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フロンティアを駆け抜けて

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全ては皆の笑顔のために

どれくらいダイバによる絶叫と絶望の混じった泣き声、いや叫び声が続いたのかジェムにはわからない。十分程度の出来事だったかもしれないし、一時間近かったかもしれない。ただはっきりしているのは、子供の涙というのはどれだけ激しくてもスコールのように長くは続かないものだということだ。はいつくばって泣いていた声が唐突に静かになり始め、徐々に嗚咽となり、それも数分もしないうちに止まった。卵の殻を突き破り這い出る雛のようにもぞもぞと、ダイバは立ち上がり泣きはらした目をこする。

「……ごめん、取り乱した。僕の負けだ」

 帽子とフードを被り直し、ダイバはそうつぶやくとドラコに肩を掴まれたままのジェムに歩み寄る。泣き腫らしたことで感情はフラットになっているのか、歩き方には澱みはなく、フロンティアパスからシンボルを四つ取り出す。ジェムもそんなダイバを見つめて、決着をつけた勝者と敗者が向かい合う。

「いいの。私も負けた時すごく悔しかった……辛かったから」
「これを渡せば君はチャンピオンと戦うことになる。……覚悟はいい?」
「うん、あなたに勝ったって事に恥じないように頑張るわ。……じゃあ、貰うね」

 自分が今慰めることはダイバにとって酷というドラコの言葉を信じ、ジェムは余計な言葉をかけない。ただその代わり、シンボルを持つダイバの手を取ってまるで健闘をたたえ合う握手のように優しく力を込めた。なかなか手を離さないジェムに、ダイバがいぶかしげな声をかける。

「ジェム?」
「……くだらないわがままだと思われるかもしれないけど、これで一勝一敗だから……ううん、これから何度だって、ダイバ君とまたポケモンバトルがしたいの。その気持ちだけは、受け取ってくれる?」

 ダイバの顔がぽかんと、年相応の子供らしい不思議そうな表情になる。手を口元にあてて少し目を逸らした後、ため息をついて答えた。

「……考えとく。ただもしそうなった時……やっぱり今日で最後にしとけばよかったって思っても知らないからね」
「ありがとう……だから、まだ私と一緒にいてくれるよね?」
「ジェムがそうしてほしいならそうする。ただ……」
「ただ?」
「いや……まずはシンボルが先だ。ジェム、フロンティアパスに全てのシンボルを」
「わかったわ。……じゃあ、やるね」

 ジェムはそっとシンボルを取って手を離し、自分のフロンティアパスを取り出す。今ジェムのフロンティアパスには三つ、そしてダイバに貰ったシンボルが四つ。ここに来てから夢見ていたシンボルの制覇を叶えて、ちょっと胸が温かくなった。今の自分には両親から貰って師匠が鍛えてくれたポケモンだけでなく、勝負の日々で一緒にいてくれるようになった仲間がいる。バトルファクトリーのシンボルをはめて、隣にいる人の顔を見る。

「本当に勝ちましたか……ま、おめでとうございます。わたしとしても旅に出るのが早くなりそうでいいのです」
「一緒に旅するの、楽しみにしててくれてるの?」
「さあ、よくわかりません。あなたが言う償いをさっさと終わらせたいだけかもしれませんしね」
「それでもいいわ。……自分勝手で迷惑な私の事、見守ってね」
「……いいですよ、その辺は持ちつ持たれつです」

 生きるために他人を欺き食らい続けた毒使いの少女。彼女が本心ではジェムの善意や傲慢さをどう思っているのかはわからないし、今でも食らう機会を伺っている部分はあるのだろう。それでも今こうして悪意を向けることなく会話をして、幽かにだけど笑ってくれる。それを確認して、また一つシンボルをはめる。

「ふふ……流石私が強者と認めた相手だ。今はお前こそこのフロンティアで一番……もうここまで来たらチャンピオンにも勝ってしまえ」
「私に出来るかな……でも、ドラコさんが言ってくれるとなんだか出来そうな気もするわね」
「当然だ、我が竜たちを退けておいて負ける気でいてもらっては困る」
「じゃあそのために、また色々教えてくれる?」
「当然だろう」

