北平の悪龍
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第三章
「わしなら残った力でも出来るが」
「拙僧に勝負を挑むか」
「さすれば御主を倒せるやも知れぬが」
しかしというのだ。
「それはせぬ」
「御主の流儀ではないか」
「だからな」
それ故にというのだ。
「ここは去ろう、しかしだ」
「北平を都にするのならか」
「わしはこの国を脅かし続ける」
こう告げてだ、そしてだった。
黒龍は姿を消した、道衍はその足で燕王のところに赴きことの一部始終を話した。そのうえで燕王にこう言った。
「さらなる手を打つ必要があります」
「黒龍の力を弱める為にか」
「はい、ですが仏門の出来ることは全てしましたので」
「後はか」
「道教になるかと」
「わかった、ではそちらの方にも命じておこう」
「そうして頂ければ」
「その様にな、しかし龍がいたとはな」
この街にとだ、燕王はあらためて言った。
「思わなかったわ」
「はい、ですが」
「それを封じなくてはか」
「燕にとってよくありませぬ故」
即ち燕王の封地にというのだ。
「蒙古との戦にも差し障りが出ます」
「だからか」
「はい、ここはです」
「龍を徹底的に封じてか」
「ことにあたりましょう」
「それではな」
燕王も頷いた、そしてだった。
道衍の言う通りに道教の者も読み黒龍をさらに封じた、そうしたことをしていき北平を拠点として北元と戦っていった。
そして後の靖難の変において燕王は皇帝となったがだ、皇帝となってだ。彼はこの北平を都としてだった。
名前を順天府北京とした、そうして。
そのうえでだ、北京の城壁を哪吒太子の形にし黒龍をさらに封じていった。そうして北京から国全体を治めた。
北京の黒龍のことは話にある、だがそこに道衍後に姚広孝となる彼の存在があったことはあまり知られていない。燕王後の永楽帝が靖難の変が簒奪であり即位してから粛清を行いまた宦官を重用したことから評判が悪く姚広孝自身も故郷においてすら歓迎されていなかったことからもわかる通り評判のよくない人物だったがこうしたことも行っていた。面白い話であると思いここに書き残すことにした。願わくばこの僧の別の一面が少しでも世に知られん。
北平の黒龍 完
2016・10・15
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