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幻影想夜

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第二十五夜「夕暮れの街角で」


 見上げれば空は高く、乾いた風が実を結び頭を垂れた稲穂を靡かせる。
 木々の間からは蝉時雨が降り注ぎ、まさに夏と秋の狭間…。清々しさの中に、どことなく淋しげな…それでいて懐かしいような空気を漂わせていた。

 ふと…どこかで爆竹の破裂音が響き、彼は後ろを振り返った。
「今も昔も…子供ってのは変わらない…か。」
 歩道の脇には大きな公園があり、向かいには藤棚がある。そこで子供達が爆竹をして遊んでいたのだ。
 尤も…そこの公園の看板には<花火禁止>と書かれている。爆竹も無論、花火であるのだが、そこで子供達を呼びつけて叱るのも無粋と言うもの。
 彼は何を言うともなく、小さく溜め息を溢して駅へと向かう。別に電車に乗る訳ではなく、ただ…歩いているだけ。
 彼は…一人で部屋に居ることが居た堪れなくなったのだ…。だから…気を紛らすために散歩していたのだ。
 暫く歩いて信号を渡ると、人通りの多い商店街へ出る。彼はそこを何気無く歩いていると…。
「あっ!すみませんっ!」
 急いでたのか、彼へと女性がぶつかってきた。
 年の頃は二十代後半…彼と然して変わらぬ年頃である。
「あ…いえ、平気ですから。」
「本当にすみませんでした!」
 彼女はそう返し、直ぐに立ち去った。彼も何事も無かったように歩き出したが…不意に、過去の光景がダブって見えた気がした…。

- あいつに少し…似てたかな…。 -

 あいつ…とは、彼が以前付き合っていた女性のことだ。
 その女性はどこかのんびりとしていたが、おっちょこちょいな面があり、二人で街に出てみれば、彼女は必ず人にぶつかる…。場所を入れ換えれば垣根や看板にさえぶつかる…。
「どうしてっかなぁ…。」
 誰とはなしに呟く…。
 その時、街に「ふるさと」のメロディーが響いた…五時になったのだ。
 夕の朱に響く物寂しい旋律は、彼の胸にも迫ってきた。
 もう帰ることのない場所…いや、もう帰る場所のない町…で、あろうか…。
 彼は彼女と共に過ごした町並みを思い出しながら、坦々と歩き続けたが、ふと…。

- 由紀…? -

 街角で彼の目に留まった女性が、古い記憶と重なったように見え…彼は苦笑しつつ頭を振った。
 一人が堪えられず出た部屋…だが、外へ出れば夕の紅に淋しさを覚えて過去を見てしまう…。
「感傷…だな…。」
 そんな彼の声は、到着した駅前の喧騒に掻き消され、何も無かったかのように彼を歩かせる…。
 彼は駅のエスカレーターに乗り、通路を渡り…反対口を出る…。目の前にはロータリーがあり、その中央は数本の欅が植えられた小さな公園になっていた。
 彼はそこを突っ切り、真っ直ぐに歩いて行く。
 然して時間も掛からず、彼は大きな交差点へと出ると、信号待ちの人波の中に…また、在りし日の影を垣間見た…。

- あ…。 -

 彼は…それを否定した。
 ここに彼女は居ないのだ。彼は彼女と別れて…ここに居る。彼女は今、別の男と結婚して幸せに暮らしているはずなのだ…。
 なのに…。

- またかよっ…! -

 燃えるような赤に染まる街並み…その街角のあちらこちらに彼女の姿が見えるようで…。
 有り得ない…ここに彼女との思い出は無いのに、なぜこんなにも彼女の影がちらつくのか…。
 それが嫌になり…あの町を出たと言うのに…。
 彼は自分が女々しく思え、直ぐ様踵を返した。

- これじゃ…部屋を出た意味ねぇじゃん…。 -

 そうして彼は…今来た道を戻ることにした。
 だが…背後から感じる夕影に、心が搦め捕られているような…彼はそんな錯覚に襲われた…。
 彼は思う…別れたくて別れたんじゃないんだ…と。
 しかし、そう思うことさえ自分の女々しさを強調するようで、余りの虚しさに歩く速度を上げた。
 過去から伸びる長い影…それがどこまでも長く…今の自分へと届いてしまいそうで、いつの間にか…彼は走り出していた。
「あっ…!」
 彼は角から出てきた人にぶつかってしまい、見れば、相手…女性は尻餅をついていた。
「あたた…。」
 その女性は直ぐ様彼を睨み、文句を言ってやろうとした刹那…。
「あなた…さっきの!」
「えっ…?ああっ!!」
 彼がぶつかった女性は…彼がぶつかられた女性であった。
 何の因果か…その女性が彼にぶつからなければ、彼は別れた彼女とのことを思い出すこともなく…在りし日の影から逃げるように走り出すこともなかった。
 彼は何とも言えず…どことなく淋しげな表情を浮かべていた。
 女性はそれを知ってか知らずか、手を出して彼へと言った。
「起こしてくれても良くありませんか?」
「あぁ…ゴメン。」
 彼はそう言って女性の手を取り、スッと引き上げた。女性は立ち上がると服を整えながら言った。
「これ…さっきの仕返しですか?」
「な…!そんな…いや…」
 女性の言葉に彼は慌てふためいたが、女性はそんな彼の姿に吹き出してしまった。
「ごめんなさい。冗談ですから。」
 そう笑いながら言う女性に、彼は胸を撫で下ろした。
「あ…でも、急いでたんじゃないんですか?」
 女性が心配そうに言う。走ってたのだから、それはまぁ…急いでいたと思われるだろう。
 しかし…昔の彼女の思い出から逃げていた…などと言えようもなく、彼は「いや…別にそう言う訳じゃ…。」とお茶を濁した。
 彼がそう返すと、女性は少し考え…彼に言った。
「でしたら…お茶でもどうですか?勿論、あなたのオゴリで!」
 女性は笑ってそう言ったが…彼はどう返したものか分からなかった。
 だが…このまま帰っても一人なことは変わらない…。
「俺で良ければ…喜んで。」
 彼は苦笑しつつ、そう女性に返答した。
「私は早紀…小野木早紀と言います。」
「俺は…了。長谷川了だ。」
 そうして二人は夕暮れの街角で、他愛ない話しをしながら喫茶店へと向かう。

 人は些細なことで別れ…そして些細なことで知り合うもの。


 夕暮れの街角はもう…淋しくはない。



       end...



 
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