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Dragon Quest外伝 ~虹の彼方へ~

作者:読名斉
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Lv4  商業都市マルディラント

   [Ⅰ]


 翌日の早朝。
 日が昇り始めた頃に、俺とヴァロムさんは、イシュマリア国南部に位置するマール地方最大の商業都市・マルディラントへと馬車で向かった。
 御者は勿論ヴァロムさんが務めており、俺は後ろの荷台に座って後方の監視をする様に言われている。
 要するに、魔物が近づいてきたら報告しろという事である。
 そして監視をする以上、俺も魔物に襲われる危険があるので、ヴァロムさんから一応武器を用意してもらったのだ。
 その名もなんと……ひのきの棒……。
 これを渡された時、表情には出さなかったが、正直、絶望的にガッカリしたのは言うまでもない。
 せめて「どうのつるぎ」くらいは用意して欲しかった。
 しかも、このひのきの棒、実は物干し竿代わりにヴァロムさんが使っていたやつらしいのだ。
 これを聞いた時、俺はもう絶句であった。
 おまけに「これしかなかったわい」と笑いながら渡してきたのである。もはやワザとやっているとしか思えない所業であった。
 話を戻すが、恐らく、リカントクラスの魔物をひのきの棒で攻撃したところで、与えられるダメージは蚊が刺した程度だろう。いやもしかすると、ダメージゼロという超展開も期待できるかもしれない。ハッキリ言って、心許ない武具なのである。
 俺もヴァロムさんに他の武器は無いかと、一応、聞いてはみた。が、即答で「無い」という答えが返ってきたのであった。
 とまぁそういうわけなのだ。もうなにもいうまい……。

 話を変えよう。
 次に俺達の乗る馬車だが、モロに荷馬車といった感じの代物で、俺が座るこの荷台も飾りっ気などは全くない。
 しかも、糞暑い日差しが直に降り注いでくる、オシャレなオープンカー仕様となっているのだ。
 直射日光を受け続けて熱中症にならないか少し不安であったが、今日は風が多少あり、割と涼しい日であった。
 なので、熱中症になるほどの暑さではないのが唯一の救いだ。
 また、俺の座るこの荷台はほぼ木製で、金属のパーツ類は、繋ぎ目部分や強度が必要なところ以外は使われて無いようである。
 その他にも、この荷馬車は長い間使っているのか、所々に色褪せた部分が散見される外見なのであった。
 というわけで、見た目を分かりやすく言うと、古びたリヤカーを馬で引いてる感じだろうか。
 とにかく、そんな感じの実用重視な荷馬車なのである。
 だから、乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。 
 ガタガタという音と共に、縦に揺れる振動が伝わってくるので、俺自身、最初の30分程は乗っていて気分が悪くなったものだ。
 しかし、今はこれ以上の移動手段は期待できないので、ここは我慢するしかないのである。

 話は変わるが、出発してからかなり時間が経過しているにも拘わらず、俺達は今のところ、魔物には遭遇していない。
 いや、正確に言うと魔物の姿を発見する事はあったのだが、俺達に近づいて来ようとしないのである。
 ちなみに、それらの魔物の中には、蝙蝠みたいな翼を生やした子供の悪魔・ベビーサタンみたいなのや、羊みたいな魔物の姿もあった。
 多分、羊みたいなやつは、俺の記憶が確かならマッドオックスとかいう名前だったような気がする。
 それと他にもいたが、遠くて判別できない魔物もあったので、発見するだけなら何回もしていたのだ。が、しかし……なぜか知らないが、魔物達は俺達を避けるかのように、こちらには進んでこないのであった。
 それが不思議だったので、馬の休憩の時、俺はヴァロムさんに訊いてみた。
 するとヴァロムさんが言うには、魔物が嫌がる芳香をこの荷馬車が発しているからなのだそうだ。
 しかも芳香は、この荷台に使われている木材から出ていると言っていたので、これには俺もびっくりしたのであった。
 かなり貴重な木材を使って作られた凄い馬車らしく、見た目に惑わされてはいけないようである。
 考えてみれば、デフォルトでトヘロスや聖水の効果が備わってる馬車なんてゲームに無かった逸品だ。
 見た目は武骨でセンスの欠片もないが、まさか、こんなスペシャル機能があったとは……。
 俺はそれらを聞いて、この馬車に対する評価が180度変わった。
 またそれと共に、道中の不安も少し和らいだのである。
 というわけで、話を戻そう。

