機動戦士ガンダム アルテイシア二次創作
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①
砂が螺旋を描いて舞い上がっていた。砂塵で葡萄茶色に霞んだ視界。その向こうで遠くなっていく兄の背中。まだ少女だったセイラは、声を張り上げてそれを引き留めようとしていたが、砂嵐の中懸命に歩みを進めても華奢な体では強風にあらがえずすぐに転んでしまう。彼女の矮躯をテキサスコロニーの大地が絡め取り、白く小さな膝が熱を滞留させた砂地に埋もれる。養父からもらったお気に入りの服が砂で汚れた。だがセイラは薄く浮かんだ砂粒混じりの涙を乱暴に拭って、めげずに立ちあがった。震える足を無理に動かして再び兄の背中に向かって走り出す。すぐに足を取られる。それを幾度も繰り返した。顔を上げるたびに兄の背中は小さくなっていく。
「待って! 兄さん! キャスバル兄さん!」
禁じられているはずの本当の名前でセイラは叫んでいた。口の中に砂粒が入り込んでじゃりじゃりと不快な感触がしたが、それでも彼女は叫ぶのをやめなかった。兄は振り向かない。トレンチコートを靡かせ、強い風にも確かな足取りで歩んでいく。キャスバルは、覚束ない足取りで自分の名前を呼ぶ妹を一瞥さえしなかった。
消えゆく兄の後ろ姿を見つめ、そして追い求めるように手を延ばして・・・・・・セイラーーいや、アルテイシアは母との別れ以来久しく流さずにいた涙を滂沱と溢れさせた。汚れた頬をずっと我慢していた涙が伝い、白く跡ができた。立ち上がる体力はもうなく、すすり泣く以外に彼女に残された道はない。風に煽られて自慢の金髪が軋みを上げ、嗚咽で不安定な息づかいが口笛を吹くような風音にかき消されていった。
後には家族を失った孤独な少女が一人と、風が吹き荒ぶ荒野だけ・・・・・・。
「っ・・・・・・」
セイラ・マスはそんな悪夢から目覚めて、しばらく悄然と天井を眺めていた。まだ時刻は夜明け前で、簡素な寝室を薄暗闇と静謐と控えめな時計の音だけが支配している。
幼い頃、悪夢を見たときには母親が眠るまで子守歌を歌ってくれたものだが、もう今の彼女は一人の大人の女性であり、何よりも泣きつく相手がいなかった。だから彼女は特段騒ぐでもなくベッドから起きあがるとラジオをつけて、窓越しの椅子にしなだれかかるように浅く腰掛けた。嫌な汗が寝間着の中をじっとりと濡らしていたが着替える気力もない。しばらく頭を抱えるようにしてラジオのジャズ音楽に耳を傾けていると、寝る前に気付け用に飲んだブランデーの瓶とグラスが、丸テーブルの上に放置されていることにふと気づいた。欲求よりも惰性でそれを開けてグラスに注ぎ、一気に仰ぐ。食道を駆け抜けていく熱。その熱があのときの荒野の空気を連想させて、酒の味など感じるまでもなく不快になってしまう。セイラは二杯目を注ぐことなく瓶の蓋を閉めた。やがてジャズの音量が下がり、堅い印象の男性アナウンサーの声がニュースを読み上げる。不毛な時間を、また胃の痛くなるような知らせが上塗りしていく。
『それでは次のニュースです。先日ダカールで開催された地球連邦議会以降、初めて政府機関による政治意識調査が行われ、その結果が今日になって発表されました。調査結果によりますと、連邦市民のティターンズ支持率が同組織発足後初となる過半数割れを起こしたことになります。社会学者のミナカ・ユンカース氏はこの結果はエゥーゴ側代表者として登壇したクワトロ・バジーナ大尉の演説・及び地元テレビの報道による影響によって喚起されたものであり、今後もエゥーゴ支持者は増えていく見込みである、とのことです。
クワトロ大尉は演説の中で旧ジオン公国軍大佐で伝説的英雄であるシャア・アズナブルを自称し、同時に自らがジオンの遺児、キャスバル・ダイクンであるとの内容を公表しましたが、その信憑性については現在慎重に議論が重ねられています』
