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戦姫絶唱シンフォギア~貪鎖と少女と少年と~

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第一話 窓拭きの少年

 
前書き
鍵のすけくんと申します!
シンフォギア大好きで書きました 

 
 ――消えなさい。

 嫌だ、と少女は首を横に振るう。そんな選択肢なぞあり得ないとばかりに。

 ――さっさと消えなさい。

 嫌だ、と少女は瞳を細める。去れば二度とは会えないから。何の気なしに触れた胸に着けているモノ。ソレは仄暗い誓いであり尊ぶべき絆。
 指先から伝わる無機質な冷たさ。噛み締めるようにソレを握り締めながら、少女は言った。

「貴方とまた、逢いたいです」

 ――こちとら何千年にも渡る悲願を果たせるかどうかの瀬戸際なの。そんな心の余裕、少したりとも無いわ。

 ぴしゃりと告げられた一言に、少女は少しばかり表情に影を落とす。そういう人である。少女も今更どうこう言ってもらえるとは思っていなかった。僅かばかり諦めたように背中を向ける少女。

 ――でもまあ。

 その背中へ、“声”は言う。

 ――気が向いたら物見に出向いてあげるわ。貴方が無様に生き縋っている所をね。

 ああ、と少女はゆっくり頷き、そのまま振り返らなかった。元より“声”もそれを望んでいないことなぞ百も承知。“声”の気まぐれに応える方法なぞ分かり切っている。そしてそれがそのまま“声”の意思であることも。
 これから征くは三千世界の荒野だろう。“声”はもういない、気配も消えた。背中に掛かる暖かさも失せた。待ち受けるであろう冷たい風、無機質な鉄火、どうしようもない敵意。
 だからこそ。

「今までありがとうございました。そして、さようなら。冷たくて優しい二人目のお母さん。――――フィーネ」

 心に灯る火だけは絶対に消して堪るものかと、少女は心に誓えるのだ。


 ◆ ◆ ◆


 私立リディアン音楽院。
 その名の通り、各種音楽教科を中心に据え、その脇を固めるように一般教科を組み込むという普通ではまず聞くことのないであろう特殊なスタイルとなっている学校である。またその校舎というより宮殿と呼んでも差し支えないであろう豪奢かつ雅な外観は時折ニュースや雑誌に出るほど。また、財政界から寄付金を募ることで私立学校でありながら非常に安くなっている学費も注目の一助となっている。
 その繋がりを探ろうと幾つものマスメディアが探りを入れるも結果は芳しくない。やがて、そこに触れるのはタブーとすらなっていた。

「…………」

 屋根に一人、黒髪の少年が立っていた。
 風になびくは頭に巻かれた赤いバンダナ、そして前のボタンが全て開けられた学ラン。装いはそれだけではない。背中にはバックパック、下腹部辺りには機械的なベルトが巻かれていた。中心部には三本爪のクローが備えられ、右腰部には水が入った蓋つきのバケツ、そして左腰部辺りから伸びるコードは少年が左手に持っているボタン付きのスティックに繋がっていた。

「……さて」

 少年の視線の先には屋根の先端。狙いを定め、ボタンを押し込むと、中心部のワイヤークローが目標へ飛んでいく。先端をがっちり爪が掴むと、少年は外れないかどうか念入りに確認をする。ここを怠るとあっという間に落下し、バックパックに用意されている緊急パラシュートを作動する羽目になる。
 確認作業を終えた少年は後者に向き合うように身体を向けた。ここからが少年の仕事の始まりである。

「ふっ……!」

 少年の、この私立リディアン音楽院における役割とはずばり『清掃員』である。女子高であるこの学校に男性が、しかも十八となる少年がこうして働いていることにはそれ相応の理由がある。当然、一時期は生徒達の噂ともなっていた。
 だが、それは事実であり、少年は働くべくしてこのリディアンで働いていた。――しかし、少年自身が詳細を語ろうにも語れないというのも、また事実であった。

(そういえばまだ顔も見たことなかったな。俺をこのリディアンで働けるようにしてくれた“良いおっさん”)