 激しく厳しく、竜そのもののような強さで転んだり迷う自分を叱咤激励してくれたドラゴン使いのお姉さん。自分よりずっと大人びていて、ジェムがアルカ、ダイバと接するのを支えてくれる人がすぐそばにいるのはとても心強い。そんな人がまっすぐ自分の強さを認めてくれるのは、とても嬉しい。六つ目のシンボルをはめ、ダイバが声をかけてくる。

「……今までの事、悪かった。僕は自分が強くないことを認めたくなくて……チャンピオンの娘である君に言うことを聞かせて強いって思おうとしてた」
「ダイバ君は強いよ……誰が何を言ったって私はそう思う。それにここに来たばかりの私も全然大したことなかったのに自分の事強いって思いこんでた。だからこれからは……お互い対等な、お友達になりましょう」
「友達なんて今までいたことないからよくわからないけど……好きにすれば」
「大丈夫よ、ここに来て初めて出来たんだから!」
「……そう。まあ、だからこそかな」

 静かで暗い、だけど自分よりもずっと真剣に親に近づくために勝負を重ねてきた少年。なんとか勝てたけれど、それはダイバに焦りと自分や親に対する幻想があったからこそ。彼はこれからもどんどん強くなるだろうし、その時はもうジェムが追い付けない高みに達するのかもしれない。でも今は自分よりも小さな背中を、命令じゃなく似た境遇の人間としてそっと支えてあげたいと思える。

「じゃあこれで……最後のシンボルね」

 ジェムが最後の一個、昨日獲得したバトルタワーのシンボルをはめる。するとフロンティアパスがぼうっとブラックライトのような暗い光に溢れ始め、上の画面には『COMPLETE』の文字が黒く浮かび上がる。が、それ以外特に変化はない。

「あれ……これだけ?」
「……地味ですね」
「あのオーナーにしては意外だな」
「……」

 少し肩透かしを食らったような気分になるジェム。ダイバは何も言わない。だがしばらく画面を見つめていると――画面の英語の文字が輪郭からばらばらになっていく。画面そのものにノイズが走り始め、フロンティアパスを持つジェムの手が痺れる。少し大きい静電気が弾けるとジェムは思わず手を離した。同時に画面から小さなポケモンが飛び出て、凄まじい速度でバトルフロンティアの中心部へ向かっていった。

「何今の……?」
「このパスの中に入ってた……ポケモンですかね」

 ジェムとアルカが驚く。ドラコが平然と説明した。

「はっきりとは見えなかったが、恐らくはロトムだろう。電気製品に入り込み、キンセツシティなどでは人間の生活をサポートする役目を果たしているが……さて」
「……多分、ここからが本番だ」

 ダイバがフロンティアの中心部を見る。それにつられてジェムたちも目を向ける。南端の庭園から見えるのは天高くそびえたつバトルタワーだが、その姿が見る見るうちに変わっていく。
 緑色を基調に金色のラインが入ったバトルタワーが、まだお昼前なのに下の方から真っ黒に染まっていく。電気を消したとか空が曇ったとかそういうレベルではなく、一切の光を反射しない純粋な、本当の意味での黒であり闇。まるでフロンティアの象徴を埋め尽くすように天辺まで黒くなったそれは、天まで届く影のようだった。


「な……なに、これ……」
「また何か、異常が……?」
「いや……おい、パスを見ろジェム」

 ジェムは落としてしまったフロンティアパスを拾い上げる。するとノイズの入っていた画面が音を立てて切り替わり、そこにはホウエンチャンピオンであるジェムの父親がいた。画面の中の彼はジェムの瞳を捉えた。ジェムの片方の目と同じ海のような蒼色が、チャンピオンとしての堂々と、そして誘い込むような幽玄さで見つめている。

「お父様……」
「まずはフロンティアシンボルを全て集めたことを認めよう。おめでとうジェム。さすが私の娘だ。ルビーもジャックさんも誇りに思うだろう」
「ありがとう……ここまで色々あったけど、やっと最初の夢が叶ったのね」

 本当のところ、あまり実感はない。最初は父親の背中を追いかけるためだけに勝負をしていた。父親同様みんなに認められるトレーナーになることこそ目標だったはずだ。でも様々な人々、今隣にいる仲間に関わるうちにそれはジェムにとって少しずつ、求めているものとは違って来たような気がするのだ。昨日の戦いから、もはや最初の目的は頭から抜けてドラコにアルカ、そして今ダイバを助けて支えたくて戦っていて、周りの人間がどう思うかなんてあまり意識しなかった。

