Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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終盤
面識あるキリトとアスナは、全身が震えながら口をどうにか動かした。
「……ね、ネザー?」
「う、嘘でしょ……?」
驚愕のあまりにうまく言葉を発せられないキリトとアスナと同様、周囲のプレイヤー達も驚愕と騒然に見舞われた。ヒースクリフの正体が看破した時とは違う意味で、状況が凄まじく一変した。
俺は首を左右に向けながら周囲を見回し、攻略組1人1人を表情を伺った。皆、恐怖に見舞われた表情と言うより、頭の整理が追いつけていない表情に見て取れた。
茅場晶彦/ヒースクリフが左手でウィンドウを操作し始めた。すると、自分のHPの量が今以上に多く調整された。次いで、彼の頭上に【changed into mortal object】という不死属性解除のシステムメッセージが表示された。おそらく他のスキルやステータスにもシステムの力を加えたのだろう。茅場はそこでウィンドウを消去すると、床に突き立てた長剣を抜き、十字盾の後ろに構えた。
俺は後ろ腰に装備されてた短剣のカブトライザーを逆手に持つ。
お互い戦う準備を整え、感覚を研ぎ澄ました。
前回はプレイヤー同士のデュエルとして戦ったが、今回はカブトとして戦う。
ゲームマスター対ビートライダー。
どちらが勝つかはわからないが、戦うと決めた以上__必ず勝つ。
それが今の俺に残された唯一の道だ。
睨み合う2人の緊張感が高まる。空気さえその圧力に震えているような気がする。そう、これはデュエルではない。単純な殺し合いだ。ネザー/カブトの殺意は__しっかりとヒースクリフに向けられている。
瞬時に、空気を切り裂くように、俺は床を蹴った。
遠い間合いから右手のダガーを器用に回転させ、逆手から順手に持ち替え横薙ぎに繰り出す。ヒースクリフが左手の盾でそれを受け止める。火花が散り、2人の顔を一瞬明るく照らす。
短剣と盾がぶつかり合うその衝撃音が戦闘開始の合図だったとでも言うように、一気に加速した2人の剣戟が周囲の空間を圧した。
それは、俺がこの世界で経験した無数の戦いの中でもイレギュラーな戦いだ。俺は一度ヒースクリフの手の内を見ている。そのうえカブトの力は晶彦のデザインした《神聖剣》や《二刀流》のようなユニークスキルではない。本来はこの世界に存在するはずのないスキルなのだ。しかし、向こうもシステムの力を全力で駆使しようとする。お互い自身の持つ最強の力で挑むことになる。
俺はシステム上に設定された攻撃は一切使わず、ただダガーを己の戦闘本能が命ずるままに降り続けた。当然システムのアシストを得ず、加速された知覚に後押しされ、腕は通常時を軽く超える速度で動く。人の眼には、残像によって短剣が数本、数十本にも見えるほどだ。
だが__。
システムの力が加えられたせいか、ヒースクリフは下を巻くほどの正確さで俺の攻撃を次々と叩き落とした。その合間にも、少しでもこちらに隙ができると鋭い一撃を浴びせてくる。それを俺が瞬間的反応で迎撃する。局面は容易に動くことはなかった。少しでも相手の思考や反応を読もうと、俺はヒースクリフだけに意識を集中させた。
ヒースクリフの真鍮色の両眼はあくまで冷ややかだった。前回のデュエルの時に垣間見せた人間らしさは、今はもう欠片も見えない。
俺が今相手をしてる男は、4000人もの人間を死に追いやり、俺達を2年もの間この世界に閉じ込めた。しかし、この男は俺の師匠で、歴とした人間だ。ヴァーミンとは違う。
「はあぁぁぁ!!」
内側に秘められた力を無理矢理に押し出すように俺は絶叫した。更に両手の動きを加速させ、秒間何発もの攻撃を打ち込むが、ヒースクリフの表情は変わらない。眼にも見えぬほどの速さで十字盾と長剣を操り、的確に俺の短剣攻撃を弾き返す。
