亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第二十八話 第六次イゼルローン要塞攻略戦
宇宙暦 794年 10月 20日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
艦橋の雰囲気はどんよりとしている、はっきり言って暗い。グリーンヒル参謀長を頂点に皆が冴えない顔をしている。まるで葬式に参列しているような感じだ。
ロボスの表情だって明るくない。周囲が皆反対だと分かっているせいだろう、不機嫌そうな表情で指揮官席に座っている。これで戦争するってか? 何の冗談だと言いたくなる。
ワイドボーンとヤンが俺を見ている。この二人は俺が撤退案を出してから俺と話したがっている。しかし俺は考えたい事があると言って断っている。言い訳じゃない、実際どうやって要塞内に侵攻した陸戦隊を撤収させるかを考えているのだ。
難しい問題だ、要塞外での艦隊戦がどうなっているか分からない。そしてロボスが撤収を認めるかどうかも分からない。手が全くないわけじゃない、だがそれにはかなりの覚悟がいる。
もしかするとワイドボーンとヤンも陸戦隊の撤収方法を考えているのかもしれない。それを俺に相談しようとしているのかも……。であればなおさらこの二人とは話は出来ない……。
それにしても何で俺がこんな苦労をしなければならんのか。俺は亡命者だろう? その俺が頭を抱えていて、ロボスだのフォークなんていう馬鹿どもが好き勝手やっている。どういう訳だ? 俺はそんなに前世で悪いことをしたか? 三十前に死んでるんだがな、何なんだこれは、頭痛いよ。
「参謀長、始めたまえ」
「……はあ、……宜しいのですか?」
ロボスが作戦の開始を命じたがグリーンヒル参謀長はロボスに再確認した。気持ちは分かる。一旦始まったら途中で止める事は出来ない。止めるときは敗北を認める時だ。ロボスに再考を促したのだろう。
「何をぐずぐずしている! 始めたまえ!」
ロボスが額に青筋を立ててグリーンヒルを怒鳴りつけた。うんざりした、思わず溜息が出たよ。ロボスが俺を睨んだが知ったことか、ここまでくるとなんかの祟りか呪いじゃないかと思いたくなる。
「作戦を開始する、各艦隊に所定の位置につくように伝えてくれ」
「はっ、各艦隊に連絡します」
グリーンヒル参謀長の声もそれに答えたオペレータの声も生気がない。連絡を受けた各艦隊も似たようなもんだろう。まるで死人の艦隊だ。
同盟軍が布陣を整えイゼルローン要塞から約7光秒ほどの距離に迫ったのは三時間後の事だった。艦隊は未だ要塞主砲(トール・ハンマー)の射程外にある。要塞の外には帝国軍艦隊が展開していた。ざっと二万隻は有るだろう。要塞にはさらに後二万隻程度は有るはずだ。合計約四万隻、楽な戦じゃないな。
帝国軍二万隻がこちらに向けて攻撃をかけてくる。本気の攻撃じゃない、同盟軍を要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内に引き摺り込むための挑発行為だ。もちろん同盟軍もその辺は分かっている。要塞主砲(トール・ハンマー)の射程限界、その線上を出入りして敵の突出を狙う。
「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」、同盟軍が血の教訓によって得た艦隊運動の粋だ。タイミングがずれれば、要塞主砲(トール・ハンマー)の一撃で艦隊が撃滅されてしまう。
そして帝国軍は同盟軍をD線上の内側に引きずり込もうとする。その際、自分たちまで要塞主砲(トール・ハンマー)に撃たれてはならないから、退避する準備も怠らない。D線、まさにデッド・ラインだ。
両軍ともに虚々実々の駆け引きが続くが、これは兵士たちにとって恐ろしいほどの消耗を強いる事になる。イゼルローン要塞攻防戦は同盟にとっても帝国にとっても地獄だ。
「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」が始まって二時間、ミサイル艇の攻撃を阻む位置に帝国軍艦隊の姿は無い。やはりラインハルトはミュッケンベルガーに受け入れられていない。ロボスも艦隊が居ないことを確認したのだろう。グリーンヒル参謀長に攻撃命令を出した。
「グリーンヒル参謀長、そろそろ攻撃を始めたまえ」
「……はっ」
グリーンヒル参謀長がロボス元帥の命令に頷いた。
妙な感じだ、普通なら参謀長が司令官に提案する形で積極的に作戦実行に関わっていく。ところがグリーンヒルは全く関わろうとしない。ロボスの命令を嫌々実行している。馬鹿馬鹿しくてやってられないのだろう。ロボスもそのあたりは分かっている。不満そうな表情でグリーンヒルを見ている。
帝国軍の艦隊は同盟軍主力部隊の動きを牽制しつつこちらを要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内に引きづり込もうとしている。同盟軍主力部隊もそれに応じつつ敵を牽制している。そして、その陰でミサイル艇三千隻が動き出した。要塞主砲(トール・ハンマー)の死角からイゼルローン要塞に対してミサイル攻撃をかけた。
