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大淀パソコンスクール

作者:おかぴ1129
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プロローグ

 
前書き
登場人物紹介
名前:カシワギ
職業:パソコンよく使う系 

 
 戦争は終わった。

 いや、深海棲艦との戦いのことじゃない。確かにそっちの戦争も数カ月前に終戦したらしいが、俺が言いたいのはそっちではない。

 俺が言う『終わった戦争』というのは、俺がかつて勤めていた会社との戦争だ。

 俺は当時プログラマーとして、web制作の会社に勤めていたのだが……その会社がまぁ〜地獄みたいなところだった。朝は始発で家を出て、夜は終電で家に帰る日々。意味が分からないことに、一年中繁忙期のような忙しさ。休日出勤当たり前。会社に泊まりこみで仕事もザラだったし、ヒドいと一ヶ月家に帰ることが出来ないこともあった。

 想像出来るだろうか。3日に一回しか眠ることが出来ない日々を。そして、そんな毎日が三ヶ月以上続いた時、自分が一体どんな状況に陥ってしまうかを。……そんな状況を、俺は手取り14万の安月給で、ずっと耐え忍んできた。

 そうして一ヶ月前、ついに俺はキレた。コードを書いてる途中に何もかもがイヤになり、キーボードをひっくり返して椅子から立ち上がって、スーツが汚れるのも構わず、床の上を転げまわりビクンビクンと痙攣しながら、怒りと悲しみと恨みつらみのすべてをぶちまけてやった。

――お前ら! 駅のホームでただひたすらぼーっと3時間立ってたことあるか!?
  外に出ただけで、どうしようもない恐怖に震えて立ってられなくなったことあるか!?
  目の前のPCが何するための道具なのか、分からなくなったことあるか!?
  今の俺がそうなんだよ!! 俺を人間に戻せ!!!

 そして俺は自分の机に戻って、その勢いのままに退職届をコピー用紙に書きなぐって、同じ部屋にある社長の机にたたきつけた。今は社長は不在だが、そんなこと俺の知ったこっちゃない。

 課長が社長の席まで来て、俺の退職届を手に取った。それを見て顔から血の気がひいたらしい課長は、自分の席に戻ってPCをシャットダウンすべくすべてのウィンドウを閉じている俺に対し、ヒステリックに何かを訴え始めた。

「おいカシワギ! お前に辞められると困る!!」

 何を言ってるのかさっぱり分からんし、わかりたくもなかった。あの時の俺を止めるなんて、深海棲艦とかいう化物共でも不可能だ。

「知るか!! 辞められて困るなら、辞めないような高待遇にしろクソヤロウ!!」

 口いっぱいに溜まってしまった唾をぺぺぺと撒き散らし、俺は課長に対してそう怒鳴り返した。すべてのウインドウを閉じた後、PCの電源を丁寧に落としてやる。本当なら電源コードを引っこ抜いてやりたいが、そこは一プログラマーとしての最後の情けだ。PCに対してだけは気を使ってやる。

「おい! 仕事どうすんだよ!!」
「有給だ!! 今まで使ってなくて溜めてた分、全部使って辞めてやる!!」
「いろって! まだ仕事残ってるんだから!!!」

 課長はまだそんなことを言う。どうやらまだ事の重大さに気付いてないようだ……イライラが最高潮に達した。そこまで言うなら……

「……わかりました。じゃあ残りましょう」
「ホッ……」
「その代わり、今の俺は疲労困憊で注意力散漫です。うっかりミスでデータベースのレコード全部消すかもしれませんよ? クエリのSELECT文のつもりでうっかりDELETE文を打っちゃうかもしれないし、その時レコード指定にアスタリスク打つかもしれないですよ?」
「え……」
「ひょっとしたら、ついうっかりSSHでうちの本番サーバーにログインして、ついうっかり全データ消しちゃうかも知れませんよ? リムーブとかやっちゃってもいいんすか!? どうなんすか!?」