 短く息を吐き、少年は一思いに屋根から飛び降りる。すぐさまベルトからワイヤーがどんどん伸びていき、それがそのまま少年の命綱となる。
 少年は特に恐れた様子もなく、まるで消防士のように学校の壁を蹴っては目的地である窓まで降りていく。その手馴れた様子は以前からやっていたベテランの風格とも言えよう。
 あっという間に窓まで辿り着いた少年は枠に足を掛け、そのまま右手に持っていたスクイージーで掃除を開始する。水に一度漬け、そして窓を拭くという工程を熟練の流れでこなし、また次の窓へと行く。
 この時間が少年は好きだった。ワイヤー吊りとはいえ、空中を自由自在に動いているようなこの感覚がどうしようもないくらい開放感を感じられてしまう。

「ふん……ふん……ふん~」

 無意識に少年は鼻歌を歌っていた。双翼の歌姫、その名は『ツヴァイウィング』。既に解散はしていても、少年の心の中には常にこの二人がいたのだ。今歌っているのは少年が最も好きな曲である『ORBITAL BEAT』。胸が爆発するようなサウンドは少年の心を掴んで離さずにいた名曲中の名曲である。少なくとも少年はそう思っていた。
 無心で掃除をしていると、次に片づける予定の窓が開き、そこから女の子が顔を出した。

「鳳さーん!」
「……ん?」
「鳳郷介さーん!! 今日も窓拭きお疲れ様で~す!」

 『鳳郷介』と呼ばれた少年はぶんぶんと手を振る明るい髪色の少女、そしてそれを諫める黒髪の少女を見て、少しばかり顔をしかめた。相変わらず仕事の邪魔をする奴め――そう思いながらも鳳はワイヤーに吊られた身体を巧みに動かし、彼女達の近くの窓枠に手を掛けた。

「お前は俺の仕事の邪魔をするのが仕事らしいな立花響」

 立花響――私立リディアン音楽院の一年生にして、鳳の後輩とも言える少女である。彼女はこうして掃除をする鳳を見ては挨拶をしてくるのだ。口では悪態をつくが、特段彼女へ悪い感情は抱いてはいなかった。むしろ好意的とすら言える。
 なまじ女子学校なだけに、唯一の男子ともいえる鳳と距離を取る生徒は多数いた。その中でも彼女は恐れることなく鳳へ近づいてきたのだ。彼自身、孤独は別に嫌いでは無かったのだが、こうして一度陽の光を感じてしまえばそれがどれだけ日々の仕事の活力に影響してくるか分からない。……感謝はしていた。

「や、やだなー! 別に邪魔するつもりはないんですってー! 鳳さんが楽しそうに掃除しているからその応援をしたいんですよ私ってば!」
「いつ俺が楽しそうに掃除をしていたというんだいつ」
「だって鳳さん、鼻歌歌ってましたよ?」

 響の隣にいた黒髪の女子生徒――小日向未来がそう言って笑いかける。動いた拍子に頭の後ろで結んでいる大きなリボンがふわりと揺れた。何の気なしにその様子を目で追っているうちに彼女が更に言葉を続けていた。

「それ、ツヴァイウィングの曲ですよね?」
「ああ名曲だ。この歌はいつも俺に力をくれる」
「鼻歌だけじゃなくて口で歌わないんですか?」
「残念ながら小日向、俺は歌が下手だ。だから歌わない」

 すると黙って聞いていた響が更に窓から身を乗り出す。

「ええっ!? 鳳さん歌上手いじゃないですか! 私、鳳さんが歌っている所聴いたことありますよ!」
「……さあな。幻聴だろう」

 あまり人前で歌うことは得意ではないからこそこういう外の窓拭きの時ぐらいしか歌わない鳳だったのだ。

 ――そして、彼にとって歌うという時と場面は限定されている。

 しかしてそれは今言う事ではない。言葉を飲み込み、鳳は手だけで二人を追い払うように動かす。

「ほら、いい加減掃除を片付けたいんだ俺は。行け行け」

 この二人の美点は素直に言う事を聞いてくれるという点である。響も未来も去り際にまた“頑張ってください”と言い残し、帰っていったのを見届けてから、鳳はまたスクイージーを握り締め、もう片方の手はワイヤーの射出と巻取りを兼ね備えるボタンが付いているスティックへ。
 すっかり話し込んでしまっていた。まだノルマをこなしていないことに気付き、少しだけ急ぎ気味に鳳は窓枠を蹴り、再び宙へと躍り出るのであった――。