 俺達が移動を始めてから、もう既に6時間以上は経過していた。
 周囲は相変わらず、グランドキャニオンの様な赤い岩山だらけの所であったが、心なしか、岩山の高さも少しづつ低くなってきていた。
 また徐々にではあるが、芝生の様な緑の雑草が生い茂る部分や広葉樹の姿も、チラホラと確認できるようになってきたのである。
 これらの変化を見る限り、恐らく、このベルナ峡谷も、そろそろ終わりが近づいてきたという事なのだろう。
 それにしても、このベルナ峡谷というところは、かなり広大な地域のようである。
 しかも広大な上に、非常に険しい一面も持っているのだ。
 ヴァロムさんが初日に、俺のような格好をした者が来る場所じゃないと言ってたが、この光景を見る限り、頷かざるをえまい。おまけに魔物が住んでいるとなれば、尚更である。
 あの時はよく分からなかったから適当に聞き流していたが、保護してくれたヴァロムさんに感謝しないといけないなぁと、俺はこれらの光景を見ながら思っていたのであった。

 それから更に時間が経過する。
 ベルナ峡谷はもう完全に抜けており、周囲の景色も、無機質な岩や砂の大地から、草原の広がる青々とした大地へと変化していた。
 先程までは後方に確認できたベルナ峡谷の姿も、ほぼ見えなくなっていた。
(さて……ベルナ峡谷は抜けたけど、このまま道なりに行けば、マルディラントなんかな)
 ふとそんな事を考えていると、ヴァロムさんの声が聞こえてきた。
「コータローよ。見えてきたぞ。あれがマルディラントじゃ」
 俺は前方に視線を向ける。
 すると、蜃気楼のように見えるぼやけた街の姿が、前方に小さく見えてきたのであった。 
 あの位置を考えると、どうやら、ベルナ峡谷から少し離れた所に、マルディラントという街があるようだ。
「やっとですね。かなり長かったので、何もしてないのに疲れてしまいましたよ」
「カッカッカッ、まぁそうじゃろうな。荷台はかなり揺れるからの。とりあえず、後もう少しじゃ。我慢せい。ソレッ」
 意気揚々とヴァロムさんは手綱を振るう。
 そして、馬車はマルディラントへと、足を速めたのであった。


   [Ⅱ]


 イシュマリア国南部のマール地方。その中央に位置する商業都市マルディラントは、文字通り、このマール地方の経済の要となる街のようである。
 街に向かうにつれ、街道には、沢山の荷物を積み込んだ荷馬車や普通の馬車、そして、徒歩や馬で行き交う旅人達の姿も確認できるようになってきた。
 また、それらの行き交う人々の服装を見ていると、ドラクエでは定番である布の服や旅人の服のような物を着ている者や、重厚な金属製の鎧や鎖帷子を装備した者、そして、俺達のようにローブを着た者等、それこそ多種多様であった。
 しかも、その上、様々な人種が行き交っているのだ。それらの中には、俺の様な日本人に近い顔つきの者もいた。
 その為、色んな用事を持った人々が、ここを行き交っているというのが、これを見ているだけでよく分かる。
 そして、これら光景は、マルディラントで人と物と金が大きく動いているという事の証でもあるのだ。
 まさに商業都市といったところだ。が、しかし……俺はそれらの光景を眺めている内に、心の片隅に残っていた僅かな希望が消えてしまったのであった。
 やはり自分はまだどこかで、異世界にいると認めていなかったのだろう。
 俺が今まで見てきた光景は、全部作り物で、俺を騙す為に誰かが仕組んだ事なんだ……そう思っていた部分がごく僅かにあったのである。
 しかし、この多くの行き交う人々を見て、ここは現代日本とは違うのだなと、俺は今になってようやく確信したのであった。
(……今まで見てきた景色もだけど、ここにいる人々はどう見ても日本人じゃないなぁ……やっぱここは異世界だわ。知った光景や、知り合いがいない世界か……これ以上ないくらいに、ボッチを極めてるやんか、俺……)
 感傷に浸りながらも、馬車はマルディラントへと進み続ける。
 近づくにつれて、マルディラントの街並みが段々とハッキリしてきた。
 流石にゲームと違って、街の建造物の多さは桁外れであった。
 ハッキリ言って、ゲームなんかとは比較にならない。
 なので、ここがゲームとはとても思えないのである。が、ここではゲームの中で出てきた魔法やアイテムが、確かに存在しているのだ。
 だがまぁ、それについてはもう考えても仕方ないので、俺はもう考えないことにしたのであった。
 というわけで、次にいく。