 これは脅しだ。俺は今、疲労困憊で意識が朦朧としている。おまけに怒り狂って前後不覚で、裁判で言うところの心神喪失状態だ。そんな俺に、ネットワークに繋がってるパソコンを使わせてみろ。何をしでかすか分からんぞ。重要なデータを消すかもしれんし……

「ちょ、ちょっと待て……」
「ついうっかり、ツイッターで会社名込みでこの会社の勤務状態をバラすかもしれませんよ?」
「い、いやあの……」
「いいんすか!? やっちゃいますよ!!? ……いいんすか!!!?」

 そうして何も言えなくなった課長と、その様子をボー然と見つめていた同僚たちを尻目に、俺は一人で家に帰った。後日、社長から『給料は支払わない』と訳のわからないメッセージが届いていたので、準備していた過去一年分のGPSログを労基に提出すると言ってみたら、黙って給料満額とプラスアルファが振り込まれた。

 こうして、俺の戦争は終わった。今は貯金と親からの仕送りで、なんとか食いつないでる状況だ。そろそろ新しい仕事を決めないと、金ももうすぐ底をつく。失業手当も、もらえるまではまだ時間がかかる。早く決めないと……。

 そんなことを考えながら、今日も俺はインターネットで職を探す。探してる職種はやはりIT系。ぶっちゃけ今はパソコンを視界に入れるのもイヤな状況だが、俺の職歴はこれしかない。やはり手っ取り早く職を探すなら、IT系しかないだろう。

 ……それに、俺はパソコンが嫌いになりたくてプログラマーになったんじゃない。好きだったからだ。だから、今のこの『パソコンなんて見るのもイヤっ』ていう俺の状況は、俺自身が我慢がならなかった。

「んー……とはいえ、プログラマーはもうなぁ……」

 職探しをしながら、ネットのニュースも時々覗いてみる。さっきも言ったとおり、長い間続いていた人類と深海棲艦の戦争も、先月、俺の戦争と同じように終わった。その結果、艦娘とかいうやつらの社会生活……特に雇用の面が問題になっているそうだ。今日もネットニュースは、その話題で賑わっている。

 艦娘ってのは、深海棲艦と戦ってくれてたやつらだ。なんでも、深海棲艦に対して有効なダメージを与えることが出来るのは艦娘だっただけらしく、戦時中はそれこそ、たくさんの艦娘たちが建造されていたそうな。

 そして戦争が終わった後、その艦娘たちは軍を除隊して、人間として社会に溶け込んでいく手はずだったらしいのだが……

 生まれてこの方、戦うことしかしてこなかった奴らが社会生活に溶け込むってのは、一般人が考えている以上に難しいらしい。艦娘の雇用問題は、今はちょっとした話題になっている。うまい具合に次の仕事を探したり、自分の上官と結ばれて幸せになったりする子たちもいる中、就職も出来ず社会生活に順応できない子もいるらしい。戦時中は一躍ヒーローだったのに、そのヒーローが、今では仕事に就くことも出来ないなんて、なんとも世知辛い話だ。とはいえ、今は俺もその求職者の一人に成り下がっているわけだが……。

 『艦娘の大和、大和ミュージアムの案内係に就職!』というニュースを傍目で眺めながら、俺は今日も仕事を探す。プログラマーは嫌だけど、IT系の職について、またパソコンが好きになりたい……でもプログラマーはイヤだ……そんなめんどくさい希望を叶えてくれる仕事なんてあるのだろうか……

 半ば諦めかけたその時だった。

「……大淀パソコンスクール……生徒募集……」

 就職情報サイトの、パソコン教室の広告が目に入った。

「パソコン教室……」

 何の気なしに、その広告をクリックしてみた。途端にブラウザに表示される、その大淀パソコンスクールのwebサイト。そのサイトでは、笑顔で楽しそうにキーボードを叩く、優しそうなおじいちゃんおばあちゃんたちの写真が掲載されていて、とても楽しそうな教室に見える。

「なるほど……パソコン教室か……」

 『仕事してた頃の俺とは全然違うなぁ』と思いながら、教室の案内を眺める。この『大淀パソコンスクール』は、パソコンのパの字も知らない超初心者向けの講座から、Officeを使った実践的な講座、本格的なプログラミング教室など、およそパソコンに関する幅広い授業を展開している教室のようだ。もっとも、今は高齢者の超初心者向け教室がメインなのだそうだが。

――あなたも、何でも出来る魔法の箱で遊んでみませんか?

