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或る皇国将校の回想録

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第四部五将家の戦争
  第六十四話 万の便りと二筋の煙

 
前書き
丸枝敬一郎‥‥‥輜重中尉 新城支隊

鳥倉伍長 ‥‥‥独立混成第十四連隊 輜重兵伍長

馬堂豊久 ‥‥‥独立混成第十四連隊 連隊長

新城直衛 ‥‥‥六芒郭防衛隊”新城支隊”司令  

 
皇紀五百六十八年 八月十三日 午後第四刻 六芒郭本郭 兵站部郵便集積所
丸枝敬一郎中尉


 “新城支隊”の兵達は寄せ集めという言葉の体現者であった(大半が龍州軍の泉川防衛戦後の混乱ではぐれた将兵であり近衛衆兵ですらない。
だか彼らが一つだけ自発的にほぼ同じ行動をとっているのは注目に値するものだ。それは銃後に便りを送る事である。
 まるで空になった建設資材の代わりに馬匹を満杯にするかのような勢いだ。
「鳥倉伍長、これはどうするのかな?」
 おろおろと段取りがわからないまま詰みあがるそれを眺めているのは丸枝敬一郎、輜重中尉である。
彼がこの集積所担当として割り振られていたが嵐のようにあちらこちらから運び込まれるモノを仕分け、ようやく一息をつき――どうすればいいのかと頭を抱えていた。
そもそもの問題としてこのような事態を想定した人間がこの〈皇国〉にはいなかった――というよりも軍としての経験が反乱対策と匪賊討伐のみであったため、せいぜい大隊、中隊単位で郵便を管理し、大隊本部で検閲を行った後は、後方で平時の通りに行えば良いだけであった。

 現状では支隊本部はせいぜい聯隊規模で二個旅団を運営しているようなものである、下にある中隊規模の部隊は大半が寄せ集めで半壊した中隊、はぐれた小隊を集めたものだ。どこが防諜上必要な業務を行えるかというとどこもそのような余裕がないとしかいえない。
とはいえ、これから籠城戦を行うのに内地への便りすら握りつぶすのは士気にかかわる。という事で手を挙げたのが第十四連隊であった。彼らが内王道の駒州軍に持ち帰った後に必要な業務(墨入れ等)を行い、最も軍官僚制度が整備された野戦軍である駒城軍に託すことになったのである。――資材のそれとは比べ物にならないほどに重々しく、丁重にあつかわれている。
 数千の束が州単位で束ねられ、数日後には蔵原に臨時に設置された軍郵便局へと運ばれていくだろう。きわめて機能的で能率的であった――その中で圧倒的に巨大な束に掛けられた札が『指令待ち』、であること以外は。


「はい、中尉殿。聯隊本部に留め置くそうであります、虎城まで駒州軍までウチの聯隊が輸送するそうです」
 鳥倉は第十四連隊の輜重隊に属している。要するに業務引き継ぎの一環である。

「それでこれってやっぱり‥‥‥」

「龍州宛ての物です。虎城から西に疎開していれば届くようにウチの連隊長殿が手配なさるそうです」

「‥‥‥そうか」
 丸枝も兵站の末端にいた将校である。龍州の疎開民――とりわけ前線から離れ〈大協約〉の庇護から外れ、近場の大都市か遠くの皇都か、と選択を迫られた者――或いは庇護を受けたとしても〈帝国〉軍政下の故郷よりは何かしらつてのある『故国』の方が生きやすかろう、と考えた者――が虎城を抜け、皇都へと向っていることは理解している。
 単純にあせくせ飯やら材木やらの手配をする上ではいい迷惑であるが、丸枝は其れを全く持って当然のことと受け止めていた――自分も将校などでなければ真っ先に逃げ出していただろうから。

