ソードアート・オンライン -旋律の奏者- コラボとか短編とかそんな感じのノリで
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幻影の旋律
狂気の一端
《惨殺天使》
そんな物騒な二つ名を持つプレイヤーを、少年は以前から知っていた。
直接話したことはないものの、何しろ彼女は有名人だ。 色々な情報を集めている少年でなくとも、その噂を知っているプレイヤーは多いだろう。
曰く《狂人》
攻略に重きを置いているわけではなく、ただ敵を殺すことに執着する殺戮狂。 その小柄なアバターに不釣り合いな、恐ろしく巨大かつ鈍重な両手斧を振るい、殺戮の限りを尽くす桜色の悪魔。 彼女のパートナーである、かつては《戦慄の葬者》と呼ばれた少年の隣で笑い、ボスを圧殺する姿を何度も見ているが、少年が慣れることはなかった。
そして今、少年の目の前に彼女はいる。
人間におおよそ不可能な動きと角度で首を傾け、狂気の内包された瞳を少年とその隣にいる2人の少女に向けている。
「あっはぁ!」
それは身の毛もよだつような笑声。
愉悦と狂気とに歪んだソレを向けられた少年は、恐怖に竦む自身を心中で叱咤し、友人であり頼れる仲間に叫んだ。
「レイ、リゼル! お前たちはーーーーっ!」
が、言葉が最後まで続くことはなかった。
目を離したわけではない。 油断なんてとんでもない。 生き残るために本能に従い、ソレから注意を逸らしはしなかった。 だと言うのに……
「なっ⁉︎」
気がつけばソレは目の前にいた。
重ねて言おう。
少年はソレから目を離していない。 油断もしていなかったし、注意を逸らしてはいなかった。
だが、仲間に指示を出す一瞬、僅かに意識を彼女たちに向けた。 そして、その一瞬はソレを前にした時、致命的な一瞬だったのだ。
瞬間、殆ど反射と言っていいほど躊躇いもなく、少年はコートの裾に隠してある鞘から剣を抜き、ソレに斬りかかる。
が、そんな一撃を身を沈ませて回避したソレは、途端にその場から飛び退いた。 直後にソレがいた場所を通過する長大な槍。
見るまでもなくそれは少年の仲間である槍使いの少女のものだ。
内心で感謝をしつつ、けれど今度こそ少年はソレから意識を外さない。
何が起こったのかはまるで見当もつかないが、ソレが危険であることは今の一合だけで十分にわかった。
一方のソレは、狂気と愉悦とに彩られた表情のまま、自身を後退に追い込んだ槍を見て、それから槍使いの少女を見る。 それからどう言うわけか、コテンと首が傾げられた。
「誰かと思えばレイ姉ちゃんじゃないですかー。 そんなところでどうしたですか?」
途端にソレの身から溢れ出していた強烈な、狂気としか言えないような何かが霧散する。 表情も少年が知っている、緩い笑顔に変わった。
それはもう、人格が変わったかのような豹変。 あるいは変貌。
事態に追いつけず、それでも警戒を解かない少年は、そこで槍使いの少女が槍を引いて臨戦態勢を解く気配を感じた。
「どうしたはこっちのセリフさね。 あんたこそここで何をしているんだい?」
ソレに対応したのは、もう1人の仲間だ。
今までの一幕が嘘だったとでも言うほど、自然な苦笑が声に混じる。
「フォラスくんといきなり離れちゃったので憂さ晴らし中だったのです。 あはー、勢いでぶっ殺すところでしたー。 ごめんなさいですよー」
ソレは緩く笑って頭を下げた。
「…………」
思わず無言になってしまうのは、ソレ……アマリがあまりにも普通に謝ったからだ。
普通に、まるで深刻そうな様子もなく、あれがちょっとしたお茶目なミスだったかのような自然さで。
別に攻撃されたわけではない。
だがあの時、少年は自身の死を予感した。 それだけ濃密な狂気を撒き散らし、しかも自分自身で『ぶっ殺すところでした』と申告しておいて、だと言うのにその自然さに少年は恐怖する。
例えばあの時、槍使いの少女の援護がなければ、リンは普通に殺されていただろう。
普通に、なんの気負いもなく、それこそモンスターを相手にするような自然さで殺されていた。
(コレは一体なんだ?)
少年の心中で湧き上がった疑問は、ソレを見つけた時に抱いたそれとも、ソレが行った不可解な爆発を見た時に抱いたそれとも違う。
ソレが一体なんなのか?