 教室長と思われるメガネ美人、大淀さんという人の顔写真とともに、そんな文句が載っていた。

「遊ぶ……パソコンで遊ぶ……」

 久しく忘れていた感情が、胸にこみ上げてきた。プログラマーになってから今日まで、パソコンは俺の仕事道具になってしまったが……その前は、俺にとってのパソコンは、何でも出来るおもちゃだった。面白半分で下らないプログラムを組んでコンパイルして、それを走らせるだけで、アドレナリンがドバドバ分泌されてたあの頃の気持ちが、ふつふつと持ち上がってきた。

 『採用情報』の項目があった。逸る気持ちを抑えながら、そのリンクをクリックする。講師募集……今も募集中のようだ。応募する場合は、このページの専用フォームに必要な情報を記入して、送信ボタンを押せばいいらしい。

「パソコンの先生か……面白そうじゃないか」

 本当におれにそんなことが出来るのかは分からない。けれどここなら……この教室なら、嫌いになってしまったパソコンを、また好きにさせてくれるかも知れない。俺は、ワクワクする胸をなんとか抑えつつ、氏名のフリガナの部分に『カシワギ』と自分の名前を入力していった。

……

…………

………………

「へぇ〜……そんな経緯があったんですね」

 大淀さんが、自分のパソコンを叩きながらそうつぶやいた。アンダーリムのメガネの位置をくいっと整える彼女の所作は、まさに『デキる秘書』という雰囲気が漂っていて、見ていてとても気持ちがいい。

「意外ですか?」
「ええ。バリバリのプログラマーさんが、どうしてうちのようなパソコン教室の講師になろうと思ったのか疑問でした。そういう方は最先端を追いかけるものだとばかり」
「最先端はもういいです。それよりも、『パソコン面白い!!』て気持ちを思い出したくて」
「なるほど」

 借り受けたWordのテキストを閉じ、それを自分のバッグの中に投げ込んだ。そのバッグには、Officeのテキスト一式と、勉強用のノートパソコンが一台入っている。

 あのあと講師の募集に応募した俺は、オーナーと思しき男性の面接を経て、晴れて『大淀パソコンスクール』の講師の職に就くことが出来た。といってもアルバイトだし非常勤だから、そこまでの高収入は期待できないが。

 そして今日、俺は大淀さんから『勉強用に渡すものがある』と呼びだされ、こうして出勤したわけだ。出勤した俺を待ち受けていたもの。それは、サイトに掲載された写真に比べて、5割増ぐらいで美しい大淀さん本人と、この教室で使っているテキストが数冊、そして勉強用のノートパソコンだ。ノートパソコンにはWindowsのXPから最新の10までのバージョンすべてと、そのそれぞれにOfficeの2003から2013までがインストールされているものだ。

 面接前の俺の予想通り、この眼の前の美人の大淀さんは、この教室の教室長だとか。なんでも元艦娘で、その時は任務娘だとかいう、秘書みたいなことをやっていたそうで。おかげでパソコン……特にOfficeのスキルはかなりのものらしく、そのスキルを活かして今の職についたらしい。俺と大淀さんは、生徒同士の懇談用のテーブルにさし向かいで座り、そんなことを話していた。南向きの窓のそばで、お昼はお日様の光が暖かそうな席だ。

「ここのオーナーは、元々私達の上官だったんですよ。戦争が終わったあと退官して、パソコンスクールを立ち上げたんです」
「教室の名前に大淀さんの名前が入ってるから、大淀さんの教室だと思ってました」
「オーナーは先日カシワギさんを面接した者ですけどね。実質、私が責任者みたいなものですから」

 大淀さんが目の前のノートパソコンをパチパチと叩き、Excelに何かのデータを入力しながらそう答えていた。後で聞いたが、教室で使うテキストの在庫状況をExcelで管理しているそうだ。