 ◆ ◆ ◆


 あれから一時間弱。一通り掃除をこなした鳳は事務室で一息ついていた。
 鳳はこの掃除が終わった後にほうじ茶を啜るという行為が好きであった。香ばしい風味はいつも鳳の疲れた身体と心を癒してくれる。齢十八歳、という年齢を気にしない言い方をするのであれば、“この一杯の為に生きている”のであった。
 今日も今日とて仕事終わりの糧を摂取していると、事務室のノックの音を耳にする。

「失礼す……しま、す」

 雪音クリス――文字通り雪のように美しい銀髪を携えた女子生徒がどこか居心地悪そうに入室してきた。敬語が使い慣れていない典型的なこの生徒に掛ける言葉は決まっている。

「お前、相変わらず他人様への礼儀をすっとぼけた奴だよな。今、失礼“するぜ”って言いかけただろ」
「う、うるせぇ! 喧嘩なら高く買ってやるぞ!」
「生憎と俺の売る喧嘩は非売品だ。市場を知らない素人が買えるもんじゃあない。で、何の用だ雪音」
「あんたに用はない。あるのはもう一人のおっさんだ。先公に使いを頼まれちまってな」
「ああ、小林さんか。どうした? 俺で良ければ聞くが」

 思っていたより素直に雪音は要件を話してくれた。先生にA4のコピー用紙を三冊ほど持ってくるように仰せつかったようなので、鳳はすんなりと置いてある場所に案内する。

「ほらよ」
「ありがてぇ。じゃあな」
「あ、おい雪音」
「ん? 何だ?」
「お前、相変わらず部活はやらないのか?」

 部活――その単語を聞いた瞬間、クリスはあからさまに形の良い眉毛を吊り上げた。

「アタシが部活……? おいおい冗談はやめてくれよ。アタシがそんなもんに入れる訳――」
「あるだろうが。お前はここの生徒だ。何かに打ち込む権利がお前にはあるんだよ」

 そこでクリスは二の次が出なくなってしまった。よもやここまではっきりと肯定されるとは思ってもいなかった。何せ、自分はそのような言葉を受けるような身分ではなかったから。言葉を出せば、表情に出せば、この鳳という男に見透かされてしまいそうで。
 故に、クリスは苦し紛れに舌打ちだけを一つし、事務室を後にすることにした。

「くっせぇんだよ、あんた……ほんと。あいつみたいな事言いやがって」
「あいつ? 誰だよそれ……って、ああ行っちまいやがった……。何なんだよ素直じゃない奴だな」

 鳳はクリスのあのような態度が本当の雪音クリスとは微塵も思っていなかった。あれはそう、例えるならば――。

「距離感測り過ぎだろうが。あの歳であんなんじゃ禿げるぞ」

 ポケットの中の携帯端末が鳴動した。あらかじめセットしておいたアラームである。
 即座に鳳は帰り支度を開始し――否、ノルマをこなし、事務室に戻った時点でもう帰り支度は終えていた。丁度、たばこ休憩から戻ってきた同僚兼上司である小林さんに手短に上がる旨伝え、鳳はリディアンを飛び出した。脇目もふらずの全力疾走である。
 今日はずっと鳳が楽しみにしていた日だった。これを逃したらショックの余り、腹を切るというのもなまじ冗談ではないほど、この日を待ち焦がれていたのだ。