その時の演説はセイラも職場で見ていた。普段彼女はテレビを見る習慣がないのだが、部下に無理矢理デスクから連れ出されて休憩室のテレビに向かった。休憩室はたばこの煙で白く霞み、集まった人の熱気でひどく暑かった。数十人は押し掛けていただろうか。何事かヤジを飛ばしながら、そのテレビの中の人物を指さしては喧々囂々の有様だった。最初は怪訝な表情だったセイラもスピーカーを通して流れる声に何かを感じると、群衆をかき分けて一番前に陣取った。
癖のある金髪と切れ長で青い瞳、やや鋭角でスマートな雰囲気の顎。紺色のスーツに身を包んだその男の口調はかつてのジオン・ダイクンと酷似した、誇張と例示を織り交ぜた巧妙なものだった。七年前に再会した時とは違いずいぶんと痩せて骨格が角張り年を重ねた印象だったが、それでも妙な色気と妖艶さを兼ね備えている。危険な香りのする魅力、とでも言うのだろうか。
(議論なんてするまでもない。あれはキャスバル兄さんだった)
身振り手振りを大きく使い、モニターに写るモビルスーツを指し示してティターンズを指弾する男の姿。それを記憶から呼び起こし、セイラはあらためて思いを言語化した。
「兄さん。アムロ。あなたたちは本当にそれでいいの?」
小さく呟く声がラジオのノイズに紛れて消える。
アムロ・レイ。かつてセイラと共にホワイトベース隊に所属し、一年戦争を生き抜いたニュータイプの少年。今や成人し一人の人間として生きる彼は、再び戦場に戻ることを選択した。現在のセイラと同じく半幽閉状態でありながら、警備の目を盗み反ティターンズ組織に合流したらしい。
かつてセイラの目の前で死闘を繰り広げたアムロ・レイとキャスバルーーシャア・アズナブルが、今は同志であるということに彼女の感覚的な理解は追いつかなかった。そもそも戦場を経験したセイラにとっては、もう一度兵士になるという選択肢はありえなかったし、一度命のやりとりをした相手と肩を並べるということを想像するだけでぞっとしなかった。
自分が女だからだろうか、とセイラは自問する。この世が破壊と再生で成り立っているならば、男は破壊を象徴し、女は再生を象徴するものかもしれない。観念的な思考を柄にもなく弄びつつ、セイラは眠気が眼を重くしていくのを感じていたーー。
※※※
この年の11月、ロンドンは例年よりも曇りや雨が多くまた非常に寒さが厳しかった。今朝も小雨が霧のように空中を舞って視界が悪く、曇天がますます気を重くさせた。唯一救いだったのはこれから向かうオフィスが自宅から車で一時間もかからない場所に位置し、迎えの車が送迎してくれる手はずになってくれているということである。
セイラはいつも通りの白いパンツスーツに身を通して軽く身支度を済ませると、朝食をとらずに玄関先に向かった。彼女の趣味に合わない豪奢な構えの玄関にはすでに男性の秘書が待機していて、セイラの姿を認めると会釈をして笑顔を作った。
「おはようございます、セイラ。今朝もいい天気で。さ、お荷物をお持ちします」
「おはよう、エディ。本当に気が滅入るくらいのいい天気だわ」
そんな挨拶代わりの諧謔を弄び、二人は黒塗りのベンツへと向かっていく。
エディと呼ばれた秘書はくたびれた茶色のスーツに結び方を間違えた青いタイをしている一方、その見窄らしい服装からは考えられぬほどの屈強な体つきをしていた。身長は180センチを越える大男で背筋はぴんと延びており、毛先のカールした赤毛に人なつっこい笑顔。年の頃は40代の後半といったところだろうか。腕まくりをしてトランクにスーツケースをしまうその腕には、くっきりと筋肉の筋が刻み込まれている。セイラを車内にエスコートする所作は不器用ながらも様にはなっていた。
