集会所に集め、今ここにやってきた「有名人」を紹介する。集会所は畳が敷き詰められた会館のような場所で、広々とした作りとなっている。その場には老若男女問わず多数の人間が集まっており、聊か急とは言えど集結していた。皆はテレビの中で観た二人が目の前にいることを信じられなかった。──自分たちには到底出来ない、「国家を敵に回す」行為を彼女は平気で成し遂げているのだ。それが犯罪なのかどうかは、その統治国家の法律なら犯罪かもしれないが、幻想郷に法律などない。彼女に法律のことなど頭にないのだ。ただ暗黙の了解的な規定は存在していた。それが幻想郷の秩序もといルールを賄う〈道徳〉を生み出している。今に彼女はその正当の妥当性を知る。全てを了解の共通性でやっつけてきた存在の善悪真偽に媚びぬ現世的姿勢──流転の中に見出されるデュオニュソス的な霊魂の在り方──は、彼方より現れる神々の道徳を拒絶した。今に貴族的高潔性が、その聖を否定して嗤うのである───。

「…助けてくれたことは感謝するわ。──ありがとう」

「はい…ありがとうございます!」

2人は自分たちを匿ってくれた農民たちに感謝した。そこには一切の情が跳ね除けられた、ただ在る感謝の念が露呈されていた。気持ちとして差し出された煎餅と煎茶を頂く二人は、これが今まで味わったことのないような美味を誇っていたのを味覚で感じ取った。空腹は最高の調味料とは良く聞く言葉の一つだが、理に適ってこそ敷衍するのだろう。その論理的な考えに沿うと、やはり間違ってはいないのだ。

「…いいえ、そんな気にせんでもええ。ゆっくりしていきなさい。…そういや私たちが以前にお金を集めて、奴隷を助ける為に一人連れてきたのじゃが……その子とも気が合うかもしれないのう」

「え?…待って、今何処にいるかしら?」

すると近くにいた老翁が、そんな霊夢の問に答えては立ち上がった。弱々しい体を持ち上げ、曲がった腰をなんとか伸ばそうとする。髪は既に白みがかっており、幾筋も顔に入った皺は年季を感じさせる。

「…ならば、わしが呼んでこよう」

老爺はそんな彼女の期待に応えて、集会所から出ていった。鈍い動きからして、やはり動くことはそうそう慣れていないのだろうか。然しそれでも自律的に動こうとする意思は、そんな彼に整然的な命法を与えたことは疑う余地のない話だ。

「引き取った時はもの凄い暴行をくらっていたのう…顔は痣だらけじゃった…。……都会の人間たちはこんなことを平気でやりおる…。…それ故か、あの子は誰とも口を利かなかった……」

老婆は悲しそうな表情で話した。鎖を引きずる囚人が己の姿を恥ずるような心地で、項垂れ、ただ憔悴していた。鉄の靴を履いているかのように重たい空気が辺り一面に流出する。それらは二人を取り囲み、連綿的に憂鬱な気に浸らせる。油性の絵の具で描かれた暗い絵を鑑賞しているかのような気持ちであった。

「…すみません、暫く私もここにいていいでしょうか?」

「ゆっくり休んでいくとええ」

全員は仲間を歓迎した。彼らは優しく、そこには一切の裏の感情がない事が霊夢は見てとった。彼女はそんな仲間を見ては、耳元で囁き呟くように言ったのである。

「…あんたも疲れたのね。…助けてくれてありがとう」

「いいえ、そんな事ないです……というよりも、私の方が足を引っ張っていましたけどね…はは……」

すると老爺は1人の少女の右手を握って連れてきた。痣は治っていたが、その跡が少しだけ残っている。今こそ綺麗な木綿を着ていたが、嘗てはボロ雑巾のような貧相な服を身に纏い、テナルディエ家に奉仕する少女コゼットに劣らぬ扱いを受けたのだろう。その痕跡に、背中から生える特徴的な翼──木の枝のような細長い骨格に八色の色彩が施された宝石が吊り下げられたもの──は、既に薄黒い染みが取り付き、埃がこびり付いていたであろうザラザラした表面が、その宝石の輝きを妨害する。目は死んでおり、その意志に渇望を見出すことは不可能に近かった。

「…れ、霊夢」

出会い頭、少女は小さな声で呟いた。…口を利いたのだ。それは信頼と希望が今までの中で最高に達し、眼の中に先の見える夢を込めて呟いた言葉であった。絶望の中に忽ち降ろされる光のアーチ。孤独の淋しさに震えていた少女は今、その出会いを果たしたのだ。