 ――振り返ればここが鳳郷介にとっての分岐点であった。

 ここで鳳が何らかの事情でこれから行く場所、そしてイベントに間に合わなかったら。そうしたら――彼は修羅の道を歩まずとも良かったのかもしれない。


 ◆ ◆ ◆


 鳳が会場に向かっている間に空はもう陽が落ちそうになっていた。だが鳳の目指す場所は無数のライトに照らされ、華やかな舞踏会と言ったところ。
 これから始まるは比喩抜きの今世紀最高のライブ。会場にはひしめくほどの観客。吐息が、体温が、この会場にいることが夢ではないことを如実に示している。
 チケットに記載されている指定席へ行き、鳳は一段落とばかりに辺りを見回す。
 皆、これから始まる一大イベントにひたすら期待しているのが一目で分かる。もちろん、自分もである。

(そりゃあ日本に来日したマリア・カデンツァヴナ・イヴ、そして風鳴翼のライブだもんな。盛り上がらない訳がないか)

 ――『QUEENS of MUSIC』。
 知らない者はまずいないだろうという最大規模の音楽の祭典。それが日本で行われるというだけでも凄まじいのに、そこには今回誰もが注目する特別ユニットが登壇するというのだ。何を隠そう、ツヴァイウィングの風鳴翼、そして彗星のごとく現れたマリア・カデンツァヴナ・イヴの二名。
 あらゆるメディアで散々広報され、今日のこのステージを見るためだけに来た人達の数は数えるのすら億劫。腕時計を見ると針が今――その瞬間を指し示す。
 一瞬、会場の照明が全て落ちる。観客がざわつくも、スポットの光が舞台の中央にした瞬間、別の意味でざわつき出した。鳳も舞台の中央に現れた二人を見て、自然と胸が熱くなり、意識をより一層集中させる。

 ――そして瞬く光と音、立ち上る炎。

 そのサウンドの名は『不死鳥のフランメ』。
 ついに始まったのだ。爆発するかのような観客たちの声、そしてサイリウム。鳳はその類のグッズは持ち込んでいなかったので、ただ腕を組んでライブを楽しむ。それだけで良かった。言葉も、動作もいらない。
 それだけではない。二人の歌姫の紡ぐ歌はただのユニット曲ではなかったのだ。あえてそれを表現しようとするのならばそう、鍔迫り合い。競い合うように、高め合うように、互いが決して一歩も退こうとしないのだ。
 鳳はただ眺めていた。否、眺めざるを得なかった。呼吸をするのすらままならない。不死鳥の名のごとく、ほんの少し呼吸をするだけで燃えるような炎ごと吸い込んでしまいそうな気がして。

「ありがとう皆!」

 閃光のような時間も終わり、歌い終えた歌姫の一角――風鳴翼が前へ歩み出る。

「私はいつも皆から沢山の勇気を分けてもらっている! だから今日は、私の歌を聴いてくれる人達に少しでも勇気を分けてあげられたらと思っている!」

 湧き上がる歓声。鳴り止むのじれったいとばかりに隣のマリア・カデンツァヴナ・イヴが観客たちへと近づく。

「私の歌を全部、世界中にくれてあげるッ! 振り返らない、全力疾走だ! ――ついてこれる奴だけついてこいッ!」

 鳳は彼女の発言に少しばかり圧倒された。全世界が見ているというだけでも普通のアーティストなら縮み上がってしまうだろうに、彼女はあろうことに背中を見せ、全世界の人間たちの先を歩こうとしているのだ。こんなもの、ついていかない訳がないだろうに。
 口上も終え、手と手を交わす二人の歌姫。穏やかな空気だった。認め合い、そして今後の歌に対する想いを確認し合い、大団円を迎えようとした――はずだった。


「歌には力がある――。そして、もう一つ」


 マリアが衣装を翻した刹那――碧の光が辺りに迸る。次の瞬間顕現したモノを視て、鳳は知らずの内に血が滲むほどの拳を握っていた。

「の、イズ……」

 舞台を守護するように現れた異形。それは人類共通の脅威、認定特異災害とも呼ばれる“理不尽”、無差別に人間を炭素と転換する悪夢。その名は――ノイズ。そして何よりも。

「また会うとはな……!」


 鳳郷介の両親を炭素と換えていった憎んでも余りある存在であった。


「――狼狽えるなッ!!!」

 突然のノイズ出現に阿鼻叫喚の会場。一喝したのは全く動じた様子の無いマリアである。

(……何故、あそこまで冷静でいられる? ……そして風鳴翼、お前もだ)