「最初にシンボルを七つ集めたジェムには私と正式な場所で勝負する権利が与えられる。受ける場合、一週間後の夜八時私と勝負することになるが……受けてくれるか、ジェム」
「うん、あのねお父様。私ダイバ君やアルカさん、ドラコさんや色んな人と勝負して……強くなれたの。だからそれを、お父様にも見てほしい」
「そうか……なら一週間後を楽しみにしている。私は一昨日のあの部屋かバトルタワーにいる。このパスで連絡も出来るからいつでも話したいことや聞きたいことがあれば来るといい」
「わかったわ。今は皆とやりたいことがあるから、またお話ししに行くね」

 この前勢いに任せてバカと言ってしまったことや、母親と昔どんな風だったのか聞きたいことはたくさんあるけれど、今は友達になったダイバ達と一緒に時間を過ごしたかった。サファイアもそれを否定せず頷く。

「せっかくできた友達だ。大事にするといい。では、また会おう――」
「待て」

 サファイアが別れの言葉を告げようとした時、急にダイバが制止した。ジェムが驚いてダイバを見る。短い言葉に込められた意思はすごく剣呑だ。全員の視線がダイバに集まり、彼はゆっくりと口を開く。

「……ホウエンチャンピオン、ジェムにまだ言うべきことがあるんじゃないのか」
「……どういう意味か聞こうか」
「とぼけるな。それとも参加者である僕の口から言った方が面白いと思ってるのか」
「ちょ、ちょっとダイバ君。いきなりどうしたの?」

 ダイバは何かを隠している風ではあったが、それに関係することなのか。自分に対する敵意とは違う、チャンピオンに対する憤りのようなものがはっきり感じられた。自分が負けたことによる八つ当たりをするともジェムには思えない。ダイバは構わず語り始める。

「……昨日のバトルタワー襲撃には違和感があった。ドラコ達がバトルタワーの壁を突き破って中に入ったと聞いた時からだ」
「ほう? 私がか?」
「……ここからでも見えるくらい高いバトルタワーの壁を突き破って侵入し、バーチャルシステムを止める。そんなことをしたら誰の目にもつくはずだ。気づかない方がおかしい」
「それはそうですが……」
「アルカと戦った後僕がしばらく気を失って。目が覚めた時にはそれなりの時間が経ってたにも関わらず状況に変化はなかった。結果的に僕とジェムが止めることに成功したけど……そんなの、常識的に考えてあり得ない。下手をすればフロンティアは乗っ取られ、ジェムと僕は命を落としたかもしれないのに」
「どういうこと……?」

 昨日は必死に止めるだけを考えていたから、ジェムは思い出してみてもダイバの言う違和感がわからない。そんなジェムに、ダイバは質問する。

「ジェム、君が憧れたチャンピオンの使うポケモンのタイプは?君の尊敬する師匠であるジャックのトレーナーとしての特徴は?」
「お父様がゴーストポケモン使いで、ジャックさんは色んな伝説のポケモンを持ってるけど……」
「もう一度言う。君は昨日アルカやアマノに殺されても不思議じゃなかった。……僕のゲンガーでさえメガシンカすれば異次元を通じて空間を移動できる。伝説のポケモンには時間や空間を超えることのできるポケモンは多い。……ここまで言えばわかるよね」
「……!」

 あの時バトルタワーの入り口は封鎖されていた。でもそれはあくまでただの壁だ。どれだけ分厚い壁であろうと、二人にとっては障害になり得ない。ジェムの頭に一つの想像が浮かんでしまう。

「じゃあダイバ君は……お父様やジャックさんが私が死ぬかもしれないのをわかってて、ほっといたって言いたいの……?」
「何をバカな……ジェムはあれだけ自分の家族の事を信じていたんですよ? そんなジェムの家族が、わざわざ死の危険を冒させるような真似をするとは思えませんね。考えすぎでは?」

 ジェムは信じたくなかったし、アルカも否定した。それではあまりに報われないではない、と。そして、ダイバは首を振った。

「半分は正解だけど、そうじゃない。二人は……いや、このフロンティアの中心に関わる人間全員か。そもそもジェムが死ぬなんて思ってなかったんだ」
「は……意味がわかりませんね。わたしやアマノではジェムを殺せるわけがなかったと? アマノの計画はわざわざ自分が出るまでもない程度のものだったと言いたいのですか?」
「そんなのおかしいわ!だって……あの時は、本当に……」