「…フラン」

霊夢もそんな少女を見据えて言った。その様相を鑑みた霊夢は、今まで彼女がどのような扱きを受けていたのか容易く想像がついた。同時に憐憫の思いが湧き、フランをただただ見据えている。

「霊夢…怖かったよう……」

フランはすぐに霊夢に抱きついた。奴隷としての恐怖感が和らぎ、甘えられたのだ。従属としての我が身の理解者に、そして信頼が持てる相手に…彼女はやっと出会えたのだ。内面的な思いが一気に弾ける。堰が切れたかのように涙が湧き出て、霊夢の胸元に温もりを作り上げる。

「…あんたも怖かったのね。……いいわ、私の膝元で泣いても」

霊夢は甘えて泣いている少女の頭を優しく撫でる。そして甘える少女を静かに抱擁した。フランはただ、その再会を泣いて喜んでいた。それ以上に測る事情は存在しなかった。

「…知り合いかのう?」

「…かつて同じ世界で暮らしていた仲間よ。…それにしてもフラン、その傷…誰から受けたのよ?」

「…パチュリー」

フランは鼻水の音を響かせながら、再び小さな声で答えた。少女は怖かった。今まで一緒に暮らしていた仲間に殴られ蹴られ、どうして自分がこんな目に会わなければいけなかったのか。

「アイツね……!…パチュリー……!」

彼女はPYT研究所で働く魔法使いに怒りと憎悪を覚えた。人はそこまで恨みを持てるのだろうか、彼女は初めてそんな感情を持った。自己を省察するのは今まで数度あったが、これ程までに客観的から見ることを大事に思えた瞬間は初めてであった。デカルト的認識論が、ここぞとばかりに役に立つ。

「奴隷はこんな目に遭わされてしまうんです…。──奴らは最低ですよ」

仲間は静かにそう言った。彼女も霊夢やフランと同様、PYT研究所に恨みを持っていたのだ。怒りが込み上げ、その沈黙を復讐の念に築くのだ。すると集会所に遅れて白衣を纏った、髪がボサボサで自己管理が余りなってない男が登場した。彼は右手で灰色のハンカチを持っており、汗かきな性分なのか頬や首元を拭いていた。目元には隈が出来ており、睡眠不足である事も容易に窺える。

「…遅かったのう。そうだ、あんた……この人を知ってるじゃろう?」

老婆に問われた男は、霊夢の姿とテレビの中の彼女を一致させた。すると突然ハッとしては驚き、急いでハンカチを上着のポケットに突っ込んだ。しかし汗は噴き出ること構い無し。この荒唐無稽さに、霊夢は内心微笑していた。

「…あんたは誰よ?」

「私はかつてPYT研究所でGENESISの研究と制作に携わったが人員調整でクビにされた哀れな研究者ですよ…」

絶望を込めた声で言ったが、彼女は「GENESIS」という言葉に興味を持った。この言葉の音韻一つ一つに過剰な反応を示す反射形態を作り上げていた霊夢にとって、この出会いは大切な意味を持っていることを悟るに時間は有さなかった。急いで体勢を立て直し、まるで来賓が来たかのように畏まって座り直した。先程までに馬鹿にしていた内心も全てタブラ=ラサに回帰させたのである。

「…あんた、GENESIS作成者?」

「携わった。それだけですよ。…あなたの知りたいことはあれだろう、GENESISの場所だろう?」

「―――大正解よ」

かつての研究者は予想を的中させる。ふと得意げになった男は、その僅かな自慢さと置かれた立場の境遇性を止揚し、再び感情をかき消した。残っているのは浅薄な表情だけである。

「GENESISって何…?…フラン、何にも分からないよ……」

フランは涙腺の跡を顔に描きながら、霊夢に問う。まだ少女は霊夢を抱きしめたままであり、余程離れたくないことが他者に認められるだろう。絶望を嚥む彼女の虚無性は、厭世性に若干擦り寄っていた。

「…あんたたちの能力を回収している機械よ。…それを壊せばあんたたちに力が戻ってくる」

「…本当!?」

「本当みたいよ。…ただ全部で5個ある上に、最後に中央のGENESISを破壊しないといけないみたいね。──めんどくさいシステムでしょ」

彼女はぶっきらぼうに言うと、かつての研究者は唐突に語りだした。恐らくは言いたくてウズウズしていたのだろう、一種の自己顕示的感情が簡単に見て取れるのは紛う方なき事実である。男は両手をポケットに突っ込み、一旦深呼吸してから話し出した。この言葉の部分部分が、霊夢たちにとっての大事な鍵となったのである。