「それではカシワギさん。改めてご説明させていただきます」
「はい」
「カシワギさんには、この度新しく開設する、夜の講座をお任せします。今度新しく入る予定の生徒さんですが、どうしても夜に勉強をしたいということで、それならばと夜の部を開設することにしました。社会人の生徒さんの取り込みも狙ってのことですね」
「了解です」

 この教室には、大淀さんともう一人、講師の人がいるそうだ。もう一人は男性という話なのだが……どういうわけだかその男性講師は、お昼の間しか出勤することが出来ないそうで。加えて最近の人手不足解消も兼ねて、新しい講師の募集を行ったそうだ。そうして、最近まで現役バリバリだった俺が応募してきて、教室としても嬉しい誤算だったらしい。

「……で、今回入る新しい生徒さんですが、彼女も元艦娘です。パソコンはまったく触ったことのない初心者なのですが、そういった生徒さんの方が、新しく講師をはじめるカシワギさんもやりやすいと思います」

 うーん……その辺のことは経験がないからさっぱり分からんが……この辺は先輩に素直に従っておいた方がいいんだろう。

「わかりました」
「なので、まずはパソコンの使い方から学習してもらいます。その後は本人の意向もあるのでWordの授業を行って下さい。まずはパソコンでの書類作成が滞りなく行えるようになりたいそうです」
「俺はWordはあまり使ったこと無いんですが、大丈夫ですかね?」

 あのクソ会社で働いてた時は、書類もExcelで作ってたしなぁ……一応ここの面接を受けた時にそのことはきちんと伝えてはいるが……。

「大丈夫ですよ。そのための勉強用パソコンですから」
「とはいっても……」
「授業の開始は来週です。それまでは、好きなように勉強用のパソコンをいじり倒して下さい」
「わかりました。なんとか習得します」
「そのパソコンならAccessを除くOfficeも2003から2013まで入ってますし、2016は2013からそこまで違いがないらしいですし。元々そういうお仕事されてたカシワギさんなら、すぐに覚えられますから」

 そう言って、大淀さんがこっちを見ながらにっこりと笑う。うわー……この人の笑顔、すんごい綺麗だなー……なんか見とれちゃうよ……

「……」
「? 何か?」
「あ、いやいや……」

 不思議そうな顔をする大淀さんから慌てて視線を外す。照れ隠しで腕時計を見た。時刻はすでに六時半。季節は秋。目立って寒い日はまだないが、これぐらいの時間になると、外はすでにほの暗い。

「ぁあ、もうこんな時間なんですね。長々と付きあわせてしまいましたね」
「いえいえ。それよりも、今日は授業はないんですか?」
「今日はありません。事務仕事がメインです」

 なるほどと思いつつ、借り受けたテキストの山とパソコンが入った重いバッグをよっこいしょと持ち上げ、席から立ち上がって帰り支度を整えた。上着を羽織って前を閉じ、ずっしりと重いバッグの取っ手を握る。

「では大淀さん」
「はい。来週火曜日の午後5時ですね。お待ちしてます」
「はい。それでは失礼します」
「お疲れ様でした」

 本数冊にノートパソコン……激重なバッグを肩にかけ、教室を出た。おかげで教室のドアを開ける時に多少ふらついたが、幸いなことに、フラフラした情けない瞬間を大淀さんに見られてはなかった。

「……大淀さんか」

 なんだか胸が踊る。あんな美人さんが仕事仲間で上司だと、今後の勤務も潤いのある、素晴らしいものになりそうだ。本当はこういうことはいけないのだろうが、やはり同僚や先輩に美人さんがいると、それだけでテンションが上がる。

「うーし。がんばるかー」

 そう口ずさみ、両手を空高く突き上げる。もう夜のように暗くなってしまった空には……後に出会うことになる、フラッシュライトのような笑顔が眩しい『夜戦バカ』のように、眩しい月がぽっこりと浮かんでいた。そいつは月のくせに珍しく、極めて激しい自己主張をしていた。
 
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