 アルカにしてみれば自分たちの行いをコケにされたようにも感じる言い方だ。愚かではあったし実際に止められたわけだが、それでも最初から軽んじられていたというのは納得しがたいし、ジェムにとっても理解できない。ウツボットの蔦に力を搾り取られた時、エンニュートやラフレシアの毒に侵された時、バトルタワーの天辺から地上に突き落とされかかった時。もうだめかと思ったタイミングはいくらでもあったしあの場にいる本気で戦っていたからこそ今傍にいるみんなとの関係があるはずだ。

「ジェム。昨日は僕と一緒になんとかしたけど……最初にアルカにさらわれた時は自分一人で何とか出来た? シンボルハンターと戦った時はどうだった」
「えっ?」

 唐突に話題を変えられて、ジェムは一瞬戸惑った後思い出す。あの時助けてくれたのは――

「ううん、ジャックさんが助けてくれなかったら私はアルカさんと一緒に悪いことをしてたと思うし、お母様にも嫌われてると思ったままだったかも……」
「僕は昨日の夜、このフロンティア中にある監視カメラの映像を調べてその時の様子を見た。ジャックが助けに来たタイミング……いくらなんでもぎりぎりすぎる。まるでジェムが折れる寸前までほっといたみたいだった」

 思い返してみれば、ジャックは最初から助けてくれたわけではない。戦いの途中、ジェムが相手の言うことに唆されて堕ちそうになった時にようやく来ていた。バトルフロンティアには至るところにフロンティアの様子を中継しているモニターがあったから、ジャックの持つ伝説のポケモンの力があれば確かにもっと早く助けられたかもしれない。

「ジェム、君はバトルピラミッドでジャックの居場所まで行ったんだよね。……その時、ジャックは何を見てた?」
「えっと。あの時は私に背を向けて、大きなプロジェクター……を……」

 ジェムはそこで気づいてしまう。ジェムがドアを開けた時には彼は暇だったからと言って自分に背を向けてアニメを見ていた。でももっと前からジェムが挑戦中であることは彼は知っていたし、ピラミッドを昇るジェムと会話もしていた。本当に、暇を持て余して自分に背を向けていたのか?
 本当は、ジェムがどうしているかをあれでずっと監視していたのではないだろうか?

「だ……だからなんですか?ジェムの師匠なら教え子を鍛えるために放置してたとか、せいぜいそんなところでしょう。昨日の事とは関係ないのです」
「少し横道にそれたかもしれないけど……僕が言いたいのは、あらかじめジェムが本当に危なくなったときに助けることのできる人間を用意してたってことだよ。そして僕の予想では、昨日はジャックとは違う人間がその役目を持っていたはずなんだ」
「ジャックさん以外の人……それが、お父様だってこと?でもそんなことをするなら……最初から助けてくれた方が危なくなかったんじゃ」
「……違う。チャンピオンじゃない。ジェムは僕やバーチャルに負けた後すごく落ち込んでた。それを見て助けに来てくれた人がいるよね?」

 今までの道のりを思い出させるようなダイバの言葉に対しジェムは思考を巡らせる。助けに来た、というには荒っぽかったけど、心当たりはある。しかしそれを口に出す前に、ダイバが話し始めてからずっと黙っていたドラコが竜の息吹を吐くように轟轟と言葉を放った

「ふっ……ふはははっ!ダイバ、随分核心に確信があるようだが……所詮貴様はまだ幼い子供だな」
「僕が間違ってるって言いたいの?」
「そうだ、お前の推測など児戯にも等しい!そんなつまらぬ考えなど私が噛み砕いて飲み込んでやろう!」
「ドラコさん……?」

 ジェムにとって信じたくない言葉を否定してくれる。それは本来心強いことのはずだ。だが今まで黙っていてこのタイミングで否定する。それはジェムにもわかるくらい不穏で、わざとらしさがあった。