「連隊長殿、馬堂中佐殿か‥‥‥」
 丸枝は茫洋とした口調で繰り返した。彼にとって馬堂中佐は新城直衛以上に雲の上の存在である。
 
 丸枝は天領である霊州にて中堅問屋を営む家の生まれである。父は長男である彼より次男に商才を見出してしまった。つまりは後継ぎとしては不要と烙印を捺された事で、幼年学校に放り込まれた。幼年学校は、誰もが想像していた通り丸枝にとって新天地とは程遠かったがいくばくかの幸運には恵まれたのだろう。一年目にして戦闘の素質が皆無であると評価を下した教官が陸軍兵站学校に手を回してくれたおかげで輜重将校としての道に逃れることが出来たのである。
〈皇国〉陸軍において所謂兵站部門の将兵はけして悪い扱いを受けていない、軍官僚として軍監本部、兵部省にて勤務を行うのならばむしろ他の兵科将校よりも早期に幕僚、行政経験を積む機会に恵まれていた。下士官兵も退役後の働き口でいうのなら銃兵などよもはるかに恵まれていた。
 だが――望んで狭き門をくぐろうと努力するものと戦闘兵科には不向きであるという理由だけで送られた者の違いはどこにでもある、それだけの話であった。
その証拠に同じ衆民出身の兵站学校同期がすでに大尉として聯隊幕僚を務めているのに丸枝は初陣である龍口湾防衛線でも糧食配給の手配を執り行っていただけであった。

 一方の馬堂中佐というと(少なくとも丸枝の知る限りでは)典型的な学業優秀な貴族将校を現実にしたような俗な言い方をすれば“完璧な軍歴を鼻先にぶら下げている”皇都で政治をする為に将校になったような青年であった。
 二十三歳――軍に身を置いて八年で大尉となるのは平時の昇進速度としては極めて早かった。軍官僚として父の後を歩むことを期待されていたからに他ならない。
 名門の後継者として申し分のない人間と家業も継げずに流され追いやられここに至った自分を比べる気にすらならなかった。かつて一度だけ言葉を交わしたことがあるが――やはり立っている場所が違うものだと思わされるものであった。

「伍長は馬堂家領の産まれだったかな」

「はい、中尉殿」
 第十四連隊は駒州軍の部隊を集成したものだ。とうぜんながら馬堂家領部隊の者も多い。
「あそこは結構景気も良いんじゃなかったけ」
東州乱で前線を離れた豊守が改革を強力に推進し、急速な軍縮と教育整備、産業投資が進めたのである。
鳥倉はまさしくそうした急進的な“天領化”の過程で生まれた領民の一人だった。――つまりは読み書きや計数の基礎に天下の仕組みについても学ぶことで一種の諦観を抱きながらも、自分達はまだ恵まれている方だと考えていた。
「えぇ良いところでした。家業が馬車宿の棟梁でしてね、自分はその次男坊であります」
兄弟共に十五の歳を迎える前に馬車使いを仕込まれ、兄は二十過ぎには駒州と皇都を行来する御者達の一員として駒州の大店からの仕事を任されるようになっていた。
自分も兄と同じく荷馬車の扱いにも長けていたので十五を迎えた時には一通り駒州の街を見て回っていた。
「あぁなるほど、伍長勤務だったのか」
 丸枝が知る限りでも次男坊が天領やらで一旗揚げる前に軍で箔をつけるものも多い。見たところ自分よりも若いくらいだ。
「はい、中尉殿。いつの間にやらこうなっておりましたが」
 鳥倉も大した志を持って入営したわけではない。志願ならば兵科の志望も通りやすいから、軍という世界で何かを手に入れられるのではないか、その程度の考えだった。

馬堂家領聯隊付きの輜重隊で“世知”を学ぶ他は危険もなく、強いて言えば虎城の匪賊討伐作戦時に虎あちこちの鄙びた村落を回るだけだった。相応に手馴れていたお陰か上等兵の頭に伍長勤務がついて除隊後も箔がつくと喜んだ矢先に立て続けに『〈帝国〉軍侵攻開始』『“若殿”が北領で消息不明』『若殿様、俘虜交換によって帰還』と鳥倉の人生計画は一変させる知らせが立て続けに将校下士官の合間に広がった。
何やらえらい事になっているぞと伍長任官の書状を手渡された時に気づいたがいつの間にやら“若様”の率いる物騒な聯隊に配属されて最前線まで馬車を率いて回る役目をやらされていた。こんなの絶対おかしいよ