 一人が慌てているともう一人は何故か冷静に物事を見ることが出来るようになれる。今の鳳は後者であった。会場にいる観客全てが騒いでいるのを見ていたら自然と頭に冷を乗せることが出来た。
 だからこそ分かるマリアと翼の異常。ノイズの事を知らない訳じゃなかろうに、一切動揺を見せない二人に鳳はひたすら畏怖した。そして、翼と何やら言葉を交わした後、マリアはステージの中央前にその歩を進める。
 ――そして宣言する。

「私達はッ! ノイズを操る力を以てしてこの地球全ての国家に要求するッ!!」

 その口上を耳にした瞬間、鳳は全てが繋がる音がした。同時に、マリア・カデンツァヴナ・イヴがやろうとしている事を理解する。

「世界を相手取ろうっていうのか……あの歌姫は……ッ!?」

 馬鹿げている。
 しばし放心していると、マリアが手に持っていたマイクを高々と放り投げ――そして歌を口ずさむ。


 ――Granzizel bilfen gungnir zizzl


 確かに聴こえたのだ。その歌が。己が意思を貫こうとする絶対的な意志が如実に感じ取れてしまう旋律だった。

「あれは……何だ? 黒い、鎧?」

 瞬きをした次の瞬間には、白いドレスからマントを携えた黒い鎧を纏うマリアがいた。今まで見ていた彼女とは真逆の装いに鳳は一瞬自分の目を疑ってしまったが、それでもたなびくオーラがそれを現実として鳳の目の前にいるのだ。受け入れるしかあるまい。
 そんな鳳の心の整理すら終わらないままに、マリアは二の次を発する。

「我ら武装組織『フィーネ』は各国組織に要求する。そうだな……差し当たっては国土の割譲を求めようか」
(おいおい発言が一々デカくなってきたな……)

 鳳は思わず噴き出しそうになった。少なくとも、それくらいの余裕は持ち直してきたのかもしれない。だが、まだ予断を許さないのも良く理解している。
 さっきから翼とマリアが何かやりとりをしているのが見えるが、生憎と内容が聞き取れない。

(このままこの会場全員を人質にするのか……?)

 そんな鳳の最悪の予感を覆したのは他でもないマリアであった。


「会場のオーディエンス諸君を解放する! ノイズに手出しはさせない。速やかにお引き取り願おうか!」


 静かになること数分。ようやく彼女が何を言っているのか飲み込めた観客達は我先にと出口へと駆け出した。人間の圧力は凄まじく、全く足を動かしていないのに鳳はその人の波に押されてしまう。それだけならまだ良かったのだが、鳳の頭から赤いバンダナがするりと解けてしまった。

「ッ!? おい、待て! 押すな! バンダナが! 父さんにもらったバンダナが!!」

 そこからは雪崩のように。押しても押しても人の流れに逆らえず、鳳はあっという間に会場の外に弾き出されてしまっていた。右を見ても左を見ても、安全地帯に逃げられたことの喜びを分かち合ってるが、鳳の心境は穏やかではなかった。

(冗談じゃねぇ……! あれは、あれだけは……ッ!)

 しかし動かない、いや動けない。身近に這い寄る死の恐怖を感じ取ってしまったから。だけど、あの赤いバンダナだけはどうしても捨て置くわけにはいかない代物である。
 一度大きく息を吐くと、両頬を思い切り叩いてやった。ビリビリと頬を走る痛みが、次の瞬間には鳳を走らせる。

「ふざけんなよ……マリア・カデンツァヴナ・イヴッ!!!」


 口にするはノイズを出現させた者の名。いつの間にか鳳の胸からはあの熱さが消えてしまっていた――。 
 

 
後書き
・鳳 郷介(おおとり きょうすけ)
六月十一日生まれ。18歳。172cm。赤いバンダナがトレードマークの黒髪の少年。私立リディアン音楽院で清掃のバイトをしている。得意な清掃はワイヤーを利用して三次元的な身のこなしで外の窓を拭くこと。 
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