 このマルディラントは、白い石造りの建造物が建ち並ぶ中心に、美しい巨大な城が聳えるという様相をしており、ドラクエとかでは比較的に良く見かける構造の街であった。
 そして、城の周囲は、これまた巨大な城塞で囲われており、豪華で堅牢なイメージを見る者に与えるのである。
 だが、城の大きさに対して城塞はありえないくらいに広かった。
 例えるならば、こたつの台の上に、小さなみかんを一個だけポツンと置いた感じだろうか。
 とにかく、そのくらいのギャップが城と城塞の間にはあるのだ。
 これは俺の想像だが、元々この街は、あの城塞の内側だけだったのかもしれない。
 しかし、人が集まるにつれて城塞の中には入りきらなくなり、外にも建造物が増えていったのだろう。
 ただ、建物の建築様式は中世ヨーロッパというよりも、どちらかというと古代ローマの様式に近い感じであった。
 その為、このマルディラントは確かに大きな街であるが、色彩鮮やかなヨーロッパの街並みのように華やかではない。
 どちらかというと、控えめな美しさを感じさせる彫刻品のような街並みなのである。
(古代ローマ帝国の街並みもこんな感じだったのかもな……)
 ふとそんな事を考えながら、マルディラントの街並みに目を向けていると、突然、馬車のスピードが徐々に減速していった。
 何かあったのだろうか? と思った俺は前方に視線を向ける。
 すると、沢山の荷馬車が行き交う事もあって、街の入り口手前辺りから、ちょっとした渋滞が起きていたのだ。
 しかも、道が一本しかない上に、後ろからも沢山馬車が来ているので、迂回も出来ない状況なのである。
 これは我慢するしかなさそうだ。
「ふぅ……マルディラントに来るといつもこうじゃな。こりゃ、少し時間がかかるわい」
 ヴァロムさんもこの渋滞にはお手上げのようだ。
 現代日本でもそうだが、人が増えるにしたがって交通渋滞が起きるのは、どの世界でも同じなようである。
「そうみたいですね。まぁいいじゃないですか。街は逃げないですから、気長に行きましょう」
「ふむ。お主の言う通りじゃな。気長にいくとするか」
 というわけで俺達は、暫しの間、渋滞のなかを進んでゆき、マルディラントの中へと入って行ったのであった。


   [Ⅲ]


