ゆきおがあたいにチューしてくれない
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ゆきお→涼風
榛名姉ちゃんたちの部屋の前を通ってしばらく歩き、私の視界に桜の木が見えてきた。
「ゆきおー」
その木の下にあるベンチに、ゆきおが座ってた。私に背を向けて海を眺めてたゆきおは……
「……あ、す、涼風」
振り返って立ち上がり、ほんのりほっぺたが赤くなってる顔を見せてくれた。口がムニムニと動いてて、少し恥ずかしそうな……。右手をギュッと握りしめて、ちょっと緊張してる感じで。
私はとことこと駆け足で、そんなゆきおの元へ駆け寄る。
「ゆきおっ。おまたせ」
「う、ううん。待ってないから大丈夫」
そう言ってゆきおは微笑んでくれるけれど、その笑顔は、どこかぎこちなくて……
「と、とりあえず座ろうぜ」
「う、うん……」
とりあえずベンチに隣同士で腰掛ける。いつものように、私は右側で、ゆきおは左側。なんだかゆきおの緊張が、私にまで伝わってくる。おかげで私もなんだか緊張してきた。胸だってドキドキするし……
「……」
「……」
「「……うう」」
なんだか身体に力が入らない。手だって繋ぎたいのに、なんだか緊張して左手に力が入らなくて、ぎこちない。なんだか、手の動きがふよふよしてる感じだ。まるで力が入らない。
「……」
「……」
「……あのさ」「……えっとさ」
「!?」「!?」
「ど、どうぞ」「ど、どうぞ」
「あのー……」「えっとー……」
「!?」「!?」
こんな調子で、口を開けば開いたで、ぎこちない私達。顔も見れない……せっかくゆきおが隣にいるのに、まっすぐにゆきおの顔も見ることが出来ない。
多分この場に摩耶姉ちゃんがいたら……
――ブヒャヒャヒャヒャ!!! お前ら何ギクシャクしてんだよッ!!? アヒャヒャヒャ!!!
なんて大笑いしながら、お腹抱えてその辺をのたうち回るんだろうなぁ……
こっそりと、ゆきおの横顔を伺う。
「……」
「……」
なんか、すんごくほっぺたが赤い。顔は目の前の海を見てるんだけど、目はちょっと下を見ていて……なんだか思いつめてるようにも見えるんだけど……。
「……」
「……」
うう……なんだかこの空気に耐えられない……
私も海の方を見た。このベンチのある桜の木の場所は、周囲よりも少しだけ高くなっていて、私達の目の前には、芝生が敷き詰められた、傾斜がちょっと急な下り坂がある。
……この空気に、もう耐えられない! 我慢できないっ!
「……ゆきおッ!」
「へ?」
「そこの芝生に、ね、寝転ぼうぜ!!」
「ぇえええ!!?」
この空気をなんとか打開したくて、私は立ち上がり、目の前の芝生にかけよった。ゆきおも慌てて立ち上がり、私のあとにひょこひょこついてくる。
「ほ、ほら! お日様も暖かいし、木陰のところに顔を持ってきとけば、眩しくないだろ?」
「でも……」
うろたえるゆきおを尻目に、私は先に芝生の上にコロンと寝転んだ。途端に胸いっぱいに広がる、草の香りが心地いい。大の字に伸ばした身体も、お日様の光があたって、とても気持ちいい。
「は、はしたないよ涼風……」
「てやんでい! これが気持ちいいんだっ!」
未だにうろたえてもじもじするゆきおを、私はゆきおの足元から叱咤する。ゆきおを足元から見上げた経験なんてないから、この光景はすごく新鮮だ。なんだかすごく、ゆきおの背が高くなったように見える……。
「ゆきおも寝転べよっ!」
「う、うう……」
私にそう言われても、相変わらずゆきおは真っ赤っかな顔で、私から目をそらし、もじもじしながらまごついている。
「ほらゆきおっ!」
「へ?」
「こっちこいって!!」
埒が明かない……私は上体を起こし、ゆきおの右手を掴んで、強引に引っ張った。
「よいっしょ!」
「ふぁ……!」
その結果……私に引っ張られてバランスを崩したゆきおは……
「あっ!?」
「ゆきお!?」
私の頭のすぐそばに両手をついて……
「「……!?」」
私に覆いかぶさってきた。
「……う」
「……ゆ、ゆき……」
こ、これは……この体勢は……。
「す、涼風……」
「ゆきお……」
私の顔のすぐそばに、ほっぺたを赤く染めた、ゆきおの顔がある。
「……」
「あ、あの……ごめん……」
ゆきおの視線が下がった。ゆきおは今、私の目じゃなくて……唇見てる……
「す、涼風……」
「な、……なに……?」