普通のプレイヤーなら不可能だ。システムの力を駆使して戦っているのは明白だ。しかし、ヒースクリフは防御に専念するばかりで攻撃を与えようとしない。まるで俺を試しているようだった。
俺の心に疑念が覆われていく。奴に弄ばれてる、と。
「ふざけやがって……!」
俺は一旦攻撃を止め、地面を強く蹴ってジャンプし、ヒースクリフから離れた。俺との間に距離ができた途端、ヒースクリフは微笑を浮かべ唇を動かした。
「どうした……。バトルディザイアーのチャンピオンの力はそんなものかね?」
「………」
チャンピオンという言葉を聞いた途端、俺の中で忌まわしい過去が蘇った。不意に、その記憶が俺の心を侵食していくように感じた。まるで真っ白な紙が黒く塗り潰されていくようだった。
だが俺はどうにか闇を押し返し、払い除けた。右手でカブトライザーの柄をしっかりと握り締め、突然と脚を動かし全速力で晶彦に突っ込んでいった。ヒースクリフは瞬時に盾を構え、攻撃を防ぐ体制を整えた。先ほどまでの微笑な表情はいつの間にか無表情に変わっていた。俺がヒースクリフにあと一歩で近づきそうになった矢先に、超高速移動を発動した。
周りの時間が止まった。攻略組のプレイヤー達はまるで人形のように固まって立ち尽くし、2人の戦いを見守るように眺めるプレイヤー1人1人の表情や動きが異常なほどゆっくりと動く。
最速の世界に降り立ち、ヒースクリフの動きも止まったかと思った。
__だが。
なんとヒースクリフの動きが、俺の速さについてきた。
「っ!?……またあれか!」
デュエルの時のように彼の動きがコマ戻りの映像のように瞬間的に移動し、俺のクロックアップについてこられた。俺のダガー攻撃を十時盾で弾き返し、俺は一旦後ろに下がった。そして同じ加速状態に入ったヒースクリフに、俺は問うた。
「システムのオーバーアシストで、俺の速さに追い付くつもりか」
「そうだ。元々このオーバーアシストは、いつかキミと戦うことになった時のために用意しておいたものだ。以前のデュエルの時に発動させてしまったが、それだけキミの力を認めているということなんだよ」
「………」
自分と同等に速くなれるシステムを開発していたのは予想外だった。だかいくら互角に速く動けても、強くなければ意味がない。速さが全てではないのだから。俺は内心で自分のそう言い聞かせ、再びヒースクリフと正面から向き合う。ヒースクリフは応じるように顔を向き合わせた。俺の瞳には、決意を固めた大きな意思の色が宿っていた。
決意を改め、俺はカブトゼクターに右手を移動させた。
【One】【Two】【Three】
ゼクターの脚スイッチを3つ順番に押し、ゼクターホーンを右に引く。
【Quick Charge】
最後の電子音声が流れ、稲妻がゼクターを伝って右手のダガーに収束した。
武器__カブトライザーから放たれる、ソードスキルと類似の必殺技__《クリムゾン・ラッシュ》。
両手でダガーの柄を握り締め、俺は再び全速力でヒースクリフに突っ込んでいく。ヒースクリフは瞬時に盾を構え、攻撃を防ぐ体制を整えた。先ほどまでの微笑な表情はいつの間にか無表情に変わっていた。
「はあっ!!」
気づくと、輝くダガーが盾に命中していた。
ヒースクリフの盾はどうにか攻撃を受け止めたが、ダガーによる攻撃を防いだ時とは違い、必殺技はこれまでにない巨大な衝撃を与えた。更に、あまりの衝撃の強さに脚が後方に向けて地面を擦り動き始めた。ヒースクリフの顔に、驚愕の色が現れ始めた。
「……こ、これは!?」
クリムゾン・ラッシュを受け止めていた盾に、わずかなひび割れが生まれた。徐々に罅割れが大きな傷へと変貌していき、この機会を逃さんと俺は力を高めた。
「うあぁぁーーー!!」
雄叫びに引き付けられるように光が倍に輝いた。光だけでなく、攻撃の威力までもが増大した。
いける!