 街の中に入った俺達は、街道から地続きになっている大通りをそのまま進んでゆく。
 馬車が闊歩することもあってか、大通りはそれなりに広かった。
 日本の道路で例えるならば、幅にして3車線はある道路といった感じだろうか。大体、そのくらいの広さである。
 だが、馬車が通れるのは大通りだけのようで、建物の脇にある裏の道は、人が擦れ違うのがやっとな細い道ばかりであった。
 その所為か、大通りの沿道には、荷馬車や辻馬車がとまる停留所みたい場所が幾つか確認できた。
 またこの沿道にはそれらの他に、露天商などの姿も沢山あった。
 そこでは沢山の人々が買い物をしており、今もその賑わいを見せているのだ。
 ついでに美味そうな匂いも漂っているので、俺の腹はさっきからグゥグゥと鳴りっぱなしなのである。
 というわけで、俺は早く飯にありつきたい一心から、ヴァロムさんにそれを訊いてみた。
「あの、ヴァロムさん。だいぶ進みましたけど、どの辺りで食料を調達するんですか?」
「まずその前に、ちょっと寄らねばならぬ所があるのじゃ。じゃから、食料の買い入れは後回しじゃ」
「へぇ、そうなんですか。まぁこの辺の事はさっぱりなんで、お任せしますよ」
 俺達はその後、城塞がある方向へと進んで行った。
 大通りを真っ直ぐ進んで行くと、アーチ状になった城塞の門が前方に見えてくる。
 そこには鎧を着こんだ数人の兵士が門の左右におり、剣や槍といった物々しい装備をして佇んでいた。恐らく、門番の衛兵だろう。
 この衛兵達を見る限り、城塞から奥は、この街の支配階級が住んでいる区域に違いない。
(まぁ俺達にはあまり縁のない場所だから、別にどうでもいいが……って、え?)
 などと考えていると、ヴァロムさんはそのまま門の方へと馬車を向かわせたのである。
 そして門の前で、ヴァロムさんは馬車を止めたのだ。
 門の兵士達が威圧感を漂わせながら、俺達の所へとやってきた。
 兵士の1人が口を開く。
「ここより先は、平民の立ち入りは禁止だ! 引き返すがよいッ」
 思った通りの展開だ。
 ヴァロムさんはそこで、首に掛けたネックレスのような物を兵士に見せた。
「儂の名はヴァロム・サリュナード・オルドランという。アレサンドラ家の当主・ソレス殿下に用があるのでな。通してくれぬか?」
 と、その直後であった。
 兵士達の表情が、見る見る青褪めた感じになっていったのである。
 それから兵士達は慌てた様に取り乱し、ヴァロムさんに頭を垂れたのだ。
「た、大変、失礼をいたしました。オ、オルドラン様。どうぞ、お通り下さい」
「そこまでせんでもよい。儂はもう隠居した身じゃ。では通らせてもらうぞ」
「ハッ!」
 兵士達は急いで門を開き、道を空けた。
 対する俺はというと、この展開をただ呆然と眺めているだけなのであった。
(ええっと……どういう事? どういう事? 何、この展開?)
 疑問は尽きないが、俺達はとりあえず、城塞の中へと入る事ができたのだ。

 俺は離れてゆく城塞の門と、前方で手綱を握るヴァロムさんを交互に見た。
 あまりに予想外な展開だったので、今のやり取りの意味がよく分からなかったのだ。
 でも、あの兵士達の様子はただ事じゃない。
 あれはどう考えても、水戸の御老公一派が、散々敵をいたぶった挙句に印籠見せつける時の反応と、同系列のものなのである。
(一体、何者なんだ、この爺さんは……。まさか、元副将軍とかいうオチはないだろうな……)
 これは当然の疑問であった。
 というわけで、早速、訊いてみる事にした。
「あの、ヴァロムさん。さっき、兵士達が委縮してオルドラン様とか言ってましたけど、どういう事なんですか? それとアレサンドラ家というのは……」
 ヴァロムさんはこちらには振り向かず、静かに話し始めた。
「ふむ。お主にはあまり関係ないじゃろうから黙っておったが、儂は以前、イシュマリアの王都オヴェリウスで、王を補佐する宮廷魔導師をしておったのじゃよ。今はもう息子に、その役目は譲ったがの」
「宮廷魔導師……」 
 なんとなく凄い響きの言葉である。
 しかも王を補佐していたという事は、ヴァロムさんは、かなり位の高い貴族のようである。
 そんな事など考えた事も無かったので、俺は今、少しショックを受けたのであった。
 ヴァロムさんは続ける。
「それとアレサンドラ家はな、このマルディラントを含むマール地方を治める太守なのじゃ。そして儂は今、あそこに見えるアレサンドラ家の居城、マルディラント城へと向かっておるというわけじゃわい」
 ヴァロムさんはそう言って、前方に見える城を指さした。
「そ、そうだったんですか。すごいお知り合いの方がいたのですね……」
 俺も前方に聳える城へと視線を向ける。
 するとそこには、白い外壁で覆われた美しい西洋風の城が、俺達を見下ろすかのように厳かに佇んでいたのであった。


   [Ⅳ]