私の顔が、熱くなってきた……。胸が大太鼓をドンドン鳴らしてる……心の中で、鼓笛隊みたいな格好をした小さな私たちが、スネアドラムをダララララララって鳴らしたり、『てやんでー!』とか『こんちきしょー!!』とか『いよっ! 待ってましたー!!』とか、そらぁもう大騒ぎしてる。
「……」
「……」
ゆきおが、とっても真っ直ぐな眼差しで、再び私の目をキッと見つめた。ダメだ……すんごくカッコイイ……ほっぺた赤いけど……でも見てるだけですごくドキドキする……
「す、すずかぜっ」
「ひ、ひゃいっ」
地面に付いているゆきおの両腕が、フルフルと震えてる。……あ、あたいの唇、カサカサかも……しまった……やっぱりリップクリームだけでもつけとけば……
少しずつ少しずつ、ゆきおの顔が近づいてきた。心の中の涼風鼓笛隊が一斉に大騒ぎをやめ、私とゆきおを固唾を呑んで見守りはじめた。
「……」
「……」
突然、身体がふわっと浮いた気がした。
「ふぁ……」
「……」
胸のドキドキが大きくなる。でもイヤな感じじゃなくて、そのドキドキがとても心地よくて……収まって欲しいけど、ずっと鳴ってて欲しくて……草の香りに混じって、ゆきおの消毒薬の香りも、少しだけ感じる。ゆきおが近づいてくる……ゆきおの顔が、私の顔に、近づいてくる……
「……」
「……」
すごく綺麗で、可愛くて、でも今、ちょっと男らしく、かっこよく見えるゆきおの眼差しが、少しずつ少しずつ、私の唇に近づいてきてる……。
ほ、ほんとは、唇がカサカサじゃないかちゃんと確かめたいけど……でも今、舌で唇を湿らせたら……なんだかチューをせがんでるようで恥ずかしくて……でも、ゆきおは今きっと、私にチューするつもりで……あ、でもその時ギューってしてほしいかも。
ゆきおが、両目をぎこちなくギュッて閉じた……どんどん近づいてくる……こ、これ以上、ゆきおの綺麗な顔、見ていたいけど……見ていられない……
ゆきおの息遣いを肌で感じるほど近づいたその時、私は静かに目を閉じた。自分の唇に、その瞬間が訪れるのを、緊張半分、そしてワクワク半分で、待ち続ける。
「……」
……。
「……」
……。
「……」
……あれ。
「……」
……んん?
「……?」
……あれ、ゆきおの息、感じなくなった。心持ち、消毒薬の匂いもしなくなったような……
「……ゆきお?」
あまりにその瞬間が唇に訪れないので、気になって目を開いてみた。そんな私の目の前に、さっきまですぐそばにあったはずの、ゆきおの顔は……なかった。
「あれれ?」
「うう……」
上体を起こす。さっきまで私に覆いかぶさっていたゆきおは、ちょうど私のおなかの上にまたがる姿勢で、耳まで真っ赤な自分の顔を、両手で押さえていた。
「で、できないよっ……やっぱり、無理ぃ……」
「え……」
さっきまであんなにときめいていた私の胸が、一気にスウッと静まった。あんなに色めきだっていた頭も途端に冷静になり、まるで遠征任務に出る前の、プラスマイナスゼロの感情が、私の頭を支配した。心の中の涼風鼓笛隊も、みんなが一斉にフラットな表情になった。でも一人だけは『なんでぇこんちきしょー!』って叫んでる。
「え、あ、あの……ゆきお……?」
「何が……何が簡単なんだよっ……比叡さんの……比叡さんの、うそつきっ……」
……あ、さてはゆきお……あの話、読んだな。
「ゆきお、そのー……」
「す、涼風に……チューされて……ぼ、ぼくも……その気になって、覚悟見せなきゃって……がんばったのに……っ!」
「えーと……」
「す、涼風はすっごく簡単に、フラッとぼくにチューしてきたのに……や、やっぱり、ぼくは艦娘じゃないからっ……お、男の艦娘……だからっ」
あ、いや、そこまで深刻に考えなくていいと思うんだけど……
……しかし、ゆきおのこの様子……
「出来ないよ……は、恥ずかしくて……」
「……」
「涼風の唇、すんごい綺麗だし……涼風もすんごいカワイイし……そんな涼風に……恥ずかしくて……チューなんか、出来ないよっ……!」
耳まで真っ赤な顔を両手で押さえて、恥ずかしそうに身をよじらせながら、『恥ずかしくてチューなんか出来ない』と泣くゆきおの姿は、どこからどう見ても、榛名姉ちゃんクラスの女の子だ。
「……女子力」
私の口から、ぼそっと、口をついて出た。
……あ、でも唇褒めてくれたのはうれしいかも。
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