俺は眼を見開いた。見える。まだ見える。驚愕の色を表すヒースクリフの顔が、見える。
ひび割れが盾全体にまで及び、ミシミシという奇怪な音が響く。盾に生まれた傷口から七色の光が漏れ出し、ヒースクリフを照らす。ヒースクリフは眩しさのあまりに瞑るように眼を細めた。
眼を開ければ既に盾は跡形もなく粉砕され、俺がダガーの先端をヒースクリフの胸の中央に突き刺されていた。ヒースクリフは動かなかった。その顔に驚愕の表情はすでになく、わずかに開いた口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
彼のHPは__全損した。
ヒースクリフの体を剣で貫いた姿勢のまま、俺達はその場に立ち尽くしていた。力を使い切り、俺は宙を見つめた。
終わった……のか……。
クロックアップは解除され、俺は現実の時間に戻った途端、仄かな光が一瞬、自分を包み込むのを感じた。
闇に沈んでいく意識の中で、自分が力尽きていることを、そして同時にヒースクリフが砕け散るのを感じた。聞きなれたオブジェクト破砕音が響いた。かすかに俺の名__《ネザー》という名を呼ぶ声は、キリトとアスナだろうか。それともエギルとクラインか。それらに被るように、無機質なシステムの声が__。
ゲームはクリアされました__ゲームはクリアされました__ゲームは……。
「……ここは……?」
全天が燃えるような夕焼けだった。
気づくと、俺は不思議な場所にいた。
足元は分厚い水晶の板だ。透明な床の下には赤く染まった雲の重なりがゆっくり流れている。振り仰げば、どこまでも続くような夕焼け空。鮮やかな朱色から血のような赤、深い紫に至るグラデーションを見せて無限の空が果てしなく続いている。かすかに風の音がする。
赤金色に輝く雲の群以外何も無い空に浮かぶ小さな水晶の板、その端に俺は立っていた。
ここはなんだ?俺は確かに茅場を倒し、SAOはクリアされたはず……?まだSAOのの中にいるのか?
自分の体に視線を落としてみる。カブトの姿ではなく、人間の姿でいた。服装も、フードに籠手といった装備類はそのままだった。
右手を伸ばし、指を軽く振ってみた。耳慣れた効果音と共にウィンドウが出現する。ということは、ここはまだSAO内部ということだ。
だがそのウィンドウには、装備フィギュアやメニューの一覧が存在しないただ無地の画面に一言、小さな文字で【最終フェイズ実行中 現在54%完了】と表示されているだけだ。見つめるうち、数字が55へと上昇した。ヒースクリフの体が崩壊すると同時に、意識が現実に帰還できると思っていたが、なぜこんなことに__。
肩を竦めてウィンドウを消去した時、俺の立つ水晶板から遠く離れた空の一点に__浮かんでいた。円錐形の先端を切り落としたような形。薄い層が無数に積み重なって全体を構成している。眼を凝らせば、層と層の間には小さな山や森、湖、そして街が見て取れる。
「アインクラッド……」
俺の呟きの通り、あれはアインクラツド。無限の空に漂う巨大浮遊城。俺達プレイヤーが2年間の長きにわたって戦い続けた剣と戦いの世界。それが今、眼下にある。
この世界に来る前、現実の世界でその外観を眼にしたことはあった。だがこうして実物を外部から眺めるのは初めてだ。
だが。
鋼鉄の巨城は__今まさに崩壊しつつあった。
俺が無言で見守る間にも、基部フロアの一部が分解し、無数の破片を撒き散らしながら剥がれ落ちていく。耳を澄ませると、風の音に混じって重々しい轟音がかすかに響いてくる。
下部が一際大きく崩れ、構造材に混じって無数の木々や湖の水が次々に落下し、赤い雲海に没していった。2年間の記憶が焼き付いた浮遊城の層1つ1つが、薄い膜を剥がすようにゆっくりと崩落していくたび、安心と残念が混じったような気分になった。
不思議なことに心は穏やかだった。自分がこれからどうなるのか、どうすればいいのか、何もわからない。ただ、この世界の最後を看取っている。どこか満ち足りた感じがした。
「なかなかの絶景だな」