 城門で馬車を降りた俺達は、白いローブのようなガウンを着た中年の男に、城内へと案内された。
 ちなみに荷馬車は、この城にいる馬の世話役をしている方々に、厩舎の方へと移動をしてもらった。どうやら、その辺の心配は無用のようである。
 まぁそれはともかく、このマルディラント城だが、流石に太守とやらの城というだけあって、城内は品の良い身なりをした人達ばかりであった。
 とはいっても、服装は案内する男のように、古代のギリシャやローマのような貴族の出で立ちをした者ばかりなので、あまり派手な感じではない。
 また、鎧を着た衛兵の方々もいるにはいるが、特定の場所に立っているだけなので、決して物々しい雰囲気ではない。中にいる人々は、寧ろ、静かで厳粛な雰囲気であった。
 また、俺達が進む廊下には赤い絨毯が敷かれており、その脇には高級感あふれる絵画や石像といった美術品が幾つも飾られていた。
 その影響もあってか、全体的にこの城は、上品な美術館のように俺の目には映ったのである。
 俺達はそんな様相をした廊下や階段を、男に案内されて進んでゆく。
 それから程なくして、花のレリーフが施された、高級感あふれる扉が前方に見えてきた。
 男はそこで立ち止まり、扉に手を掛けた。
「さ、中へお進みください、オルドラン様」
「うむ」
 そして俺達は部屋の中へ、足を踏み入れたのである。
 中は応接間みたいな感じで、高級感あふれるソファーや椅子が、真ん中にある大理石風のテーブルを囲うように置かれており、周囲の壁際には、廊下と同様、様々な美術品が飾られていた。
 またそれらに加え、宝石をちりばめた様な美しいシャンデリアが、天井から釣り下がっているのである。
 この室内の様相を見た俺は、直観的にこう思った。
 ここはただの応接間ではなく、恐らく、要人を招く為のVIPルームだと……。 
 俺達が部屋の中に入ったところで、案内人の男は口を開いた。
「ではオルドラン様。ソレス殿下はただ今、御公務の最中でございますので、申し訳ございませぬが、暫しの間、こちらの部屋にてお寛ぎ頂けますよう、よろしくお願い致します」
「うむ。すまぬの。待たせてもらおう。では、コータローもそこに掛けるがよい」
「はい、ヴァロム様」
 俺はヴァロムさんの言葉に従い、ソファーへ腰を下ろした。
 と、その時である。
「失礼いたします」
 メイドらしき服装の若い女性が、美しいグラスを乗せたトレイを持って部屋に入ってきたのだ。
 その女性は、俺達の前にある大理石風のテーブルに、手例に乗せたグラスを静かに置いてゆく。
 グラスには液体が入っており、甘く良い香りがした。多分、ジュースか、果実酒といったところだろう。
「では何か用がございましたら、この者に仰って頂きますよう、よろしくお願い致します。それでは、ごゆっくりと」
 男はそれを告げると、この部屋を後にした。
 そして、メイドさんは手を前に組んで背筋を伸ばし、扉の脇に静かに佇んだのである。
 これを見ていると、メイドさんも中々に大変な仕事のようだ。
 まぁそれはさておき、俺達は暫しの間、肩の力を抜いて、旅の疲れを癒すことにしたのであった。

 ――それから30分後――

 この部屋の扉からノックする音が聞こえてきた。
「何であろうか?」と、ヴァロムさん。
 そこでガチャリと扉が開き、俺達を案内した男が姿を現した。
「オルドラン様。ソレス殿下がこちらにお見えになります。お迎えのほど、よろしくお願い致します」
「うむ」
 というとヴァロムさんは静かに立ち上がる。
 俺もそれに習って立ち上がった。
 そして暫くすると、高貴な佇まいをした白髪の初老の男が、何人かのお供を連れて現れたのである。
 俺が見た感じでは、スペインやポルトガルといったラテン系の顔つきをした男であった。
 上背はそれほどなく、別段太っているわけでもない。全体的に中肉中背といった感じだ。
 男は、金色のサークレットを頭に被り、古代ローマ風の貴族の衣服を着るという出で立ちしていた。衣服の色彩は鮮やかで、赤や白や紺に加えて金色の生地の部分もあり、右手には、青く美しい宝石が嵌め込まれた杖を携えている。とまぁ早い話が、この中では一際目立つ存在であった。
 なので、この男がソレスという太守に違いない。
 