「ダイバ、お前の言い分ではジェムが危ない目に遭っても助けられるよう手配していたというのだな?」
「そうだよ……それで?」
「だがジャックがいかに監視し、空間を超える術を持っていようとも昨日のあれは一瞬の遅れが命取りになる状態だ……そんな状況でわざわざ空間なり壁を越えていたらどうなる。ただ離れているだけならともかく、バトルタワーの頂上付近だぞ?」
「壁抜けならもちろん、空間転移といっても、場所が離れていたり正確な場所に出るためには多少に時間はかかる……そういうこと?」
「その通りだ。誰であろうといちいち危なくなったのを見て外から助けに入っていれば、催眠術使いのアマノはいざ知らずアルカの毒が回りきって死んでしまうわ!」

 ドラコの反論は一見尤もだ。例えば『ゴーストダイブ』は壁やものを無視して進むことは可能だが、移動するには時間もかかるし影に入った後すぐには出てこれない制約なども多い。超常現象を操るポケモンもそれぞれ何でも自由というわけではない。だがダイバは動じない。そして……ジェムにも、予想がついた。

「だからこそ……君はアマノに操られていたんだろ。ドラゴンタイプのポケモンならジェムがバトルタワーから突き落とされても受け止められる。僕やジェムの後をこっそり追っていざという時は即座に割って入れるようにすることも昨日に君には難しくなかったはずだ。落ち込むジェムを叱咤激励し、敵として迎え討ちながらも倒された後は協力する……そういう存在として君は用意されたんだ」
「ドラコが……わざと?」

 アルカが信じられないような顔で後ずさる。自分と同じようにアマノに操られ、その上でアルカを案じてジェムに助けるように頼んだと聞いている。それが最初から計画通りの出来事だった?

「昨日パパがあっさりアマノを突き落として平然としてたのも、そう言うことだったんだ。誰が突き落とされようと、下には受け止めるための人間を用意していたから落ちたところで構わなかった……そうなんだろ」
「ふん……大した想像力だ。子供の発想とは恐ろしいな。だがそこまで疑うのなら証拠はあるのか?筋は通っていても、確たる根拠もないのに疑うのは感心しないな。アルカやアマノ同様、私は本気でお前達を退けるつもりで戦ったつもりだったが?」
「それは……」

 ドラコは、肯定も否定もしなかった。基本的にはっきりものを言うドラコは昨日のあの時も、核心をついた時ははぐらかしていた。口の端が楽しそうに歪んでいるのは、気のせいだと思いたい自分とやっぱりそうなのかと思う自分がいる。ダイバは少し言葉に詰まったようだった。考えとして持っていても、具体的な証拠はないのだろう。だがジェムはこのやり取りで、ドラコが本当に操られていたわけではない根拠に心当たりが出来る。

「ねえドラコさん……私の勘違いかもしれないから、聞いてもいい?」
「なんだ?遠慮はいらんぞ」
「今ダイバ君の言ったことが間違いだとしたら……何で最初にあんなことを言ったの?」
「あんなこと、とはなんだ?」
「バトルの前に『さあ、血塗られたショーの始まりだ』って言ってたよね……?本当に私達を倒してフロンティアを破壊しちゃうつもりだったなら……なんで『ショー』なんて言ったの?」
「なっ……!?」
「バトルの最中も私達に油断しないよう言ったりしてたし……ダイバ君の言う通りだったら、つじつまが合うかなって思うんだけど……違う?」
「ぐぬっ……」

 ドラコがうなり声を上げる。反論できないらしい。つまりダイバの言うことは正しいことになるが……それならそれで疑問はある。

「ダイバ君、仮にそうだとしたら……なんでドラコさんは私のために動く必要があったの?私、フロンティアに来て初めてドラコさんに会ったし……」
「そうです。ドラコがジェムのために犯罪に手を染めるなどメリットがありません。アマノやわたしともども警察に捕まる可能性だってあったんですよ?」

 ドラコとはここに来て初めて会ったし、ジェムはずっとおくりび山にいたのだからサファイアと違って一方的に知られている可能性も低い。

「いいや……それもなかったと思う。アルカさんはその時眠っていたからわからないだろうけど……パパが連れてきた警察の人は、ドラコの事は最初から操られているだけなのがわかってて捕まえようともしてなかったからね」
「さっきから……そもそも一番根本的な矛盾が消えてないじゃないですか。なんでわざわざぎりぎりまで放置する必要があるんですか?危ない目に遭っていることがわかっているなら最初から助けに入ればいいだけの事です。基本的に任せるけど万が一のために備えておく。遊園地のアトラクションじゃあるまいしそんな中途半端な話ないのです」
「……そう。まさにその通りだったんだよ。スリルがあるけど安全の保障されたアトラクション……ジェムの今までの道は、そうなっていたんだ」
「え……?」