人間とは最早呼べないほどの狂気にリンは完全に飲まれていた。
しかし、少年の友人はそんなこともないらしく、至極普段通りの声音でソレに声をかけた。
「ボクたちだったから良かったけど、あんなこと他の人にやったら大問題だよ!」
「うー、ごめんなさいです」
槍使いの少女がいつもの大声で言うと、ソレはシュンと俯いた。
俺たちが相手でも大問題だ! と声を荒らげたい衝動に駆られる少年だが、恐怖によって普段のような突っ込みができない。
「迷惑かけちまったね、リン。 アタイからも謝るよ」
そんな少年……リンの心中を察したのか、もう1人の少女が呆れと申し訳なさが混在した苦笑いを浮かべていた。
「迷惑で済む話しなのか?」
「リンの気持ちはわかるけど、まあ抑えてやってくれ。 あの子、普通にしてる分にはいい子だからさ」
「……リゼルがそこまで言うなら俺も問題にはしない。 だが、アレは一体なんなんだ?」
「なんなんだって言われてもね。 見ての通り可愛い女の子、で納得してくれないかい?」
「それで納得できると思うか?」
「ま、思っちゃいないさ」
悪びれもせずに肩を竦める友人に冷ややかな視線を送ると、観念したのか、それとも元から話すつもりだったのか、ポツリと話し始めた。
「アレはね、リン。 アタイらの常識が通用しない相手なのさ」
「…………」
「アレは罪悪感を抱かない。 アレに禁忌はない。 あの状態のアマリは言っちまえば殺戮マシーンだ。 動くもの全てを殺さないと止まらない。 顔を見てすぐにアタイらをアタイらだって認識できなかったのがいい例さ」
「そんな人間がいていいのか?」
「現にいるだろ?」
それもそうか、と納得したリンだが、しかしソレの所業に納得したわけではない。 と言うか、納得できる2人がおかしいのだ。
「リゼルはアレをどうにかしようとしないのか?」
「無理さね。 どうにかしたくてもどうにもなんないよ、アレは。 まあ、さっきも言ったけど、普段はいい子だし、隣にフォラスがいれば問題ないしね。 その辺りで納得しとくれよ」
「……こっちに害がないならそれでいいさ」
はあ、とため息を吐いたリンの肩を叩いてから、リゼルはさっさとアマリたちの方に歩み寄っていった。
「よう、アマリ。 元気そうじゃないか」
「あはー、リゼルの姐御はお元気ですかー?」
「もちろんさ。 ところでフォラスはどこにいるんだい?」
「それがわからないのですよ。 魔法陣に乗ったら別々に転移されたのでびっくりです。 『はぐれた時は安全な場所から動かないでね。 どこにいても僕が必ず見つけるから』って前に言われたのでここで待ち待ちしてるですよー」
「はあん、そりゃ災難だったね。 アタイらもリーダーとはぐれちまって困ってたところさ。 どうだいアマリ。 一緒に来るかい?」
「んー、待ってるのも飽きちゃったので私も行くですよー」
ちょっと待て! と言う突っ込みをリンはどうにか飲み下した。
先ほどの一幕を完全に無視した提案はリンにとってあり得ないことだが、それを口にするのは憚られる。 リゼルが断片的に語ったソレの内面は、吐き気を覚えるほどに歪んでいて、恐怖を感じるには十分すぎた。
「じゃあ行こうよ。 ボク、早くみんなと合流したいもん」
「アタイも早くニオに会いてぇ。 つうか、ニオが切れた」
「あはー、私もフォラスくんが切れてるですよー」
しかし、普通に、あまりにも普通に自分の前を横切ったソレに、リンの自制は完全に吹き飛んだ。
別に今更どうこう言うつもりはない。 リゼルの言い分に形だけとは言え納得した後だ。 それを反故にするつもりはない。
だが、せめて一言、何かしらの一言があるべきだろう。 ソレは未だに、リンに対して謝罪を口にしていないのだ。 どうやら旧知の間柄らしいレイとリゼルには謝罪したと言うのに、だ。
「おい、ちょっと待ーーーー「馬鹿っ!」
一言文句を言ってやろうとソレの肩に手を伸ばした瞬間、リンの右手は不自然な方向に弾かれた。
リゼルが口にした端的な罵倒を聞く余裕も、自身の右手の行方を気にする暇もなく、今度は身体全体に衝撃が走る。
「がっ……」
気がつけばリンは壁に叩きつけられていた。
誰に、などと問うまでもない。 目の前には、さっきまで収まっていた狂気を再び撒き散らすソレがいる。
ドンッと自身の顔のすぐ横に突き刺さった右足を見て、ようやくリンは自分が壁を背に座るように崩れていることに気がついた。
そして響くソレの声。
「お前、何をしようとしたですか?」
荒らげたわけでもない声に、しかしリンは何も返せない。
「お前、私に触ろうとしたですか?」
声を上げることさえ叶わない恐怖がリンの身をその場に縫い付ける。
「お前、そんなに死にたいですか?」
目。
その目にリンはひたすら恐怖した。
リンと言う存在を収めているはずの目。 だが、そこには何も映っていなかった。
怒りも、憎しみも、興味も、何もない。 あるのはそう、ただ狂気のみ。
そこでようやくリンは悟る。
ソレは今までリンを無視していたわけではないのだ。 謝罪の言葉を口にしなかったのは、リンと言う存在がソレの視界に映っていなかっただけ。 だからこそソレはリンの前を普通に通り過ぎたのだ。