イゼルローン要塞表面の数か所のポイントに数千発のミサイルが集中し次々に爆発した。おそらく要塞内部では混乱で大騒ぎだろう。要塞表面が白く輝く。その姿に艦橋内部でも嘆声が上がった。
「続けてミサイル艇に攻撃させよ! 強襲揚陸艦発進準備! どうだ、見たか!」
ロボスが興奮した声を出した。最後の言葉は誰に向かって言った? 帝国軍か、それとも俺達に対してか? 戦いはまだ始まったばかりだ、総司令官がこの程度で喜んでどうする、馬鹿が。行きはよいよい、帰りは恐い、問題はこれからだ。
宇宙暦 794年 10月 20日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース マルコム・ワイドボーン
艦橋が歓声に沸く中、ヴァレンシュタインは冷静にスクリーンを見ていた。周囲の興奮からは全く距離を置いている。やはりヴァレンシュタインは攻める事よりも退く事を考えているのだろう。どうやって陸戦隊を撤収させるか、それを考えているのに違いない。
昨日、ヴァレンシュタインが撤退案を出した。ヤンの感想は“惜しい”だった。“イゼルローン要塞を攻略に来て何もせずに帰る……。ロボス元帥でなくても難しいだろう。ましてロボス元帥の立場は余りにも弱すぎる、そしてロボス元帥とシトレ元帥は反目している。ロボス元帥の立場が強ければ、或いはロボス、シトレ両元帥が協力体制にあれば、撤退案は受け入れられたかもしれない……”
フォークの作戦案が実行される以上、問題になるのは陸戦隊の撤収だ。その問題を話し合おうと何度かヴァレンシュタインに声をかけたが彼は言を左右にして話し合いに加わらなかった。
“無理に誘うのは止めよう。彼は彼なりに撤収案を考えているのかもしれない”
“しかし、それなら一緒に考えた方が効率が良いだろう”
“彼だってそれは分かっているだろう、その上で一人で考えているのかもしれないよ”
“……”
“そうする必要が有る、彼はそう思っているのかもしれない……”
イゼルローン要塞の表面がまた爆発した。ミサイル艇が再攻撃をかけたらしい。スクリーンには要塞に向けて進撃する強襲揚陸艦の姿が映っている。艦橋では参謀達が興奮した声を上げている。或いは作戦が上手く行くと考え始めたのかもしれない。
「強襲揚陸艦がイゼルローン要塞に接岸しました!」
オペレータの声に艦橋が更に沸いた。
「陸戦隊を要塞内に突入させろ、イゼルローン要塞を奪うのだ!」
「はっ」
ロボス元帥が上機嫌で命令を下した。
陸戦隊か、ローゼンリッターもあの中にいるだろう。シェーンコップ大佐も突入を控えて興奮しているのだろうか……。気持ちの良い男だった、出来れば無事に戻ってきて欲しいものだ。
本当ならあの男が連隊長になるはずだった。だがヴァーンシャッフェ連隊長が准将に昇進しても異動しなかった。本当なら何処かの旅団長になってもおかしくなかったのだがリューネブルクの逆亡命がまだ尾を引いていたようだ。表向きは適当な旅団長職が無いという事だったが連隊長のまま据え置かれた……。
ヴァーンシャッフェがヴァレンシュタインに好意を持たないのもそれが原因だ。ヴァンフリートでリューネブルクを殺しておけば或いは旅団長になれたかもしれない、そう考えているのだろう。そして今回のイゼルローン要塞攻略戦でも要塞内への突入を危険だとするヴァレンシュタインを忌諱している。自分の出世を邪魔する人間だと見ているようだ……。
馬鹿な話だ、ヴァレンシュタインは損害を少なくしようとしただけだ。誰かの出世を阻もうとしたことなどないだろう。彼はフォークとは違う、ヴァーンシャッフェはそのあたりが分かっていない。いや、人間出世や欲が絡むと真実が見えなくなるのかもしれない。自分の都合の良いようにしか見えなくなる……、俺も気を付けなければ……。
「ローゼンリッターが要塞内に突入しました。続けて第三混成旅団が突入します」
「うむ、イゼルローン要塞攻略も間近だ!」
ロボス元帥が顔面を紅潮させて叫んだ。こちらを見て嘲笑うかのような表情をしている。馬鹿が、問題はこれからだろう。
艦橋の中で興奮と無縁なのは六人だけだ。グリーンヒル参謀長、ヴァレンシュタイン、ヤン、俺、そしてバグダッシュとミハマ大尉だ。俺達は皆スクリーンを見ているがミハマ大尉はどちらかと言えば俺達を見ている。もしかすると心配しているのかもしれない。要塞が落ちたら俺達の立場が無いだろうと。
ローゼンリッターが要塞内に突入してから三十分が経った。艦橋が陸戦隊からの朗報を待つ中、陸戦隊から連絡が入った。
「ローゼンリッターから連絡です」
「どうした」
「我、敵の伏撃を受けり! ヴァーンシャッフェ准将、戦死!」
「!」
瞬時にして艦橋の空気が凍った。皆顔を見合わせている。
「馬鹿な、伏撃など有り得ん! 苦し紛れの反撃ではないのか!」