 意味が分からなかった。バトルフロンティアは最前線のバトルを楽しむための施設だが、勝ちもあれば負けもある厳しい施設。ジェムはその強さに打ちのめされたし他の参加者はシンボルひとつとるのも苦労しているらしい。

「そんな……私、ずっと本気だったんだよ?遊び気分なんかじゃ……!」
「知ってるよ。ジェムはずっと真剣だった。だけど……それは全部、計算されてんたんだ。最初にパパがジェムと僕を対象にゲームを始めた時から全て」
「エメラルドさんが……?」
「アマノの計画だって、元はと言えばパパとチャンピオンが無理やりこの場所を奪ったのが始まりだった。復讐する動機、バーチャルシステムの欠陥……そして立ち向かうためのダークライという伝説の力」
「アマノがダークライを手に入れたことすら計算だったとでも?」
「……僕にはわかる。ダークライが倒された時のあの消え方は……本物のポケモンじゃない。精巧に作ったバーチャルポケモンだったんだよ」
「な……!?」

 確かにダークライの消え方は少し変だったし、伝説のポケモンにしてはあっさりと倒せていた。アルカはバーチャルポケモンの事をあまり知らないから反論は出来ないのだろう。ただ、アマノが自信の源にしていた伝説の力が紛いものだったといわれて真っ青になる。 

「なら……アマノは最初からずっとオーナーの掌の上で何も知らずに騙されていたといいたいんですか……」
「……そのはず。だけど、それを企んだのは……パパじゃないはずだ。ジェム、君達にとっては多分聞きたくないことだと思うけど……残念だけど、真実はこれしかない」
「それがダイバ君が、私に隠してたこと……なのよね」
 
 ダイバが呼吸を整えて、その口から放つ言葉を。恐らくジェムは一生忘れることはできないだろう。なぜならそれは、ジェムがここまでの流れで予想していたことの更に上をいく内容だったから。


「フロンティアでの様子はどこでも見られるようモニターやテレビで放送してある。普通にバトルの様子をテレビで流すだけでもバトルフロンティアがどんなところかをPRするには十分だ。だけどそいつは、それだけじゃ面白みに欠けると判断した。『ポケモンバトルで見ている人を笑顔にする』そのためならどんな手段を厭わない……自分の娘がどれだけ傷ついて、悲しんで。でも劇的なタイミングの助けやジェムだけが持ってる強さで最終的には僕に勝ってチャンピオンと戦う権利を手にする一連のストーリー。思い通りの結果で満足したか……!ジェムの父でありポケモンバトルのホウエンチャンピオン、サファイア・クオール!!」


 その告発は、ジェムが誰より憧れ、尊敬し、崇拝さえしていた父親こそがジェムを今まで危険に追いやってきたと宣言していた。ジェムの頭の中が、拒絶するように真っ白になった。何も考えられない。一時的な悲しみではなく、今までやってきたことをすべて否定されたような、シンボルハンターの時よりもずっと唐突で強烈な事実がジェムの心を破壊する。

「うそ……よね」
「……言わない方がジェムにはよかったかもしれない。でも僕に勝ってチャンピオンに挑むからには――」
「お父様、ダイバ君の勘違い……だよね?」

 ふらふらと、迷子になった幼子の様な言葉。画面の中の父親に、助けを乞うように聞く。ジェムに暴かれたあとまた黙っていたドラコが、チャンピオンに言う。

「どうするつもりだチャンピオン。事ここに及んでそんな画面越しに娘への言葉をかける気か?弁明があるなら、もはやお前が直接打って出るしかないと思うが」
「ドラコッ……!あなた、最初から私達がこうなるとわかっていて……!!」

 ドラコの言い方はやはり半ば正解だと認めていた。そのことにアルカが激昂する。アルカからしてみれば、失敗すると分かっている計画に自分から飛び込んできたのだから。飛んで火にいる夏の虫どころか、獅子身中の虫に他ならなかった。その上で、アルカを助けろなどといけしゃあしゃあと言われていたと知って平気でいられるはずもない。