不意に傍らから声がした。俺は視線を右に向けると、いつの間にかそこに男が1人立っていた。
__《茅場晶彦》だった。
ヒースクリフではなく、SAO開発者としての本来の姿だ。白いシャツにネクタイを締め、長い白衣を羽織っている。線の細い、鋭角的な顔立ちの中で、それだけは変わらない金属的な瞳が、穏やかな光を湛〔たた)えて消えてゆく浮遊城を眺めている。
この男とはつい数十分前まで互いの命を懸けた死闘を繰り広げていたはずなのに、俺の感情は静かなままだった。この永遠の夕刻の世界に来る時に、怒りや憎しみを置き忘れてしまったのだろうか。俺は晶彦から視線を外すと、再び巨城を見て口を開いた。
「何が、起きているんだ?」
「比喩的表現……と言うべきかな」
晶彦の声は静かだった。
「現在、アーガス本社地下5階に設置されたSAOメインフレームの全記憶装置でデータの完全消去作業を行っている。あと10分ほどで、この世界の何もかもが消滅するだろう」
「75層のボス部屋にいた連中は、どうなった?」
俺がポツリと呟いた。
「気にすることはない。先ほど__」
晶彦は右手を動かし、表示されたウィンドウをチラリと眺めて続けた。
「生き残った全プレイヤー、6147人のログアウトが完了した」
ならば、キリトもアスナも、この世界で2年間を生き延びた人間達は皆、向こうに戻れたということだ。
俺は一度眼を瞑り、滲みかけたものを振り払はらうようにして訪ねた。
「俺は今、どういう状態なんだ?俺は……死んだのか?」
「心配には及ばない。最後にキミと少しだけ話をしたくて、時間を作らせてもらっただけだ。キミも時期にログアウトできる」
その言葉に安心したが、どこか喜べない部分があった。
「今までに死んだ人間は……戻ってこないんだな」
晶彦は表情を変えずにウィンドウを消去し、両手を白衣のポケットに突っ込むと言った。
「そうだ、彼らの意識は帰ってこない。死者が消え去るのは、どこの世界でも一緒だ」
それが4000人を殺した人間の台詞かどうかはわからないが、代わりに別の質問を重ねた。根源的な、おそらく全プレイヤー、そしてこの事件を知った全ての人が抱いたはずの疑問。
「なぜ……こんなことをした?晶彦……あんたは何のために……この世界を作ったんだ?」
晶彦は苦笑を漏らす気配がした。しばしの沈黙。
「なぜ……か。私も長い間忘れていたよ。なぜだろうな?フルダイブ環境システムの開発を始めた時……いや、その遥か以前から、私はあの城を、現実世界のあらゆる枠や法則を超越した世界を創り出すことだけを欲して生きてきた。そして私は……私の世界の法則をも超えるものを見ることができた」
晶彦は静謐な光を湛えた瞳を俺に向け、すぐに戻した。
少し強く吹いた風が、茅場と俺の衣類と髪を揺らした。巨城の崩壊を半端以上にまで及んでいる。
無垢な表情を浮かべる俺が、虚しそうに言った。
「結局……俺の人生は戦いの中にしかない。現実に戻っても……同じことだ」
「本当にそうかな」
「……?」
「子供は、次から次へといろんな夢想をするものだろ。空に浮かぶ鋼鉄の城の空想に私が取りつかれたのは何歳の頃だったかな……」
「その話……最初に俺が聞いた話だったな」
「ああ。その情景だけは、いつまで経っても私の中から消え去ることはなかった。この地上から飛び立って、あの城に行きたい……長い間、それが私の唯一の欲求だった」
「その欲求は……叶ったのか?」
「どうだろうな?例えそうでなかったとしても、私はまだ信じているのだよ、ネザー君。どこか別の世界には、本当のあの城が存在するのだと……」
不意に、俺は自分がその世界で生まれ、剣士を夢見て育った少年の姿を想像した。
「俺も昔は……自分が不幸にならない、幸せでいられる世界があるのなら……そこに行きたい。そう望んだこともあった。だからこそ……あんたの話に引き込まれたのかもしれない」
俺は呟くように語った。
「それは褒め言葉として受け取っておくよ」
再び沈黙が訪れた。視線を遠くに向けると、崩壊は城以外の場所にも及び始めていた。無限に連なっていたはずの雲海と赤い空が、遥か彼方で白い光に呑み込まれ、消えていくにが見える。光の侵食はあちこちで発生し、ゆっくりとこちらに近づいているようだ。