アイルランド系の白人男性のはずだが、日焼けした肌のせいで出身を見極めるのはかなりの困難を極める。職業も初見では肉体労働従事者に勘違いされそうなものだが、これでもセイラの秘書を務めて5年は経つ。彼の過去は全くの不詳で推測でしか判断できないが、彼はおそらく元軍人がそれに近い職業に就いていたのだろうとセイラは踏んでいる。おそらくエドワード・マクフライという名前も偽名であるだろうし、秘書というよりセイラを監視する役目が主業務のはずだ。セイラはこの男に守られていると共に、常に監視されているのを薄々感じていた。つまりは、この男も連邦軍の差し金なのだろう。直接聞いたことはないが、セイラはそう確信していた。
「新しい仕事があります。それも相当なヤマです。前にお渡しした11月の予定は全てキャンセルにしました」
5分ほど車道を流したところで、運転席のエディがミラー越しにセイラの方を伺いつつ、そう切り出した。「私の了解も得ずに結構ね。どうせ選択権はないのでしょうけれど」
セイラは特別驚きもせずにそう答えた。エディが愉快そうに唇を歪めて続ける。
「それなりの理由があるんですよ。この命令はーーいや、”依頼”はアストライア財団宛にでなく、セイラ・マス宛に封書で届きました」
そういうと、エディは懐から何枚かの便せんを取り出して寄越した。セイラは軽くそれらに目を通すと、ほとほと嫌気が差したように口を開く。
戦後、アルテイシアとしての身分が露見し、重ねてニュータイプとしての適性を示したセイラは、アムロと同じく反乱の可能性を恐れられ連邦軍の監視下に置かれていた。しかしその上でのある程度の活動の自由を認められたのは連邦にとっての利用価値があると見なされたからであろう。セイラは戦後ある筋から公益財団設立の話をを持ちかけられ、それに乗る形となった。戦災孤児の支援という活動内容は確かにセイラが決めたものだったが、流通する資金や人材の元をたどればすぐに連邦軍に結びつく。彼らの思惑通りに動かされていただけであるということは、聡明な彼女には簡単に理解できた。
「それでも出資者にはあらがえない。そうではなくって? ”命令”だとーーエディ、あなたがさっきそう口走ったのは聞き逃していないのよ」
「はは、痛いところを突かれましたーーああ、あとその手紙、読んだのならください。燃やさなきゃならねぇ」
つまりはアストライア財団という公益財団にセイラを釘付けにしておくことで、彼女の周りの人間関係・資金巡りを管理しておこうという魂胆である。正攻法でセイラを幽閉しておけばジオンの残党に反乱の口実を与えてしまいかねず、殺すことなど論外だった。それならばセイラにある程度の自由を与えて、彼女自ら連邦に依存しなければいけない環境を作ってしまえばいいのだ。実際の活動も戦後復興に役立つものであるし、今回のように連邦軍のデリケートな問題をもみ消すには、逆らうことのできない外部の傀儡を使役することが最も効率がよいのだった。
この段取りを考えた人物は相当の切れ者だとセイラは呆れながらもそう思った。そうして、あらためて便せんの文面を眺めてみる。
(東アフリカの戦争難民保護、か。ダカールでの戦闘の後処理ってわけね)
「私はだんだんと政治屋のようになってきているわ。自分でもわかるの」
手紙を放るように手渡しつつ、セイラは窓越しに曇天を見上げた。ひどく疲れた気分だった。エディがいつもの軽薄な笑みを引っ込めて、色を正した声音で返答する。
「あなたは政治には向きませんよ。あなたは信念の人だ」
その言葉に、意外なものを聞いた気がしてセイラは座席に埋もれさせた体を少し持ち上げた。
「政治は信念からなるのではなくって?」
「違いますね。政治は時宜によって左右に泳ぐものだ。だけれどあなたは左右にはぶれることがない。いい意味でも悪い意味でもね。芯が一本通っていて決して動かない。バカ正直な人です。だから政治屋にはなれませんよ」
その言葉が自分を褒めているのだと一瞬遅れて気づき、セイラはミラー越しの視線から目を逸らしながら答えた。
「買い被りすぎよ、エディ」
そういいながら頭を預けた窓ガラスには、ぽつりぽつりと小さな雨粒がつき始めていた。
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