「――第十四聯隊長殿が入室されます!」

 副官らしい大尉を連れた二十代半ばの中佐が入室する。馬堂豊久中佐だ。

「れ、聯隊長殿!いえ、六芒郭防衛隊臨時郵便集積所の丸枝中尉です」
 声を裏替えしながらも丸枝が礼をする

「ごくろう、中尉――ウチの伍長は役立っているかい?」

「はい、連隊長殿。ご厚情ありがとうございます!」
 緊張して背筋を伸ばしている中尉へ中佐が笑いかける。
「それは良かった。では米山」
 後ろに控えていた輜重将校らしい副官が前に出て丸枝にうなずいて見せる。
「米山が本部で郵便の管理をする。鳥倉伍長、作業の手配は済んだか?」

「は!」 「よろしい、ではあとは任せた、伍長は来い」
 
 廊下に出ると見知った同じ聯隊の下士官兵達が警備についているほかは誰もいない。
「伍長。今日、新城少佐には会ったか?」

「はい。聯隊長殿!毎日、郵便集積の指示にいらっしゃいますので」

「毎日?そうか――」
 まばらに髭が伸びている顎をさすりながら彼の若様は思案しつつ言った。
「伍長、しばらくはこのまま要塞兵站部の様子を眺めておけ。後で原隊上官に報告するように」




皇紀五百六十八年八月十四日 午後第四刻 
“新城支隊”支隊長 新城直衛少佐

 
〈帝国〉軍はもはや間近に迫っている。部隊の再集結と念入りな偵察と夜間の行動停止、兵站線の再構築は本来なら大勝を貪る権利を保有する〈帝国〉軍の行軍に多大な遅延を齎した。
だがそれももはや限界であった。
 想定の通り馬堂中佐が率いる支援部隊は最後の輜重部隊と共に明日、虎城へと帰還する旨が軍監本部より発令された。
 そして別れの宴――酒もなく常の物より少しばかり豪勢な温食と黒茶が配給されるだけであったがつかの間の歓楽は誰にとっても蒸し殺されそうな真夏の日に飲む冷水の如き幸福であった。
 兵舎・司令部庁舎は当番の兵――より豪華な配給を与えられたが運が悪いことには変わりがない――と早々に食事を済ませて眠りに入っている導術兵達を除けば誰も彼もが浮かれて騒いでいる ――その喧騒は水堀を挟んだ南突角堡を眺めている新城少佐にも届いていた。
 だが新城にとっては何もかもが不確定である。頼るべきは寄せ集めの敗残兵に未完成の要塞。やってきたのは撤退命令ではなくどうにか中途目的を統一し続けることができれば

「よう、新城」

「挨拶はいいのか」

「一通りはすませた。あとは大辺達に任せたよ――良きにはからえ、ってな」
 俺は若殿だからな――そういって笑うと豊久は細巻をくわえ、しばらく手をさまよわせるとようやく燐棒を擦って紫煙を吹き上げた。
「どうだ新城、手間ではあったが連れて来た甲斐があったものだ――工兵の仕事振りには毎度毎度驚かされる」

 ただの盛り土同然であった南突角堡は軍監本部の資料を基に計画され、工兵大隊の指導の下で行われた築城により、最新鋭――というよりも野戦築城の再評価を受けて自らの技術の有用性を知らしめ(更なる予算分配を求め)ようとする技術屋達による一種の実験台と化していた。


「まぁどうあがいても元々未完成な上に馬出もある突角塁だ、ここが主攻正面となるだろう」
 特筆するべきなのは極小単位にまで簡略化された要塞とでもいうべき砲塁を連ねている事である。
 練石と鉄材で作られた丸薬のようなそれは、南突角堡に配備された砲を覆いつくしている。さらにそこには必要に応じて銃兵が潜む大型掩体壕と張り巡らされた壕でつながっており、相互に支援を受けられるようになっている。

「大したものだとは思う。だがそれでもなお十分からは程遠い、どれほど積み重ねようともそう考えざるを得ないだろうが」
敵が膨大な鉄量を叩き付けてくるのならばどれほど整えても十分な備えからは程遠いのである。

 豊久も笑みを消して首肯した。
「そうだな――だがまぁ俺も天主でも将軍でもない。できる事には限りがある。悪いが俺も虎城に戻らなければならん。聯隊の戦力も回復させねばならぬし、父上と若殿様を支えなければ雨季の作戦に障りが出る可能性がある」
 新城は無表情に鼻をひくつかせた。
――あの天狼の前であれば鼻で笑われたであろうこの言葉が豊久自身の口からさも当然のように発せられるようになった。つまるところ状況を利用して生き延びた結果であっても俺とは全く違うという事だ、あぁこれが産まれを肯定できる人間という事か、まったくもって俺とは違う、羨ましくも妬ましくもあり哀れでもある。