「そうだな。今までご苦労だった。さて……」

 画面の中の父親も、ドラコに対する労いが含まれていた。直後画面が真っ黒になって、消え、正に空間の移動をしてジェムたちの目の前に――燕尾服を着こなし、蒼い双眸で全ての敵に打ち勝ち観客を魅了するジェムの父、サファイア・クオールが現れた。

「お父様……本当に、お父様の計画通りだったの?違うって……言って……」
「訂正すべき事柄はあるが……まずはダイバ・シュルテン。君の頭脳を認めよう」
「おとうさまぁ……」

 サファイアは、何を言っていいかもわからず訴えるジェムではなくダイバを見て、ボールを一つ取り出した。普通のモンスターボールによく似た、だけど少し装飾の違うボールは、サファイア本人の手持ちではない。その中に入っていたポケモンを、サファイアは出す。

「――――これで。欲しい答えになったか?君の言う通り、このフロンティアでの一連の事件を仕組んだのは私だ。エメラルドにも随分と無理を言った」
「アマノの持っていたダークライ……!」

 ドラコにつかみかかっていたアルカが驚いて止まる。サファイアが繰り出し操っているのは、昨日の作戦の鍵である伝説のポケモンに他ならない。それを平然と使役していることが何よりアマノの計画をサファイアが仕組んだことの答えになっていた。全ては、フロンティアでの出来事を盛り上げ、バトルを面白くするためだけに。たくさんの人への見世物にするためだった。

「君にも申し訳ないことをした。私達の計算ではアマノ一人ではジェムやダイバ君への脅威にはならない……君のような本気で他人を害することに慣れた人間が必要だった。その為に利用したことを認めよう」
「……ッ、わたしはあなたに謝られるような覚えなどありません!そんなことより……!」

 アルカはドラコを払いのけ、ジェムに駆け寄る。そもそもジェムがフロンティアに来た理由は、父親への憧れが理由だった。アルカへ優しくしたことだって大元をただせば父親の様になりたかったというのが始まりにあったこそだ。それすら利用され欺かれ、ジェムは泣き喚くでもなく怒るでもなく、全てを奪われて空っぽになったように膝をついて虚ろになっていた。アルカが思わず抱きしめても、まともに反応しない。

「ジェム……今は辛いだろうがお前ならきっと乗り越えられる。一週間だ。一週間でお前なりの答えを出し、私を倒しに来るがいい。ここまでの道のりは私の予想通りなどではない。ダイバ君が先に七つのシンボルを集める可能性、ジェムがしばらく立ち直れなくなる可能性も考慮した上で計画は進んでいた。今この局面があるのは、ジェムの強さがあればこそだ。お前という娘を……本当に、誇りに思っている」
「何をぺらぺらと……あなたはジェムの想いを踏みにじったんですよ!チャンピオンの事なんて興味ない私にも、すごい人で優しい人だって説明して、妬ましくなるくらい憧れてて……なのになんでですか!彼女を見世物にして、アマノのことだって……それじゃあ彼はとんだピエロじゃないですか!」

 アルカが怒りのままにウツボットを呼び出し、『パワーウィップ』がサファイアにいきなり襲い掛かる。するとサファイアの影から朽ち木のようなポケモンが現れ、自分の影から黒い鞭を呼び出してウツボットとアルカの体を一瞬にして縛り上げた。

「ぐうっ……!この……!」
「ジェムが君を友にすることはいささか予想外だった。ジェムの行いは立派なものだが父親としては君がジェムに与える影響をあまりよしとは出来ない……せめてしばらくは、大人しくしていてもらおうか」
「まさか……」
「オーロット『ギガ……』」

 ダイバが勘づく。オーロットは草・ゴーストタイプ。以前アルカがジェムにしたように、影の蔦を巻き付けてアルカからエネルギーを吸い取ろうとしたその時。――、メガシンカした黒い翼竜が、ドラコの後ろからオーロットへの突撃した。