ロボス元帥が顔を引き攣らせて問いかけたが誰も答えられない。伏撃、つまり待ち伏せされた。しかもローゼンリッターの連隊長が戦死している。損害は決して小さいものではあるまい。苦し紛れの反撃と断言できるのか……。周到な用意をしていたとみるべきではないのか。
グリーンヒル参謀長は表情を強張らせている、ヤンも顔面が蒼白だ。そしてヴァレンシュタインは目を閉じていた、表情は硬い……。
「ローゼンリッターは現在シェーンコップ大佐が指揮、後退中とのことです」
「後退だと! 馬鹿な、後退など認めん!」
「敵の指揮官はオフレッサー上級大将! リューネブルク准将!」
オフレッサー上級大将! リューネブルク准将! 偶発的な遭遇戦じゃない。明らかに敵は十分な用意をして待ち伏せをしていた。自分の顔が強張るのが分かった。参謀達も皆顔を引き攣らせている。
「元帥閣下、敵は十分な用意をもってこちらを待ち伏せていました。我々の作戦は見破られていたのです。陸戦隊の撤収を進言します」
静かな声だった、だがヴァレンシュタインの撤退進言は艦橋をさらに凍り付かせた。
「ば、馬鹿な、そんな事は有り得ん。ミサイル艇の攻撃は成功したではないか。何故待ち伏せが出来るのだ。そんな事は有り得ん」
ロボス元帥の声が震えている、顔面は蒼白だ。
「帝国軍は宇宙艦隊をミュッケンベルガーが、陸戦隊をオフレッサーが指揮しています。ミュッケンベルガーはこちらに作戦に気付かなかった。しかしオフレッサーは気付いたのです」
「何を言っている……、オフレッサーが気付くなど有り得ん。あの野蛮人に我々の作戦案を見破ることなど……」
ロボス元帥の呻くような口調にヴァレンシュタインが顔を顰めた。こうなることは分かっていた。それなのに今更何を……。そんな気持ちなのかもしれない。
「気付いたのは別の人間でしょう。その人間がオフレッサーに忠告したのです」
「別の人間?」
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将です」
ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヴァレンシュタインの口調は苦い。そしてヤンの表情が強張るのが見えた。バグダッシュ中佐、ミハマ大尉も蒼白になっている……。
「彼は天才です。こちらの作戦に気付いた、しかし彼はミュッケンベルガーの信頼を得ていない。その意見は無視されたか、或いは最初から進言などしなかったのでしょう」
「何を言っている……」
ロボス元帥が訝しげに問いかけた。しかしヴァレンシュタインは静かな声で話し続けた。
「彼はヴァンフリート4=2でリューネブルクと共に基地を攻めました。そして地獄を見た。おそらくそこで繋がりが出来たのでしょう。何よりあの二人には後が無い、もう失敗は出来ないんです。その事が二人を協力させた」
「だから何を言っているのだ!」
激高するロボスをヴァレンシュタインは冷たい視線で見た。
「まだ分かりませんか? ミューゼル准将がこちらの作戦を見破りリューネブルク准将に知らせた。リューネブルクはそれをオフレッサーに知らせた。オフレッサーは半信半疑だったでしょうが、念のため伏撃態勢をとった。そこに陸戦隊が突っ込んだ、そういう事です」
「……有り得ん」
ロボス元帥は首を振っている。未だ事実を認められずにいる。そしてヴァレンシュタインがもう一度撤退を進言した。
「陸戦隊の撤退を進言します。このままでは損害が増えるだけです。要塞占拠が不可能な今、速やかに撤収させ損害を少なくするべきです」
「総司令官閣下、小官も同意見です。これ以上の戦闘は無益です」
グリーンヒル参謀長がヴァレンシュタインに同調した。反対する参謀はいない、皆視線を合わすことなく俯いている。
「駄目だ、撤退は認められん。態勢を整え再突入するのだ!」
「閣下、ローゼンリッターは連隊長が戦死しているのです。損害は小さなものでは有りません。再突入など無理です」
再突入を叫ぶロボス元帥をグリーンヒル参謀長が諌めている。
「ローゼンリッターなど磨り潰しても構わん! 再突入させよ!」
「!」
信じられない言葉だった。グリーンヒル参謀長が唖然とした表情でロボス元帥を見ている。参謀長だけではない、皆がロボス元帥を見ていた。そしてロボス元帥は目を血走らせてグリーンヒル参謀長を睨んでいる。
「再突入だ!」
「……」
皆、沈黙している。再突入を叫ぶ総司令官、沈黙して立ち尽くす参謀長……。
「参謀長閣下」
ヴァレンシュタインがグリーンヒル参謀長に声をかけた。救われたように参謀長がヴァレンシュタインに視線を向ける。ヴァレンシュタインは無表情に参謀長を見ていた。
「何かな、ヴァレンシュタイン大佐」
「小官は自由惑星同盟軍規定、第二百十四条に基づき、ロボス元帥閣下を総司令官職より解任することを進言します」
ヴァレンシュタインの静かな声が雷鳴のように艦橋に鳴り響いた。
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