「…私が携わったGENESISの名前は「GENESIS:IDOLA」と言ってだな…。…場所はC区駅の地下に存在する──C区駅はとてつもなく大きいが、その最深部…一般客は勿論、従業員も立ち入れない場所にある。……ちょっと待ってな」

かつての研究者は集会所のPCを起動させ、C区駅のフロアマップを簡潔に印刷する。そして持っていた赤ペンで記入を加えると、彼女に渡す。その地図はフロアマップで、階層別に地図が描かれていた。赤丸はその地図から外れた最深部に付けられた。そこまでの道筋が赤ペンでなぞられており、霊夢は侵入経路を完全に把握した。

「…この赤ペンで示された場所がGENESIS:IDOLAのある場所だ。また、この道筋が行くまでのルートだ。…あとこれを」

かつての研究者はハンドガンと数十発分の銃弾を彼女に渡した。

「…感謝するわ」

「俺はあの会社に裏切られた。…頼む、俺の仇をとってくれ」

そう言うと、周りの農民たちも頭を下げる。一同は霊夢を崇めるように願ったのだ。この残虐性が支配する世界を取り戻す、唯一の解放者。その力たるは無尽蔵で、彼らの希望の的となっている。元より彼女はそうした系譜の誕生なのかもしれない。理性が捉えかねない〈悄然とする蒼氓の魂〉が超自然の観念として、未来への畏怖と言う瓦斯の沈鬱を超克する。

「そうじゃ…!あの残虐非道な人間たちを…やっつけてくれ…!」

彼女は静かに頷いた。そこに彼女の全てが表されていたのである。恐怖が少しもないも言えば嘘になる。しかし彼女は歩むのだ、その壮絶なる戦いの太陽へと。…かつての研究者から貰ったフロアマップと拳銃および銃弾を懐に入れ、集会所を後にしようとする彼女は、その影を未来に照らした。

「…もういいのかい?」

「私はいいわ。善は急げ、悪い奴の退治はもっと急げ、よ」

「…霊夢さん、私…ここに残ります。もう力が限界に達しました──こんな弱々しい葦のような人間ですが、許してください」

仲間の告白に、既に外に出ていた霊夢は少し動揺した。しかし彼女はどうとでもないように振舞った。その防衛機制は、一種の創造的価値観の幕開けである。外界に行った存在から聞いた話を引用した別れの台詞を、その力強さから優しさを導いて言葉にした。

「──人間は一本の葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものであるのよ。だが、それは考える葦であるわ。これを押しつぶすには、全宇宙が武装する必要はないの。一吹きの蒸気、一滴の水だけで、殺すには十分。だけど、たとえ宇宙が押しつぶそうと、人間は彼を殺すものよりも尊いはずよ。なぜなら人間は自分が死ぬこと、宇宙が自分よりもまさっていることを知っているから。……今までお疲れ様ね、感謝するわ」

「…は、はい!」

仲間はそう言うと、霊夢は近くに止めてあるバイクに跨ろうとした。…その時であった。とある一声が、彼女を止めたのである。決心に満ちた英雄の声が辺りに響く。その谺は何度も霊夢の中で反芻するのだ。

「待ってよ!──私も…私も行く!みんなを助けに行く!お姉さまも、咲夜も、小悪魔も、美鈴も…全員を助けたい!」

フランはそう訴えると、霊夢は頷いた。それは少女にとって意外な答えであった。

「当たり前じゃない。…早く助けに行くわよ。少し道順は難しいけどね」

「…うん!」

フランも彼女の後ろに跨ると、霊夢から拳銃と銃弾とを渡された。受け取ったフランは目を数回開閉させていたが、霊夢が簡単な操作を教えた。物珍しさから拳銃を扱うフランだが、巫山戯る事とのけじめはしっかり付けていた。

「今のあんたは力を吸収されて無いのよ。…だからこれで戦いなさい」

「…霊夢、ありがとう」

霊夢は農民たちと研究者の見送りを受けて、そのままバイクを走らせようとした。最後に老婆から手渡された着替えを受け取り、周囲にカモフラージュした。これで彼女たちはこの世界の人である。

「…何から何まで、感謝するわ」

霊夢は感謝がしきれなかった。──全ては奴隷の為に、彼女は国と戦うのだ。…そう考えると、彼女は自分に仲間がいて嬉しかった。何せ、心細い事が無くなるからだ。 
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