何しろ、そこにリンはいなかったのだから。 少なくともソレの視界には。
「死にたいならぶっ殺してあげるですよ。 大丈夫。 《でぃーちゃん》なら苦しむ暇もなく一撃で逝けるですから」
ズッと鎌首を擡げた死へと誘う両手斧を見ながら、しかしリンに抵抗の意思は芽生えない。
振り上げられる狂気の凶器をただ見詰め、そしてーー
「そこまでさ、アマリ」
ソレは寸前で止まった。
制止の声を上げたリゼルに向かって、ソレはコテンと首を傾げる。
「どうして止めるですかー? 私は今からここのこれをぶっ殺すだけですよ?」
「いや、いくらアマリでもそれは見過ごせない。 そいつはアタイらのダチで恩人だからね」
「でもフォラスくんの友達じゃないですよ? だったら生かしておく理由はないです」
「だからダメだって! ボクからもお願いだよ!」
「んー、レイ姉ちゃんのお願いでも聞けないですねー。 だってこれ、私を触ろうとしたですよ?」
コテン、コテンと左右に揺れる首は、いっそ面白いくらい狂っている。
触ろうとした。
たったそれだけでソレは人を殺す理由になるのだ。
歯止めの効かない狂気は、しかし次の瞬間に霧散する。
「そいつはフォラスのダチだ。 だからやめてくれ」
「ふえ?」
コテンと、もう一度傾けた顔にありありと驚愕が浮かぶ。
それからの行動は早かった。
まずはソレが《でぃーちゃん》と呼んだ両手斧を投げ捨て、壁に突き刺していた右足を抜く。 次いで滑稽なくらいあわあわと取り乱し始めた。
「わわ、フォラスくんのお友達とは露知らず、とんだご無礼を働いちゃったです! 私としたことが何てことをしてるですか‼︎ わ、あわわ、真っ黒兄さん、お怪我はないですか⁉︎」
「…………」
「ひぃ、返事がないです! まさか死んじゃったですか⁉︎」
「馬鹿、落ち着け。 大丈夫。 ちゃんと生きてるさ。 なあ、リン」
「……あ、ああ。 生きてる」
「はわー、良かったですよー」
事態に全くついていけていないリンだったが、次にソレが発した一言で合点がいった。
「フォラスくんの友達をぶっ殺したらフォラスくんが悲しんでしまうです……。 それだけは嫌ですよー」
そう。 結局のところ、ソレが気にしているのは、ソレの伴侶であるフォラスのことだけなのだ。
今の一件で自分がオレンジ化したことも、人を殺そうとしていたこともまるで気にしていない。 ただフォラスが悲しむから。 それだけしかソレの意識にはないのだ。
(なんなんだ、コレは)
もう何度目になるかもわからない疑問がリンの頭を巡るが、けれどそんなことを口にすることができず、とりあえずの危機が去ったことにホッと胸を撫で下ろした。
「ううー、私はこれで失礼するですよー」
突然、ソレはそう言うと、ふらりふらりと安全地帯から出て行った。
見ればリゼルは頭を掻きながら、レイはリンの隣に膝を突きながら、どちらもまるで止めようとしない。
「ごめんね、リン。 ちゃんと説明しなくちゃだったのに、ボクもリゼちゃんも説明してなかったよ」
「……どう言うことだ?」
「マリちゃんは壊れてるんだよ。 だから攻撃なんて以ての外だし、触ろうとすることだって攻撃って見做しちゃうんだ。 フォラスの友達って言っておけば大丈夫なんだけど、ちょっと言うのが遅すぎたね。 ごめん」
そんな価値観に恐怖を抱くリンだが、それを非難する気にはなれなかった。
もちろん怒りはある。 許すつもりはまるでないが、アレを非難するわけにはいかないと悟ったのだ。
アレの行動を攻略組に知らせるとしよう。
そうなれば当然、アレは攻略組から弾かれ、恐らく牢獄送りの裁定が下るはずだ。
しかし、そうなった時、アレは何をする?
答えは考えるまでもない。 捕らえようとする攻略組を殺すだろう。 リンが触ろうとしただけであの反応だ。 間違いなく全員が殺される。
ゾッと、全身が総毛立つのを感じ、リンは友人2人がどうしてアレを非難しなかったのかも正確に理解した。
2人ともアレが怖いのだ。 アレの暴走が、何より怖いのだ。
そうと理解して、それでもリンは2人に文句を言えなくなってしまう。 アレを前にして恐怖するなとは言えないだろう。
まだ震える身体をどうにか鎮めつつ、リンは2人の友人に視線を向ける。
どちらも悲しいような悔しいような顔だった。
後書き
リンさん壁ドン回。
と言うわけで、どうも迷い猫です。
ひたすらリンさんがアマリちゃんにビビっているお話しでした。 ドンマイ。
本編ではフォラスくんの一人称が基本と言う都合上、この手の《フォラスくんがいない時のアマリちゃん》を書く機会が乏しいので、きっとみなさんドン引きしたことでしょう。 その判断は正しいと思います。
sonasさんに許可を頂いたとは言え、果たしてここまでやって良かったのか……
さて、次回は通常運転回。 つまりはフォラスくんの視点でのお話しですのでご安心を。
ではでは、迷い猫でしたー
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