「……言い忘れていたな。SAO開発に手を貸してくれて、ありがとう。そして……ゲームクリアおめでとう、ネザー君」
ぽつりと発せられた言葉に、俺は右隣に立つ茅場を見上げた。晶彦は穏やかな表情で俺を見下ろした。
「さて、私はそろそろ行くよ」
風が吹き、それに掻き消されるように姿を消した。
「これで……この世界ともおさらば……か」
俺__ネザーという存在を形作っていた境界が消滅し、拡散する。
全て__消えていく。
空気に匂いがある。
鼻孔に流れ込んでくる空気には大量の情報が含まれている。乾いた布の日向臭い匂い。果物の甘い香り。
ゆっくり眼を開ける。その途端、強烈な白い光を感じ、慌てて瞼をギュッと閉じる。
改めて眼を開けてみる。何か柔らかいものの上に横たわっているようだった。天井らしきものが見える。オフホワイトの光沢のあるパネルが格子状に並び、そのうちいくつかは、奥に光源があるらしく柔らかく発光している。金属でできたスリットが視界の端にある。空調装置のようだ。低い唸り上げながら空気を吐き出している。
俺は眼を見開いた。ここがアインクラッドではないという思考によってようやく意識が覚醒した。右肩を数センチ上げ、自分の体に掛けられている布から上体を起こし、自分の右腕を目の前に持ち上げた。
自分の掌を見つめてみたが、何の変哲もない手だった。恐ろしいほどに痩せ細っていると思ったが、よく見てみると__アインクラッドで何度も振るった腕と同じだった。関節に細かい皺が寄ってなく、皮膚の下に青みがかった血管が走っていない。右腕に次いで、もう片方の腕、そして上体に眼をやった。肉体は少し成長していた。体に包帯の巻かれた箇所がいくつかあったが、それ以外特に酷い箇所はなく、痛みもそれほど感じない。正常そのものだった。自分の体は普通の人間と同等の機能を持っていないのはわかっていたが、2年も仮想世界に囚われていたにしては異常に思えた。
驚くのは後回しにして視線を周囲に向け、ここがどこなのか探り始めた。
俺が横たわっているのは、どうやら密度の高いジェル素材のベットらしい。体温よりやや低い、冷んやりと濡れたような感触が伝わってくる。俺は全裸でその上に寝ていたということだ。
今自分がいる部屋は、壁は天井と同じオフホワイト。右には大きな窓があり、白いカーテンが下がっている。カーテンが下がっていない部分の窓から外を見ると、大海原が見え、太陽が登り詰めていた。ジェルベットの左手奥には金属製のワゴントレイがあり、藤の籠が載っている。籠には控え目な色彩の花が大きな束で生けられており、甘い匂いの元はこれらしい。ワゴンの奥には四角いドアが閉じられている。ベットの背後や周りには、何やら特殊な装置がいろいろ設置されている、見たところ最新鋭の医療機材や端末装置といったところだろう。
得られた情報から推測するに、おそらくここは太平洋の真ん中に浮かぶ《ZECT》の移動式中枢基地《オーシャン・タートル》の病室のようだ。今俺がここにいるということはつまり、現実の世界に無事帰還できたということだ。
現実世界。その言葉が意味するものを理解するには時間がかかった。俺にとっては、仮想も現実も同じだった。しかしその仮想世界はすでに存在せず、自分がそこに存在しないのだということがすぐに受け入れられなかった。
あの血眼な戦いの世界から現実に帰還するために戦い続けてきたはずだが、戻ってきても喜びが感じられない。ただ困惑と、わずかな喪失感を覚えるのみだ。
また家族を失ったような気分だった。夢の中にいるような気分でもあったが、目覚めてしまえば、どんな夢でも呆気なく忘れてしまい、いつもと変わらない日常が再び始まる。だから速く目覚めたい。
俺は心の中で何度も繰り返し叫んでいた。
でも__。
目覚めて、俺の中にあったのは__虚しさだけだった。
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