 初老の男は俺達に視線を向けると、笑みを浮かべて口を開いた。
「久しぶりだな。オルドラン卿。相も変わらず、元気なようで何よりだ」
「ソレス殿下もお変わりがないようで、何よりにございます」
 というとヴァロムさんは頭を垂れた。
 俺もそれに習う。
 そこでソレス殿下は俺に視線を向けた。
「そちらはアマツの民の方かな?」
(は? アマツの民?)
 そういえば以前、ヴァロムさんも同じような事を言っていた。
 一体、どういう意味なんだろう?
 などと思っていると、ヴァロムさんは言った。
「この若者は、最近、私の弟子になったコータローと申します。まぁこの地の事はまだ何もわからぬ若輩者なので、そこは少し大目に見てやっていただきたい。ではコータローよ、挨拶しなさい」
 うわぁ……どうしよう。
 作法が分からん。
 仕方ない。とりあえず、それっぽくやっとくか。
 というわけで、俺は恭しく頭を垂れた。
「お初、お目にかかりますソレス殿下。私の名はコータローと申しまして、ヴァロム様の元で教えを受けている者にございます。なにぶん、この地の事は初めてですので、粗相があるかもしれませぬが、ご容赦のほど、よろしくお願い致します」
 まぁこんな感じでいいだろう。
 バイトで習った接客言葉だけど。
「ほう……中々に優秀な弟子を持ったようだな」
「いやいや、まだまだ未熟な者ですので、これからどうなるかは分かりませぬ」
「しかし、滅多に弟子などとらぬお主の事だ。相応の素養があるのであろう。さて、では立ち話もあれだ。まずはそこに掛けたまえ。これは公務ではないのでな。お主とは楽に話したい」
「では、お言葉に甘えて」
 俺とヴァロムさんはソファーに腰を下ろす。
 俺達が座ったところで、相向かいのソファーにソレス殿下も腰を下ろした。
 と、そこで、ソレス殿下は、お供の1人を隣に座るように促したのである。
「アーシャよ。そなたもここに座れ。お主もオルドラン卿に聞きたい事があったのであろう?」
 俺はアーシャと呼ばれた人物に目を向ける。
 するとそこにいたのは、サラッと流れるような長く茶色い髪を靡かせた、うら若き美しい女性であった。
 青と白で彩られたローブを身に纏っており、頭部にはカチューシャのような飾りがあった。
 年は幾つくらいだろうか……俺の見立てでは十代後半くらいに見える。
 顔つきはソレス殿下と同じく、ややラテン系といった感じであった。
 まぁそれはさておき、その女性はソレス殿下の言葉に頷くと、その隣に腰を下ろす。
 そこでソレス殿下は他の者達に言った。
「では他の者達は、もう下がってよいぞ」
 ソレス殿下の言葉に従い、他の者達は次々と退室してゆく。
 そしてこの部屋は、俺とヴァロムさん、ソレス殿下にアーシャ様の4人だけとなったのである。
 ヴァロムさんがまず口を開いた。
「しかし、ソレス殿下。ご息女のアーシャ様も大きくなられましたな。しかも、お母上であるサブリナ様に似て、お美しゅうなられました」
「まぁ確かに大きくはなったが、子供の頃と同じで男勝りなとこは、あまり変わっておらんのだ。そこが私の悩みでもあるのだよ。まったく、誰に似たのやら」
「お父様。その事は言わないでください」
 アーシャという女性は、可愛らしく頬を膨らませた。
 そんな仕草も魅力的である。
「ところでオルドラン卿。一体、今日はどうしたというのだ? もしや、アレについて何か分かったのか?」
 ヴァロムさんはそこで俺をチラッと見る。
「いや、それはまだ分かりませぬ。ですが、それに関連した事で、ちょっと調べたい事がございましてな。今日は、殿下にお願いがあって参った次第であります」
「ふむ。……そういう事か。で、何を頼みにきたのだ?」
「このマルディラントにて厳重管理されているイシュマリア誕生より遥か昔の古代書物【ミュトラの書・第二編】を拝見させて頂きたいのです――」 
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