「私の役目も終わった。なら好きにさせてもらう。やれリザードン、『蒼炎のアブソリュートドライブ』!!」
「バワアアアアアアアアッ!!」

 ジェムと最初に戦った時に使い、昨日は使わなかった自分で名前をつけたドラゴンクロ―とフレアドライブを組み合わせた技が襲い掛かる。当たる寸前にオーロットはサファイアもろとも『ゴーストダイブ』で影に隠れたが、アルカとウツボットを縛り上げる蔦は消えた。しばらくして少し離れたところに影から出現するサファイアとオーロット。

「……何の真似か聞いてもいいだろうか」
「勿論、貴様へのバトルの申し込みだ。――さっきジェムとダイバがそうしたように、私とフロンティアのルールに則って勝負をしろ!」

 ドラコは自分の持つシンボルを一つ見せる。サファイアは眉を顰めた。サファイアはあくまでシンボルを集めた人間の挑戦を受ける立場であり、施設に挑戦したことは勿論ない。

「シンボルを賭けた戦いはお互いにシンボルを持っていなければ成立しない。よってそれを私が受ける義理は……」
「ある。一昨日の夜にお前はフロンティアブレーンと戦い勝利しているとジャックから聞いた。知らぬふりは許さんぞ」
「なるほど、よく調べた……いや、そもそもこの時のためにジャックさんは私に勝負を挑んだと考える方が自然か」

 サファイアが観念したように呟く。ドラコは膝をつき、座り込んだまま虚空を見つめるジェムに呼びかける。

「ジェム!!確かに私はお前を欺いていた。お前の師匠もな!だが私もあいつもお前のことを見せ者として馬鹿になどしていない!これからやってくる人間どもがどんな目でお前を見ようと恐れるな!!例えお前のここまでの道のりがチャンピオンの掌の上だったとしても、私はお前の強さを認め、アルカはお前の優しさに納得し、ダイバはお前を友と認めた!ジャックはお前の手によって救われたと私に語った。だからこそチャンピオンをも欺いた!そして私が……チャンピオンを倒し、こいつのたくらみなど木っ端みじんに粉砕してくれる!!」
「ドラコ……さん……」

 ジェムはドラコの方を見ることが出来ない。彼女のこの言葉さえ、ジェムを奮起させるために欺いているだけかもしれない。そんな風に感じてしまうくらい、ジェムの心はひしゃげてもう元に戻りそうになかった。

「さて、言うべきことは言った……後はポケモンバトルで語るのみ!さあ、受けてもらおうかチャンピオン。私が認めた相手の心を弄んだことを懺悔するがいい!」
「……いいだろう。勝負を挑まれたのは私、よってルールを決める権利は私にある」
「だが、失望させてくれるなよ?無敗のチャンピオンともあろうものがこの状況でさっさと終わらせるために一対一などと言えば誰も納得はすまい」
「当然だ。予想外ではあるが、そんな状況でも見ている人間を楽しませてのチャンピオンだ。……そのためなら、何を犠牲にしても構わないと誓ったのだから」

 サファイアは少し目を閉じて考える。周りを見ていないのに、その姿には一切の隙がない。ダイバがドラコに言う。

「ジェムにも僕にも勝てない君が、チャンピオンに勝てるなんて本当に思ってるの?」
「随分な物言いだな。やって見なければわからん。それに……いつからあれが私の本気だと錯覚していた?私はまだ半分の力も出していない。龍に秘められた力を解き放てば、悪霊を退けるなど実に容易いことだ」
「……何言ってるの?」

 唐突にダイバとは違う意味で小難しいことを言い出したドラコに訝しむダイバだが、今は彼女に任せるしかないのも確かだ。

「ルールはバトルタワーにおける四体四のダブルバトル……異論はないな?」

 サファイアが瞳を開き、ルールを宣言する。ドラコは頷き、リザードンを一度下げボールをもう二つ取り出した。

「君の役目は終わった。後は好きにしてくれて構わないといったが……ジェムのためにそこまでしてくれるとは思わなかった。先に礼を言っておこう」
「その余裕もここまでだ人の心を弄ぶ亡霊め。あの時は解放できなかった我が力の全て……耐えられるものなら耐えてみるがいい!出でよ、カイリュー、ボーマンダ!」

 ダイバが真実を暴き、アルカは自分よりもジェムのために怒った。その意志を汲み、ドラコが勇んでリザードンとボーマンダ、二体の龍を並べる。ジェムの宝石のような瞳に、もう一度自分や仲間たちを映させるために彼女は王者へと戦いを挑む――。
 
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