――人は自分と異なる人間を友としなければ腐り果ててしまうと誰かが言っていたな。畜生、ただ腐さらないようにするという事が苦しいのだろうか、あぁそれともとうに腐っているからこそか。  

「なんだよ、笑うな」

 豊久が笑みに苦みを注ぎ足した事に気づいた新城は“すまない”と軽く掌をあげた。

「‥‥‥まぁいいさ。こうしている合間にも時間は流れ、同じ物は二度と流れない。今はこの先の事だ。――なぁ、お前は大丈夫なのか?お前と首席幕僚が見て回らなくては満足に機能しないじゃないか」

「大丈夫ではないといったらどうするつもりだ」
 新城が三白眼を向ける。

「‥‥‥将校の補充を手配する。多少はマシになる筈だ」

「間に合わないだろう、貴様が後ろに下がった頃にはここに敵が押し寄せてくるぞ」

「ッ俺はそんな――」
 豊久の口持ちに張り付いた笑みが一瞬消えうせた。

「すまない、言い過ぎた」
 新城は細巻を取り出し、豊久に手渡した。
「再編は当然だが進めている。向こうが準備を整えるまでには最低限機能するようにするさ。貴様と義兄上が手を回してくれたことには感謝している」

「――そうか、すまない」

「あの時はお前が残ったからな。何事にも順番というものがあっても良いだろう」
 紫煙を吹き出し、新城は光帯を見上げる。
 豊久は燐棒の燃え滓を眺めたまま呻くように答える。

「アレはそれなりに助かる手札をもっていたからだ。今回とは違うさ」

「あの時だって貴様が死ぬ可能性は大いにあった――漆原も死んだ」

「そうだ。兵藤も死んだ、伊藤大隊長殿も死んだ。俺とお前は生きている。米山も、西田も妹尾も、猪口曹長達も」
 二筋の幽かな紫煙が立ち上り、虎城から吹く風と兵達の喧騒が揺らし散らす。

「あれから半年か、随分と変わったものだな、特に貴様は」

「夏川中尉の事か?」
 紫煙を眺める豊久の口元には笑みが張り付いてた。

「前にも言ったが人質は趣味ではない、とりわけ敵の砲火を浴びながら弄ぶ程に器用であると確信できないのであれば」


「人質ではないさ、少なくとも本人は心の底から将校として責務を果たそうとしている。それを使って商売をする馬鹿がここにいるだけさね」
  ほう、と紫色のため息を吐き出した。
「いい若者だったよ――この戦が終わる頃にはああして下士官兵から学び続けられる奴が先を担うべきだ。
将家だ、貴族だ、と何もなしに肩で風を切れるような時代じゃなくなる、この戦争が終わったころにはそこに至る道が出来ている」

 新城は黙して答えなかった。群衆を道具と扱うことに躊躇ない癖にどこか無条件で民本主義(democracy)と人類という種族を信仰している。将家の家門を残すことに執着し政官界を泳ぎながらも守旧的な将家が消え去ることを当然のように語る。長い付き合いを経てもこの男の思想的本質がどこにあるのか時折わからなくなる。

「豊久」 「なんだ」

 新城はないまぜになった旧友への疑問をたった一言の問いに煮詰めて投げかけた。
「――貴様、楽しいか?」


 皇紀五百六十八年 八月十六日、最後の補給便と共に独立混成第十四聯隊は虎城へと帰還した。その翌日に〈帝国〉軍先鋒が六芒郭と接触、主要三街道における予備兵力を懸念したアラノック中将は鎮定軍本営へ増援を求め、本軍到着まで六芒郭包囲を行う事を決断する。この判断は後世まで評価が分かれるものであったが―― 一国の運命の分岐点となる戦いを告げるものであることは確かである。
 
 

 
後書き
長らくお待たせいたしました。本当にもう遅れて申し訳ありません。色々ありました、繁忙期だけ契約結んで正社員登用されなかったり、原作者の大先生が彼岸まで取材に行ってしまったり、新しく来たニャンチャンが可愛かったり。
できるだけ月刊 隔月刊ペースまでペースを戻したいと思っています。 
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